研究所内部に入った隊員たちが、最初に感じ取ったのは熱気だった。
入口前、上がり階段がある二階分の高さのある広間の中、そこには人の気配は全く無かった。そしてその空間は、外の雪景色の場所とは違い、暖房が利いていてかなり暖かくなっている。
いや暖かいというより、むしろ暑すぎるぐらいである。全身に甲冑を纏った隊員達には、なかなか堪えるものであった。
広間の奥には左右に二つの通路が存在していた。
シェパードが部下達に二言指示を出すと、隊は二手に分かれてそれぞれの通路に入っていく。
右側の通路に入ったハスキー副隊長率いる八人の隊員達は、廊下の横にある部屋を一つずつ丹念に覗きながら前進していった。
部屋の中には大量の資料や、訳の判らない機材が大量に置いているばかりで、特に際立って目を引く物は無かった。
やがて彼らは正面の曲がり角に“病室”の表札が掛けられた扉に辿り着く。
不思議なことにこの扉は、下の廊下に接する一部分が壊されていた。隊員は首をかしげながらも、今までどおりに内部を確認しようと安易に扉を開く。
「なっ、なあ〜〜!?」
真っ先に中を覗き込んだ隊員が、一瞬固まったかと思うと、唐突に素っ頓狂な声を上げた。
「どうした!?」
「ハッ、ハスキー! これを!」
隊員が促すと、他の隊員達も次々と部屋に入っていく。
彼らは内部の惨状に唖然とした。
その病室には左右横に大量の患者用のベッドが並べられており、そこに患者が十人ほど寝かされていた。そしてその患者達は、全員同じ傷口を持って死亡していたのだ。
彼らの腹にはポッカリと穴が開いている。銃傷と見るにはあまりに大きい。しかも肋骨が外側に向けてへし折れて、その白い姿を覗かせている。
回りには飛び散ったと思われる血や肉片が散乱していた。まるで内側から何かが飛び出したかのようだ。
隊員達は動揺しながらも遺体の状況を、一つ一つ丁寧に調べ上げていく。
「安静中に例の魔物に襲われたのでしょうか?」
「まあ……、そう考えるのが妥当だろうな。それにしては妙な傷口だが……」
不意にハスキーは妙な気配を感じた。気配というより視線であった。隊の者ではない何者かが自分達を監視している!
「何者だ!」
ハスキーは瞬時に剣を抜き、たった今自分達が通ってきた扉に向けて声を上げる。
扉の横で、顔を一部だけを出して覗いていた人物(?)はこれに驚き、廊下の方へと走り出した。
「待て、貴様! なあ!?」
部屋を出たハスキーは、その逃亡者の姿を見て絶句した。
それは報告にあった魔物ではなかった。とはいっても人間とも到底思えぬものでもあった。
遠くからの、しかも背後から見えているだけなので、背格好は明確ではなかったが、体型や動きは人間と全く同じである。ただ一つ違うのは、その者の姿が薄く“透けている”ことであった。
「俺に任せろ!」
一人の隊員がいきなりハスキーの前へと踏み込んだ。すると彼を中心にして竜巻のような風が発生した。風に煽られた彼の身体が、風船のように数十センチ程浮き上がる。
「風速!」
声を上げると、彼はとてつもない速さで、逃亡者に向かってホバー走行をしていった。
隊員と謎の逃亡者の鬼ごっこが始まった。
隊員は逃亡者との距離をぐんぐん詰めていく、逃亡者の足の速さはかなりのものであったが、隊員の魔法による移動速度の方が遥かに勝っていた。
逃亡者は先程ウルフ隊が入ってきた入口前の広間に辿り着いた所で捕まった。背後から頭を掴まれて、そのまま近くの壁に叩きつけられる。その衝撃で、逃亡者はそのまま倒れこんだ。
「何なんだ、お前は?」
魔法を解き、逃亡者の前に立った隊員は、逃亡者の姿をまじまじと見詰めた。
逃亡者は十歳ぐらいの少年だった。身長は百四十程、黒髪黒眼で黄色の肌をしている。自分のよく知る新米の異国人の同僚とよく似た容貌であった。
衣服は珍しい作りで、袖通しのある長い青色の布を身体にスッポリと被り、腰の辺りに長布を巻きつけて身体に固定させる形式であった(この形式の服を俗に“浴衣”という)。靴は藁を編んで作られたと思われる、サンダルのようなタイプのものである
これだけならば、ウェイランドとはどこか違った文化を持っているのであろう外国の子供ということで納得がいく。
納得できないのは、やはり彼の身体が透けていることであろう。全身が衣類も含めて、やや半透明になっており、彼の身体から向こうの風景が薄っすらと見える。
