過度な期待されると失踪したくなります(震え声)
頭が痛む。
別に持病とか、悪い病気とか、中二病特有のおかしな妄想ではない。
物理的に頭が痛む。
その痛みを引き連れながら、廊下を歩いていく。
目の前にはハイヒールと、多少のヤニで黄色く染まった白衣。
それを携えるは、国語と生活指導を担当する教師、平塚 静。
あの作文のせいで彼女の目に留まり、生活指導という事で呼び出しを食らった。
食らって、罵倒を浴びた。
舐めた作文だの死んだ魚の目だのと言われて頭にくるものはあったが、先公に手を出したら停学じゃ済まないかもしれないのでやめた。
もし罵倒されていたのが比企谷 八幡ではなく、村川や大友といったヤクザだけの人格であったならば、椅子を蹴とばして殴りかかっていたに違いない。
それを考えると、案外比企谷 八幡という人格はしっかりと確立しているのかもしれない。
ではなぜ頭が痛むのか。
それは彼女の年齢に対する煽りの無さが原因だ。
屁理屈と冗談を交えてなんとかバックレようとしていた時に、
「小僧、屁理屈を言うな」
と、言われた。
そう言われたもんだから、こっちも、
「あんたからしたら俺ゃ赤ん坊みたいなもんですからね」
と言ったら、拳が飛んできたのだ。
そして頭にたんこぶを作った。こりゃ小町に呆れられるなぁ。
手を出されても堪えたのは、この人の人柄にある。
この人は、独身でいわゆるアラサーで、しょっちゅう合コンでやらかしてるらしい俺以上の問題児だが、昔気質で生徒の事をしっかりと見ていてくれている良い教師だ。
俺みたいな問題児ぼっちに対しても世話を焼いてくれているあたり、善人なのだろう。
もし、村川や大友、そして我妻が彼女みたいな上司や先公に恵まれていたなら、ああはならなかったかもしれない。
……いや、彼女みたいな腕っぷしの強い奴がいたからああなったのだろうか。
避けられなくは無かったが、先公の愛のムチはしっかり受け取っておくべきだと判断した。
そう、言い訳しておく。
さて、彼女の提案で俺はどこかへ連れていかれている最中だ。
学校の廊下を歩く彼女の後姿を時折眺める。
格好いいのになんで結婚できねぇんだろうなぁっへへ。
考えつつも笑いが出てきてしまう。彼女が結婚できない理由を探っていると、どうしてもおかしさが込み上げてくるのだ。
「なにを笑っているんだ?」
「いーやなんにも」
ぎろりと振り向く平塚は、その美貌に反してとてもキレのある睨みを利かせていた。
とある教室の扉の前に着くと、彼女は足を止めた。
猫背なもんで、彼女のハイヒールばっかり見ていた俺は一瞬ぶつかりそうになるが、若い身体がさっと彼女を避けた。
そして、扉を開ける。
一体どんな面白いモノを見せてくれるんだろうか。内心わくわくしている俺がいる。
扉が開ききると、平塚と扉の間から、妙なものが見えた。
いや妙ではないのだが、その光景が現実離れしているもんだから首をかしげる。
そこはどう見ても空き教室だった。
机は積まれており、何かの教材が入っているであろう段ボールがそこらに転がっている。
平塚の後に部屋へと足を進める。
すると、俺と平塚は足を止めた。
止めて、見とれた。
少女がいる。
髪は長く、艶があり、真っ直ぐだ。
平塚のロングヘア―もなかなか綺麗だが、ちゃんと洗っていないのか歳なのか、そこまで褒めるものではない。あんまし本人の前で言うのはやめておこう。
顔は整っており、日本人なのに西洋の人形を模ったように美しい。美少女ってやつだ。
彼女は椅子に座っており、本を読んでいる。
開けた窓から入り込む風が、彼女の髪と服に躍動感を与え、現実であることを認識させてくれた。
なんだ先生、俺みたいなぼっちが可哀想になっちゃって女の子紹介してくれんのか。
読書に夢中になっていたのか、しばらく少女は動かなかった。
