翌昼、彼はその仏頂面を引っ提げて寝ぼける俺に向かって事も無げに言った。
「ヒエンの用意ができたぞ。」
「……は?」
当然、変わらない彼の顔色を窺っても何一つ分からない。
「スマネエ、シュウ。何言って――――」
「俺を問いただすより、その目で確かめた方が早い。……ただし、多少の覚悟が必要になるだろうがな。」
そう言って用意した車に俺たちを乗せると、彼は町外れにあるヒエン専用の格納庫へと向かった。
その道中、シュウが話したのはヒエンのことではなく、今朝流れたニュースの内容だった。
もちろん、その内容はガルアーノ関連。テレビ、ラジオ、新聞。あらゆるメディアがその話題を一面に挙げていたらしい。
ただし、彼から聞いたその内容は俺の予想していたものと大幅に違っていた。
事件の主軸になるだろうと思っていた「インディゴスの辻斬り」の影はどこにもなく、俺たちを犯人に仕立てるような文言も出てこなかったらしい。
屋敷に残っていたのは猛獣に襲われたと思われる使用人28人の遺体と、謎の爆破物によってバラバラにされた約20体前後の怪物の遺体のみだという。
「辻斬り」に加え、「影武者」と「歌姫」も消されていた。
ガルアーノは「使用人に書類を取りに行かせたところ、事後現場を発見した」、「昨今広まっている、人間がモンスター化するという与太話を利用した政治的攻撃である」と謎の犯罪組織を臭わせる発言をしたという。
これについてメディアは「急成長を続けるアルディアを警戒し、内乱を誘発させようと企む他国の陰謀」だとか、「女神像に引き続き行われるアーク一味の計画犯罪」だとか、これという主要な見解を得ないまま好き放題に論争しているらしい。
それでも、あの市長をこき下ろすような発言は一切なかったという。
今回の件で増々信憑性を帯び始める市長のドス黒い背景に、メディアも評論家たちもビビっているんだろう。
「結局、何が狙いなんだ?」
頭の悪い俺が根を上げ聞き返すと、意外にも彼は「ガルアーノの仕掛け」にはあまり関心を持っていないような発言をした。
「俺たちを困惑させるためだけのカモフラージュということも十分にあり得る。あまり勘ぐるな。今はただ知っておけさえすればいい。」
「でも、女神像の一件だってあるんだぜ?もしも町ごと何かの実験に使おうとしてんなら黙ってるわけにもいかねえだろ。」
「そしてまた、ミリアを後回しにするのか?」
運転中の彼は隣の俺にチラリとも視線をくれずに言い返す。
「……」
「目の前のことに気を取られるのはお前の悪い癖だ。」
今まで、彼は無駄に俺の『悪夢』を突くような真似はしてこなかった。
どちらかと言うと、自分からは決して触れてこなかった。
「この国にいる賞金稼ぎはお前だけじゃない。市長の失墜を狙う者。マフィアの動向を監視する者。お前の目に見えてないだけで、アレの足を引っ張ろうとする人間はこの国に巨万といる。」
違う。見えてないわけじゃない。ただただ、頭に血が昇っていただけなんだ。
アレの顔がチラつくだけで頭がパンクしそうになっちまう。色んなヤツの悲鳴が聞こえてくるんだ。
そんなことは彼だって百も承知だ。分かった上で言ってるんだ。「お前は未熟だ」って。
「だが、ミリアを助けようとしているのはお前だけだ。……違うか?」
そんな俺が今の今まで賞金稼ぎをやってこれたのは間違いなく、こうした彼の躾があったからだ。彼がいなかったら俺なんかとっくにカラスか野良犬のエサになってる。
彼は常に俺の一歩先に立ち、俺の見える世界の形を丁寧に教えてくれる。頭の悪い俺に変わって歩き方を教えてくれるんだ。
「一人で歩かなきゃ」自分の未熟さを思い知る度にその想いは募っていく。
「とは言え、何かを仕掛けるにしては町への影響が小規模すぎる。まだ幾つかステップを残している可能性は高い。言い換えるなら、連中の注意はまだ俺たちの方に向いていると思っていい。」
少なくとも俺たちを処分するまでは本格的に仕掛けに乗り出すことはない。連中は一つ、一つ事を片付けようとしている。そう言っていた。
「ただし、連中の気が変わる前にお前がその重い腰を上げられればの話だがな。」
ここまで甘やかされて立ち上がらなかった日には、いよいよ彼に愛想を尽かされてしまうもしれない。
「問題ねえよ。」
それに、今の俺には護るべきもんがもう一つあるんだ。
「終わらせてやるさ。一日でも早く。」
バックミラーに映る彼女は心なしかよそよそしく、それでも俺の視線に気付くとやんわりと恥かんでみせた。
「……マジかよ。」
多少形が変わってるし、完璧に直ってるとも言い難いけれど、それは間違いなく俺がヤゴス島付近で落とした小型飛行船だった。
「なんでここに?」
呆気にとられていると、中から「ガシャコン、ガシャコン」という聞き慣れない駆動音と、「ヤヌし。誰カが来タゾ。」というイントネーションのデタラメな、古臭いロボットの声が響いてきた。
「何!?」
珍妙な声を聞き届けて間もなく、今度は男が一人、騒々しく飛び出してくる。今、この状況で、最悪といってもいい組み合わせの男だ。
「て、てめえ、エルク!よくもヒエンを何処とも知れねえ島なんかに置き去りにしくさりやがったな!!コイツはお前の専用のタクシーじゃねえんだぞ!?」
トマトのように顔を真っ赤にした中年が擬そうに電気柵をこじ開け、俺に駆け寄ってくる。
「わ、悪かったよ。でも俺だってそれなりに努力はしたんだぜ?それでも見つかんなかったんだよ。」
