夕暮れ時のグラウンドはなかなか美しい。傾いた日差しが砂を橙色に染め、下校時刻を告げる音楽が壊れかかったスピーカーから流れる。水道の前では二人の女子生徒が顔を洗い、水を飲む。片や長髪をポニーテールに纏めた凛々しい少女、片やショートヘアに鋭い目つきの不良少女。二人とも一年生だ。
彼女らを引き立てるためではないだろうが、周囲には学ラン姿の男子生徒たちがばらばらと転がっている。二十人はいるだろうか、いずれも地面に倒れて呻いたり、よろよろと立ち上がって逃げようとしている。彼らの側には木刀などの凶器が散乱しており、真っ当な学生ではないことが伺えた。それらを返り討ちにした代償として、少女たちの手の甲にはいくらか傷が付いていた。
そんな中、大柄な男子がゆっくりと起き上がる。足元の木刀を手に取り、目を血走らせて二人の後ろ姿を睨む。歯軋りをしながら一歩、二歩と踏み出し、手にした凶器を大きく振り上げた。
が、それを女生徒の頭めがけて振り下ろそうとした瞬間、彼はそれを手放した。ショートヘアの方が足を真後ろに振り上げ、股間の急所に踵を直撃させたからだ。声にならない悲鳴を上げ、男子生徒は再びばたりと倒れた。
少女は水道の水を止めて顔を拭うと、その木刀を拾い上げた。軽く上下に振った後、思い切り水飲み台に叩きつける。途端に木刀は真っ二つに折れ、刀身がくるくると回転しながら飛び、地面に転がる。手に残った柄は倒れた男子に向けて放られた。
「……思ってた以上に酷いな、この学校。女の子相手に木刀なんか使うか?」
ポニーテールの少女も顔を上げ、前髪から水を滴らせて笑った。
「それにしてもあんた、強いんだな。あたしが加勢するまでもなかったか?」
「……頼んだ覚えはねェけど、感謝はしてやらァ」
ショートヘアの方はつまらなそうに鼻を鳴らした。薙ぎ倒した男どもを侮蔑の籠った視線で一瞥し、着ているセーラー服で手を拭く。そのまま立ち去ろうとする彼女の背に、ポニーテールが再び声をかけた。
「こいつらが言ってたけど……お前、亀子って名前なのか?」
それを聞いた瞬間、
「文句あるのか……?」
「あたしの名前は千鶴だ」
相手の眼光など全く気にせず、笑みを浮かべるポニーテールの少女。夕日を浴びるその笑顔は美しかったが、亀子はそれに得体の知れない凄みを感じた。女だてらに喧嘩の場数は踏んでいても、笑顔に気圧されるのは初めての経験だ。
一ノ瀬千鶴は右手を服で拭き、差し出す。握手を求める姿勢だ。
「鶴と亀で、縁起が良い」
「……バッカじゃねェの」
踵を返す亀子。だが千鶴はその手をさっと掴んだ。
咄嗟に振り払う亀子だが、そのとき一瞬だけ相手の姿を見失った。刹那、肩越しに伸びてきた腕に首を押さえられた。というより、抱きしめられた。
「人間相手じゃつまらねーだろ?」
彼女の耳元に赤い唇を寄せ、千鶴は囁いた。機械油の臭いが鼻をつき、亀子の体がぞくりと震える。何らかの武術を修めているのは間違いない。だが亀子はそういう奴を相手取っても、遅れをとったことはなかった。
だが今は違う。強く押さえつけられているわけでもないのに、何故か動けない。先ほど感じた得体の知れない凄みに当てられていた。そんな彼女の頭を撫でながら、千鶴はニヤリと笑う。
「感謝してるなら、あたしに付き合いな」
……一時間後、学園艦の甲板下を六人の女子が歩いていた。いずれもこの決号工業高校の一年生だが、船舶科でもなければ生徒が通る場所ではない。海上都市である艦上とは違い、無機質なコンクリートの壁で囲まれた息苦しい通路だ。天井の蛍光灯は所々割れており、薄暗い。六人の足音だけがコツコツと響く。
先頭に立つ一ノ瀬千鶴は軽い足取りで歩き、その後ろを亀子が複雑そうな顔でついていく。さらに後ろにいる四人は表向きは普通にしているが、万一亀子が千鶴に手出ししたら即座に張り倒すつもりでいた。そのため亀子は逃げることができずにいる。あの不良どものようにはいかないと、肌で分かるのだ。一対一ならともかく、四人まとめて相手にはできない。そして彼女たちも千鶴と同じ、鉄と油の臭いを纏っていた。
「……お前ら、何者なんだよ……?」
後ろを気にしつつ、亀子は尋ねる。あの後千鶴に無理矢理引きずられ、このよく分からない集団に加えられたのだ。そして訳も分からないまま、陸で言えば地下室に当たる甲板の下へと連れ込まれた。千鶴は振り向かず、艦内の見取り図を見ながら前進を続ける。
