初陣を経験した後、亀子の車長としての腕は急激に上がっていった。素人をいきなり車長に任命した千鶴の真意も何となく分かってきた。
大抵の戦車乗りは装填手からスタートする。手順さえ覚えれば後は単純作業であること、そして他の乗員のサポートをしながら作業を学べることがその理由だ。二式軽戦車ケトは車長が装填手を兼任しなくてはならないが、操縦手のイェンチンが亀子の経験不足を補える。元々車長の次に戦術思考が求められるのは操縦手なのだ。
しかし戦車乗りたる者、学ぶことは戦い方だけではない。愛車のメンテナンスも乗員の仕事だ。優秀な整備員がいたとしても、ベストコンディションを保つ方法は知っておけなばならない。
37mm砲身に
「……こんなもんか」
「そうだね」
ロッドを引き抜くと、砲口から黒い煤が僅かに散った。イェンチンは足回りの点検をし、エンジンは自動車部の女子部員が整備している。ケト車はグライダーに搭載するためコンパクトな車体となっており、車体表面も滑らかだ。優美とまでは言えないが、比較的洗練されたデザインだ。
「『棺桶』にも愛着湧いてきた?」
「……自分が入る棺桶なら、綺麗な方がいいだろ」
ぶっきらぼうに答え、ロッドを置く。亀子にとって戦車はあくまでも『棺桶の高級なやつ』程度の存在だった。だがそれでドンパチやるのは好きになってきた。あまり認めたくはないが、千鶴たちと一緒にいるのも楽しい。
「そりゃそうと、この前のサヴォイア女学園の戦車だけどよ」
セーラー服の胸元に付いた煤を払い、亀子は話題を変えた。このままからかわれては面白くない。
「イタリア製だったか? うちの戦車と大分違ったな」
「国や時代によって、設計の考え方が違うからね」
足回りへの注油を終え、イェンチンが顔を上げた。千鶴一味の中で一番女らしい彼女は、機械油にまみれても何処か優雅な佇まいをしている。
「M4シャーマンなんかは普通の戦車だと思われがちだけど、元が戦時急造だから、調べれば変なところはいくらでもあるわ。特にA4型なんて、6気筒エンジンを束にした30気筒エンジンなんていう意味不明なの積んでたし」
「その点、日本戦車は統制型エンジンだからね」
エンジンを整備していた自動車部員が口を挟んだ。戦車隊結成と同時に入部した女子生徒で、同じ一年ではあるが、どことなく大人びた風貌だった。
彼女の言う統制型エンジンとは、日本製の統制型一〇〇式発動機のことだ。戦車用からトラック用に至るまで、共通の部品を組み合わせることで生産性・整備性を向上させるという、極めて合理的な発想の産物である。しかし低い基礎工業力故に、エンジン自体の性能は良いとは言い難い。むしろその存在意義は、戦後の自動車産業の発展に寄与したことかもしれない。
女子部員は額の汗を拭い、エンジンルームのハッチを閉めた。乾いた金属音がして、戦車の心臓が封印される。
「エンジンはこれでよし」
「お疲れさん」
亀子も素直に労をねぎらった。自動車部は農業科と取引しており、農業機械や設備のメンテナンスをする見返りとして、物資を融通してもらっている。しかし自動車用のガソリンは元から部費で賄えているし、戦車の燃料も学校の予算で得られるようになった。そのため取引品目は自然と、食料品が主になってきた。野菜・穀類・果物はもちろんのこと、畜産物やソーセージなどの加工品も手に入り、格納庫の生活はかなり豊かになっている。
そこに居候して恩恵にあずかっている亀子としては、自動車部員にはなるべく礼儀正しく接するよう心がけている。喧嘩っ早い不良少女とはいえ根が義理堅いため、その程度の分別はあるのだ。
「そういやお前、ええと……」
「清水。名前は長子」
手袋を脱ぎ捨て、自動車部員は近くのパイプ椅子に腰掛けた。長めの髪が揺れる。
「清水は高校入る前、戦車いじったことあるのか?」
「ないよ」
清水は自嘲気味に笑った。
「私は機械オタクだから、独学で勉強してた。今は先輩たちや鶴さんからも教わってる。他に楽しみがないんだよ」
その言葉を聞いて、亀子はふと考えた。自分の今までの楽しみは何だったのだろう、と。
嫌いなものは数多くある。嫌いでないものは何かと言えば、大嫌いなものくらいだった。例えば母親。例えば自分の名前。そして、自分が女であること。体を動かすのは好きと言えば好きだが、楽しみなど考えたこともなかった。早く死にたいとさえ思っていた。
