「あ、お兄ちゃん起きたんだ!」
不意に、幼い女の子の声が耳に飛び込んできた。
気が付けばそこに彼女はいない。俺は一人惚けたまま、ベッドに腰掛けていた。
「リアのお陰よ。ありがとう。」
件の彼女が笑顔で迎えたのは、程良く小麦色に焼けた10歳くらいの女の子だった。
いつかテレビで見た、スメリアの「お茶くみ人形」のようにお盆を持ってエッチラ、オッチラやってくる。
「お兄ちゃん、スープ、飲める?」
「あ?ああ。」
俺はまだ彼女の残り香に引き摺られているらしく、女の子の言葉はワンテンポ遅れて脳みそを刺激する。
そうして出来た妙な間を埋めるように、できるだけ心を込めて「サンキューな」と言い、盆の上の椀を一つ取る。
受け取ったそれは、やけに色が薄く、出汁を取っただけのようなスープだったが、飲んでみて驚いた。
「これ、美味いな。」
それはまるで、野菜や肉をコトコトと煮込んだポトフのような甘みとコクを感じさせた。
「本当、美味しい。」
おそらく、調理の手伝いをしたのだろう。女の子の顔に浮かぶ満面の笑みには、僅かばかりの得意げな表情が窺えた。
「この村の人は皆、病気になったらこれを飲むのよ。」
確かに、全身の血が息を吹き返したかのように滾る感覚がある。
「そっか。えぇっと……」
「エルク、この子はこの家の主人のお孫さん。リアっていうのよ。」
「そっか、リアか。なんか色々世話になったみてえだな。助かったよ。」
「ヘヘヘ」とリアは笑い、俺の腕に絡み付いてくる。まるで人懐っこい仔犬のようだ。
「もっと元気になったらリアと一緒に遊ぼうね。」
「そうだな。」
言いながら、ここまでのやり取りで俺は八割方の確信を得ていた。
リアは島の外から来た俺たちが物珍しくて興味があるという風じゃない。近所の年長者に甘えているというような感じだった。
若干、島特有の言葉や訛りがあるようだったが、言葉の選び方や受け答え、反応は、俺たちのそれに似通っていた。
肌は日焼けして少し荒れてはいるが、色素の薄い光彩と、細い髪は白人特有のものに見える。
「でも、その前に、リアのじいちゃんと話をさせてくれないか?」
この小麦色の女の子の祖父とやらは、少なくともこの島のじゃない。もっと北の人間だ。
……血の繋がった祖父ならの話だが。
「おじいちゃんに会いたいの?」
「あぁ、世話になったしな。礼の一つでも言っとかなきゃだろ?」
すると、喜んで呼んできてもらえるかと思いきや、女の子は腕を組んで「うーん」と渋り始めた。
「なんだ、どっか出掛けてんのか?」
それか、余所者と会うのを嫌う、気難しい質なのか。
「ううん。違うの。」
「じゃあ、どうしたんだよ。」
「……おじいちゃん、いっつも研究してるの。リアが遊ぼうって言っても『今は忙しいから』って言うの。」
「研究者」か。予想外って程でもないが、厄介なことには変わりねえな。
こうやって介護を受けているからには確率は低いとは思うが、黒づくめの関係者ということもある。
「ずっとって、一日中、研究してんのか?」
「そんな日もあるよ。そんな時はね、リアは友だちの家にお呼ばれするの。村の人は皆、おじいちゃんのこと『ハカセ』って呼んでてね、リアとおじいちゃんにとても優しいのよ。」
その答えは少し意外に感じられた。
余所者が大っぴらに、異文化を持ち込めば、伝統を守ろうとする村から疎まれるのが通例だと思っていたからだ。
それに、その「ハカセ」の素性も謎だ。
「リアは、この島にじいちゃんの友だち…、一緒に研究してる人がどれだけいるか知ってるか?」
すると、リアは不思議そうに俺を見上げる。何か不味いこと言っちまったか?
