研究所のある場所の広い一室。
そこにはとても長くて大きく、高級そうな質感のテーブルが置かれ、それの回りには、これまた高級そうな黒塗りの椅子が並べられていた。
奥には一段高めになっている床の上に、ウェイランドの国旗が掲げられた演台が置かれている。床には綺麗な絨毯が敷かれており、部屋の大きさから見て、ここはこの研究所の大会議室であるようだ。
その部屋の中に、どこからかズンズン!という何かの足音のような音が聞こえてきた。
音源は部屋の外のようで、音自体はそれほど大きくない。だがその雷鳴のようなかなり鈍重な響きは、この無人の広間の中ではかなり耳につくだろう。
そんな時、部屋の一角の壁が、突如として爆発したかのように破壊された。
砲声のような音と共に、大量の砂埃が舞い、大量の石の欠片が雨のようにあちこちに飛び散る。砂埃が止むと、壁に開けられた大穴から岩のような巨体が現れた。
岩のような巨体は比喩ではなく、本当に岩であった。部屋の中に現れたのは巨大な石像だったのだ。
体長はおおよそ四メートル、肩の高さは二メートル近くある四足歩行で、とてもがっちりした体格である。
首は非常に短くて太く、長めの頭の鼻先からは天を刺すような立派な角が二本前後に並んで生えていた。角は前方の物が長く、後方はとても短くて小さな瘤のように見える。
目は赤く淡く発光していて、何らかの魔道水晶が埋め込まれていることが推察される。
大まかに見て、その外観は動物のサイを象ったもののようだ。
だがあまり精巧な造りではなく、表面はどこにでもあるボコボコした石の質感そのままであった。遠くから見るとただの岩の塊のようにも見える。
その岩の塊は、こともあろうか動いていた。
四本の太い足を普通の動物のように動かして、ズンズンと前進している。歩くたびに絨毯が破かれ、足元の床石に亀裂が入り、浅い穴が出来上がる。
この生物(?)の正体は、擬似的な意思と魔力を宿した魔道石像『ガーゴイル』であった。
ガーゴイルは壁という壁を破壊し、幾つもの廊下を突き抜けて、この研究所を徘徊していたのだった。
広い空間に出たガーゴイルは辺りを見回すと、今この部屋にいるのは自分だけでは無い事に気がついた。
演台の向かいの正面に、この部屋の本来の出入り口であると思われる大きな扉があった。
現在その扉は、張りぼてのようにグシャグシャに破壊されている。そのすぐ前に目の無い顔と、鞭のような尾を持った、あの魔物がいた。
「シーーー!」
目は無いのだが、魔物はガーゴイルに対して睨みつけるような姿勢をとっており、低い唸り声を上げて威嚇する。口元の皮が揺れ、突き刺すような音が立つ。
下唇からは涎のような透明な粘液が垂れ落ちており、ポトポトと床を濡らす。
ガーゴイルは自分に対する明らかな敵意を感じたようで、肩を下げ、前方の角を魔物の方向に突き付けて臨戦態勢をとる。ガーゴイルは鳴き声というものは出さないらしく、その動きも実に静かなものであった。
「ギシャア!」
魔物が威嚇の声を上げると、ガーゴイルが前足で床をけり、魔物に向かって一直線に突撃した。何トンあるかも判らない、その大岩の肉体が、とてつもない速さで魔物に接近してくる。
「ピギャァアアアア!」
咆哮一声、ガーゴイルが間近に迫ったとき、魔物はとてつもない跳躍力で、上方数メートルの高さまでに飛び跳ねた。
突進したガーゴイルの身体は、空中に浮いた魔物の足元を通り抜け、勢いのままに奥にある部屋の出入り口にまで突き進んでいく。
壊されていた扉は、ガーゴイルに踏み潰され、更に粉々に破壊される。
広い廊下の中にまで飛び出したガーゴイルは、両足を突き出し、床にこすり付けて急停止しようとした。
ズザザザザザザザッ!
