もし雁夜に妹がいたら   作:天理彼方

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第2話

 そうして霊夜に案内されたのは、間桐邸のとある一室だった。

 浮世絵離れした大部屋には古風ながらも絢爛な装飾が施されており、人が一人暮らすには些か豪華すぎるような気もする。

 そんな部屋の片隅に備え付けられた天蓋付きのベッドには、安らかな寝息を立てながら眠りにつく一人の幼い少女の姿があった。

 

 「さ、桜ちゃん……!」

 

 思わず大声をあげて慌ててベッドの縁に駆け寄ろうとした雁夜の足を、横からニュッ、と出てきた黒タイツに包まれた足が勢いよく踏み付ける。

 

 「ッ! っつう!?」

 

 悶える雁夜は釣られるように踏みつけた足の持ち主を見つめると、そこには口元に人差し指を当てて、「しー」というジェスチャーを見せる霊夜の姿があった。それを見て、ようやく雁夜は目の前の少女()が穏やかに眠りについているのだということに気付く。

 バツが悪そうに頭を掻く雁夜を非難するかのようにしばしジトッと睨み付けていた霊夜であったが、やがて音を立てぬよう静かに桜の眠るベッドに近づいていく。その後に雁夜も続く。内心は尚も今すぐ駆け寄って安否を確認したい想いで一杯だったが、今度は寝ている桜を起こさぬよう静かにだ。

 

 「……桜ちゃん……」

 

 柔らかな羽毛布団に包まれ眠るのは、最後にお土産をプレゼントした時と何ら変わらぬ桜の姿だった。健康的な血の気を帯びた柔らかな白い肌、栄養のしっかりと生き通った黒髪、そして大人になった暁にはきっとあの幼馴染()に似た美しい女性になることが覗える母親譲りの整った顔立ち。

 少し髪が伸びたのであろうか――それでもそれ以外は雁夜の最後の記憶と変わらぬ無垢な少女の姿だった。

 

 「……これで信じてくれた? 別に私はこの娘を蟲たちの慰めモノにするために引き取ったんじゃないってこと」

 「……!」

 

 その言葉にハッ、と顔を上げ、此方を見据える霊夜を一度見て――もう一度ベッドで眠る桜の姿を見る。一目見た時から本能が悟っていたが、霊夜の言う通り、穏やかに寝息を立てるその姿はまさに天使そのものだ。蟲に嬲られた形跡も、霊夜を始めとする間桐家の人間から虐待を受けている形跡も見当たらない。

 

 「……ああ」

 

 霊夜の言葉に嘘偽りはなかった。桜の無事には安堵の溜息が漏れるばかりだ。それでも雁夜の中には桜の無事を確認すると同時に新たな疑問が浮かび上がっていた。

 では、いったいなぜ、妹は遠坂の娘を養子に迎えたのかという疑問が。

 

 「魔術の道を捨てたあなたには解らないかもしれないけど、その娘、虚数なのよ」

 「?」

 

 そんな雁夜の内心を見透かしたかのように静かに口を開いた霊夜を視線を向ける。虚数とはいったい……?

 

 「虚数っていうのは魔術における五大元素とは別に分類される架空元素のうちの一つ。『ありえるけれど、物質化しないもの』――それが虚数属性であり、アベレージ・ワンや同じく架空元素である無属性と並ぶ、極めて稀有な属性である虚数属性は――それこそ数十年に一人、排出されれば多いとさえ称されるほどの希少な属性なのよ」

 

 雁夜は唖然とした想いで桜を見る。このあどけない寝顔を見せる幼い少女が、そんなにも稀有な属性を宿していたという事実に戸惑いを抑えられない。「しかも姉である遠坂凛はそのアベレージ・ワン……遠坂はよほど優秀な母体に恵まれたようね」とぼやく霊夜の言葉など聞こえてもいなかった。

 

 「……それでどうしてお前は桜ちゃんを引き取ったんだ……?」

 

 言葉を切った霊夜に雁夜は問いかける。桜が稀有な属性を宿しているということは解ったが、まだ雁夜の知りたい疑問までは彼女は答えていなかった。

 そんな雁夜を霊夜は最初、まるで鈍いモノでも見るかのように見つめたが、やがて目の前の男は魔術の道をすっぽかした離反者だということを思い出したのか、やれやれと言ったように溜息を吐く。

 