「……おじいちゃんはいっつも一人だよ。オザルがお手伝いしてるけど。」
単身?こんな島で?「オザル」ってのは現地民のことか?正式な助手は一人もいないってことか?どんな組織でも現地での研究を目的としてるのなら、最低でも助手一人と護衛一人くらいは付けるもんだろ。それに、森の中にある村のさらに奥に居を構えるってのも、なんだかシックリこない。
……孫は村への世間体かとも思ったが、どうやらもっと、込み入った話みたいだな。
「じゃあさ、リアには面倒ばっか掛けて悪いんだけどよ。この村を案内してくんねえか?」
リアから難しい表情が消え、まるでよく熟れたリンゴのように、幼い顔によく映える笑顔が戻った。
「え、お兄ちゃん、もう起き上がっても大丈夫なの?」
「当たり前だろ。それに、お姉ちゃんがあんなに元気に動き回ってるのに、俺がいつまでも寝込んでたら格好悪いだろ?」
ヒエンの墜落時、リーザは確かに俺よりも重症だった。着水時に無意識に彼女を庇っていたとしても、普通に考えれば、俺より先に回復してるなんてまず有り得ない。空港で受けた銃創に関してもそうだ。
だから、この『回復力』もリーザの『力』の一つなんだと漸く確信することができた。
だが、それとこれは話が別だ。
俺も体が動く以上、することはしなきゃならない。シュウがどこまで予定を済ませちまってるかは分からないが、これ以上寝込んでたら、間違いなくシュウの足を引っ張っちまう。
勿論、どうにかして此処をサッサと出て行かねえと黒づくめたちにも此処を突き止められちまう。
すると、俺の目の前で、小麦色の小さな頭がブンブンと左右に揺れ動いた。
「お兄ちゃんはカッコ悪くないよ。」
「どうしたんだよ。」
「私、村の人たちから聞いたから知ってるの。お兄ちゃん、お姉ちゃんの騎士様なんだって。」
「……え、何が、何だって?」
リアが言うには、島に流れ着いた俺は敵か味方か分からない村人たちに対し、気を失っていたリーザを護ろうと頑なに威嚇を続けたらしい。……全く記憶にないが。
「だからお兄ちゃんはカッコ悪くなんかないよ。」
「お、おう。」
子どもに励まされるムズ痒さと、耳馴染みのない褒め言葉が迂闊にも俺を赤面させた。リアの後ろでリーザが苦笑している姿を見て、一層、頭が沸騰していくのが分かった。
何はともあれ、一生懸命励まそうとした女の子にもう一つ礼を言わない訳にもいかない。
「……ありがとうな。」
小さい頭、クセッ気のある髪を優しく撫で付けた。
「お兄ちゃん、顔、真っ赤……」という件は、今度こそ、脳みそにも辿り着くことはなかった。
「じいちゃんに何も伝言を残していかなくてイイのか?」
リアに用意してもらった服に着替え、早速、村を案内してもらうことになった。
「大丈夫だよ。夕方までに帰ればおじいちゃんは怒らないもの。」
何とも、研究者らしい放任主義だな。
整備された治安の良い町ならともかく、こんな何時そこいらの茂みから毒蛇が出てきてもオカシクないような熱帯林の直中に娘を放し飼いにしておいて、よく心配にならないもんだ。原住民じゃねえんだぞ。
「だからって、口出しはしないのね。」
不意に俺の隣に立った彼女は、俺が全快したと分かった途端、揶揄い始めた。
「そりゃあ、怪しいとはいえ、他人ん家のことだからな。とやかく言えねえよ。」
フフフ、と北叟笑む彼女を俺は、少しズルいと思った。
リアの家を出た直後、妙な影に圧迫感を覚え、素早く振り返る。
けれど、それは俺の予想とは違っていて、取り敢えずの危険はなかった。
「何だ、こりゃ。」
そこには、もう一戸分の輸送用木箱が本宅を取り囲むように積み上げられていた。
その異様な光景はまるで、戦場のバリケードのようでもあった。
「おじいちゃんの荷物だよ。」
「これ、全部か?中身は?」
まあ、聞かなくても大体の想像は付いていた。
「分かんない。研究に使うものだから、絶対に触っちゃダメだって言われてるの。だから、お兄ちゃんも触っちゃダメだよ。」
「……あぁ。」
人目を避ける様な情報ばかりが出てくるからてっきり、どっかの組織の足抜けなのかと思ったが、この荷物の量を見るとその線もまた微妙だな。
小分けに運び出すとなると回数が必要だし、一度に纏めてとなるとそれなりに大きな船を用意しなきゃならない。
どっちにしろ目立っちまって、それだけで組織に居場所を教えてるようなもんだ。
……もしくは、もともと何処にも属してないのか?この荷物はみんな、村に貢献するための研究資材なのか?
こんな熱帯の中で野晒しにしてるくらいだから薬物や生物兵器の類じゃねえんだろうけど。いったい中身はなんだろうな。
まさか、ここの村人に戦争をさせようなんて考えてねえだろうな。
パッと見た感じ、「村の発展のため」なんて善意的なものじゃねえように思えるんだけどな。
「こんなに沢山。おじいさんは随分と勉強熱心な人なのね。」
「そうよ。おじいちゃんは村の皆のために色んな物を作って、とても感謝されてるのよ。」
小麦色の女の子は今日一番の笑顔を俺たちに見せつけた。
……よっぽど、その「おじいちゃん」が自慢なんだろう。
その日、俺たちは小さな女の子の、小さな手に引かれて、鬱蒼とした村の中を右往左往するだけで一日を終えた。