両足の踵が床石を削り、その摩擦でガーゴイルの突進の勢いは弱まり、ようやく止まった。
ガーゴイルは魔物の方向に向き直ろうと、胴体を曲げて方向転換を始める。ガーゴイルの視線が元の方向に向いた時、あの魔物がすぐ目の前に接近していることに気がついた。
「ピギィイイ!」
ガーゴイルの真横の位置についていた魔物は、長い尾を引き締めて、槍のような先端を猛烈な速度で一気に突き出した。
ガス!と鳴らして、刃のような尾先が、ガーゴイルの太い首に深く喰い込んだ。
完全に致命傷である。通常の生物であれば、首から大量の血が垂れ落ち、気管が繋がらなくなって確実に死ぬ。
「…………」
……だがガーゴイルはそうならなかった。悲鳴を上げないのは当たり前だが、何故か血も流れず、息が切れたりもしない。
当然といえば当然の結果である。石像のガーゴイルの身体に血は流れていないし、元より呼吸もしていない。ただ首部分に小さな亀裂が入り、パラパラと細かい欠片が下に落ちるのみであった。
「ピギャ!?」
これに驚いたのか、魔物は直ちに貫いた尾を引き戻そうとする。だが巨大な岩の中に入り込んでしまった尾先は、どんなに力を入れても全く抜けることがなかった。
ガーゴイルは首を振り、全身をさっきとは逆方向に猛回転させた。
「ギギャアアアア!」
ガーゴイルの円回転によって魔物の尾は引っ張られ、それによって魔物は全身を宙に持ち上げられた。
魔物はガーゴイルの動きに合わせて、ハンマー投げのように豪快に振り回される。その勢いで魔物の尾先は、通水カップのようにスッポリと抜けた。
魔物の身体は大きく投げ出され、広い廊下の壁に叩きつけられた。分厚い壁の表面が削れ、崩れ落ちた壁石の欠片と共に床に倒れ落ちる。
痛手のためか、魔物が床上を魚のようにジタバタともがいている間に、ガーゴイルが角を構えて魔物に向けて再突撃した。
魔物が起き上がったと同時に、突進してきたガーゴイルの角が、魔物の腹を串刺しにした。
グシャリッ!
魔物の背から、ガーゴイルの角の先っぽが、大量の黄緑の血を噴出させながら一気に生えてきた。
魔物の身体はガーゴイルと共に突き抜け、先程魔物に激突した壁に再び追突した。
魔物と一体化したガーゴイルの頭部が、壁に深くめり込む。削れた壁は更に砕け陥没し、魔物の身体は卵のようにグチャグチャに潰れてしまった。
これにより魔物は死んだが、致命傷を負ったのは魔物だけではなかった。
ガーゴイルは壁から頭部を引き抜いたが、何とあの特徴的な角が両方とも無くなっていた。
角だけではない。頭から肩にかけてまで、魔物の体液が大量に付着したガーゴイルの身体は、見る見る溶解し、表面が崩れ落ちていく。
やがてガーゴイルの前半身は、泥人形のように脆く崩れ落ちた。
頭と肩が削げ落ちたガーゴイルは、折れるようにして前足が後半身から落ちて倒れこみ、完全に機能停止した。
研究所のある場所の長い廊下の中。そこには一羽の怪鳥が立っていた。
その怪鳥は鶏だった。しかしただの鶏ではない。背丈は人間の大人ほどの高さがある巨大鶏であったのだ。
全身の羽毛は黒く、鶏冠は赤い。その鶏冠の形状と大きさから、この怪鳥は雄鶏であることが判る。体格は家禽として飼われている鶏のようにでっぷりと太ったものでなく、スラリとした闘鶏のように引き締まった体躯であった。
この怪鳥の特徴は大きさだけではない。横から見るとよく判るが、この怪鳥の最も目立つ部分の一つは足である。岩さえ切り裂けそうな鋭い爪が生えた、その灰色の屈強な足は四本もあったのだ。
鶏に限らず、鳥類の足は総じて二本のはずである。だがこの怪鳥は何故か四本。翼を含めると、この怪鳥は肉体の肢部分が六本あることになってしまう。
もう一つの特徴は尻尾である。“尻尾”とは尾羽のことではない。尾羽はあることはあるが、この怪鳥には尾羽の下の尻部分から、明らかに通常の鳥類には無い、長い尻尾が生えているのだ。
その長さは怪鳥の胴体よりも長く、表面には爬虫類のようなザラザラした鱗が生えている。その鱗の質感を見ると、この尻尾は蛇の胴体に酷似していた。
