もし雁夜に妹がいたら   作:ジョナサン・バースト

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 遅れてしまって申し訳ありません。ようやく投稿することができました。


第5話

 ガチャリ。扉が開いたのはその時だった。雁夜が思わず顔を上げると、開け放たれた扉の向こうには黒エプロン姿の霊夜の姿が。

 

 「お目覚めかしら? ご飯出来てるけど」

 「ご馳走になってもいいのか?」

 「一応、泊まるよう言ったのは私なんだし、しっかりとおもてなしはさせて頂くわよ」

 

 そう言うと霊夜は部屋に入り、閉め切られたカーテンを一気に開く。

 

 「っ」

 

 穏やかな朝の陽射しながらも薄暗い空間に慣れてしまった雁夜の目にはそれでも眩しく、一瞬目を細めてから、ゆっくりと立ち上がる。その時になって、霊夜が若干、顔色が悪くなっている雁夜の表情に気が付き、口を開く。

 

 「どうしたの? 顔色が優れないようだけど、悪い夢でも見た?」

 「……」

 

 雁夜は霊夜の顔を見やる。相変わらずの能面のような無表情に濁り切った漆黒の瞳。かつては感情豊かだった彼女の表情をこのように変えてしまったのは自分の責任だ。自分の背負うべき宿命から目を背け、自分の身可愛さに妹を生贄にしてしまった、その結果。

 それなのにこの妹はこうして尚も敏感に雁夜の心の機微に気づき、気にかけてくれている。間桐の魔術に壊されてしまったかもしれない妹の大切な部分(優しさ)。本来なら向けられるべきではないそれに、雁夜は甘えてしまってはならない。

 だから雁夜は首を横に振る。

 

 「いや、大丈夫だ。――それより、すまないな。わざわざ朝食まで用意してくれて」

 

 雁夜の内面は恐らく――いや、きっと見透かされてしまっているのだろう。それでも、これは雁夜にとって最後の意地だった。自分が弱い男であるということはもはや周知の事実。それでも妹の前では、そんな弱い自分を曝け出したくなかった。……何を今更なのかもしれないが。

 

 「……いえ。桜ちゃんを待たせてしまってるから早く行きましょう」

 

 そんな雁夜を内面を読み取らせない瞳でしばし見つめていた霊夜であったが、やがて視線を伏せるとそのまま背を向け、歩き出す。

 

 「ああ」

 

 雁夜は頷き、その黒き背中に続くのだった。

 

 +++

 

 間桐邸の食卓にはすでに朝食の準備は整っている。もちろん食卓に並ぶ朝食は全て霊夜と一緒に力を合わせて作った品々だ。

 用意された四つの席。普段ならそこに霊夜と桜の二人分の料理しか用意されないのだが、今朝は一人分多い、三人分の朝食が用意されていた。

 この家にやって来てから、すっかり桜の指定席になったその椅子に腰掛けながら、桜は先ほどの霊夜とのやり取りを思い出す。

 それは鮭の切り身に塩を振り、塩焼きの仕込みを終えた時のことだった。

 

 『あっ、そうだ。桜ちゃん、今日はこの家にお客様が来ているの。だから朝食も普段より一人前多い三人前用意するわ』

 『えっ……』

 『ごめんなさいね。来たのは桜ちゃんが寝た後、いきなりのことだったから、桜ちゃんが知らないのも無理はないわ。……驚かせちゃったかしら?』

 『いえ……』

 『そんなに緊張した顔しなくても大丈夫よ。お客様って言っても、その人、きっと桜ちゃんもよく知ってる人だと思うから』

 『えっ!?』

 『そうだ。せっかくだからそのお客様に桜ちゃんの手料理を食べさせてあげるといいわ。きっと喜ぶと思う……うん、あの人のことだから間違いなく喜ぶわね』

 『えっ……でもわたし、まだお料理、うまくできなくて……』

 『料理上達は他人に食べてもらうのが一番の近道よ。それに桜ちゃんの料理が美味しいのは私が保障する。――それともなに? 桜ちゃんは私が大丈夫って言ってるのに、安心してくれないの?』

 『そっ、そんなこと! ……な、ないです……』

 『じゃあ、それで決まりね』

 

 それで一通りの朝食の準備が終わり、食卓に配膳も完了した後、霊夜はそのお客人を起こしに行った。お客人の正体が気になった桜は何度か零夜に聞いてみたのだが、全ては「後でのお楽しみ」の一言。

 いったい、どんな人なんだろう――。改めてそんなことを考え始めたその時、食卓に霊夜の姿ともう一人、霊夜より一回り背の高い男の姿が入ってくる。

 そして、男の見覚えのあるその顔を見て、桜は驚きのあまり、思わず席を立ち上がってしまう。

 

