もし雁夜に妹がいたら   作:天理彼方

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第3話

 その後ろ姿を見ただけで、とてつもなく綺麗な人なんだろうということは容易に想像することができた。

 黒タイツに黒のスカート、そして黒のセーターと、足先から首元まで全身黒づくめの服装に包まれるその華奢な身体は、華奢でありながらもバランスの取れた引き締まった肢体。腰下まで伸びるのは、雪のような白髪。

 今日、この遠坂邸に招かれた客人は、桜の父親である時臣とは古くから一族がらみで親交のある人物らしい。その一族の者から自分を養子として迎え入れたい、という申し出があったということを桜は父親である時臣からすでに聞いていた。

 魔導の名門家に生を受けた子供としての宿命は幼いながらも理解していた。姉である凛が時臣の後を継ぎ、自分は別の家へと差し出される。……それは認めたくないが、認めるしかない現実なのだ。

 今、こうして桜が父親の書斎をその扉の隙間からこっそりと覗っていたのは、そんな自分を引き取ると申し出てきた新しい家族の者がいったいどんな人物なのか、どうしても気になったからだ。

 もし怖い人だったらどうしよう、できれば優しい人がいいな――そんなことを考えてしまうのは、まだ六歳になったばかりの幼い桜では致し方のないことだった。 

 

 「――して、それで――」

 「ええ――」

 

 かろうじて聞こえてくる二人のやり取り。片方が聞きなれた父親(時臣)の声であるのなら、もう片方の見知らぬ女性の声が、今、こちらに背を向けて時臣と話す白髪の女性のものなのだろう。

 

 「……」

 

 透明な声だと思った。綺麗とか、可愛らしいとか、高いとか、低いとかでもなく、透明。

 特徴がないという訳でもないのだが、感情が込められていないかのような、例えるならばそう、まるで人形が喋っているような感覚。

 いったいどんな人なんだろう――好奇心に駆られた桜は思わず一歩足を踏み出してしまい――ギィ、と一際大きく扉の音が鳴ってしまったのはその時だった。

 まず反応したのは父親である時臣の方だった。扉の音に気付き、その向こうに潜んでいた自分の娘の姿を見て、一瞬だけ驚いたように目を瞬かせた後、すぐにいつものように優雅で穏やかな笑顔を浮かべた。

 

 「おや、どうした桜。部屋で待っていろと言っておいたはずだが」

 「……えっと……その……」

 

 姉である凛に比べ、内向的な性格であった桜は、そんな父親の問いかけに対してしどろもどろに身を竦ませることしかできなかった。もうすぐ、この父親とは家族ではなくなるのだということを聞かされていたのも、そんな桜の性格に拍車をかけていたのかもしれない。

 何も答えられない桜を尻目に時臣は招き入れた黒衣の客人に朗らかな笑みで語りかける。

 

 「申し訳ない。娘には話が終わるまでは部屋で待っているよう言いつけておいたのですが」

 「いえ、別にお気になさらずに」

 

 客人――間桐霊夜は時臣の謝罪に対し、そう答えると、ゆっくりと桜の方に身体を向けてきた。ずっと気になっていたその顔を視界に入れた桜は思わず一歩、後ずさってしまう。

 

 「ひっ……」

 

 たしかに綺麗な顔なのだ。母親である葵の淑女然とした慎ましさのある美しさとも、姉である凛の少し勝気なエネルギッシュな美しさともまた違う、整った顔。その異質な白い髪も相俟って、一種の神秘的な美しささえ感じられるかもしれない。

 しかし、それは霊夜のその漆黒の双眸が、この世のすべての闇を凝縮したかのように濁っていなければの話。まるで生気の込められていない濁り切ったその瞳で無感動に見つめられれば、幼い桜が怖がってしまうのも無理はない。

 そんな桜の様子に気づいていないのか――それとも気づいていながらもあえて気づかないふりをしているのか、霊夜は特に反応を見せることなく、再び時臣に視線を向ける。

 

 「今日からこの娘を引き取ってもよろしいのですよね」

 「ええ。この娘のこと、よろしくお願いしますよ」

 「……ッ!」

 

 そう答えた父親(時臣)の姿を、思わず見てしまう。お願いする? この人に? (自分)のことを?