ここは各地からおかしな物がいくつも取り寄せられてくる魔道研究所。
頭が冷えてきた隊員は彼の正体に何となく予想がついてきたが、念のためにもう一度質問する。
「お前は何だ? 乱暴はしないから正直に答えろ」
「……!?」
何故か少年は隊員のほうを見ていなかった。彼は眼を大きく見開いて、隊員の後ろにある上がり階段を凝視していた。
「何だ……、が!?」
突如の出来事であった。「ドシュッ!」という嫌な音と共に、隊員は自分の腹に巨大な刃先が生えたのを目撃した。いや、巨大な刃が彼の身体を背後から貫いたのだ。
「があっ?」
貫かれた痛みをようやく感じ取ったかと思うと、今度は隊員の体が宙に浮き上がる。何が起こったのか判らず、隊員は先程少年が見詰めていた方向に首を向けた。
そこにいたのは間違いなく報告にあった例の魔物であった。
魔物は階段の手すりに乗りかかっており、ちょうど対峙していた隊員と少年を見下げる位置にいた。
そして魔物のとてつもなく長い尾は下に伸びて、隊員の背中に繋がっている。魔物はこの距離から隊員の身体を背後から貫いたのだ。
魔物は尾を引き上げた。身長百九十センチで、甲冑を身に纏った大柄な男の身体が、釣り上げられた魚のように、軽々と持ち上げられる。
魔物と隊員は正面から顔を突き合わせる形で、僅か距離数センチの所まで近づく。隊員の視覚に眼のない魔物の異形の顔が、最大限に拡大されて映し出された。
(なめんなよ! このくそ醜い化け物め!)
隊員は瀕死に近い状態にありながらも、最後の抵抗を試みようと、腰に差された剣に手をかける。
「ピギィ!」
その瞬間、魔物は唸り声を上げて、口を大きく開いた。隊員が最後に見たものは、魔物の口の中から“もう一つの口”が飛び出して、自らに接近する瞬間だった。
グチャ!
広間の中、先程とは違った音響の気持ちの悪い音が、再び鳴る。少年の眼前に、白と赤の入り混じった液体が飛び散り、少年は思わず目を背けた。
魔物の口内から、先端に四つの牙がついた口のような顎がついた奇怪な舌(?)が現れた。そしてそれは隊員の眉間目掛けて、勢いよく伸びる。
隊員の顔を覆っていた鉄兜は紙のようにたやすくぶち抜かれ、頭蓋を通りぬけ、後頭部にまで飛び出した。舌(?)はすぐに引き戻され、隊員の頭からは血と脳汁が両面から噴き出す。
「バーナード!」
「貴様! やりやがったな!」
後から追ってきた隊員たちが、まさにこの瞬間に到着していた。そして眼前の光景に怒りの声を上げる。
魔物は一鳴きすると、尾を一振りした。その勢いで貫かれていた隊員の身体が尾先から引き抜かれ、地面に投げ出される。隊員の体は勢いに流れて少し地面を滑り、壁に激突して静止した。
「くたばれ!」
激昂した隊員達は一斉に魔道剣を引き抜き、切っ先を目上の魔物に向けた。
剣身は魔力によって白く発光しており、剣が魔物に狙いを向けたと同時に、強力な冷気の矢が生まれ、直線状に魔物目掛けて飛ぶ。
七本の魔法攻撃が直撃する前に、魔物は前方に向けて飛び跳ねた。その跳躍力は凄まじく、一蹴りで広間の向こう側の壁の近くに着地する。
的を外した魔法は階段の手すり、もしくは階段の上の天井に激突して大量の冷気を噴霧させた。
「おのれえ!」
隊員達はすかさず剣を構えなおし、飛び降りた魔物に再び魔法を撃つ。だがこれもかわされた。
魔物は跳躍力だけでなく、走行速度・敏捷性もとてつもなく高かった。広間の中を駆け巡りながら、次々と撃ち出される氷の魔法を難なくかわしていく。
魔法は壁に激突して砕け散り、やがて広間全体が白い気体に覆われた。
「馬鹿が! 考えなしに撃ちやがって!」
「申し訳ありません!」
広間といえ、ここは閉鎖された空間である。隊員達が放った魔法の冷気が、そこかしこに散乱し、視界を大きく曇らせる。
「視覚に頼るな! 気配を追え!」
ハスキーの指示を受けた隊員達は、精神を集中して魔物の存在を感じ取ろうとする。
厳しい訓練を受け、魔力で感覚を強化する能力得た彼らは、目ではなく気配で相手の動きを読み取る能力に長けていた。
それにあの手の魔道生物は、体内から無駄に強い魔力を発散させている。魔法にも長けた彼らならば、少し意識を傾ければ居所などすぐに判る。
ビシッ!