その剣幕は予想よりも三倍は酷く、思わず口から出まかせを言ってしまった。
「んなこと聞いちゃいねえんだよ!このクソガキがっ!」
唾が掛かるのなんざお構いなしに喚き散らす姿には訓練された闘犬さながらの威圧感があった。
「ど、どうしろってんだよ。っていうかなんでここにあるんだよ?」
本当に、噛み殺されんばかりの勢いだ。
「話をすり替えるんじゃねえ!!」
ギリギリと歯軋りする中年のドアップを前に絶句していると、さっきの珍妙な声の主が姿を現した。
「感謝シロ。わシがこのオンボロをここマで運ンでヤッタんジャぞ。」
満を持して現れたのは……産廃としてゴミ山に転がっているようなガラクタだった。
錆び付いたドラム缶に取って付けたような粗末な手足。カラスだってナメてかかるチンチクリンな案山子としか表現のしようのない、お粗末過ぎるロボットだった。
ボディの隅にクレヨンか何かで描かれた愛らしいチューリップも違和感があり過ぎて理解できない。
「……何なんだよ。アレ。」
闘犬に迫られ、ドラム缶に話しかけられ、もう何が何やら分からない。
「ヂークベックだよ。お前が苦労して掘り出したな。」
「……おいおい、オッサンまでどうしちまったんだよ。」
途方に暮れる俺の前にまた、ヒエンの中から見知ったオッサンが現れる。
なんだかヒエンが「老人ホーム」か何かに見えてきた。
「久しぶり…という程でもないが、達者で何よりだ。」
ヴィルマー・ヴィルト・コルトフスキー。元ロマリア出身の科学者で、ガルアーノの組織に所属していた過去がある。今はヤゴス島で孫娘と細々と暮らしているはずなのに。
「こんなとこ来て、リアは大丈夫なのかよ?」
何にしても今の俺にとって渡りに船と声をかけてみるが、「そうはいかん」と中年らしからぬ怪力が俺の胸元をグイッと引き寄せた。
「こっちの話がまだだろうが!」
「まぁ、主人。そう言ってやるな。エルクも言っとるように、15だてら中々の仕事をしてくれたことに間違いはないよ。」
言い方が引っ掛かるけれど、捨てる神あれば拾う神ありだと思った。けれど、興奮する闘犬にその程度のお告げは何の意味もなかったらしい。
「仕事どうのとかいう話かよ!俺ぁヒエンを息子のように可愛がってきた。いわばエルクの兄弟も同然だ。それを……それを……ああ、ちくしょう!!コノ野郎!!」
首をグイグイと絞めてきたかと思えば、奇声を発しながら地団太を踏み始めた。目も当てられない錯乱状態に、いくらビビガとはいえ、可哀そうに思えてきた。
「主人、少しは落ち着け。そして、よく考えてもみろ。」
ヴィルマーのオッサンは猛犬の肩をソッと叩き、穏やかに話し掛けた。
「機械は愛を注げば何度でも息を吹き返す。それとも、お前はエルクが死んでくれた方が気分が晴れたのか?」
オッサンは知らない。
百人が百人頷くような正論で折れるほどこの中年は真っ直ぐな人間じゃない。
「そウだぞ。わシナンて3000年待ッたンジャからな。キサマが生キトる間に帰ってキたコとをもット喜バンか。」
そして、ポンコツは微妙に頓珍漢なことを言っている。
「自分の命より女。女より金。金より自分の身内。それが俺んとこのモットーよ!家族もろくに護れねえで俺が心配してやる義理があるかよ!!」
そんなの初めて聞いたぜ。
「だいたいこれはウチの問題だ。よそ様がしゃしゃってくるんじゃねえ!」
ヴィルマーのオッサンは「年の功」でなんとか遣り込められるとでも思ったんだろうけれど、一度熱くなったこの中年を黙らせられるのはミーナか大統領くらいのもんだ。
それをよく知るシュウは一切茶々を入れず、好きなように言わせている。
『聞こえている』リーザだって右へ倣えをしている。
二人の様子から察したオッサンは「お手上げ」というように肩を竦め近くの廃材に腰を下ろすと、同じように傍観者に回ってくれた。
だというのに連れのポンコツは一切空気を読まず、その頓珍漢なファイティングポーズも崩しはしなかった。
「キサまハ鶏ト卵、どチラガ先に生マれたノか知っとルノカ?」
「……」
全く意味が分からない。だから誰も相手にしない。けれどその個性のあり過ぎる声はどうしたって耳についてしまう。
「おい、ジイさん。そのガラクタを黙らせとけよ。」
「悪いな。止め方を知らんのだ。」
「ったく、どいつもこいつも自分が造ったものへの責任や愛情ってものがねえのか?だらしねえ。」
さすがに過酷な環境で研究者をやっていただけあって、この程度の罵倒でオッサンが機嫌を損ねることはなかった。
だけどビビガがこの調子じゃあ、その大人の対応がいつまで持つか分からない。
それに、この油に火を注ぐバカをなんとかしないことには―――、
「学のナイ輩ガ人ノ親など聞イて呆れルワい。」
―――遅かった。
「……おもしれえ。おら、ポンコツ、言ってみやがれ。俺がいったい何を分かってねえってんだ?」
熊やライオンも臆することなく噛み殺してしまいそうな闘犬の威圧を前にしても、ドラム缶は一歩も退かない。
マイナスネジのような、開いているかどうかも分からない瞳がギラギラと充血している中年の瞳を真っ直ぐに見詰めている。
「鶏ガ卵の世話を怠ると思ウカ?卵が生涯、卵デアリ続ケるコトニ幸セを感ジると思うカ?鶏は腹ヲ痛メテ産んダ卵を死さエ恐れず護り抜ク。卵は鶏カラ温モりを学び、立派ナ鶏ニナる。」
……宗教か何かの謳い文句か?