ようやくこちらの存在に気が付くと、開幕から注意をした。
「平塚先生、入る時はノックをお願いしたはずですが」
透き通るような、清楚な声だった。
しかしその中には強気なノイズも混じっていて、それが生を感じさせる。
自分とは正反対の、生きている声色が、とても関心を寄せた。
「ノックをしても君は返事をしたためしはないじゃないか」
言いつつ、平塚は教室中央まで足を進めた。
「返事をする間もなく先生が入ってくるんですよ」
「へへ……」
少女の反論に小声で笑ってしまう。
そういうところが男が寄ってこない原因でもあるのだろうな、なんて口が裂けても言えないから、笑って表現してみせたのだ。
続いて、少女はこちらを見る。
相変わらず猫背で、少し横に傾いて突っ立っている目つきの悪い男を、高校生にしては鋭い視線で突き刺した。
「それで、そこの不気味な笑みを浮かべてる男の人は?」
正直言うと、俺はその少女の事を知っていた。
頭の良い女子ばっかのお嬢様組の2年J組で、良い意味でも悪い意味でも注目を集める、雪ノ下雪乃。
名前と顔くらいは知っていた。
相手は知らなくて当然である。
そんな有名人お嬢様に、平塚が紹介をする。
「彼は入部希望者だ」
そう言うと彼女は俺に自己紹介を促した。
しかしその前に今の発言を問いただす必要があった。
「入部なんて聞いてないですよ」
ニヤケ面をちょっと残し、割と真顔でそう尋ねる。
「君には、舐め腐ったレポートの罰として、ここでの部活動を命じる。異論反論講義質問口答え一切認めない」
「へ、勝手なことしやがって先公が」
小声で、かつ聞こえるように言う。
しかし平塚はそれを無視して会話を進めた。
「と、言う訳で見れば分かると思うが、彼はこの腐った眼と同様、根性も腐ってる。そのせいでいつも孤独で憐れむべき奴だ。この部で彼の捻くれた孤独体質を更生する、それが私の狙いだ」
さすがにカチンと来た。
大友の、荒っぽい記憶と経験がよみがえり、つい怒鳴ってしまう。
「大きなお世話だよ馬鹿野郎」
「それはお前の事だ馬鹿野郎。教師に馬鹿野郎とは何事だ」
「勝手に事大きくしやがって、てめぇなめてんのかコラァッ」
若干しゃがれて渋くなり、かつ低い声で威圧する。
しかしそれでもこの教師は動じず、なお正論を並べて負かそうとしていた。
「人の心配より自分の心配したらどうなんだこの野郎!」
「なんだぁ比企谷、貴様何が言いたい!」
「だから行き遅れるっつってんだこの野郎ッ!」
「なァ!!??行き遅れだとォー!?このガキ、もう一辺行ってみろッ!」
「行き遅れっつってんだよこの野郎!おい!てめぇ散々偉そうなこと言って自分はどうなんだ、この野郎!」
「私だってなぁ!」
唐突にヒートアップする喧嘩。
久々の平和的な口論に楽しんでいる俺がいる。
この先公には悪いが、このまま捲し立ててさっさと出てっちまおう。
そう考えていた矢先、雪ノ下が動いた。
ぱんっ、と本を勢いよく閉じ、注意を自分に引き付けたのだ。
「こほん。先生、彼の件ですが、お断りします。そこの男から発せられる汚らしい言葉と、先ほど私を見ていた時の下心に満ちた下卑た目を見ると身の危険を感じます」
「なんだこの野郎、ずいぶん言ってくれるじゃねえか。誰もお前みてぇな貧乳見てねぇよ馬鹿野郎」
「なッ!」
名前の通り雪のように白い彼女の頬が赤くなる。
同時に胸元を本で隠す。だからそんな貧相な胸見ねぇっつってんだろ馬鹿野郎。
「あなた初対面の人間に向かって馬鹿野郎とはいい度胸ね。それにひ、ひ、貧乳ですって?セクハラで訴えてやるわ」
「やれよこの野郎、はやくやれィ!」
「待て比企谷ッ!さっきの決着がまだついてないぞ!」
「興味ねぇよ馬鹿野郎!」
静かなはずの教室が、一気に騒がしくなった。
全員の息が切れて落ち着きを取り戻すのに、しばらくかかってしまったのは言うまでもない。