王都『ビショップ』、そこはウェイランド王国の中心都市であり、王国軍の総本部がある軍事都市でもある。
その都市の、とある軍事施設の敷地にある軍人寮の一室の扉前に、一人の青年がやってきていた。
年齢は二十歳前後であろうか? 男性として身長はやや低く、百七十センチに僅かに届かないぐらい。黒髪黒眼で肌色は、この国では珍しい黄色であった。
白色の非武装中の兵士の制服を着ていることから、この基地に所属している軍人のようである。
その部屋は“寮”と呼ぶにはあまりに広い個室で、あまり物は置かれていない。パッと見て目に映るのは、机と小さめのテーブルとベッド、そして壁に掛けられた剣のみの質素なものである。
そのベッドには一人の女性が眠っていた。太陽は大分昇ってきているのだが、女性は一片も起きる気配は無く、おかしな姿勢で惰眠をむさぼっていた。
その部屋に、訪問した青年の声が、扉の向こうから届いてきた。
「シバ、仕事です! 起きてください!」
あまり力のない棒読みのような口調で、青年は部屋の向こうに対して声をかける。その後で何故か小声で時間の秒数を数え始めた。
「……五、六、七、八……」
十まで数え終わると、青年は懐から鍵を取り出し、迷わず扉の錠に差込み、開錠して部屋に入り込んだ。
「はいはい! 起きた起きた!」
「ふぎゃあ!」
仮にも女性の部屋であるというのに、青年は何の躊躇も無く室内に入り込み、眠っている女性を覆っていた布団を剥ぎ取った。
先程の呼びかけには何の反応も示さなかった女性も、さすがにこれには驚き、刎ねるようにして起き上がる。
「何よ、トサ〜? まだ九時じゃないのよ〜」
「“まだ”も何も無い! 普通ならとっくに起きている時間だ!」
女性の年代は外見から見るに青年とほぼ同じ、いや僅かに上かもしれない。身長は青年とほぼ同じで、女性として長身の域に入るだろう。彼女もまた青年と同じで、黒髪黒眼で黄色系の肌をしている。
よく見なくても青年とよく似た外見であるが、この二人は血縁などではなかった。この国とは別の土地で生まれ育った、同じ人種の外国人兵士である。
「さっきも言ったけど、どうせ聞いていないだろうから、もう一度言うぞ。今日は訓練じゃなくて仕事だ。さっき上層から緊急の指令が入った。すぐ司令室に全員集合、これで判ったな?」
女性は「は〜〜い」とわざとらしいぐらい気の無い返事をする。そして床に無造作に置かれていた服を拾い上げ、その場で着替え始めた。
この時ばかりは青年も、女性に背を向けて視線を逸らす。
女性――シバは、すぐ傍で背中を見せている青年――トサに眠気がまだ覚めない目を向けて、口を開く。
「仕事なんてどうせあれでしょ? またエルダー王国関係でしょう? あんなもん馬鹿女王の自業自得だっての。巻き添えになった兵士達にはいい迷惑だわ」
「いや、どうも違うみたいです」
「違う?」
「ああ。何でもオーリガの方で何かトラブルがあったそうで」
「オーリガて、何だっけ?」
トサは呆れ顔で、深く息を吐いた。
「魔道研究所の名前だよ。このくらい覚えておいてくださいよ……」
「ああそんなのもあったな。今思い出した。まあどうせあたしらに任せられる仕事なんて何も無いよ。気軽に行こうよ、気軽にな」
「未も蓋もない……」
このあと着替え終わったシバは、朝食を取る為にトサと共に寮近くの食堂に立ち寄り、召集された者の中では一番に遅れて司令室に到着した。
ウェイランド王国特務部隊『ウルフ隊』の司令室。広さだけは無駄にあり、正面にはウェイランド王国の大きな地図が派手に貼り付けられている豪勢な部屋である。
部屋の中にはシバ・トサを含めた総勢二十人の隊員たちが整列していた。そして彼らの目線の先、正面の地図の真ん前に、今回の任務の概要を伝えるウェイランドの将校が立っている。
「今から七十分前にオーリガから緊急の救援要請が来た。“正体不明の魔物が襲ってきた”、ということ意外に詳しい概要は不明。通信の途中に、その魔物と思われる謎の生物が出現し、通信して来た所員を襲い通信が途絶えた。事態は急を要すると判断し、直ちに事態の究明・生物の駆除・生存者の救出のためにウルフ部隊の派遣が急遽決定した」
将校はその生物の特徴及び、任務の詳しい進行法を淡々と説明していった。
説明が終了し、ウルフ隊は意気揚々と飛行場へと足を進めていく。
この隊は新米のシバ・トサを除けば、数々の戦績を残してきた屈強の戦士達である。強大・凶暴な魔物で知られるバジリスクを、正面からぶつかって見事生け捕りにしてみせ、あげく軍事利用できるように調教して見せたこともあった。
そのため相手は未知の生物であっても皆余裕の表情であった。一方のシバは、余裕というよりただやる気の無い顔で足を進めていた。ただ一人トサだけが、怪訝な顔を浮かべていた。