「そコにハ後も先もなイ。誰シもが卵でアり、鶏デモある。親や子もナク、兄ヤ弟もナい。しかシ鶏と卵ノ間には必ズ、神ヤ仏ですラ冒スコトノデきナいたッタ一つの世界がある。そレが”家族”とイウモのじゃろ。」
それは打ち込まれたプログラムのようにツラツラと淀みなく謳われる。だけど、
「小僧がそノ足で卵ヲ踏みツケタと思うか?オンボロの空駆ケ巡る喜びを誰が与エテきタと思う?二人が卵のマま墜ちる不幸がどレほドノものか。キサマに理解できルか?」
耳障りなイントネーションは少しも変わらないのに、特に的を射たことを言っている訳でもないのに、
「そんナコとモ理解デきんキサマが二人ノ世界を穢すこトノドこニ”家族”がアる?」
どうしてだか、目の前で朗々と語るロボットが、ついさっきまで喋っていたソレとは別人のように見えた。
「キサマが言っとルのハタダの戯言じャ。自分が全てノ命ヲ創ったト勘違イシとる、そノこトニさえ気付かん憐れナ憐レナ部外者の戯言ヨ。」
ポンコツが、自由を持て余す「人間」でもなく、命無き「物」とも言い難い「デキソコナイ」だからこそ、その世界がよく見えたのかもしれない。
「キサマがソの心臓を割イて育てタといウナら話は別じャガナ。」
「心」を持ちながら「命令」でしか動けない存在だからこそ、そこに築けない世界が輝いて見えるのかもしれない。
「……ろくに中身の詰まってねえガラクタのくせに中々骨のあることを言うじゃねえか。」
ビビガの目が、犬から人へと変わり、ポンコツの天辺からつま先までを舐め回した。
「テメエの言うことももっともだ。神様ってのは大概が埒外なことを言いやがる。無理難題を押し付けてイイ気になってやがる。……まさに今の俺のことだな。なぁ、ブリキの爺さんよ。」
自分の世界をこの世で最も愛している中年が、こんなにも簡単に他人の意見を認めた。それは、このポンコツに大統領並みの器量があると言ってるのと同じことだ。
ビビガの人を見る目に間違いはない。だからこそ俺にはそれが信じられなかった。
俺はともかく、シュウだって認められちゃいないってのに。
……少なくとも、今の遣り取りでポンコツへの理解が深まっても俺の心が惹かれることはなかった。
……何にせよ、ビビガの顔に人間らしい肌色を戻してくれたことがありがた過ぎる。
ポンコツとの遣り取りに一段落ついて落ち着いたビビガが無言で俺を睨む。
「わ、分かってるって。悪かったと思ってるよ。」
俺は命知らずの機械ほど胆が座ってない。負い目を感じればどうしたって「白旗」を振りたくなっちまう。
「……当分は家賃上げとくからな。」
「お、おぅ。」
余計なことは言わず、ズンズンと足を鳴らし小屋へと帰っていく中年の背中を見送った。
「だがな、爺さん。これだけは言わせろ。」
途中、立ち止まり話し掛ける姿はもう、いつもの意地汚い「大家」の顔に戻っていた。
「干渉できねえからこそ、つい首輪を付けたくなっちまうのも家族ってやつだ。そうだろ?」
「当たリ前ジャ。ワシもリアやコのジイさんに付けタクてしかたガない。」
指差されたオッサンは眉根を寄せ、「……ワシがいつお前の世話になった」と不満げな顔をしていた。
「リアってのはそのチューリップを描いた子ぉのことか?」
「ソうじゃ。カッコいイじゃロ?」
「いいセンスしてんじゃねえか。」
などと不可解な理解を深め合い、ビビガはヒエンの中へと消えていった。