だが千鶴一味や自動車部の連中は少しイカれているものの、自分の生き甲斐を見出している。彼女たちは恐らく、『早く死にたい』などと思うことはないのだろう。そして亀子もまた、そう考えることが減っていた。
もしかしたら千鶴と出会ったことで、高校生活どころか、人生まで変わってしまうのかもしれない。心中に期待と不安が入り混じっていた。
「どうかしたのかい?」
清水に声をかけられ、亀子はハッと我に返った。
「別に……偉いな、って思ったんだよ」
「はぁ?」
清水が頭上に疑問符を浮かべ、ウーソン、イェンチンはくすくすと笑い出す。亀子は顔を背けるしかなかった。
丁度そのとき、格納庫のドアが開かれた。中にいた面々は反射的に身構えたが、相手が部品泥棒ではないと分かり拳を下ろした。不良学校は油断ならない。
「メンテには慣れたか?」
入ってきたのは決号戦車隊の総大将だった。先に自車のメンテを済ませてシャワーを浴びていたらしく、ポニーテールを解いている。左右には張本姉妹が、いつも通りの無表情で付き従っていた。
「もうバッチリ! 亀ちゃんて結構綺麗好きなんだよ!」
「余計なこと言うな!」
亀子が「まあな」と答えるより一瞬早く、ウーソンが口を開いた。
「寝床のお布団もちゃんと畳んでるし、靴もちゃんと揃えてるし……」
「張っ倒すぞてめェ!」
赤面しながら怒鳴る亀子に、千鶴も笑みを浮かべる。
「張り倒すのは戦車にしろよ」
その言葉を聞いて、察しの良い亀子は総大将の方を見た。次の対戦相手が決まったのである。その途端に体が熱くなってきた。
「アガニョーク学院高校から試合の申し込みがあった。
「またバナナか? どんな奴らだ? 戦車は? いつやるんだ?」
矢継ぎ早に質問しつつ詰め寄る。ああ、大分染まってきたな、とウーソンは思った。立派に千鶴一味の中に居場所ができているし、副官としての責任感も自覚し始めているかもしれない。
対する千鶴は最初の言葉が気になった。
「何だよ、バナナって?」
「皮が黄色で中身が白いって意味でェ」
侮蔑的な返事に、千鶴は意味を察した。要するに『白人かぶれ』という意味だ。決号のように海外提携先を持たない学園艦では、西洋の影響が強い学校をそのように揶揄する者も多い。これは亀子に限った話ではない。
千鶴も彼女の気持ちは分かるが、同時に海外系の学校について理解もあった。ともあれ今必要なのは、戦車戦に関することだ。
「勝負は四日後。アガニョークはプラウダ高校から指導を受けていて、使う戦車はロシア製のT-26が五両と、T-60四両だ」
四大強豪校の一つ、プラウダ高校の名は亀子も知っていた。イェンチンから座学の時間に習ったのだ。そしてT-26という戦車も覚えがある。基本的にはタンブン高校が使っていた、ビッカース6トン戦車のソ連仕様だ。
一方のT-60は『二人兄弟の棺桶』などと評される貧弱な戦車だが、主砲の20mm機関砲はケト車の装甲程度、十分に貫通できる。逆にケト車の主砲も相手に通用する。問題は戦車乗りの腕と、数だ。
「相手は九両かー」
「さすがに形勢不利ね」
ウーソンとイェンチンが呟く。新人を募集してはいるが、まだ二両だけの戦車隊だ。七両の戦力差は大きい。
数の不利を埋める策を講じなくてはならない。千鶴も頷きつつ、あれこれと考えているようだ。しかし断るという選択肢はない。戦車道チーム再興が彼女たちの役目である以上、名を売らねばならないし、敵に背を向けては不良グループに侮られる。
「戦車運んでる途中で襲うってのはナシか?」
「それやったら試合にならないって」
ツッコミに対し、そうだなと頷く亀子。さすがに本気ではなかった。
「じゃあ、タンブン高の連中呼んだらどうだ? 数は同じになるぜ」
「それはあたしも考えた」
タンカスロンにおいて、増援や乱入は日常茶飯事だ。プリッキーヌーは千鶴と付き合いがあり、前回の試合での恩もある。味方につけるなら手っ取り早い相手だ。しかし千鶴がすでに連絡したところ、そう上手くはいかなかった。
「あいつらも同じ日に、別の場所で試合することに決まってるらしい」