 「か……雁夜おじさん!?」

 

 そのあまりの可愛らしい反応に雁夜は苦笑じみた笑みを浮かべると共に、桜に向かい、告げた。

 

 「おはよう。……久しぶりだね、桜ちゃん」

 

 +++

 

 桜と挨拶を交わし、その無事を改めて確認し、安心した雁夜であったが、食卓に着いた途端、眼前に広がる献立から目が離せなくなってしまった。

 雁夜のお腹はここ数年類を見ないくらい健全な音を鳴らして空腹を訴える。先ほどの鬱屈とした気分が嘘のように。

 汁物に豆腐とわかめの味噌汁。主菜には鮭の塩焼きが置かれ、副菜にほうれんそうの胡麻和え、そして黄金の輝きを放つ卵焼きが置かれている。きゅうりを薄く切った浅漬けもご飯のお供として食卓に置かれている。飲み物には温かくも飲みやすい適温に保たれた緑茶が。それら全てが雅な食器に綺麗に装われ、食欲を刺激する魅惑的な香りと共に、すぐに食べつくしてしまうのではもったいない絶妙の高級感を醸し出している。

 

 「……」

 

 ぎゅるるるる。もはや胃の暴走を抑えられない。ゴクリと思わず唾を飲み込んだ雁夜に、桜が声をかける。

 

 「お……おじさん? 大丈夫?」

 「えっ、あ、大丈夫だよ? なんで?」

 「おじさん、なんか血に飢えた獣みたいな顔してたから」

 「……」

 

 もはや返す言葉のない雁夜である。というか、そこまで自分は切羽詰まった顔をしてしまっていたのであろうか。

 

 「ごめんなさい、待たせたわね」

 

 そこにエプロンと髪を纏めていたゴムを外し、通常モードに戻った霊夜の姿が現れる。

 霊夜と桜が向かい合わせに、桜の隣に雁夜が座ったところでようやく合掌する。

 

 「じゃあ、冷めないうちに食べましょう。――いただきます」

 「いただきます」

 「い……いただきます」

 

 上から霊夜、桜、少し遅れて遠慮がちに雁夜。雁夜は朝食の皮切りに味噌汁をチョイスする。

 それだけで軽くご飯一杯を完食できそうな出汁の香りを堪能し、一口、啜る。

 

 「――!!」

 

 途端、雁夜は自分の中でタガが外れたのを感じた。ご飯、味噌汁、ご飯、味噌汁。その無限ループが止まらない。

 しかしどうにか、意識を持ち直し、次に口に入れたのは最初から目をつけていた黄金の輝きを放つ卵焼き。少し形の崩れたソレだが、まったく気になることなく――むしろその崩れ具合がさらに食欲を刺激する――口に入れ、途端、口内に広がる甘みと卵特有のまろやかさが醸し出す絶妙なハーモニー。まさに食卓の甘味処やー! 鮭の塩焼きもその橙の身がふっくらと柔らかく、適度な塩加減がまたご飯をかきこませる。

 

 「……! ……! ……!」

 

 無我夢中で一人自分の世界でご飯を食べ続ける雁夜の箸が止まったのは、次の瞬間だった。

 

 「いっ――!?」

 

 いきなり足にかなりの衝撃が走り、雁夜は半ば本能的に、斜め向かいに座る霊夜を見る。するとそこには絶対零度の冷たさをもってこちらを睨み付ける妹の姿が。

 

 (えっ、なに……? えっ)

 

 内面、戸惑うことができない雁夜余所に霊夜は顎で軽く雁夜の横の席を指し示す。

 

 「え……」

 

 導かれるままに隣を見やるとそこには不安げな表情でこちらをジッと見据える桜の姿があった。その食事には未だ一切の手が付けられておらず、合掌してからこれまで、ひたすらに雁夜のことを観察し続けてきたようだ。

 

 「えっと……え……」

 「……」

 

 何が何だかわからず、なおも戸惑うことしかできない雁夜を、桜は不安と――なぜかほんの少しの期待が入り混じった瞳でジッと見据えてくる。チラリ、と霊夜を見るとその目はただ「うまくやらないと殺ス」という明確な意志が感じられる瞳でジッと睨み続けている。

 

 「えっと……おじさん、何かしちゃったかな?」

 

 もしかしたらバクバクバクバク平らげて、行儀が悪かったのかもしれない。

 おそるおそる桜に向かい告げた言葉に桜は悲しげに視線を下に伏せ、その耳には「はぁ」という妹の冷たい溜め息が聞こえてくる。

 

 「……かよわい乙女の純情を踏みにじる男は死ねばいいって、私、思うのよね」

 「え”?」

 「とりあえずもうご飯は食べなくていいから。お帰りはあちらになるから、とっととこの家から出て行ってくれる?」

 「ちょ、ちょっと待って!」

 

 雁夜は頭を懸命に働かせる。いったい今までに自分は何をした? 何か不快に思わせるようなことをしてしまったか?