だが何故かそれは叶わなかった。突然聞こえた地味な音と共に、一人の隊員が空中に投げ出された。
「馬鹿な!?」
ハスキーは慌てて音のした方向に目を向ける。
そこには冷気の中、鞭のように動く長い物体の影が、隊員の影とおぼしき物を打ち据える姿が目に入った。これだけ近くまで来ていたのに、誰も魔物の動きを感知できなかったのだ。
バシィッ!
また一人の隊員が宙を舞った。そしてその鞭を動かすものの影が、ハスキー目掛けて足音一つ立てずに突進してきた。
ハスキーは即座に迎撃の構えをとる。だが魔物の影がハスキーへと到達する前に、突如動きが止まった。
「……!?」
魔物の影は呻き声を上げながら、その場で立ち往生している。次第に冷気は晴れてゆき、眼前の光景が鮮明に映し出された。
「ピギャギャァアアアアアア!」
「くそ! 動くな、化け物!」
魔物は両手と胴を、二本の鎖で縛り上げられていた。左右から二人の隊員が魔物に向けて、魔法の捕縛鎖=マジックチェーンを伸ばし、魔物を見事捕獲しているのが判った。
「ハスキー! 早くとどめを!」
魔物は蛇のように身体をくねらせながら、拘束から逃れようとする。その力は凄まじく、取り押さえている二人の屈強の戦士達は、渾身の力を込めて押さえているにも関わらず、今にも引っ張り倒されそうだ。
ハスキーは剣の魔力を最大限に高めた。剣に纏っている白い光が急激に高まる。
「はあっ!」
全身全霊を込めて、必殺の刺突を魔物に与えた。細身の長剣は魔物の胸を突き刺し、剣先が背中から飛び出して、見事に魔物の身体を串刺しにしてみせる。
剣と一体化した魔物の傷口からは、黄緑色の異彩な体液が流れ落ちてきた。剣が引き抜かれると、それが更に大量に流れ落ちる。
勝利を確信したハスキーは、その時奇怪な現象を目の当たりにした。
「何だ!?」
魔物の身体から流れ落ちた、絵の具のような色合いの体液が、傷口より下にあった魔物を縛り付けているマジックチェーンに触れた。
その瞬間、「ジュワ!」という音と共に、冷気とは異なる白い煙が発生したのだ。
よく見ると体液に触れた部位が、見る見る黒く変色している。
いや違う。腐食している!
バキィイイイイイイン!
それに気付いたときにはもう遅かった。強度が低下したマジックチェーンは、魔物の怪力によって見事に引き千切られた。
縛り上げていた隊員達は、一挙にバランスを崩し倒れこむ。そして魔物は一気に目の前にいるハスキーに飛び掛り、押し倒した。
(しまった!)