「簡単に言えば、スポーツ特待生かなー」
後ろを歩いていた小柄な少女が、コロコロと鈴の鳴るような声で答える。頰に若干そばかすが散った、あかぬけない顔立ちだ。喉頭部で手を組み、のんびりと後をついてくる。
「スポーツって……なんかの武道か?」
「そ。この学校じゃ何年か前に廃止されたらしいんだけど、復活させるためにウチらが呼ばれて、入学したんだよねー」
そのとき、先頭の千鶴が足を止めた。左手の壁に頑丈そうな金属のドアがあり、『第二車庫』の表札が付いている。どうやらここが目的地のようだ。
しかしドアノブを掴んで押し引きしても、ドアはガタガタと音を立てるだけで開かない。内側から施錠されているようだ。千鶴はドアを数回蹴って「ごめんくださーい!」などと叫んでみたが、返事はなかった。
「別の入り口は……遠回りだな」
「ぶち壊しちゃう?」
「ハンマーじゃ無理そうね」
地図とドアを交互に見て、一同は口々に物騒なことを言い合う。どうしてもこの車庫とやらに入りたいらしい。地図によれば他にも中へ入る道はあるが、通路が入り組んでいるためここからでは遠い。
「……退いてろ」
亀子は溜息を吐きながら前に出た。さっさと面倒ごとを終わらせたいのだ。
千鶴を押しのけ、自分の髪からヘアピンを外し、ポケットからもう一本取り出す。見た所古いシリンダー錠のようで、これさえあれば何とかなると判断した。ヘアピンの片方をそのまま折り曲げてくの字状にし、もう片方は広げて変形させる。先にくの字にしたピンを鍵穴に挿入して固定、その上にもう一方を挿入して、作業にかかった。
喧嘩のときとはまるで違う、繊細な手つきだ。錠の内部を傷つければ二度と開かなくなるかもしれないのだ。千鶴ら五人が興味深そうに見守る中、亀子は手応えと音を頼りにロック機構を解除していった。カチャカチャと小さな音だけが響く。
三分ほどそれをやった後、くの字ピンを右に回した。軽い金属音を聞いて、「よし」と呟く。ノブを捻って押すと、鉄製のドアはゆっくりと開いた。負けを認めるかのように、鈍い音を立てて。
亀子は千鶴の方を顧みた。これで借りは返した、もう自分に構うな……そう言って立ち去るために。しかし。
「やるなぁ、お前! こんな器用な奴だとは思わなかったぜ!」
言葉を発する前に、千鶴は肩に手を回してきた。そのままぐっと引っ張り、真っ暗な『第二車庫』内へ連れ込まれる。亀子は慌てた。
「ちょ、おめ……!」
「亀ちゃん、すっごいねー! さすがお嬢が見込んだだけのことはあるよ!」
そばかすの少女が感嘆の声を上げながら、背中を叩いてくる。
「ウチにもやり方教えてよ! お礼に双節棍の使い方教えてあげるから!」
「その器用さ、きっと役に立つわよ」
「お見事です」
「お見事」
全員から褒められ、背中を押され、逃げることもできないまま部屋へ入ってしまった。誰かが照明のスイッチを入れ、天井の蛍光灯が数回点滅し、パッと明かりが灯る。
その瞬間、亀子は目を見開いた。中はかなり広い。そして車庫と言うからには、自動車があるのは予想していた。実際そこに並んでいた物は日本の法律上、大型特殊自動車に分類される乗り物だった。鋼を帯状に繋ぎ合わせた無限軌道、リベットや溶接で組み合わされた装甲、そして機関銃と戦車砲。大小様々な種類が並んでいるが、根本は同じ種類のメカだ。
「おお、ケト、ケヌ、チヌ、ホイ……チト車もある!」
「予想より大分綺麗ね」
千鶴たちが歓声を上げ、迷彩塗装の施された戦車に駆け寄る。この奇妙な特待生たちのやる『スポーツ』が何か、亀子にもようやく分かった。
戦車道。一次大戦以降、世界中で女子の嗜みとして行われている伝統武芸。
そのとき、格納庫の反対側のドアが荒々しく開けられた。途端に多数の足音が響き、作業着姿の学生たちが乗り込んで来る。男女混在、学年も様々な集団だ。しかし友好的でないのは確かで、敵意のこもった目を見るまでもなく、ほぼ全員が角材や工具といった『凶器になる物』を手にしていた。
「お前たち、誰にことわって入ってきた!?」
先頭に立つ男子が怒鳴った。千鶴の取り巻きたちは応戦の構えを見せ、そばかすの少女に至っては懐から武器を取り出そうとする。だが当の総大将は冷静だった。