この怪鳥は『コカトリス』。普段は岩場に住み、時に人間を襲うとも言われている魔道生物である。
コカトリスは四本の足をそれぞれ交互に動かしながら、傍らから見ると滑稽な動きで廊下の中を歩行していた。
現在コカトリスがいる廊下には、十数人の白衣を着た人間が倒れていた。この研究所の研究員達である。
彼らの姿は実に悲惨なものだった。
ある者は背に動物の引っかき傷と思われる、四本の切り傷がついている。ある者は槍に貫かれたかのような、大きな穴が胸や腹に開いていた。ある者は前述のものよりも小さめの穴が、頭部の眉間から後頭部を通る形でポッカリと開いていた。
彼らに共通していることは、皆血みどろで真っ赤に染まり、息をしているものは誰一人としていないということであった。
コカトリスは、背に引っかき傷をつけて、俯けに倒れている研究員に歩み寄った。そして頭を下げ、自身の剣先のように鋭い口ばしを、研究員の後頭部に突っつける。
当然のごとく、研究員は微動だにしない。
「シャァアアアアアアアア!」
コカトリスは頭を上げると、突如喉を鳴らし、奇怪な声を上げた。
外見に見る鶏の鳴き声とは全く違う、蛇のような低い鳴き声が、廊下内のそれほど広くない空間を伝っていく。
するとコカトリスは、先程突っついた研究員の亡骸をボールのように蹴り飛ばした。右側の強靭な二本の足に蹴られた研究員は、高々と宙を舞い、マネキンのように床に転がっていく。
その後もコカトリスは倒れている、研究員の冷たい身体を次々と蹴り飛ばしていった。
その眼には、明らかな怒りの感情が読み取れた。これだけでこのコカトリスが、この研究所の人間にどれだけの恨みを重ねていたか、よく判る。
コカリトスが物言わぬ死体を痛めつけている廊下の空間。その廊下の天井に何とあの魔物がいた。
天井の表面に蝉のようにベッタリと張り付き、石像のように硬直して動かず、気配一つ発していない。
この廊下には電灯は無く薄暗いため、余程周囲を細かく観察しない限りは、ほとんどの者はその魔物の在中に気が付かないだろう。
暴れるコカトリスは、やがて魔物の真下付近に近づいた。途端今まで静止していた魔物が初めて動き出した。
動いたといってもそれは尾の部分だけ。しかもそれは一寸の音も立てず、釣り糸のようにスーと下降していく。前向きに少し反り返った、鎌の形にも見える尾の先端は、やがて下で研究員の死体を足蹴にしているコカトリスの背後に迫った。
尾に力が込められ、今まさにコカトリスの身体が貫かれると思われた瞬間、突如としてコカトリスが瞬間的に動き出した。
「シュァアアアアアアアア!」
四本の足を器用に動かし、全身を独楽のように百八十度回転させ、魔物の尾先に自らの顔の先を衝突させた。
「ギギャ!?」
さっきまで尾以外は微動だにしなかった魔物が、驚きの声を上げて反射的に身体を揺らす。
尾先は何と、コカトリスの強靭な口ばしにガッチリと銜えられていた。
動揺した魔物は尾を振り回し、コカトリスから振りほどこうとする。だがコカトリスの力もかなり強く、首を揺さぶられながらも噛み付いた口ばしを決して離そうとはしない。
振りほどくのは無理と判断したのか魔物は、今度は尾を横にではなく上へと持ち上げた。
凄まじい力を持つ尾は、自身と同程度の体重を持つと思われるコカトリスの身体を、容易く宙に浮き上がらせた。
だがコカトリスは空中にいながらも、重量挙げの選手のように全身の筋肉をキッチリと固め、地上にいたときの体勢を崩そうとしない。
魔物は止めを刺すため、釣り上げたコカトリスを“もう一つの口”がある自らの顔に近づけた。
魔物に接近した途端、今度はコカトリスが動き出した。
吊り下げられた状態のまま、首を下向きに一気に曲げ、鉄棒の大回転のように全身を持ち上げる。
魔物の尾先を支点として、身を逆上がりのように回転させたコカトリスの足が、天井にへばり付いている魔物に一挙に襲い掛かる。
ドガッ!
