「クッキーだぁ?」
家庭科室。
俺と雪ノ下、そして由比ヶ浜の三人。
女二人はエプロンを身にまとい、俺はいつもの立ち方で二人の準備を見つめていた。
ろくに料理をしたことがない由比ヶ浜はエプロンの付け方もちゃんとなっておらず、そのたびに雪ノ下が小言を言う。
美少女二人がじゃれあっている光景はそっちの趣味がある奴らからすればたまらないだろう。俺にそんな気ねぇよ。
それで前述のクッキーに関してだが、雪ノ下が解説を入れた。
「手作りクッキーを食べて欲しい人が居るそうよ」
「でも自信がないから手伝ってほしい……というのが彼女のお願い」
解説しながら雪ノ下は準備を淡々と進める。
いつものように髪を下ろしてるのではなく、後ろでまとめている彼女の姿に興味をそそられつつも、話を進める。
「そんなん友達に頼めばいいじゃねぇか」
正論を言うと、由比ヶ浜はしどろもどろといった様子で理由にならない理由を語る。
「それはその、あんま知られたくないし……こんなマジっぽい雰囲気友達とは合わないから……」
「お前それ友達って言えんのか?雰囲気ばっかで顔色窺わなきゃなんねぇのは働いてからでいいんだよ馬鹿野郎」
嘲笑する様に笑いながら投げかける。
由比ヶ浜もそのことに対して疑問を持っていながらも、本人は気付いていないだろうが話をそらすように俺への攻撃に入った。
「馬鹿って言うなし!それに平塚先生から聞いたけど、この部って生徒のお願い叶えてくれるんだよね?」
すると、その言葉に反応したのは雪ノ下。
彼女は準備を中断して由比ヶ浜へと向く。
「いいえ、奉仕部はあくまで手助けするだけ。餓えた人に魚を与えるのではなく、取り方を授けて自立を促すの」
アフリカで同じことやっても全然自立しねぇけどな。
この前やっていたニュースの内容を思い出してそんな事を思っていると、由比ヶ浜は感心したのかなんなのか。
「な、なんかすごいね」
小学生みたいな感想を言って奉仕部というか雪ノ下の思想を褒めた。
雪ノ下はそんな褒め言葉に何も言う事は無く、由比ヶ浜の曲がったエプロンを再度直す。
由比ヶ浜が感謝すると、雪ノ下は少しだけ照れたように目を伏せた。
良い趣味してるじゃねぇか。
しかしそれだと俺がいる意味がない。
料理こそ多少はするものの、菓子なんてもん作ったことないし、そう言うのは妹の小町の専売特許だ。俺は食べる側。
「じゃあ俺帰るわ。あと頼んだぞ」
「あ、ちょっとヒッキー!」
そう言ってポケットに手を突っ込み、おもむろに家庭科室から立ち去ろうとする。
「待ちなさい。あなたは味見係よ」
「そんなもんお前でも出来んだろ」
「分かってないわね。男女の意見が重要なのよ」
雪ノ下に止められ、俺は渋々椅子に座る。
めんどくせぇ事はあんま好きじゃないんだけどな。
そんな顔すんなよ由比ヶ浜。
しばらくして、クッキーが出来上がる。
正確に言えばクッキーではなく、クッキーを作ろうとして失敗した木炭みたいな食い物。
犬の餌に劣るとも知れないそれは、おおよそ人が食するようなものではないのは見れば分かる。
こんなん味見するまでもねぇじゃねぇかよ。
「どうしてあれだけミスを重ねることができるのかしら……」
こめかみを手で押さえ、雪ノ下が困惑する。
無理もない。
あれだけ懇切丁寧に教えておきながら、由比ヶ浜は徹底的に失敗してみせた。
わざとやってるんじゃないかと思うくらいだったが、雪ノ下の苦しむ姿が見れたことに内心喜びながら俺は何も言わずにただその光景を見守っていた。
だから、クッキーが出来た時に今からこれを食べるんだという事を思い出して、雪ノ下と同じ表情をしてしまった。
