買ったものを手に、先程のくじ屋へと歩く由比ヶ浜。
ついさっき起きたことなどもう気にしていないように、その足取りと表情は軽い。
何を一緒に食べてどういう話をしようとか、そういうことしか頭にはないのだ。
あの不機嫌で不器用な少年の事といる事を考えれば、この頭が痛くなるような人混みも気にならない。
だから、戻ってきて早々由比ヶ浜の表情から笑顔が抜け落ちてしまった。
あの少年と、知り合いの少女が何やら話している。
それも随分と親しげで、ただクラスが同じとかそういう上っ面だけの理由ではない事は確かだった。
幸いだったのは、一番の親友で敵である少女でないという事か。もしそうであるなら、由比ヶ浜は一歩引いてしまったに違いない。今少年と話しているのは、2年連続クラスが一緒で、去年はよく一緒につるんでいた、相模という女だ。あれならば、少年との仲はあってないようなものだから、今現在の危機ではない。
「お待たせヒッキー!……あれ、さがみん?」
あくまで気がついていないように、由比ヶ浜は手を振って少年に声をかける。
それに気づいた二人が揃ってこちらを見た。
「あれ、結衣じゃん?もしかして、比企谷と来てたの?」
「言ったじゃねぇか連れいるってよ」
困ったように少年が笑った。その表情が気に入らなかった。
この少年は、人見知りだ。クラスメイトに話しかけられたぐらいじゃ笑わないし、そもそも話そうとしないだろう。
ということは、この相模という女はそれ以上だということになる。
由比ヶ浜の顔が一瞬強張る。
「あ、あれ、知り合い?」
「知り合いって……クラス一緒じゃん。どうしたの?なんか変だよ?」
思わぬ所でヘマをする由比ヶ浜。
「え、ああそうだったね!あたしバカだからすっかり忘れてたよ〜……って、バカじゃないし!」
「一人で漫才やってどうすんだよ。……じゃあ、俺行くわ。じゃあな相模」
フッと、少年が笑って相模の隣から離れ由比ヶ浜の側へと移る。由比ヶ浜の顔が一気に明るくなった。
「え、あぁうん、バイバイ比企谷」
「あー、じゃ、じゃあねさがみん!」
そう言いつつ、少年の手を強引に引いて由比ヶ浜はここから離れる。
その姿を、相模はちょっぴり寂しそうに見つめた。
対する由比ヶ浜は、嬉しそうに。
「おい引っ張んなこの野郎!ぬいぐるみ落ちんだろうがよ!」
「ヒッキー取りすぎ!そんなに取ってどうすんの!?」
「取りたくて取ったんじゃねぇよ馬鹿野郎!これやっから離せ!ほら!」
「わー!パンさんのぬいぐるみだ!ヒッキーありがとう!」
そんな会話を聞きながら、ショートカットの少女は立ち尽くす。
自分があそこにいれたらな、なんて思いながら。
「お前これどう見ても買いすぎだろ、食い切れねぇよ」
りんご飴を頬張りながら俺は言う。
ぬいぐるみとプレステ抱えながらだから食い辛いったらありゃしない。しかも口の周りがべちょべちょだ。
「ヒッキーだって取りすぎだよ〜、いくら使ったの?」
「覚えてねぇよいちいち」
そんなたわいもない会話。
その途中に、花火が上がった。色とりどりの花火が、大きな音を発てながら夜空に浮かぶ。
その光景を、思わず立ち止まって見続ける。
隣で感想を述べる由比ヶ浜を置いて、ただ見とれるようにカラフルな花火を眺めた。
ーーこんなに豪華じゃなかったな。
まるで西を代弁するような言葉は、ぽろりと口から漏れてしまう。
何が?と由比ヶ浜に問われれば、俺は鼻で笑ってなんでもねぇよとだけ答えた。
「こんなに混んでんならシートでもなんでも持ってくるんだったよ畜生」
「ヒッキーって意外と気が効くね!病気?」
「お前馬鹿野郎それ褒めてねぇだろ。あのな、気が効くから俺ぼっちなの」
「目立たないから迷惑かけてないとか言わないでね。もう思いっきり目立ってるから」
「え、なんだこの野郎」
言いたいことを当てられてしまい返す言葉がない。
二人は周りを見回してどこか座れそうな場所を探す。
しばらく歩くと、空いている場所に出た。
座ろうとすると由比ヶ浜が引き止め、近くにある看板を指差す。
「ここ有料エリアだよヒッキー」
「ええ?関係ねぇよそんなん、こっちだっていっぱい金使ってんだから」
「それくじやってただけじゃん」
バカに突っ込まれるとは思わなかった。それじゃあ仕方ないと、渋々俺はここから出ようとする。が、