魔物は、空中から襲い掛かるコカトリスの、四本足による下段回し蹴りを、正面からまともに受けた。
その衝撃が元で、魔物の手足が天井から引き離され、コカトリスもろとも地面に墜落する。
「シャアア!」
「ギギィ!」
床に転がり落ちる二体の生物。先に起き上がったのはコカトリスであった。
起き上がった直後に、何故かコカトリスは大きく息を吸い込んだ。
吸引機のように大量の空気がコカトリスの口の中に吸い込まれ、終わった途端コカトリスの腹が風船のように少し膨らむ。
「ギャギャア!」
魔物が起き上がり、コカトリスに顔を向ける。その瞬間、コカトリスは吸い込んだ息を、魔物目掛けて一斉に吹きかけた。
吹きかけられた風は、ただの吐息ではなかった。コカトリスの口からは息と共に、霧状の黄色いものが大量に吐き出され、瞬く間に魔物の全身を包み込んだのだ。
この霧の正体は『パラライズブレス』、コカトリスの最強の武器である。
強烈な麻痺性の毒ガスで、これを吸い込んでしまった者はあっというまに神経が固められ、全身が石になったかのように硬直して身動き一つ取れなくなる。
勝利を確信したコカトリスは、止めを刺すべく口ばしを尖らせ、毒ガスに包まれている魔物目掛けて突進した。
とてつもない速さで、コカトリスの最先端が魔物に到達しようとした矢先、思いもかけない事態が起こった。
眼前の黄色い霧に包まれた空間から、何とあの魔物の尾が一直線に伸びてきて、コカトリスに襲い掛かったのだ。
「ジャア!?」
尾の力と、コカトリスの突進の勢いが合わさり、尾先は簡単にコカトリスの腹を突き破り、背中を突き抜ける。ものの見事な串刺しであった。
霧が晴れると、そこには先程とはなんら変わることのない魔物の姿があった。身の動きに変調は一切無く、パラライズブレスは全く効いていない事がよく判る。
パラライズブレスを浴びた時、この魔物の口は開いていたはずだ。そうでなくてもこの距離から、あれだけ大量に浴びたのだ。肉体に何らかの影響が出ないはずがない。
この魔物は、コカトリスの毒に免疫があったというのだろうか? それともこの魔物の体質が、この世界の生き物とは根本から異なるということであろうか?