 「いい、魔術師っていうのは世界の始まりの起因である『根源』への到達がどんなことよりも至上命題な生物なの。その根源へと至るための手段である魔術の研鑽を積み重ねるのが魔術師という生物……けれど『根源』への到達はとても一世代の間に成し遂げられるものではないわ」

 

 まるで出来の悪い生徒に解りやすく教える先生のように霊夜は言葉を重ねる。

 

 「だから魔導の家の親は自らが一生をかけて造り出した成果を子へと魔術刻印として伝達していく……成果に成果を積み上げていけば、やがては目標に到達できるって考え方ね。けれどそんな親の恩恵を受けれる子供はただ一人だけ。……おわかり?」

 「……だがそれと桜ちゃんが養子に出されるのと何の関係があるっていうんだ?」

 

 親の魔術の恩恵を得られるのは一人だけ。その霊夜の物言いが事実であるならば、おそらく姉である凜が父親の後継者として選ばれたのだろう。

 だがいくら後継者が一人だけと言っても、桜が愛すべき家族であることには変わりはないはずだ。なぜ父親――遠坂時臣は桜を養子に出す必要がある? 魔導の名門家にして冬木のセカンドオーナーである遠坂家は別段家計に困っている訳ではあるまい。愛すべき娘を手元に置き、後継人として育てることはできなくても、家族として一緒に暮らしていけばいいだけの話ではないのか?

 

 「魔術師っていうのは、そんな単純な生物じゃないのよ」

 

 そんな雁夜の内心を見透かしたかのように、霊夜の無感情な声音が静かに雁夜の聴覚に覆いかぶさってくる。

 

 「根源への到達が魔術師の至上命題って言ったでしょう。魔術師にとって根源への到達というのは親子の愛よりも重く、尊いものなのよ」

 「……なにがいいたい」

 「つまり桜の父親である遠坂時臣は少しでも根源への確率を上げたかったのよ。稀有な才能を持つ二人の娘……根源へと至る長期的な過程における大きな二つのピース……けれど、自分が育成できるピースは一つだけ……それならもう片方の娘を別の魔導の一族の差し出すことで、結果として自分の娘二人共を根源へと至る大きなピースと成すことができる……」

 

 気が付けば雁夜の拳は固く握りしめられ、細かく震えていた。自分の娘をピース? 根源へ至る為の過程の一つに過ぎない? 本当にこの父親は何を考えているというのだ?

 

 「勘違いしないでもらいたいのは、それが魔術の家に生まれた遠坂時臣という男の父親として愛情だということよ。オブラートに包んで言うならば愛すべき娘の類まれなる魔術の才を自分の家に置いておくことで無駄にはしたくない。他の家に行って、魔術刻印を受け継ぎ、その稀有な才を存分に伸ばしてもらいたい……と言ったところかしら」

 「そんな親の勝手な都合で……」

 「人の価値観というのは千差万別、十人十色、様々だわ。たしかに時臣氏の考え方は世間一般で言うのならば少数派の、歪んだ愛情なのかもしれない。否、もはや愛情とも呼べぬものなのかもしれない。けれど彼が生きる世界にとってはそれが普通なのよ。……魔術の道から目を背けたあなたには理解できないことかもしれないけれど」

 「……ッ!」

 

 霊夜の最後の言葉が雁夜の胸の奥にグサリと突き刺さる。その言葉に他意が含まれているようには聞こえなかったが、それでもその言葉は雁夜の良心を容赦なく責め立てる。

 そんな雁夜の心の内の葛藤に気づいた様子もなく、霊夜は言葉を続ける。

 

 「……私がこの娘を引き取ったのは、少しでもマシな結果に終わらせるためよ。虚数属性というのは魔導の家門の庇護が無ければホルマリン漬けの標本にされてしまってもおかしくはないほどの――言ってしまえばこれとない実験材料でもあるのよ。しかも首尾よく魔導の家の庇護下に入っても、この娘を引き取ったその家が()()()()家であるかどうかは定かではないしね」

 「!!」

 

 雁夜の身体に稲妻の直撃を受けたかのような衝撃が走る。まさかこの目の前の女性は桜の安全を考えて敢えて……?