 

 「……」

 

 首を横に振ってしまいたかった。怖いと。嫌だと。

 あの漆黒の闇を凝縮したかのような(まなこ)で見据えられてしまえば、おそらく――いや、きっと桜は恐怖に耐え切れなくなって、泣き出してしまうだろうから。

 それでも身体は桜の思うとおりには動いてくれなくて。父親(時臣)はそんな娘の心情を読み取ってやることもなくて。

 父親(時臣)がこの霊夜が如何なる魔術師(人物)なのか、信頼できる相手なのかということを自分に語り掛けてくるその光景を桜はどこか他人事のように聞いていた。

 ――この日、結局桜の姓は遠坂から間桐となった。

 

 +++

 

 いつまでも続くと思っていた平穏な日常は、それはもう呆気なく瓦解した。

 自分を愛してくれた母親とも、大好きだった姉とも、最後に二言三言言葉を交わす機会さえ、設けられることなく、桜は霊夜と共に遠坂邸を後にした。

 

 「……」

 

 自分の手を取りながら、ただの一言も喋らず、黙々と歩き続ける霊夜の姿を桜は伏し目がちに観察する。

 黒のロングコートを着た彼女は女性の割には長身の部類に入り、時折街路を吹き抜ける風が緩やかにロングコートの裾をはためかせる。

 大規模な再開発が行われようとしている冬木の新都。無骨な鉄骨が至る所に建造され、それらはやがてショッピングモールやオフィスビルへと変化を遂げてゆくのだろう。

 そんな夕暮れの光景の中で、現在(いま)を生きる魔術師の姿は神秘的な面持ちと共に幻想的でさえあって――それでいて不思議と現在(いま)()()()()()()()()()()()

 

 「……」

 

 これから自分はどうなるんだろう――。先ほどから桜はずっとそんなことを考えていた。今、この手を振りほどいて逃げ出したらどうなるのだろうか。母親()()に泣きつけば、また元の生活に戻れるのではないか。……どうせ実行することのできない所詮は妄想を、次から次へと思い浮かべては、憂鬱な気持ちになる。

 視線を下に向けた桜の聴覚を、あの透明な声音が叩いてきたのはその時だった。

 

 「ねぇ」

 「……」

 「ねぇ、少しいいかしら?」

 「は、はいっ」

 

 慌てて顔を上げるとそこにはいつのまにか足を止め、こちらを覗き込むように覗っている霊夜の姿があった。相変わらずの濁り切った漆黒の双眸。何か怒らせてしまったのかと思った桜は、何に対して謝っているのか自分でも分からないのに、半ば反射的に頭を下げてしまう。

 

 「ごめっ、ごめんなさい」

 「別に怒ってないわよ。ただ、帰りにちょっと寄るところがあるから、寄って行ってもいいか聞こうとしただけ」

 「あ……」

 

 霊夜のその言葉を聞いた桜は――やはり、頭を下げてしまう。

 

 「ごめんなさい……」

 

 相手はただ自分に質問しようとしただけなのに、怒っていると決めつけ、謝ってしまったことに桜は再び謝った。今の桜はどこまでも卑屈で、繊細だった。

 

 「あの……別にいいです。わ……私のことは別に気にしなくていい……で……す」

 「……そう」

 

 しどろもどろになりながらも告げられた桜の言葉にどこか腑に落ちないように頷いた霊夜は、再び桜の手を取り、ゆっくりと歩き出す。そんな霊夜を余所に再び頭を俯けた桜の頭の中はある疑問で一杯だった。

 いったい、この(魔術師)はどんな所に寄り道するつもりなんだろう、と。

 

 +++

 

 「いらっしゃいませ~!」

 「ただいまよりタイムセール、肉、魚類全品半額になりま~す!」

 