眼前に迫った魔物の口から、例の奇怪な舌が出現し、ハスキーに顔面目掛けて伸びてくる。
ハスキーは魔物の両腕に掴みかけられる激痛を感じながらも、首を曲げて何とかその攻撃を回避した。自分の頭のすぐ脇の床石に、ポッカリと小さな穴が開いた。
「この野郎が!」
四人の隊員が、ハスキーを取り押さえている魔物に飛び掛った。
彼らは魔物の背中から生えている突起物を掴み、ハスキーから引き離そうと魔物の身体を引っ張り上げる。
四対一の力比べが続く中、魔物の傷口からは、あの酸のような危険な体液が流れ落ちてくる。
体液は、下にいるハスキーの身体にどんどん付着していった。そして表面を覆う甲冑の板金が見る見る溶けていく。
「「うおりゃああ!」」
ついに魔物は引き剥がされ、隊員達によって数メートル先まで投げ飛ばされた。
「早く鎧を!」
言われるまでもなくハスキーは、魔物の体液が着いてしまった甲冑の胸当てを、大急ぎで剥ぎ取り、投げ捨てた。
近くの石床に落ちた胸当てが「ジュワアアアア〜」とステーキを焼いているかのような音を立てて溶解していく。
あまりに奇怪な体液だ。もし氷の魔力を纏っていなければ、突き刺した剣も、見る影もなく溶けてしまっただろう。
隊員達は目の前にいる。負傷して弱りきった魔物目掛けて、一斉に魔法を撃った。
「ギャァアアアアァァァァッ!」
四本の凍てつく烈風に、魔物は甲高い断末魔を上げながら、実にあっけなく凍りつく。
串刺しになっても絶命しなかった魔物も、ここまでやられば再び動き出すことは二度とあるまい。
「あの二人の救護を!」
魔物の撃退を確認したハスキーは、先程魔物の尾に打ち付けられた二人の隊員の救護を命じた。彼らは倒れ付した二人に即座に駆け寄る。
その瞬間、彼らはこの広間に、いつの間にかいくつもの殺気が現れていることに気がついた。
(まさか……!)
慌てて回りを見渡す。すると前方の広間の左右の角、通路に繋がる辺り、左側に一匹、右側に二匹。手前にある階段の手すり、先程魔物がいた場所と全く同じ場所に一匹。そして後方にある研究所の入口前に一匹。計四匹が隊員達を包囲していた。
これだけの魔物が接近していたにも関わらず、隊員の誰一人として敵の気配に気がつけなかったのだ。
気配を隠すのが上手いというだけではない。何故ならこの魔物たちには、魔道生物なら本来持っているはずの魔力の波動を、一切放っていなかった。
そのため彼らは、魔力で魔物たちの位置を感知することなど出来なかった。
(どういうことだ!? あいつらは魔道生物ではなかったのか!? だったらこいつらはいったい!?)
魔物達は隊員達が構えなおす隙を与えず、一斉に飛び掛った。
ある者は尾で打ち飛ばされた。ある者は魔物の第二の口(舌)に、頭や胸を貫かれた。
「おのれぇええええ!!」
ハスキーは目の前で隊員の叩き飛ばした魔物に、剣を向けて突撃した。だがその剣が魔物に到着する前に、魔物の大振りに振られた尾先が、ハスキーの首筋を通過した。
「…………!」
尾の刃に喉をかき切られたハスキーは、ダラダラと血を垂れ流し、剣を握り締めたまま崩れ落ち、絶命した。
「どこもかしこも酷い有様だな……」
左側の通路に入ったシェパード率いる部隊は、次々と目に入る光景に嘆息した。
ハスキー達が入った通路とは違い、シェパードの向かった先には、いくつもの人間の死体が転がっていた。鈍器にでも殴られたかのように胴体がへし折れた者や、頭に小さな穴が開いているものなど、実に悲惨なものである。
彼らは今や期待できない生存者と、敵である魔物を見つけ出すため、通路を真っ直ぐ前進していた。
途中で幾つもの曲がり角や分かれ道があったが、これ以上の分散はやめたほうがいいと考えて、彼らは前方・後方を厳しく警戒しながら、ひと塊になって進んでいく。
静かな廊下の中に、カツカツと複数人の小さな足音が耳に届く。
一応彼らには目的地があった。シェパードが暗記したこの研究所の見取り図によれば、この先にはこの施設で一番大きい部屋である、中央研究室があるはずである。
やがて彼らはその目的地に到着した。そこに至る道に入る通路は一際広くなっており、奥には今まで見てきた扉とは比べ物にならない大きさの、金属のドアが存在した。
砲弾を受けてもびくともしない、分厚い頑強な扉。だがその扉は現在、堂々と開け放たれている。
「さあ〜て。何があるかな」
シェパード達は好機半分・恐怖半分といった様子で、中に入っていった。