「あたしらは……」
「しゃらくせぇ!」
亀子が言葉を遮り、足元に転がっていた鉄パイプをつま先で蹴り上げた。跳ね上がったそれを掴み取り、両手で正眼に構える。作業着の一団も臨戦態勢を取るが、直後に亀子が口を開いた。
「てめェらみたいな×××××共の相手なんざ慣れっこでェ! かかってきやがれベラボーめ、てめェらの×××を×××××××にしてやらァ!」
格納庫中に響き渡る大声で、しかも放送禁止用語を容赦なく言い放つ。先ほどまで適当に立ち去ろうとしていたのに、敵意を向けられ反射的に応じてしまったのだ。周囲の仲間たちは皆「あ、これ乱闘パターンだ」と覚悟を決めた。
しかし相手は怒り狂うと思いきや、沈黙して動かない。亀子の剣幕に気圧された……というわけではなく、呆れ果てたのだ。「なんつー女だ……」という呟きすら聞こえた。
千鶴がすっと前に出て、遮られた台詞を再開する。
「あたしらはこの前入学した、戦車道特待生っすよ。校長から聞いてませんか?」
「……特待生だと?」
先頭の男子は千鶴を見つめながら、持っている木刀を下ろした。他の面々も顔を見合わせる。
「本当に来たのかよ」
「今度の校長、本気で戦車道復活させるの?」
「マジだったのか……」
誰もが凶器を捨て、口々に言い合う。驚いているようだが、同時にどこか嬉しそうな様子があった。それを見た千鶴も、亀子の手に自分の手を添え、鉄パイプを手放させる。
リーダー格らしい男子は木刀を置いて、六人に歩み寄った。作業着は油で汚れており、普段から機械に慣れ親しんでいることが分かる。決して美男子というほどではないが、鋭い目つきの男だった。
「俺は自動車部部長の
「校長から聞いてます。車庫に陣取って寝泊まりしてる変なのがいるから、戦車の整備はそこに頼めって」
「変なのって、お前……」
「いや、言われてもしょうがないよ」
後ろにいた仲間の言葉に、山羽は頭を掻いた。
「……昼に校長から呼び出されたのはこのことだったのか。小言だと思って行かなかったが……まあ悪かったな、ここからパーツを盗んで売ろうとする馬鹿がたまにいるんだ」
「だったらドアの鍵、もっと良いのに変えた方がいいっすよ。亀公がヘアピンで開けちゃった」
「ああ、丈夫な錠前はこの前の攻防で壊された。一先ず、あり合わせのシリンダー錠で間に合わせたというわけだ」
会話をしながら、千鶴は並んだ戦車を見て回る。素人の亀子には分からなかったが、その中には量産前に終戦を迎えた四式中戦車の姿もあった。75mm砲を搭載し、日本軍の切り札となるはずだった車両だ。艦内工廠で製造し、戦車道連盟の認可を取り付けた新造車両だろう。それらを見つめる彼女の目は輝いていた。あんな棺桶のような乗り物の何が良いのか、亀子には理解できない。
そんな視線を尻目に、千鶴は各車両の主砲、履帯、転輪などを確認して唸った。この自動車部なる男女混在の集団が整備しているようだが、なかなか手入れは行き届いている。腕は確かなようだ。
やがて千鶴は、隅に置かれた小柄な車両に目をつけた。同型の物が三両並んでいる。凹凸の少ない滑らかな車体形状が特徴的だ。
「目が高いな。そいつは調子がいいぞ」
山羽が言った。
「たまには動かしてるんすか?」
「そうしないとエンジンが駄目になるからな。操縦できる女子部員が何人かいる」
「燃料は?」
「農業科の重機を整備する代わりに、軽油を分けてもらってる。ただ砲弾がない」
「じゃあ、注文しときます。ええと、一式三十七粍戦車砲か……」
「機銃の弾も頼んでおいた方がいいわ」
「お嬢、ついでに戦闘糧食も」
亀子を置いてけぼりにして、相談が進んでいく。やがて山羽は千鶴に向かって、毅然と言い放った。
「言っておくが、手荒く乗る分には構わない。だが、雑に扱ったら許さん。それと、俺たちはここを立ち退かない。それが協力の条件だ」
「了解」
ニヤリと笑みを浮かべ、千鶴は仲間たちを振り返った。亀子が嫌な予感を覚えたとき、彼女は拳を振り上げて宣言した。
「一ノ瀬千鶴以下、一弾流門下生五名、およびオマケの一名! 今日から決号戦車隊だ!」
「おおおぅ!」
……取り巻きたちが同調する中、亀子は状況を必死で理解しようとしていた。特に、『オマケの一名』というのが誰のことかを。