佐為だけがいないヒカルの碁   作:上条 一

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第五話

「――小僧、石は今どっちの手の中にあると思う? 当てたら詰碁集は譲ってやるよ」

 

 加賀はそう言うと、拳をヒカルの前に突き出した。

 これは彼がヒカルに対して敵意を持っての行動ではない。むしろ、何とも思っていないと言える。

 では、何故こんなことをするかと問われれば、それは彼が塔矢アキラを憎んでいるからだろう。

 

 

 

 そもそも加賀は将棋をする前、囲碁をやっていて囲碁教室にも通っていた。本当は将棋がやりたい彼だったが、父に無理矢理通わされていたのだ。

 

 その囲碁教室には幼い頃のアキラも通っており、加賀はアキラの次に強かった。しかしある日、いつまでも年下のアキラに勝てないことに痺れを切らした加賀の父は、彼を囲碁教室の前の階段で説教をする。

 

――何故、あの子に勝てないんだ! お前は二つも年上のなのに情けなくないのか!

――今日こそ勝て! 勝てないうちは家に入れん!

 

 加賀はその言葉を聞いても情けないとは思わなかった。強い奴は強いのだから仕方がないと考えていたからだ。

 それでも、アキラのことはライバルだと思っていたし、いつか追い抜いてやるのだとも思っていた。

 

 だから、説教を偶然聞いていたアキラに『負けようか?』と言われた時、彼はふざけるなと憤りを覚えた。ライバルだと思っていたのは自分だけで、アキラは自分に勝とうが負けようがどうでも良かったのかと。

 

 そして、その日の囲碁教室での加賀とアキラの対局。

 終局してみると、コミを入れて加賀の一目半差勝ちだった――。

 

 

 

 これが、加賀のアキラを目の敵にする理由。

 普段から乱暴な部分があるが、塔矢アキラに関することだと特別頭に血が上ってしまうのだ。

 

「もうやめるんだ、加賀! 相手は小学生なんだから、そんなことをしなくても譲れば良いじゃないか!」

 

 筒井が一触即発な状況に、ヒカルをかばうようにして加賀の前に立つ。

 

 彼の言うことはもっともであり、そもそもヒカルは詰碁の正式な挑戦者。先に解いたならまだしもそうでもないのに、横入りした加賀が詰碁集を得る権利はあるのだろうか。

 頭の良い加賀ならばそのことは気付いているはずで、つまりこの行動はそれらを承知した上ということになる。

 

 また、店の盛況ぶりであった姿は既に存在せず、加賀の漂わせる険難な雰囲気に集まっていた客達は去ってしまっていた。

 そして、その場に残ったのは当の加賀を除くと、ヒカルとあかりと筒井の三人だけ。

 

 黙って加賀の行動を見ていたヒカルは、先ほどからの行動に怒ることなく、相変わらずだなあと思いながら彼へ話しかける。

 

「――答えは服の裾の中、でしょ?」

 

 してやったという顔をするヒカル。

 これもまた以前に加賀がしたことの一つで、その時は見事に引っかかってしまい危うく手に煙草を押し付けられるところだったのだ。だから、少しくらいのズルは許されるだろう。

 

 答えを聞いた加賀は拳を開くと、その中に何もないことを見せる。

 

「ケッ、からかいがいのない奴だぜ」

「筒井さん、これで俺が詰碁集をもらってもいいよね?」

「え? も、もちろん」

 

 加賀に怯むどころか立ち向かい、答えまで当ててしまったヒカルに筒井は驚いていた。

 

「そ、そうだ! キミ名前は? 今何年生!? 葉瀬中に入学した場合は、ぜひ囲碁部に入って一緒に大会に出てほしいんだ!」

 

 しかし、塔矢アキラレベルでしか解けないと思われた問題。

 加賀の登場で流されてしまっていたが、あれを目の前の少年が解いたことを思い出した筒井は、慌てて勧誘を始める。もし入ってくれたなら即戦力、いや大会で優勝出来るかもしれないと。

 

 けれど――。

 

「進藤ヒカル、六年生。でも……ごめん、筒井さん。俺、院生になろうと思っているから大会には出られないんだ」

 

 ヒカルは申し訳なさそうに、そして真摯に頭を下げる。

 院生になるとアマチュア大会には出られないという決まりがあるのだ。

 

 このことはアキラにプロになると言った日から決まっていたこと。だがもし言っていなくとも、ヒカルが大会に出ることはなかっただろう。

 彼の実力はプロそのもの。

 そんな人間が大会に出ることは、弱いと分かっている相手を弄ぶことと同じなのだ。

 

「キミが謝ることはないよ! あの問題が解けるなら、プロを目指して院生になろうとするのは当然のことだからね」

 