プリッキーヌーにえらく謝られた、と千鶴は苦笑する。タンブン高校も積極的に場数を踏み、強いチームを作ろうとしているようだ。それは良いことだが、決号戦車隊としては自分たちの問題を解決せなばならない。
「タンブンが駄目となると、私たちに加勢してくれる所はなさそうね」
イェンチンが腕を組みつつ、きっぱりと言い切った。付き合いの有無だけでなく、決号は筋金入りの不良学校だ。他校との関係は良いとは言えない。むしろ恨みを買っている相手の方が多いだろう。
援軍は期待できそうにない。誰もがそう思ったとき、清水がつかつかと進み出た。
「仲のいい学校じゃなくても、助けてくれるところはあると思うよ」
全員の視線が彼女に集中する。単なる思いつきで言ったのではない、と亀子は察した。
「心当たりがあるのか?」
「そのアガニョーク学院高校といがみ合ってる学校がある。敵の敵は味方、ってやつさ」
にやりと笑う清水。彼女の情報が価値あるものだと、千鶴も感じた。長髪を手で梳きながら、女整備士は話を続ける。
「まずはメフテル女学院。中学のときの同級生がそこへ行ったんだけど、どうも昔からアガニョーク、プラウダとは仲悪いんだって」
「タンカスロンはやってるんだろうな?」
「もちろん。ルノーの35型を使ってるってさ。シャーマンとかも持ってるらしいけど」
ルノーR35はフランス製の歩兵支援戦車で、数カ国に輸出もされている。重量は9.8tなので、辛うじてタンカスロンに出場可能だ。千鶴は少し考えた後、口元に微笑を浮かべた。
「まずは、って言ったな? 他にも知ってるのか?」
「うん、継続高校とか、旧六灯高校とか……でも動いてくれそうなのはメフテルと、UPA農業高校くらいだね」
清水が詳しく説明したことによると、メフテル女学院へ行った同級生というのがなかなかの情報通らしい。曰く、UPA農業高校は昨年度、アガニョークの要請でタンカスロンに加勢したが、戦闘中に裏切られ、部隊全滅の憂き目に遭ったそうだ。タンカスロンにおいて裏切りは時折発生する。即席の同盟などでは友情が破綻することもよくあるだろう。しかしそれが遺恨を残すのは自然なことだ。
「お嬢、私もその話知ってるわ」
イェンチンが口を挟んだ。彼女もまた他校の事情や、高校戦車道の情勢について普段からよく調べている。千鶴一味の参謀格だ。
「アガニョークではその試合の後、隊長が解任されたらしいの。自分の部下からも相当反感買ってたみたい」
「で、今でもその試合の遺恨が残ってるのか?」
「U農の方は後二年で廃校になるらしいわ。戦車道の方は今年から廃止されちゃったから、学校同士の交流がなくなったらしいの」
UPA農業高校はウクライナと提携した学校だ。相手国が不安定な情勢下にあり、協力関係の維持が困難になったのが廃校の理由だという。戦車道の廃止は経費削減のためらしいが、隊員がアガニョークと問題を起こすことを危惧したのかもしれない。復仇も関係修復も、なし崩し的に断念させられたということだ。
「学校が戦車道辞めちゃったなら、試合は無理じゃない?」
愛用のヌンチャクを小さく振りながら、ウーソンが言った。確かに学校の支援と許可がなくては、戦車を動かせない可能性も高い。しかし彼女の言葉に、亀子が真っ先に答えた。
「うちの戦車を貸してやりゃいいだろ。向こうが嫌だって言えばしょうがねェけど、仇打ちさせてやるんだからよ」
「……なるほど」
ウーソンが格納庫内をぐるりと見回す。二式軽戦車ケトの他にも、九八式軽戦車ケニ、四式軽戦車ケヌなどの車両が安置されている。タンカスロンで使用可能な車両だ。相手は復仇の機会を得られるのだから、そのような条件でも加勢してくれるかもしれない。
「よし、それで行こう」
鶴の一声だ。一弾流は少数対多数の戦法も研究しているが、味方の数は多い方が良い。
まずは交渉を成功させるのが、最重要課題だった。
……港を出港した学園艦が、沖へ向かい航走する。旧ソ連の空母『ヴァリャーグ』の設計を踏襲した、スキージャンプ甲板の艦だ。その傾斜を利用して団地型の耕作地が作られており、潮風をさけるため温室での作物栽培が行われている。
温室で作業する生徒たちも校内放送に耳を傾け、学園艦の行き先を確認していた。最適な天候の海域を目指すため、農業学校の艦は頻繁に航路が変わるのだ。