「あれ〜?比企谷くんじゃん」
不意に後ろからかけられた声に、スイッチが入った。
不機嫌とはまた違う、いつもの表情で振り返る。
そこには、雪ノ下の姉、雪ノ下 陽乃が高価そうな着物に身を包み、こちらに手を振る姿があった。
「……」
俺と由比ヶ浜は何も言わず、相変わらずの笑顔を向ける雪ノ下姉を半ば睨みつけるように見た。
「父親の代理でね、ご挨拶ばっかりで退屈してたんだ〜」
隣で座る雪ノ下姉が言う。
由比ヶ浜は俺を挟んでその隣で、微妙そうな表情でそれを聞いていた。
「比企谷くんが来てくれて良かった〜」
「はぁ」
心にもない事をよくも言えると思う。
いや、思っているのかもしれない。退屈しのぎのおもちゃが見つかったとか、そんな風に。
「貴賓席って言うのかな、普通は入れないんだから」
そういう彼女の表情は自慢げだが、それすらも作り物のように見える。
確かにこのエリアは先程の有料エリアよりもさらに人が少なく、それでいて眺めも良い。
「セレブだ……」
ボソッと由比ヶ浜が呟く。
それを逃さず、まぁね、と言う姉。
「うちの父の仕事、こういう自治会系のイベントに強いの」
さすがは一流の建設業といったところか。
「それはそうと」
ふと、姉がこちらにずいっと近寄り耳打ちするように言いだした。
「浮気は感心しないなぁ」
茶化すように言う。
「違いますよ」
「じゃあ本気か〜?尚更許せませんな〜」
そう言いながら耳を引っ張ろうとしたので、その手を払いのけた。払いのけられた本人は驚いたような顔をする。
「あ、あの!」
由比ヶ浜がフォローするように声を張った。
「えーっと……何ガハマちゃんだったっけ?」
名前が思い出せないと言わんばかりに姉はわざとらしく首をかしげる。
「由比ヶ浜です!」
いつもみたいにきゃんきゃん怒らず言えたのは偉いと思う。
姉はああそうそうごめん、と割とどうでも良いように謝った。
「今日ってゆきのん一緒じゃないんですか?」
「雪乃ちゃんなら家にいるんじゃないかな?こういう行事は長女の私、昔から母の方針なの。あのね〜うちって母が一番怖いんだよー?」
「あなた見てりゃ分かります」
「えー?失礼しちゃうな〜。……母は、私より怖いよ」
ボソッと、小声で、しかし確実に聞こえるように言ってみせた。
「そうでなけりゃ雪ノ下もあんなに捻くれませんよ」
「捻くれてるのはヒッキーじゃないかな……」
大きなお世話だ馬鹿野郎。
「うちってね、なんでも母親が従わせようとするんだ。こっちが折り合いつけるしかないんだけど……雪乃ちゃんったら、そういうのへたっぴだから」
ちょっとだけ、素が見えたような気がした。
しばし会話が途切れる。
「で?今日はデートだったのかな?だったら邪魔しちゃってゴメンね?」
デート……その発言を否定するか迷っていると、
「はい。でも、大丈夫ですよ!良い場所で花火見れましたし」
俺と姉が驚いて由比ヶ浜を見る。
彼女はただ笑って花火を見つめるだけだ。
「そっか。そっか。また雪乃ちゃんは選ばれないんだね」
そう、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。
今度は本当に、聞こえるか聞こえないかの音量で。
花火が上がる。
「……そういや雪ノ下さんは」
「えー、そんなに他人行儀にならないでよ。私の事は陽乃、それかお姉ちゃんで」
「雪ノ下さんはうちの卒業生だったんですよね」
「比企谷くんって中々強情だね〜。かわいいやつめ。そうだよ。比企谷くんの三つ上、今はご近所の国立理系だよ」
あ、と由比ヶ浜が何か思い出したように言う。
「それじゃあゆきのんの志望と一緒ですね!」
ぴたりと、姉から動きが消える。
「……あぁ、雪乃ちゃん、国公立理系志望なんだ」
心底残念そうに、
「昔から変わらないな〜、お揃いで、お下がりで」
俺たちが知らない雪ノ下を、彼女は想う。
「あ、あの……陽乃さんはゆきのんの事が嫌いなんですか?」
「やだな〜、そんなわけないじゃん!昔からずっと後ろにくっついてくる妹の事が嫌いなわけないよ〜。由比ヶ浜ちゃんは?雪乃ちゃんのこと好き?」
「そ、それはもう好きです!かっこいいし誠実だし、頼りになるし!でも、時々すごいポンコツで可愛いし!それに、分かりづらいけど優しいし!……私、とんでもないこと言ってますね」