「シバ……。話しの魔物って何だと思う?」
「ああ? どっかで捕まえてきた実験動物とやらが逃げ出しただけだろ? 今まであいつらがしてきたことを考えれば、襲われて当然よ。いい気味だぜ」
「でも……、だとすると所内の研究員が“正体不明”というのはおかしくないか?」
「さあな。変身でもするタイプだったんじゃないの?」
納得がいかない様子のトサに、シバは冗談めかして再度言葉を返した。
「案外、異界の奴だったりして」
「さすがにそれはないでしょう。あんな御伽噺」
二人はここで話しを止め、飛行場へと向かっていった。
隊員達は基地内にある広間に到着した。運動場のように広く、整備がなされたその場所に、とてつもなく巨大な生物が七頭、ウルフ隊を待ち構えていた。
それは竜だった。全身が白い鱗で覆われており、前足は巨大な翼になっていて蝙蝠の様な形で翼をたたみ、拳を地面につけて立っている。そして口元から手綱、背中から首元にかけては騎乗用の鞍が取り付けられていた。
この生物の名は氷絶飛竜《アイスワイバーン》。ウェイランド領内に最も多く生息する竜族で、この国の航空産業に最も多く利用されている生物である。
最も頭数自体がそれほど多くないため、ウェイランド王国の航空力は、ジャイアントダックを大量に飼いならしている南のエルダーと比べると、とてつもなく低かった。
隊員達の姿を確認したアイスワイバーン達は、自ら彼らに寄り、首を地面につけ、腰を曲げ、前方から背中の鞍を隊員に見せ付ける。
隊員はアイスワイバーンの頭と首を、階段を上がるように歩き、難なく背中に乗り込んだ。
尚この時隊員達は皆、全身を板金で包んだ銀色の甲冑を着ていた。
顔全体を覆う鉄兜は、形が鳥の顔のように前方に伸びており、後頭部を覆う部分からは二本の角が短く生えていた。眼を覗かせるための穴の部分は鋭いひし形になっており、睨みを利かせた肉食獣の目のようにも見える。この国の力の象徴にもなっているアイスワイバーンの顔を象ったものだ。
そして胴の胸部分には、翼を広げたアイスワイバーンの姿が描かれた王国紋章が付いていた。
この甲冑はただ外見にこだわっただけの物ではない。魔法による特殊な加工法によって鋳造されており、耐久性が非常に高い。そして何よりも板金の厚さに比べて、甲冑全体がとてつもなく軽いのだ。数ある防具類の中でも最高級の品物である。
隊員達は次々とアイスワイバーンに乗り込んだ。一頭につき三人ずつ、トサとシバは人数上の関係により二人で乗り込んだ。甲冑のため顔による判別が付かないが、前側に乗り込んでいるのがシバである。
本来ならば一人一騎ずつ乗り込むものなのだが、つい最近、ある事情が元でアイスワイバーンの数が急に不足したため、この仕様になった。
全員が乗り込んだのを確認すると、ウルフ隊の隊長シェパードは、掌を天に掲げ号令をかけた。
「ウルフ隊、出撃!」
その瞬間隊員たちはアイスワイバーンの首元を軽めに蹴る。すると彼らを乗せたアイスワイバーン達は、急に翼を広げ、首を上げて羽ばたきを始めた。
翼からは風と共に魔力を纏った浮力が発生し、アイスワイバーンの重量を軽減させる。やがてその太い足を使って、一気に地面を蹴ると、七頭のアイスワイバーン達は一斉に空へと舞い上がり、目的地のオーリガ研究所へと飛び立っていった。
出発しておおよそ二時間。ウルフ隊を乗せた七頭のアイスワイバーンは、オーリガ研究所が肉眼で確認できる距離にまで到着した。
研究所は黄色半透明の巨大な結界で覆われているため、その姿は遠方からでもよく見える。
その研究所、ようするにその巨大な結界に近づいてくると、拡声の魔法で増幅されたシェパード隊長の声が辺りに響いた。
「あの場所に着陸するぞ! 間違ってもあの結界の壁に近づこうとするな! 触れた瞬間、丸焦げになって死ぬぞ!」
シェパードは研究所から少し離れたところにある、岩場が少ない開けた場所に剣を向けて指示を出した。その場所は、草木等の存在は見えず、雪で真っ白に染まっている。
指示後、シェパードの乗るアイスワイバーンはそこに向かって下降していった。残りの者達も、後に続いてそこに向かっていく。
七頭は指示されたその場所に無事着陸した。アイスワイバーンはその巨体に似合わず、羽毛でも落ちたかのようにスタリと着陸してみせる。
隊員達はゾロゾロと降りて、雪の積もった地面を踏みつけながら、さっさと研究所に向かって歩いていった。残されたアイスワイバーン達は彼らを見送りながら、その場で待機の姿勢をとる。
やがて隊員達の前に、分厚い魔力の壁が立ちはだかった。
彼らはそこで立ち止まったが、ただ一人シェパードだけが、結界のギリギリの距離まで歩み寄る。
彼は懐から何かを取り出した。それは青い水晶玉だった。シェパードは無言でそれを結界に投げつけた。
バシュッ!