その片隅で、作業着姿の女子生徒が水槽を覗いていた。幅は三メートルほどの四角い水槽で、中には数匹の鯉が泳いでいた。大口を開け、水面に撒かれた餌を夢中で食べている。
あどけない顔立ちの少女は日焼けした顔を上げ、額の汗を拭う。まだ一年生のようで、作業着も真新しい。彼女は水槽の隣にある、小さな栽培ベッドへ目を向けた。水耕栽培用の設備で、葉菜の苗が植わっている。鯉の水槽とパイプで連結され、ポンプが静かな音を立てて双方の水を循環させていた。
「北森さーん!」
明るい声で呼びかけられ、北森あかりは振り向いた。眼鏡をかけた少女が手を振りながら、明るい笑顔で駆けてきた。着ているブレザーはこのUPA農業高校の制服ではない。首からカメラを提げ、好奇心旺盛に目を輝かせている。
「何さ、また来たの?」
「そんな言い方ないでしょ。再来年は同じ学校になるんだから」
その言葉に、北森はふと表情が暗くなった。この学校が後二年で廃校になること、そして他の学校と統合されることを、彼女はすでに知っている。この眼鏡の少女もまた、同じ境遇の学校の生徒だ。笑顔を浮かべていても、その裏には悲しみが見え隠れしている。
「私だって、トラップ女子校がなくなるのは辛いけど……今のうちから、お互いのことを知っておかなきゃ」
「……偉いよ、アンタ」
微笑を浮かべつつ、地面に胡座をかいて座る北森。眼鏡の少女は目の前の水槽と、それに繋がった栽培ベッドに目を向けた。青々としたレタスが成長しており、収穫はまだ遠いまでも、健康に育っている。水槽の方は黒い鯉がゆっくりと泳いでいた。
「これ、何?」
「アクアポニックス。養殖と栽培を一度にできる仕組みさ」
北森は得意げに語った。
「魚の糞は全部植物の肥やしになるから、水は綺麗なまま。それに野菜もよく育つんだよ」
「へぇ! 水換えもいらないの?」
「魚に餌をやって、減った水を継ぎ足してやるだけでいいんだ。あと、光の量と温度に気をつければな」
生態系の縮図とも言える、循環型農業の一つだ。土を使わない水耕栽培なので、手間やコスト面でのメリットも大きい。さらに水の浪費も抑えられるため、水不足に悩む国々で普及が進められている。日本ではあまり広まっていないが、学園艦に向いているのではないかと北森は考えていた。
眼鏡の少女は熱心に写真を撮りながら、鯉や野菜の様子をつぶさに観察する。
「これ、統合された後も続けようよ。うちも鯉料理が人気だし、お互い学校の伝統を守るのに使えるわ」
「……そうだね。あたしも本当はもっと、でっかくやりたいから」
アクアポニックスは未来の農業の、一つの形と言える。しかしそれに強い興味を持つ北森の望みは、この学校では叶えられない。すでに廃校が決定している以上、校内に大規模な設備を作る案など、通るわけがないのだ。ましてや、彼女はまだ一年生である。だが試験的に行って良い結果が出れば、統合後の新たな学校に、それを引き継げるかもしれない。
「あー、船橋……アンタにも一個作ってやろうか?」
少し照れくさそうに、北森は口を開く。
「家に置けるくらいの、ちっちゃいやつ。魚はメダカとか金魚とか使って……」
「えっ、作れるの?」
「これだって、あたしが作ったんだ」
目の前の作品を指差し、またもや照れくさそうに頬を掻く。無論、彼女一人の力ではない。理解を示してくれた先輩が、何かと協力してくれたのだ。
「
「へーちまん?」
「うん、あたしの尊敬してる先輩。コサックの大将だった人」
切なそうな溜息が、口から漏れた。北森は元々農業が好きだったが、この学校を選んだ理由はその先輩への憧れだった。そのことを思い出すたび、自分の生まれた年を呪っていた。一、二年早く生まれていれば、あの人と共に戦えたのに、と。
「あたしも、あの人と一緒に戦いたかったなぁ……『コサックの戦車隊』で」
久々にこちらも更新しました、お読みいただきありがとうございます。
最近リボンの武者は火攻めだの何だのと、「やりすぎだ!」という要素が増えてきましたが、私としては大歓迎です。
そもそも鶴姫しずかは最初からダークヒーロー臭がしてたし、もっとやれもっとやれ、って感じ。
拙作は拙作で、原作ともリボンの武者ともまた違った戦いを書いていけたら、と思います。
もちろん、本編の方も頑張ります。