 茫然と立ち尽くす桜の聴覚に、そんな威勢のいい店員の声が響き渡ってくる。視界の片隅には手慣れたように買い物カートを取りに向かう霊夜の姿が。

 

 「え……? え……?」

 「この時間帯のこのスーパーはタイムセールで肉と魚がなんと半額になるのよ。――さぁ、ついてきなさい。夕ご飯の食材を調達するわよ」

 「え……あ……」

 

 違う。何かが違う。

 無意識に買い物カートを押す霊夜の後ろに続きながら、桜の脳裏にはそのような単語がぎゅうぎゅうに犇めき合っていた。

 今日、桜を引き取ったこの白髪の麗人の名は間桐霊夜。父親である時臣と同じく魔術師で、この世の神秘と真理を探究・追及し続ける現実とは異なる世界の住人だったはずだ。

 無論、まだ幼い桜には魔術とは如何なるものなのか、神秘とは如何なるものなのか、その辺りの知識や見解は薄い。ただ、魔術師である父親の姿を見て、それらが一体どういうものなのか、幼いながらも目にしてきた。父親は常に優雅にかつ日々の生活を魔術のこと――根源への到達に没頭していて、それに通ずるものを目の前の彼女からも感じていた。

 だから桜は納得できない。なぜ彼女がこのような場所を訪れるのか。いや、頭の中では理解しているのだ。自らが生きていくために必要な糧を仕入れるために訪れているのだろう。だが、()()()たる霊夜が俗人が訪れるような()()()()()()()()()()()()に買い物に訪れているという光景を認めることができない。事実、浮世絵離れした霊夜の姿はこの空間に非常に()()()()()()()()()

 

 「あ、そういえば卵が切れていたかしら? ――桜ちゃん、少し卵コーナーに行って、卵のLサイズを一パック、持って来てくれないかしら? そこのコーナーを曲がった先の灰色の鉄棚に置いてあるはずだから」

 「え……」

 「あー、もし売り切れだったらいいわ。……今日は水曜日だから卵の日だし、この時間帯だともう売り切れている可能性も高いから」

 「は、はい」

 

 口早に捲くし立てる霊夜に押され、桜は思わず一歩足を踏み出してしまう。咄嗟に振り替えるとそこには「任せたわよ」と言って中々のスピードで買い物カートを魚肉コーナーの方へ走らせていく霊夜の後ろ姿があった。

 

 「……」

 

 ガラガラガラ。

 自分の中で霊夜に対する何かが崩れ落ちていく音を聞きながらも桜は、これから形式上は家族になる女性からの初めての()()()に応えるべく、説明された卵コーナーに向かい、歩き出した。

 

 +++

 

 卵コーナーにはまさに後、一パックだけまるで誰かに提示されているかのように残されていた。他の誰かに取られてしまわないよう、足早に灰色の鉄棚に近づいた桜は、卵が割れてしまわないよう、そっと卵のパックを掴むと落とさないよう、その小さな体に抱くようにして抱え込む。

 

 「……よしっ」

 

 お願いされた卵を確保できたことにホッと安堵の溜息を吐いた桜は、霊夜の姿を探す。とりあえず、先ほど別れた最初の場所に向かってみるが、そこにはすでに霊夜の姿はなかった。最後に別れた際、霊夜はすでに買い物カートを押してどこかに向かおうとしていたのだから、当然といえば当然なのだが。

 どこにいるんだろう――。桜は一人、きょろきょろと辺りを見回しながら、そういえば魚肉コーナーに向かっていたようなということを思い出す。

 同じように夕飯の買い出しに来た主婦たちにぶつからぬよう、そして卵を割ってしまわないよう気をつけながら、魚肉コーナーに向かうと、そこには既にもぬけの空となった食品棚に僅かに売れ残った食材を、二、三人の主婦が険しい顔をしながら漁っているだけだった。そこにはあの目立つ白髪の姿はない。

 

 「……」

 

 どこにいったんだろう――。桜は急に不安な気持ちに襲われた。もし、捨てられたのだとしたら。霊夜からしてみたら自分はやはり厄介者で、今にして思えば、そんな自分を置き去りにするためにわざとこのスーパーに寄ったのではないのか? そんな理由がない限り、魔術師たる霊夜がこのような場所に寄る意味など考えられない――。

