――――それは、ギロチンのように真っ直ぐに俺の首を目掛けて振り下ろされた。
俺が男に冷や汗をかかされたのは、その一振りだけだ。
男はユラユラと幽鬼のように俺に近付き昔話をしたかと思えば、高々と右腕を掲げ、言い放った。
「テメエの助けなんざ、もう必要ない。」
俺は振り下ろされる渾身の一撃を受けられなかった。
言葉を添えられたそれが、俺の「有罪」を不動にしている気がしたからだ。たとえ受けたとしても、燭台の二の舞になるのは目に見えていた。
事実、ホームレスの右腕が振り下ろされると同時に、俺が躱した先にある椅子や長テーブルが凄まじい音を立て、見境なく両断された。
リーザやパンディットは当然のように男の一撃を回避していた。けれど、避けるだけで彼女たちからは戦う意思が感じられない。
おそらく『知っている』んだ。あの女が俺たちの邪魔をしていた理由を。
だからこそ迷っているんだ。この戦いに参加すべきかどうか。
ホームレスは俺よりも厄介なはずの彼女たちを少しも警戒しなかった。魚の目は俺だけを追い回している。
一目見て、彼女を戦力外だと見抜いたのかもしれない。
「なかなか、素早っこいじゃねえか。……5年前も、そうやってミリルを囮にして自分だけ逃げたんだよな?」
分からない。思い出せない。それでも俺は、男の言葉に憤りを覚えずにはいられなかった。誤魔化さずにはいられなかった。
「ミリル、ミリルとうるせえ奴だぜ。そういうテメエも、その子を助けられなかった臆病者なんだろうがよ。」
「……!?」
そうして誘いに乗ってきた二撃目は遥かに鈍かった。それでも反撃は考えず、できるだけその剣線から遠くへと逃げた。
すると俺の読み通り、今度は避けた先ではなく、振り下ろされた右腕を中心に『見えない刃』が辺りを滅茶苦茶に切り刻んだ。
間隙はない。
猛り狂った雄叫びと共に、男の右腕が休むことなく俺を襲う。俺はそれを避け続ける。
そうして様子を見た結果、どうやら男の『力』にそれ以上のレパートリーはないらしい。
「逃げ回るしか能がねえのか?腰抜けがっ!」
太刀筋をなぞって直線上に放たれる強烈な一閃か。振り下ろした右腕を中心に周囲をデタラメに切り刻むか。右腕を全く動かさず燭台を切った、文字通り『見えない刃』か。
言わずもがな、最後の『ソレ』が男の切り札に違いない。
それは右腕を使わない分、威力は低いのかもしれない。それでも前者二つで俺の目が慣れてきた時に使われれば、隙をつくってしまう可能性は大きい。
そうなれば次の右腕に喰われるのは免れない。
考えている間にも、数億Gは下らない煌びやかな講堂が廃屋同然のようにズタズタにされていく。
『力』の影響なのか。鈍い剣戟が続く。それでも『見えない刃』の分まで逃げ回るのは通常の一対一よりも体力と集中力をもっていかれる。
さらに、一撃一撃の『力』は一定時間残留しているらしく、男が次の一撃を繰り出す間も残る『ソレ』が俺の逃げ場を制限した。
「なかなか熱いじゃねえか。だけどその程度じゃあ俺は燃やせねえぜ。」
何度か『炎』を使って応戦してはみたものの、男の『力』が邪魔をしているのか、上手く狙いをつけられない。威力も落ちて目眩ましにもならない。
決定的な一撃を与えることもできず、防戦一方の時間が続いた。
「……テメエ、何を今さら燻ってやがんだ。」
『力』の内容はともかく、コイツ自身の『力』は大したことない。男の言う通り、ゴリ押しすれば押しきることはできた。
「これじゃあ町で女を捌いてる方がよっぽど愉しかったってもんだ。なぁ?」
でも、何かが違う。
「……知ってるか?死ぬ直前に見せる女のグチャグチャに歪んだ顔と悲鳴ってのは男を最高にハイにさせてくれるんだぜ?」
……それでも、この見え見えの挑発が男の罠を誇張していて、最後の一歩が踏み出せない。
「バラバラになっていく女の血と肉。あの鉄臭い臭いとブヨブヨとした感触はマジで堪んねぇ。ベッドの上で泣かせるよりも何倍もイイんだ。」
耳につく声が、嫌でも俺に「その光景」を想像させる。
一人、二人、三人……。
無防備な彼女たちが男の右手で屠殺場の豚ように、惨たらしく解体されていく様を。
そして、ホームレスはその穢れた右腕で俺の背後を指し、手招いた。
「金髪は特にイイ。見てるだけで金持ちになった気分になる。一度ヤッたら病み付きになる。保証するぜ?」
「黙ってろ!」
