「なんで俺が実行委員会なんですかぁ」
放課後、俺は平塚先生に呼ばれ生徒指導室にて面談をしていた。面談というか、報告というか。夏休み明け早々に朝から由比ヶ浜のクッキーを食して腹を壊し、ショートホームルームの時間をトイレで過ごしたのだ。由比ヶ浜の野郎、この間の花火大会からというものの、アプローチが増している。
「決まったことだからしょうがないだろう」
タバコをうまそうに吸う平塚先生。ここ学校だぞ、なんで当たり前のように吸ってんだ。俺にも吸わせろこの野郎。こちとら朝から吸ってねぇんだぞ。
事の成り行きはこうだ。これから始まる文化祭の実行委員会をショートホームルームで決めたのだが。その際、どういうわけか平塚先生が俺を指名したらしい。
「そんなもん俺じゃなくたっているでしょう、葉山とか。ああいうんにやらせりゃいいんですよ」
「そう言うな、決定事項だ。いい機会だ、もっと君は表舞台で人と関わるべきなんだ」
ヤクザもどきが表舞台に出ていいんだろうか。俺はあからさまに不服そうな表情を見せる。見せるが、割といつも不機嫌な顔をしているせいで気付かれない。やんなっちゃうなぁ。
「総武高の文化祭にはマスコミも少なからず出るでしょう。俺なんかが写真に撮られたら変な噂が立っちゃいますよ」
ある意味必死な訴えに平塚先生は溜息と副流煙を吐く。もくもくと立ち上る煙は、室内の換気扇へと吸い込まれていく。
「実はな、推薦があったんだ」
「ええ?推薦?」
誰だそんな事した野郎は。見つけたらタダじゃおかねぇぞ。
そう一人復讐心に駆られ怒っていると、平塚先生は思いもよらぬ人物の名を口に出した。
「雪ノ下と相模だ」
「ああ!?なんでその二人が!」
「さぁな。雪の下に関しては今日の朝に、相模は君の名前を出した瞬間に推薦し出した。おまけに相模は自分も実行委員会に立候補したよ。……比企谷、君、このままだと色々な人間に刺されそうだな。スクイズみたいに」
誰が誠だこの野郎。あんな下半身だけで生きてるような人間と一緒にするんじゃないっての。
「そんな関係じゃありませんよ。あんたこそもうそろそろいい人見つけたほうがいいんじゃないですか」
メキ、という音と共に俺の身体がくの字に曲がる。触れちゃいけないラインに触れてしまったがために、見事なストレートが俺の腹に突き刺さっていた。
ゴホ、と咳き込んで腹を押さえる。相変わらずこの話題になると容赦ねぇなこの人は。
「自分の心配をしたらどうだね、ん?ガタガタ言ってるとブチ殺すぞ」
「あ、あんたのがよっぽどヤクザみたいだよ……」
面談を終えた後はすぐに下校へと移った。最近としては放課後は奉仕部に行くという習慣があったはずだが、あの一件以来どうにも雪ノ下と顔を合わせ辛いのだ。事故の件はこちらとしてはもう気にしていないようなものなのだが、きっと雪ノ下はそうではないのだろう。由比ヶ浜にしたって、あの一件を引き摺っている。それに、あのサイボーグ雪ノ下陽乃が何か妹に吹き込んでいないとも限らない。
色々と懸念すべきことが増えているせいでため息の一つや二つ漏れるのは仕方ないだろう。俺だってちょっと頭の中に変な記憶があるだけの人間なんだから。
昇降口で靴を履き替える。ラブレターなんてもんは当然のごとく無く、夏休み前から洗っていない上履きを突っ込んで革靴を引っ張り出した。
「比企谷君」
不意な出来事だった。横から透き通る、聞き慣れた声がしたので振り向いてみれば、そこには雪ノ下がこちらを何とも言えない表情で眺めていたのだ。
「……ああ。今帰りか」
一瞬言葉に詰まったが、何とか口が動いてくれた。それも何気無い言葉を用いて。
「由比ヶ浜さん、怒ってたわよ」
「なんで」
「あなたが奉仕部に来ないから、クッキーの感想が聞けないって」
「腹壊したよ」
「……それはご愁傷様」
腹をさすってへへ、と笑い、うるせんだよと返す。それを見て、雪ノ下もくすりと笑ってくれた。思ったよりも、彼女はこの前の事を気にしていないようだった。
「じゃ、またな」
そう言って俺は靴を履き替えて昇降口を後にしようとする。だが、そんな俺の背中に雪ノ下が待って、と声をかけたのだ。
「聞かないの?」
「何をだよ」
「あなたを推薦した理由」
「もういいよ、決まっちゃったんだから。やるしかないよ」
「……そう。そうね」
そこで会話はまた止まる。今度こそ、じゃあね、と言ってこの場を立ち去る。そんな俺に、雪ノ下もまた明日、とだけ言ったのだった。
面倒続きだと、自分でも思う。でも、そんなのはよくある事なのだ。人生いくらでも面倒は付き物だ。それは記憶の中の奴らが証明しているじゃないか、と。
自分の中で無理矢理納得して、小町が待つ家へと帰ることにしたのだ。
海は広い。彼らがいつもいる砂浜近くに建てられた家屋からは、夕陽に染まるオレンジの広大な母性が、当たり前のように見えている。そんな中、砂浜では村川が一人花火を打ち上げて遊び、その他の狂人達は各々がビール片手に居間のテレビを見つめていた。要は、比企谷八幡の身に起きた事を共有しているのだ。
西は空っぽのグラスにビールを注ぎつつ、左手に持ったタバコを吸う。
「また面倒な事んなってんな」