 

 「う……ぐ……」

 

 目尻がじんわりと熱くなる。そんな彼女の様子を買い物客の主婦たちが、不審な目を向けながらもすれ違っていく。やっぱり、自分はいらない子だったんだ――。

 ついにその目尻から涙が一筋、零れ落ちそうになったまさにその時。

 

 「――あ、見つけた。桜ちゃんってどんなお菓子が好きなのかしら? 桜ちゃんを待ってる間にお菓子を買おうと思ったんだけど、桜ちゃんの好きなお菓子、私、知らなくて」

 「……!!」

 

 かけられたその声音に背中をビクッ、と痙攣させて振り向くと、そこにはすでに様々な食材を買い物カートに入れ終えた霊夜の姿があった。

 

 「あ、卵持ってきてくれたのね――って、どうしたのよ、泣きそうになって」

 「……!」

 

 その言葉に不覚にも溜まっていた涙がこぼれ出してしまう。誰のせいで自分がこのような状態になっているのか、この目の前の人物はわからないのだろうか。

 しかし実際のところ、先ほどの桜の想像は、ありえもしない妄想に過ぎなかった。霊夜からしてみれば間桐の名を残すためには桜の存在が必要で、桜を立派な魔術師にするという盟約の元、時臣から桜を譲り受けたのだから、桜をこのような場所に置き去りにするはずもないのだ。

 しかし、桜はまだ幼い子供で、そのような大人のやり取りを知っているはずもない。しかも今日、実の家族との縁を切り、養子に出されたばかりなのだ。そんな精神的に繊細な状態で、仮にも家族となった者が見当たらなければ――そのような不穏な考えに結びついてしまうのは致し方のないことであろう。

 

 「……」

 

 霊夜はそんな桜をしばらく見つめていたが――やがて静かにその傍に近寄ると、人目も憚らずにその場にしゃがみ込むとそっと桜をその胸の中に抱き寄せた。途端、ふわっと花のようないい香りが桜の鼻腔をくすぐってくる。

 

 「ごめんなさい、不安な思いをさせてしまって」

 「!」

 

 耳元にダイレクトに注入されたその言葉に桜は一瞬、体を竦ませてから、こわごわと霊夜の顔を見る。そこには不器用ながらも不気味な無表情な顔を精一杯、綻ばせようとする霊夜の顔があった。それは不器用ながらも一生懸命、桜を少しでも安心させるために浮かべられた笑顔であり、それは今まで見てきたどんな笑顔よりも儚く、そして何よりも美しかった。

 

 「……私はこんな表情しかできないから、あなたには恐いように見えるかもしれないけれど、あなたが思ってるようなことは、絶対にするつもりはないわ。……まだ家族になって一日も経っていないけれど、私は、あなたのことを――間桐桜のことを大切な家族だって……そう思ってる」

 

 そう言って霊夜は桜の頭をわしゃわしゃと撫でる。

 

 「だから大切なあなたをこんなところに捨てるはずがない。――いい? わかった?」

 「はい……はい……」

 

 ぽろぽろと熱い涙を流しながら、霊夜の胸の中で桜は何度も頷いた。

 嬉しかった。家族だって言ってもらえて。捨てられたんじゃないかって、不安で不安で仕方がなかった。

 あんなに霊夜のことを恐がっていたくせに、今、こうして胸の中で抱きしめられていることが何よりも幸せだと感じてしまう自分は、きっと誰よりも現金な奴なんだろう――。

 だけど、この人(霊夜)からもたらされる温もりが、偽りのものじゃないって解ってしまえるから。心の底から自分のことを愛してくれているっていう真実が理解(わか)ってしまえるから――。

 

 「卵、ありがとうね」

 「ど……どういたしまして」

 

 二人はそんなやり取りを交わした後、どちらともなく笑い合う。

 これが間桐霊夜と間桐桜の、"家族"としての初めてのやり取りだった。

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