生活環境が一変し、ろくにパソコンどころか携帯にも触れられませんでした。
花火大会というのは混雑しているものである。まるでそれが自然の摂理であるかのように、駅からズラッと人の波で溢れている。
つい最近までヤクザぼっちだった俺としてはいい気分じゃないが、ここで帰ったら小町に何を言われるかわかったもんじゃないし、そもそも隣で俺の手を握っているこの子が置き去りにされた犬のような顔になってしまうに違いない。
それにしたってこの人混みは精神的にきついもので。
「なんだってこんな人多いんだよ馬鹿野郎」
ついつい愚痴をこぼしてしまうものだ。
眉をハの字にしている俺を見て由比ヶ浜は笑い、
「しょうがないよ、だって花火なんだから‥‥‥それよりもほら!たこ焼き食べようよ!」
手を引っ張る由比ヶ浜。
これじゃサブレ連れて歩いてるこいつじゃねぇかなんて思いながら、苦笑いしてなすがままに屋台の前に連れて行かれる。
なんで屋台のたこ焼きやら焼きそばってのはやたら高いんだろうな。一個500円ってぼったくりじゃねぇか。
それにこういうのってのは裏にヤクザがいてショバ代やらなんやらって取ってくんだから、警察もその辺ちゃんと取り締まれよ。
ちなみに大友と村川はちゃっかりそういったこともやっていた。
もちろん親分が屋台で鉄板相手に、なんてことはしないし、大友の時代に至っては警察の目も厳しくなってきたので大した金にはならなかったが。
片岡の野郎、散々焼きそばやら金やら持ってきやがって。
「小町に何買ってきゃあいいかなぁ」
美味そうにりんご飴を頬張っている由比ヶ浜を尻目に一人呟く。
「ひゃっはりははあめほかほへんほははな?」
「食ってから喋れよ馬鹿野郎」
「ごっくん、馬鹿じゃないし!」
相変わらずこいつは元気だなぁ。
ようやくりんご飴を食べ終わった由比ヶ浜が口元に飴をつけながら言う。
「やっぱり綿あめとかがいいんじゃないかなぁ?私好きだし!」
「それお前が食いてぇだけじゃねぇか、もっとなんかねぇのかよ、女の子喜びそうなもんよ」
考えても仕方がない。
俺と由比ヶ浜はまた人混みの中を歩き出す。ほんとどうすっかなぁ、なんだかんだ理由付けて俺と由比ヶ浜を花火に連れ出したんだろうけど、お土産くらい買って行かなかきゃ怒るだろうしなぁ。
と、そんな時、ふとおみくじ屋が目に入る。
「あ、私これやりたい!」
何本もの紐が景品にランダムに繋がっているシンプルなくじ。
それを見て由比ヶ浜がささっと寄っていく。
「へいらっしゃい!やってくかい御嬢さんと……てめぇどこの組のもんだ」
屋台の親父が俺にガンを飛ばす。
やっぱ見た目って重要だなぁ。
「どっからどう見ても高校生じゃねぇか。……これ一回」
そう言って500円玉を親父に渡す。
「なんだ老け顔かよ。はいよ、じゃあ好きなの引きな!」
「ほら、お前引けよ」
顎で紐を指す。
「ヒッキーありがとう!えへ〜どれにしよっかな!」
ニコニコしながら由比ヶ浜が紐を選んでいく。
数秒してようやく選んだ由比ヶ浜は、紐を一気に引いた。
だが、先っぽには何も付いていない。
ハズレだった。
「あちゃ〜ごめんヒッキー、ハズレだ」
「なんだこの野郎、全部ハズレじゃねぇだろうな」
適当にいちゃもんをつける。
「変な事言うなよ兄ちゃん、ちゃんと当たりだってあるよ」
「ほんとだろうな、もう一回やるぞ由比ヶ浜」
なぜか唐突に変な火がついてしまった俺は、500円玉を財布から取り出して親父に渡す。
こうなったら当たるまでやってやらなきゃ気が済まん。
「ヒッキーいいよ、違う所に行こうよ〜」
「ほら、これ持ってなんか買ってこいよ」
そう言って千円札を三枚渡す。
すると由比ヶ浜は目を輝かせて、
「わぁい!ちょっと買ってくるね!」
そう言って走り去っていく。