ケタケタと不気味に笑う西。サングラスのせいで表情全てが伺えるわけではないが、どこか愉快そうにも見えた。
対して大友はソファーにどっかりと座り、あまり面白くないといった表情を浮かべ、じっとテレビを見つめる。本家の下っ端組長であった彼からしてみれば、これから比企谷八幡が負うであろうストレスが嫌という程想像できてしまうのだろう。なんせ、池本を含む山王会には散々な目に遭わされた。
「あんま貧乏くじばっか引かねぇでほしいけどなぁ」
ボソッと、大友は言う。かつて水野に言った、貧乏くじばっかだよ、という言葉が彼の頭の中に響き渡っていた。
奉仕部に入ってからというものの、確実に比企谷八幡は苦労を強いられている。迷惑メールの件もそうだし、夏休みの林間学校も、彼にとっては非常に負荷が大きかった。だからこそ、もう引退してもおかしくない歳である大友は心配する。まるで孫にも思える彼に、自分たちのような苦労を味合わせたくない……ヤクザと学生では、その苦労の質は全く違うだろうが。
「なんでもいいからよ、野球見せてくれねぇかな。今日巨人戦だろ」
あくまでもマイペースな上原を、真剣にテレビを視聴する二人は呆れた様子で見た。なんだか居心地の悪い空気を悟ってか、上原はなんだこの野郎、と逆ギレするが、それ以上に発展することはない。
「まぁ、そんなに俺たちがあーだこーだ言っても仕方ねぇんじゃねぇかな」
不意に我妻は口を出す。椅子に座り、西と対面するようにビールを飲む彼は笑いつつ、
「俺らなんかやっちゃうとさ、また変な方向に話流れちゃうから。あんま手出さない方がいいと思うんだよね。まぁ結局八幡の頭の中にいる存在だから何できるってわけでもないんだけどさ」
その言葉に、大友は黙ることによって答える。確かにその通りだった。比企谷八幡の人格形成にのみ影響を与えているだけの身としては、ここで何もできるわけでもない。なら、黙って事の成り行きを見届ける。それしかないのだ。
ただ。
「……山本さんと西さん、村川のやつ、ちょっと見といてくれないかな」
大友は、最大の懸念事項である男の名前を口にする。山本はタバコを吸いつつ、何度か頷いた。彼にも、村川の危険さが理解できていたようだ。
大友には、村川が何かとんでもない事を考えているように思えてならない。前に比企谷八幡の夢に干渉した事も、その伏線なのではないか。今現在、村川だけがそのような力がある、唯一の狂人。
大友は大きくため息をついてソファーの背もたれに寄りかかった。
「……ほんと貧乏くじばっかだよ」
村川は一人黙々と打ち上げ花火を上げる。何が楽しいわけでもなく、まるで送れなかった青春を形だけでも取り戻すように。
一人、暗くなりつつある帰り道を自転車で駆ける。最近は自転車で歩道に乗るなとうるさいもんだから、多少危なくとも車道の端っこギリギリを走るのだが、どうにも危なっかしい。通り過ぎていく車と自転車の間は数十センチしかないし、こんなんで轢かれたら雪ノ下に何言われるか分かったもんじゃない。
「危ねぇなこの野郎!」
すぐそばを勢いよく通り過ぎる車に向けて叫ぶ。歩道云々言う前に自転車専用レーンの普及しっかりしろだのなんだの文句を垂れながら、仕方なく自転車から降りて歩道を歩く。カラカラと車輪を回し、そのまま自転車を押して家へと向かう。
だが、今日はよほどついていないのだろう。ちょっとばかし前に、見知った顔がいる。それも、こちらをチラチラと見て、その場で待っているようだった。
「……」
なんとも言えない表情で、俺はそいつの横を通り過ぎようとする。ちらりと、横目でそいつの顔を見た。シュン、と、残念そうな顔をしている。ため息をつく余裕すらない。仕方無しに、声をかける事にした。
「何やってんだお前」
見知った顔、相模はちょっと驚きながらも歪んだ笑顔をこちらに向けた。
「えっ!?あ、あっと、ちょっと比企谷に、色々謝りたいなって……」
「なに謝んだよ」
「実行委員の事……とか?」
「なんだよとかって」
「いや、その……色々?」
「なんだそれ。馬鹿野郎」
要領を得ない解答に少し笑う。すると、相模もあはは、と年相応の愛想笑いを浮かべた。
「こ、ここじゃなんだからさ。どっか、ファミレスでも行こうよ。暇でしょ?」
「なんで暇だってわかんだよ」
「暇じゃない?」
「暇だよ馬鹿野郎」
「ふふ、なにそれ」
ライト片手に、もう片方にリードを掴みながら由比ヶ浜は歩く。相変わらず暴れまくる愛犬だが、今日はどことなくその動きにも法則性が見て取れた。時折匂いを嗅ぐそぶりを見せ、リードを引っ張っているのだ。
「待ってよサブレ〜」
とは言え、犬と人間では速さや体力に差があるのは当然。息が上がる由比ヶ浜は小さな愛犬に引き摺られ、ヘトヘトになりながら走る。
と、そんな時。ファミレスの近くで唐突に愛犬が止まる。ジッと、ファミレスの窓を眺める愛犬に違和感を覚えるのも当たり前だろう。由比ヶ浜は息を整えつつ、ガラス越しにそっと客席を覗いた。
「えっ……」
奥の席。そこに、知っている顔が二つ。一人は同じ部活の友達。そしてもう一つは。
「さがみん……?」
瞳から光が消える。リードを持つ手に力が入る。多感な少女は、部員と対面する少女の顔を見て、それが女には向けない顔である事を悟った。