 

 「無論、この娘を引き取ったのはそれだけじゃない。他にも訳があるわ」

 

 とその時、可愛らしい小さな唸り声がベッドから聞こえてきた。見るとそこにはコロン、と寝返りを打った桜の姿がある。

 

 「……少し長話が過ぎたわね。続きはもう一度、応接間でしましょう」

 

 寝返りを打った際、僅かにずれた布団をかけなおしてやりながら、霊夜は小声でそう告げた。

 

 +++

 

 場所は変わって再び応接間。向かい合ってソファーに座った二人に挟まれた長机には霊夜がもう一度淹れた紅茶の湯気が立ち昇っている。

 

 「それで、他の訳ってなんだ?」

 

 一度、気持ちを落ち着かさるために紅茶を一口含んでから、雁夜は切り出す。紅茶は急な話の流れに混乱した雁夜の心を落ち着かせるようなハーブティーであった。

 

 「別に他の訳っていうのは大したことじゃないのよ」

 

 雁夜とは異なり、甘い香りの立ち昇るロイヤルミルクティーを口にしていた霊夜はそう答える。

 

 「あの娘は間桐の次の後継者にする。――ああ、そんな慌てたように立ち上がらないで。別にあなたが考えているようなことをするつもりじゃないから」

 

 間桐の後継者という単語を聞いた途端、あの悍ましい魔術の後継人に桜を仕立て上げようというのか、思わず立ち上がってしまった雁夜を、霊夜は若干、呆れ返りながらもたしなめる。

 

 「あの娘にはあの娘に合った魔術の鍛錬を行わせるつもりよ。後々には()()魔術刻印を株分けしようと考えてるつもり。別に蟲蔵に閉じ込めようとか、無理やり間桐色の魔術師に染め上げようとか、そんなことは微塵も考えてはいないから安心しなさい」

 「そうか。……すまない」

 

 雁夜は安堵の溜息を吐くと同時に霊夜に非礼を詫びる。霊夜が何かを口にする度にこうも憤られては、彼女もやってられないだろう。

 しかし、霊夜はそんな雁夜の謝罪も意に介さず、再度紅茶に口をつけた。

 そんな彼女は雁夜はじっと見つめる。

 

 「……」

 

 強くなった。雁夜はそう思った。

 たしかに見た目は痛々しいほど変わり果ててしまったのかもしれない。怪物たるあの臓硯を何らかの手段で殺したことからも――そして今までのやりとりの中でも、もう霊夜が()()()()の人間ではないのだということが、何となくだが実感できてしまう。もう彼女は明るい無邪気な笑顔を常に振りまいていたかつての妹ではないのだろう。そしてその事を嘆き、悲しむ権利を自分は持たないということも理解(わか)っている。

 だが、その根本的な部分は変わってなどいない。他人を思いやる心優しい部分は今もなお、彼女の中で生き続けている。

 その事実が、どうしようもなく嬉しい。

 

 「……」

 

 しかしそれはそうとあの桜を後継者にとは如何なものか。桜を救うために引き取ったのは分かったが、まさかこの家の後継者にまでするとは。霊夜は今が華の二十代だ。濁り切ったその漆黒の双眸はともかくとして、一見すれば誰もが見惚れる美人の類に分類されるであろう。結婚して、自らの子をもうけようという考えはないのだろうか。

 

 「私は子供を産むつもりなんて毛頭ないわよ。子供を産まずとも間桐の名を後世に残すためにあの娘(養子)を引き取ったんですもの」

 「えっあ……」

 「頭の中の思考は漏れないように訓練しておいたほうがいいわ」

 

 しれっとそう告げられ、雁夜の頭は軽い混乱状態に陥る。

 

 「す……すまない。変なことを聞いた」

 

 しかし、子を産むつもりはないとは一体どういうことなのか。これ以上考えるのはなんとなくいけないことだと分かっても、必然的にそのような疑問が浮かび上がってくる。

 霊夜もそう悟っていたのか、彼女の方から話し出してくれる。

 

 「私、男が嫌いなのよ」

 「え゛?」

 

 突然の発言に雁夜は我が耳を疑う。

 

 「といっても別に普通に友人として接する分には全然構わないのよ。けれど性的な意味では一切男を見れない。男と夜伽を共にするなんて……考えただけで鳥肌が立ってくるわ。やっぱ可愛いのは女……女の子……そうでしょう?」

 「……」

 

 自らを抱く素振りを見せながら次々と爆弾発言をかましてくる妹に雁夜はかけられる言葉を持たなかった。

 ここで雁夜、心の一句。

 妹は 女の子が 好きでした by間桐雁夜

 

 「――えええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!?」

 

 屋敷中に轟くその絶叫に桜が目を覚まさなかったことだけが僥倖だった。

 

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