できそこないのクッキーを掴んでまじまじと観察する。
「お前これ土手に落ちてる犬のうんこみてぇじゃねぇか」
苦笑いしながらそう言うと、落ち込む由比ヶ浜を守る様に雪ノ下が俺を睨んだ。
由比ヶ浜もクッキーを手に取り、うーんと何かを連想させている。
「確かにうちの犬がうんちしたときっぽいかも……」
「……死なないかしら」
雪ノ下が困ったように俺に尋ねてくるが、俺は思わず笑った。
「うんこ食ったくらいじゃ死なねぇよ」
「だからうんちじゃないし!」
汚い言葉が飛び交う家庭科室。
普段からは絶対に考えられないだろう。
さて、と雪ノ下は気を取り直してまた材料を用意する。
まだやんのか、俺そろそろ本気で帰りたいぞ。
「どうすればちゃんとしたものが出来るのか考えましょ」
そう言って悩む雪ノ下は絵になるが、俺は対照的に疲れたような態度で椅子に座っていた。
「もう料理しなきゃいいんじゃねぇか」
冗談でそう提案すると、由比ヶ浜は納得したように、それで解決しちゃうんだ!と言った。
こいつやっぱ馬鹿だなぁ、なんて思いながらも、それがまた愛嬌みたいに感じられて面白い。これならすぐに男も出来るだろ。なんで処女なんだろうな。
由比ヶ浜はローリングピンを握りつつも落ち込んだように言う。
「やっぱりあたし、料理に向いてないのかなぁ?才能って言うの?そんなのないし……」
才能。
その言葉を聞いた時、ふと雪ノ下が目に付いた。
目に付いたというか、次にこいつが何を言うかなんとなく理解できた。
才能で全部片づけてしまうという行為は、恐らく雪ノ下が最も嫌いな行為の一つだろう。
「解決方法は努力あるのみよ」
雪ノ下は作業したまま続ける。
「由比ヶ浜さん、あなたさっき自分に才能がないって言ったわね」
「え、あ、うん」
「その認識を改めなさい。最低限の努力をしない人間には、才能がある人を羨む資格は無いわ。成功できない人間は、成功者が積み上げた努力を想像できないから成功できないのよ」
良い事言うなぁ、最近の若い奴らにも教えてやりたい。
あぁ、俺も若いわ。
「で、でもさぁ、最近みんなやらないって言うし、こういうの合ってないんだよ……えへへ」
ここから先は、俺が説教しようと、記憶が言った。
別に記憶の人格はそんなうるさい奴らではなかったが、元人格の比企谷 八幡という若者が何かを感じたんだろう。
雪ノ下が口を開く前に、俺は由比ヶ浜に物申していた。
「お前それやめねぇか?他人に合わせて生きてっとよ、後が苦しいぞ。それによぉ、そういうの嫌いなんだよ、俺」
「え?」
「そうやってやってもいねぇのに自分の非ぃ他の野郎に責任なすりつけやがって、てめぇなめてんのかこの野郎。お前が頼んだから雪ノ下がお前に教えてんだろぉ、あ?どうなんだよこの野郎、おめぇ恥ずかしくねぇのか?」
少しキレ気味に言ってしまうと、由比ヶ浜は下を向いて黙ってしまった。
雪ノ下は何も言わない。
彼女の気持ちを代弁したからか、それとも意見が合わなかった俺がそんな事を言いだしたからか。
少なくとも、彼女は驚いているような気もした。
由比ヶ浜が何か言おうとしている。
まずったな、もしかしたら俺平塚に怒鳴られるかもしれない。
「か、かっこいい!」
突然そんな事を言うもんだから、俺と雪ノ下は唖然とした顔で、そのちょっと抜けた女の子を見た。
「建て前とか全然言わないんだ!そういうの、かっこいい!」
煽ってるのかとも思ったが、彼女の顔を見る限り本心のようだ。
どうやら俺たち二人にその称賛を向けており、雪ノ下はたじろいでいる。
「え、いや、あなた彼の話を聞いてたのかしら?」
「お前、俺けっこうきつい事言ったぞ」