「椛、またここに居たのね」
振り向くと上司とも言える烏天狗の文が居た。
「文さん……ええ、何となく」
葉擦れの音が、風と共に耳に届く。
秋、山の景色も鮮やかな緑から、赤く変わっていく場所もちらほらと。
その場所は、そんな景色を眺めるのにはそれなりに向いている、けれど絶景を望む者にはさして魅力的ではないその場所。
哨戒で見慣れた景色、休みの時、里に降りる時にいつも見る景色。
何時からだろうか、この景色を愛しく思うようになったのは。
「ほら、仕事中でしょう?サボっていたら何処かの大天狗に嫌味言われますよ」
直属の上司である哨戒天狗を取り纏める大天狗を、好ましく思う者はさして多くなく、椛も仕事の出来に拘わらず、何かしら嫌味や暴言を受けたことも少なくはない。
本来であれば、同じ白狼天狗がその任に当たる筈なのだろうが、精々隊長止まりであった。
「ま、彼に次期は無いでしょう、少し……やり過ぎましたからね」
そう呟いた文の顔に表情はない、そして、そんな文に椛は恐怖を覚えていた。
「ま、次の警備部の大天狗は白狼天狗から任じられると思いますよ、貴女では流石にありませんが」
いつもの表情に戻った文に、椛はそれはそうだろうと返す。
「景色を楽しむのも構いませんが、ぼんやりするのは……ま、私が居るときなら構いません、おすすめはしませんけど」
「そうですね、おすすめされても困ります」
仕切り直しとばかりに、椛は装備をし直し、木々の中へと消える。残された文は、その反対とばかりに空へと飛び去る。
天魔は居間に掛けた絵を暫し眺め、お茶を啜る。
「ふう……」
この絵を描いた絵師が亡くなったと訊いた。
線香の一本でとも思い、文に行かせたがどうせなら椛にも行かせれば良かったかとも思う。
「そうもいかん……か、掟は掟と椛自身が言うのではなぁ……」
絵は山の中腹、本来であれば立ち入りを禁じている人間を、その一念に圧され、その場所に案内してしまったと報告があった。
そこは絶景でもない、山の上に立つ神社への参道の途中、脇に少し逸れた場所。
烏天狗はほぼ足を止めない、白狼天狗にとっては生活の為の道、多少開けた景色のそんな場所。
椛には今、そこに人間を案内した罰として下山禁止を命じている。
「全く……まぁ、だからこそ、この絵があると思うと皮肉なものだ」
取り立て価値はないであろうその絵、だが、描いた者の気持ちをどことなく感じられる、そんな絵。
椛の罪の証として出されたこの絵は、彼女の下山禁止令が解かれたときに返すことにしよう。
これは、ここに在るべき絵ではないだろうから。
ーー終わり