 筒井は何故か本気で謝るヒカルに驚くが、ヒカルが真摯に謝る理由はそれだけではない。

 以前の記憶では、囲碁部に入部して筒井と共に頑張っていたヒカル。だけどアキラを追いかけていた当時の彼は、アキラに追いつくために院生になると言って囲碁部を放り出してしまった。

 これは仕方のないことで誰かが悪いという話ではないが、負い目はあったのだろう。

 

「どうせ塔矢アキラには勝てねえんだからよ。プロなんてやめとけやめとけ。それよりどうだ、将棋にこいよ」

 

 ヒカルがプロを目指す話になると、加賀が口を挟んで将棋の勧誘をし始める。

 

「今なら俺にビビらねえその度胸に免じて、一から教えてや――」

「――でも、アキラ君にならこの前勝ってたよねヒカル」

 

 加賀の言葉を遮って、場の空気が凍ってしまうような一言をあかりが投下した。

 彼女は碁を始めたばかりで、未だアキラがどのような存在なのかを理解していないのだ。もしアキラの実力を知っている者が、アキラに勝てる少年が居ると聞けば驚愕するであろうそのことに。

 

 事実、筒井と加賀は驚いていた。

 

「ほ、本当かい進藤君!?」

「おいおい冗談だろ? コイツが塔矢の野郎に勝つなんて……」

 

 筒井は目を見開いてヒカルに問い、加賀は冗談と思いながらも、もしかしたらという考えが頭をよぎる。

 

 実際に二人の対局を見ていない彼らが簡単に信じることが出来ないのは、彼らが悪いわけではない。ヒカル自身でさえも当時の自分を思い返せば、この時点でアキラと対等な存在となれている状況は信じられないのだから。

 

「本当だけどそれよりさ! 三谷って奴を囲碁部に誘ってやってよ、筒井さん」

「三谷、君?」

 

 このぐらいなら言っても大丈夫だろうと、本来なら今はまだ知らないはずのことをヒカルは述べる。

 賭け碁や整地のズルの話までするとその場で止めないのはおかしい。だけど名前を出すだけなら後々バレたとしても、実は三谷の通っている碁会所に行ったことがあって他の客から三谷のことを聞いた、と言い張れる。

 そこには、例え囲碁部に入らなくても以前の様にあってほしいと思う気持ちと、三谷を心配する気持ちがあった。

 

「うん。俺と同い年で繁華街の碁会所で打ってる奴なんだけど、この辺りに住んでいるならきっと葉瀬中に入学すると思うし、強いって評判だからさ」

「そうなんだ、誘ってみるよ!」

 

 塔矢に勝ったって言ってる奴が強いって言ってもな、と加賀がツッコミを入れる。しかし筒井は部員候補が見つかったことを素直に喜んでいて聞いていない。

 

 そんな筒井にヒカルが――。

 

「その、大会には出られないけど……俺も顔出して良いかな?」

 

 頻繁に行けるわけではないが、それでも行きたかった。

 佐為が居ないこの世界で、佐為が居た世界の記憶を思い出したヒカル。既に以前とは大きく違う道を歩んでいるが、それでもまた彼らと仲良くなって、思い出が作りたいと考えたのだ。

 

 それは、これから出会う人達にも同じことをヒカルは思う。

 

 和谷に伊角、越智や福、奈瀬、本田――と院生時代の友人達。

 プロ試験を受けるには外来受験でも良かったのにアキラに問われた際、『まずは院生から』と咄嗟に言ったのは思い出した記憶と同じだったからだけでなく、彼らとまた出会いたいという気持ちがあったからなのかもしれない。

 

「もちろんさ! 対局するのが今から楽しみだよ」

 

 筒井は笑顔で歓迎する。

 彼の返答にヒカルも笑顔を浮かべていると、あかりが口を挟む。

 

「ヒカル、そろそろ帰ろうよ」

 

 蚊帳の外で会話を聞かされていた彼女は流石に待ちくたびれたのだろう。

 いつの間にか、日がほとんど沈んでいて薄暗い時間になっていた。校内の人影もまばらで、一部では既に学生たちが片づけをしている。

 

「――ごめんごめん。筒井さん、加賀。俺達帰るよ」

 

 ヒカルはあかりに謝った後、景品の『塔矢名人選詰碁集』を鞄に入れると筒井達に向き直る。

 

「それじゃあ――」

 

 そう言って、門へ歩き始めると背後から声をかけられる。

 

「進藤君、院生試験頑張ってね!」

「囲碁に飽きたらいつでも将棋部に来いよ」

 

 返事の代わりに大きく手を振って答えるヒカル。

 こうして、彼らの葉瀬中創立祭が幕を閉じた。

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