分かってる。
ただの挑発だってことは。
俺がそうしたように、コイツも彼女をダシにして俺を苛立たせようとしているだけんなんだ。
分かっていても胸が騒つく。『悪夢』じゃない何かが――――。
「何なら俺が手伝ってやろうか?」
「!?」
――――どうしようもなく俺を掻き立てる。
「殺してやる!!」
「ヤッてみろ!!」
燭台が爆ぜ、シャンデリアの雨が降る。
降り注ぐシャンデリアの破片がホームレスを襲う。
『見えない刃』がこれを打ち払い、炎の少年に飛び掛かる。
ところが、少年の研ぎ澄まされた感覚は難なく致命傷を避け、そのままの勢いでホームレスの右肩に真っ赤な矛先を突き立てる。
振り下ろした右腕に重心を取られたホームレスは為す術もなく少年の一撃を受けてしまう。
少年はホームレスを壁に縫い付けるつもりで両手に力を込めたが、意図を覚ったホームレスは激痛を振り払い、槍の柄を掴み、全身を使って少年を投げ飛ばしにかかる。
少年はその勢いを利用してホームレスの顔を蹴り上げる。
体勢を崩したホームレスに畳み掛けようとすると今度はホームレスが『見えない刃』を使って少年に反撃する。
微かな風の変化を感じ取った少年は横に跳ねる。
少年が自分の間合いから出たことを確認すると、ホームレスは突き刺さった槍を無造作に引き抜く。残された激痛はホームレスの中で快感に置き換えられ、彼をさらに、さらに欲情させる。
焼け爛れたはずの右肩が『右腕』を加速させる。
「ゲハハハッ!これだ、これを待ってたんだよ。こうなる瞬間をな!夢にまで!」
「夢なら地獄で見な!このシャブ中野郎が!」
槍を失った少年は左手に片手剣、右手に投げナイフを持ち、ホームレスの『右腕』を躱しながら確実に間合いを詰めていく。
しかし、あと一歩、というところまで詰め寄ると、落下するシャンデリアが少年を襲った。
一足飛びで回避するが、その先ではホームレスの右腕が少年を待ち構えていた。
「……バッドエンドだ、エルク。」
少年は振り下ろされる右腕を剣と『炎』でいなし、擦れ違いざま、燃えるナイフでホームレスの腹を裂いた。
「グハッ!ゲホッ……クククッ……。」
内臓が傷つき吐血するも、男はなおも笑い続けた。
「どうだ、オモシレェだろ?気持ちイイだろ?……そうだ、そうなんだよ。そうでなきゃ困るんだよ。」
男に勝機などない。少年の『力』は『制限』を破りつつあり、男の『ソレ』を飲み込みつつある。
一方、ホームレスの右肩は『力』を揮うほどに、ホームレスの動きを蝕んでいく。
それでも男の右腕は嬉々として少年を襲い続ける。それはまるで、戯れる子どものように。
「いいぜ……、いいぜ。俺もテメエを殺してやるよ。」
………殺してどうなる?
男と同じ気持ちに駆られながらも、少年はその行為に疑問を持ち始めていた。
この男はここで殺しておかなきゃまた、無関係の人間を殺すだろう。だけど、殺せばイイのか?それで解決することなのか?
問題の根幹がそこにないことを、その先にあることを少年は気付き始めていた。
「どこ見てやがる。テメエの相手はこっちだろうがよ!!」
だがそれはもう、遅過ぎた気付き。男の傷は深く、遅かれ早かれ男は死ぬ。少年が手を下そうと、下すまいと。
「……クソッ。」
男の『右腕』はその威力を衰えない。尽きるロウソクのように、末期の炎を赤く大きく少年に魅せつける。
――――ここでアンタは死ぬんだよ
今なら歌姫の言葉を理解することができた。
この男では少年を殺すことなどできない。初めから。その器じゃない。
「どうした、殺せ。殺せよ!俺はテメエの金髪をバラバラにするぜ?あの女に『俺』という化け物を植え付けてやる!」
「……クソッ!」
「エルクゥゥゥッ!!」
彼女は完全に不意を突かれていた。乱れた『心』が飼い犬を呼び戻せなかった。
「リーザッ!」
ギロチンが、少年と少女の『運命』を断ち切ろうと振り下ろされる。
――――しかし、『炎』がそれを許さなかった。
例え、男がこの世にたった一人しかいない何かであったとしても、彼女の笑顔には遠く及ばなかった。
全ては一瞬。
覚める、『夢』のように。
「……チ、クショウ」
スラムの物乞いのように汚らしい『化け物』は、炭と化した『右腕』を見詰め、悔し涙を浮かべながらこの世を去る。
自分の弱さと、数奇な運命の中で支え合った友人らを呪いながら――――
ゴミのように――――