ようし、こっからは俺と親父の勝負だ。
プレステ当てるまで帰らねぇぞ畜生。
三千円を握りしめた由比ヶ浜。
言われた通りに好きなものを買っていく。綿あめ、またりんご飴、カキ氷と、お祭りのお約束を好きなだけ堪能すると、ちょっとだけベンチに座って休憩。
そして今日の出来事を振り返っていた。
「……やっぱりヒッキー、面白いな。ふふっ」
普段は不良ぶって不機嫌そうな少年の、珍しく夢中になっている姿を思い浮かべる。
そして同時に、今ここにいないもう一人の部員のことも思い出す。
……なんだか抜け駆けしちゃったかな。
多感で正直な少女はちょっとばかりの罪悪感を抱く。
その時だった。
「お姉ちゃん今一人?」
ふと、男の二人組から声をかけられた。
案の定ナンパだった。
由比ヶ浜は何も言わずに小石を拾い上げ、ビニール袋に入れる。
「俺たち今暇なんだけど良かったら」
そこまで言って男たちの顔面に強い衝撃が走った。
由比ヶ浜が、小石入りのビニール袋を男たちの顔めがけて振り回したのだ。
血を流しながら倒れる男達に目もくれず、由比ヶ浜は少年の元へと歩き出す。
知らず知らずの内に、少年の凶暴さは、少女へと継がれていることに、まだ彼は気がつかない。
「あーまたぬいぐるみかよこの野郎!もう一回だもう一回!」
「兄ちゃんも好きだねぇ」
相変わらずくじに熱中している俺は、500円玉と引き換えにもう何度目か分からないくじを引く。
今までに手に入ったのはぬいぐるみ三つとジッポとよく分からないおもちゃ。
お土産はこいつらでいいか。由比ヶ浜に一つあげよう。
「来い!来い!」
紐を一気に引く。
先端にはなんと最新型のプレステが。
「見ろ!見ろ!どうだコラ!ざまぁみろこの野郎!プレステだぞ!」
「あー、うん、当たり。持ってっていいよ」
すっかり疲れ顔の親父を他所に、悪そうな笑顔で俺はプレステを掻っ攫う。
いや〜やっぱ祭りはこうでなくちゃな。
「比企谷」
不意に後ろから女に声をかけられる。
ぬいぐるみとプレステを抱きかかえながら振り返ると、そこには短髪の女子高生がいた。
相模南は、その時たまたますぐ側の綿あめ屋にいた。
友達のゆっこと遙と共に花火大会へと来たはいいものの、何をするでもなく適当にぶらついていたのだ。
ひょんな事からその友達二人も彼女らが所属するバスケ部の友人たちとどこかへ行ってしまい、今の彼女は完全にぼっち。
つまらなさに拍車がかかった花火大会は、なにごともなく終わる予定だった。
だったのに。
「親父この野郎!お前細工してんじゃねぇだろうな!」
「してねぇって!お前ほんとにどこの組だコラ!テメェみてぇな高校生いてたまっかよ!
「いいからほら!500円!」
「まだやんのか」
一見するとチンピラが屋台の親父に喧嘩をふっかけているその姿は、相模には懐かしい思い出のように映った。
ふらふらっと、相模の足が少年へと向かって動いていく。
だがそこで一度我に返って、辺りを見回した。
あるのは人混みだけで、いつものゆっこと遙、そして彼にやたらとまとわりついている由比ヶ浜や雪ノ下はいない。
話しかけるべきだろうか。
どうしよう。かれこれ一年ぶりに話すのだ、しかも自身が迷惑をかけてしまってから一度も話していないため、声をかけづらい。
どうしよう、どうしよう。
まるで恋する乙女のように慌てる相模。
だが、
「見ろ!見ろ!どうだコラ!ざまぁみろこの野郎!プレステだぞ!」
その大声で、背中を押された彼女は意を決して話しかけることにしたのだ。
「比企谷」
声をかけられて振り向いた少年は、自分を見て驚く。
ぬいぐるみを落とすぐらいには驚いていた。
「あんた何やってんの」
その光景が面白くて。
「……相模か」
久しぶりに名前を呼ばれた事が嬉しくて、彼女は笑う。