笑ってごまかす由比ヶ浜。
ポンコツってひでぇな。
「そう。それなら良かった。みんな最初はそう言ってくれるんだよ。でも、最後はみんな雪乃ちゃんに嫉妬して、拒絶する。……あなたは違うと良いな」
そのささやかな願望が、俺には嘘に見えなかった。
ここにきて、ようやくこの人の一部が理解できた気がする。
由比ヶ浜は不思議そうに、でも何かに気がついてしまったように言葉を詰まらせた。
「そんなこと、しないです」
でもはっきりとそれだけは言い切った。
姉はちょっと驚きつつも笑い、
「で?比企谷くんは?好き?」
「……そういうこと男子に聞いちゃダメですよ」
「んふふ。ごめんごめん」
混む前に帰ろうという姉の提案で、花火の終わり際に俺たちはここを去ることにした。
駐車場に行くと、案の定あの黒塗りの車がやって来る。
「良かったら送っていこうか?」
その気遣いを無視して、俺は助手席の近くに立って運転手をじっと見る。運転手はこちらを見ず、ただ顔をそらした。
その気まずい空気の中でも姉は変わらない。
「もー、そんなに睨んでも困るな〜、示談も済んだんだし。そういえば雪乃ちゃんから聞いたの?」
誰も何も答えない。
「あ、ありゃ?聞いてなかったの?なんか悪いことしちゃったかな」
「……いえ。行こう由比ヶ浜」
俺は離れて背を向ける。
「一つだけ擁護するなら、あの子はただ乗ってただけだし、あんまり責めないであげてね。もう終わったことだし」
「……ええ、もう終わったことですから。席、ありがとうございました」
軽く一礼して、後にする。
ずっと由比ヶ浜はこちらの表情を伺っていた。
帰り道、電車。
行きとは違い空いている車内で、俺は由比ヶ浜を横にただ外を見つめる。
「ヒッキーはさ」
ふと、由比ヶ浜が口を開いた。
「ゆきのんから聞いてた?」
恐る恐る出た言葉。
「んー、いや」
「そっか……」
すっかり暗いムードに包まれる。
稲毛海岸に着くと、俺も一緒に降りた。
近くまで送ると言って、無言で夜道を歩く。
「お前知ってたのか?」
「ううん、ヒッキーは?」
「合宿の最後の日に陽乃さん来てたろ、それで知ってたよ。直接聞いてねぇけど」
「そっか……。でも、言いづらいことだってあるよ。私だって……」
「知ってるよそんぐらい。むしろ知らない方がいいことだってあんだろ」
「私は……知りたいかな」
また、会話が途切れる。
と思ったら、由比ヶ浜が止まった。
「私は、もっと知りたい。ゆきのんのことも、ヒッキーのことも」
「ろくでもねえよ俺のことなんて」
「それでも、知りたい。もっと、いっぱい」
しおらしい、いつもの由比ヶ浜じゃない。
でも、そういう頑固なとこは変わらない。
「私ね、思うんだ。もし、事故が無くても、きっとヒッキーは今と変わらなかったって」
「んなわけねぇだろお前」
「ううん、きっと、ヒッキーはあたしのこと助けてくれた」
「……そうかなぁ」
「そうだよ、きっと」
大人しく笑う由比ヶ浜。でも今にも縮こまってしまいそうな。
「いつもみたいに捻くれてて、馬鹿野郎って。それで私が騒いで。変わらないよ」
「……そうかも」
釣られて笑う。
「だからさ」
また、由比ヶ浜が止まる。
「ゆきのんに何かあったら、助けてあげてね」
涙を浮かべながらそう言う由比ヶ浜。
「そんなたまじゃねぇだろあいつは」
「ううん、ゆきのんって、意外と脆いから。きっといつか、助けてあげる日がくるよ」
「お前はどうなんだよ」
「私は助けてもらったし、いつかヒッキーとゆきのんが困ってたら助けたいよ」
「……」
曲がり角に着く。
「だから、ね」
ふと、またまた由比ヶ浜が止まる。
「私」
携帯が鳴る。
由比ヶ浜のだ。
遮られ、ちょっと残念そうな由比ヶ浜。
携帯を取ると、多分親と会話する。
電話を切ると、困ったように笑って言った。
「家、近くだからここでいいよ」
「……そっか。わかった」
「ありがとねヒッキー。おやすみ」
まるで逃げるように去って行く由比ヶ浜。
こけるか心配しながら見守り、角を曲がって行くのを見届ける。
しばらくずっと、誰もいない曲がり角を眺める。
ポケットからタバコを取り出すと、おもむろにくわえて火をつけた。