鶏の卵ぐらいの大きさの水晶玉が、その結界に衝突した瞬間、写真機の起動音ような音が鳴り、水晶玉は雪のような光の粒子となって砕け散った。
同時にその衝突した部分を中心に、結界の一部分が青く発光し始めた。その光はとても強く、傍観していた隊員たちは即座に眼を瞑る。
光はすぐに治まり、再び目線を向けると、何とそこに大きな穴が出来ていた。一線四メートルほどの大きさの正方形の穴が、結界のその部位にポッカリと開いているのだ。
「おおおっ! よく判らんが何か凄いな!」
何故かシバが、この一連の現象に感嘆の声を上げる。トサの方は少し動揺したものの、傍らで急に大声を上げたシバの声のほうへの驚きの方が大きかった。
他の隊員達はこれといった反応はなく、穴に向けて再び歩き始める。
最後尾にいたシバ・トサがこの穴を通り抜けたとき、先頭にいたシェパードが二人に命令を下した。
「シバ! トサ! お前達はここに残れ。万が一標的がここから逃げ出さないように、この通路を警護するんだ!」
「へ〜〜〜〜い」
最初から予想していたのか、シバはこの命令に相変わらず気の抜けた声で頷いた。
残る十八人の隊員は、結界の向こうのすぐ近くにある城壁の門に立った。門は既に開け放たれており、どういうわけか扉の一部が破壊されている。
シェパードは後ろにいる隊員達に顔を向けると、皆無言で頷く。そして全員、その空けられた城門を潜り抜けていった。
その場で残された二人は、一度顔を見合わせると、結界の穴の部分に対面している城壁の部分に向けて歩き出した。
二人は壁に寄りかかり、並んで座り込む。顔の先には例の四角い穴が、真正面からよく見える。
「冷えるな……」
「うん……」
シバは腰にある剣を引き抜いた。
ウェイランドの主流武器は、両刃式の細身の剣のエストックである。だがシバとトサが帯剣している得物は、それとは全く異なるものであった。
それは片刃式の細身の剣で、刀身がやや峰の側に反り返っている。鍔は楕円に近い形で、柄と刀身の間を挟んでいた。柄の握りの部分には帯状の紐が巻きつけられている。鞘は黒く塗られていて、中心に花柄のような紋章が貼り付けられていた。この国では何とも珍しい形の刀剣である。
「……灯火」
シバが一言そう呟くと、剣先が赤く発光し、やがてそこに小さな火の玉が発生した。
とてつもなく寒い高山のその場所が、少しだけ暖かくなった。
二人はこの国の人間ではない。南方のエルダー王国の出身である。
エルダーとは国境を山脈で塞がれており、両国の行き来はとてつもなく少ない。だが全くない訳ではない。
この二人は、かつて若き冒険心に駆られ、その山脈を登って国境を突破したのだ。国境には警備はおらず、国境越えを罰する法は存在しない。そもそもあの険しい山脈を超えられるような強者は、そう多くはいないのだが。
なおつい最近このウェイランド王国は、そのエルダー王国に侵略戦争を起こし、そして敗戦している。
そのためかエルダー出身の二人の、最近の扱いは少々きつくなっている。
「あいつら生きて帰ってくるかな?」
「何でです?」
不意に口にしたシバの言葉に、トサが首を傾ける。
「なんていうか、予感ってやつ? 逃げる準備をしたほうがいいかも」
シバは目の前の砦のような建築物を見上げながら、ぼんやりと呟いた。