 いただきますと合掌して、ご飯を食べ始めた。そのあまりの美味しさに無我夢中になって、妹に足を思い切り踏みつけられるまでは気づかなかった。

 ずっとこちらを見つめ続けていた、桜の視線に――。

 

 「あ……」

 

 そこまで考えて、雁夜はある一つの考えにたどり着く。悲しげに箸を手に取り、味噌汁を啜ろうとしていた桜に顔を向け、そしてその考えをそのまま口にする。

 

 「もしかして、この料理を作ったのって……桜ちゃん?」

 「……っ!!」

 

 その途端、打って弾かれたように、雁夜を見つめた桜の様子を見れば、もはや答えは明確だろう。

 

 「凄い! 凄いよ、桜ちゃん! こんなに美味しい料理を作れるなんて、本当に凄いじゃない、桜ちゃん!!」

 「ほ……本当?」

 「うん、本当だよ! この卵焼きなんて、ほんのりとした甘さととろりとした身が絶品で……こんな上手い卵焼き、生まれて初めて食べたよ!」

 「そ、そうかな? 霊夜さんと一緒に作って、形だけ失敗しちゃったんだけど……」

 「えっ、そう? 形だって全然綺麗だったよ。おじさんだったらこんなに綺麗に作れないよ、絶対」

 「え……えへへ……」

 

 

 少し自重気味な桜の言葉であったが、それでもぱあっ、と顔を明るくさせたその顔を見れば、褒められて嬉しかったのは明らかなことで。

 その天使のような微笑みに思わず、こちらまで微笑ましい気持ちになりながらも雁夜はようやく自分のしでかしてきたことの大きさを痛感した。相手のために一生懸命作ったのに、感想も言ってもらえず無言でバクバク食べられたら不安にもなるだろう。

 しかしそれにしてもまさか桜が作ったものだったとは。霊夜の手伝いがあったとはいえ、これほどまでの完成度の料理を用意するなんて、尋常なものではない。霊夜の料理上手は家を出る前にこれでもかというくらい知っていたので、この朝食もてっきり霊夜が用意しているものとばかり思っていたが、まさか桜だったとは……。

 

 「ごめん、桜ちゃん。せっかくおじさんの為に作ってくれたのに、気づくのが遅れちゃって」

 「謝らなくていいよ、おじさん。おじさんに食べてもらえてわたし、とても嬉しかったから」

 「桜ちゃん!」

 「ひゃあ!?」

 

 そのあまりの愛おしさに感極まった雁夜はその華奢な身体を思わず、抱き締めてしまう。抱き寄せられた桜は思わず、驚きの声をあげるが、それでも不快には思わなかったのか、すぐに柔らかな笑みを浮かべて雁夜をその小さな身体で精一杯抱きしめかえす。

 

 「ふん……」

 

 そんな雁夜を呆れたように見た霊夜はようやく味噌汁を啜り、朝食を摂り始める。

 今朝の間桐邸の食卓は、ちょっとした波乱がありながらも穏やかに、緩やかに流れていく。

 

 「……ご飯のおかわり、いるかしら?」

 「えっ……ああ、お願いできるかな」

 「あっ、わたしがよそうよ!」

 「そう? じゃあ、お願いできる、桜ちゃん?」

 「うんっ! わかった!」

 

 逃げ出した過去は、己の犯した罪は、この未来(さき)、永劫に償われることはないのだろう。

 それでも雁夜は今、目の前に広がるこの光景に、心からの感謝をした。こんな何の変哲もない日常の光景が、どれだけの奇跡が積み重なって、紡ぎだされているのか、雁夜には痛いほどできているのだから。

 この輝ける宝石のような時間がいつまでも続くことを――妹のこれから未来(さき)の幸福を――

 

 「……」

 

 雁夜は心の底から祈るのだった。

 

 +++

 

 ちりり。

 右手が疼いたのはその時のことだった。焼けるようなその痛みに思わず顔を歪める。

 

 「……」

 

 変えられた運命。それでも変わらぬ運命。

 現実はあくまでも現実でしかない。

 この日が来ることを何よりも待ち望み(何れこの日が来ることを知っていながら)

 

 「……っ」

 

 この日が来ることを、彼女は何よりも恐れていた――。




 とりあえず第一部はあと一話で終了する予定です(あくまでも予定)

 これから先も不定期更新になりますが、なんとか完結まで持っていきたいのでよろしくお願いします。
 

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