コカトリスは呻き声を上げながら、四本足をバタバタと動かす。
魔物はコカトリスを貫いた状態のまま、尾を大きく振った。その勢いでコカトリスの腹から尾は引き抜かれ、コカトリスの身体は空中に投げ出された。
コカトリスは声一つ上げることなく、数メートル先の壁に激突し、地面の床に転がり落ちる。その後、コカトリスが動くことは二度と無かった。
「ピギャァアアアアアアアア! ギャァアアアアアア!」
倒れたコカトリスの姿を見届けた魔物は、研究所全体に届きそうな盛大な鳴き声で、長い勝利の雄叫びを上げた。
研究所のある場所の廊下を、シバ・トサ・幽霊少年が黙々と歩いていた。
目的地は勿論、この建物の出口である。だが三人はすでに、自分達が今研究所のどの辺りにいるのか判らなくなっていた。この研究所はとても巨大で、内部が非常に複雑になっている。 長く勤務している所員ですら、うっかり迷ってしまうこともあるぐらいである。
そのため急いでもしょうがないということで、三人は落ち着いた歩調で、当ても無く歩き回っていた。
「本当に平気なんですよね? 身体に何かおかしなところとかは?」
歩きながら鉄仮面の蓋を開けたトサが、本気で心配した様子で、既に三度目になる質問を幽霊少年にした。
幽霊少年は変わらず首を振って否定の返事をする。
「心配しすぎだっての。霊体に寄生虫とかが入るわけ無いじゃん」
「そんなの判らない! あの魔物、どうみても普通じゃない! いやそもそも魔道生物かどうかも疑問です!」
「まあ、そうだけどさ……」
シバとトサは、この研究所で二度、あの魔物に遭遇している。だが彼らには通常の魔物からは、必ず感じ取れるはずの魔力の波動を、何一つ読み取れなかった。
いくら気配を消したところで、一度でも魔法なり激しい運動をしたりすれば、この二人が気付かないはずがない。あの魔物には、魔力というものが根本から無いのであろうか? しかしあれが一般的な、ただの動物とは思えない。
「魔道生物でないとしたら、あれは何だと思う? 馬鹿でかいだけの、ただのトカゲか?」
「知らないよ……。あと取り乱してごめん……」
「そう……。じゃあ話題を変えるとしますか」
シバは天井を見上げながら歩き、わざとらしく呆けた口調で言葉を紡いだ。
「もしここから無事脱出できたとして、あたしらそれからどうする? 訳が判らず逃げ帰ったという報告で基地に戻るか?」
「軍人やめる」
トサが何の迷いも無い表情で、あっさりと即答した。
「変なの。元々あんたが入りたいって言ったんじゃん?」
「ああ……。やっぱり俺には向いていなかったみたいです。それに戦争のこともあってもう潮時って気が……。シバはどうする?」
「トサがやめんなら、あたしもやめるぞ」
「そうですか……」
おおよその見当がついた返答だったようで、トサは呆れ顔で肩を落とした。
「別にいいじゃん。チビの頃からのよしみだ。あたしも付き合わせろ」
『フタリトモ、ナカガイインデスネ』
不意に後ろから聞こえた声に、二人は全く同時に歩を止めた。
先程の声。あの酷い風邪声にも似た、変てこな音調の声は、シバとトサの声では絶対にない。
二人はゆっくりと首を回し、背後にいる幽霊少年の方を向いた。
見ると当の幽霊少年も、かなり驚いている様子で、目をパチクリさせて口元に手をやっていた。
『アレ? コエガ……? …………!!?』
声の主であった幽霊少年は、突如喉を押さえだし、苦悶の表情を向けてしゃがみ込んだ。声は出ていないのだが、この様子から見て呻いているように見える。
「お、おい!? 大丈夫か!?」
幽霊少年は右手で喉を押さえながらも、身振り手振りで「大丈夫」という意思表示をする。
やがて落ち着いたようで、幽霊少年は手を戻して立ち上がった。そして二人に向けてニコリと笑ってみせた。
これにはトサだけでなく、シバもさっきとは打って変わって不安げな表情を見せた。
「お前が喋れないのって……。ここの研究員共に身体をいじられたせいか?」
シバの問いに、幽霊少年は遠慮がちにも深く頷いた。シバの表情は憂いへと変化し、やがて不機嫌丸出しのものに変わっていく。
「何ていうか……。ここの連中がろくでなしなのは最初から判ってたけどさ。今ので更にムカつき度が上がってきたわ。この研究所、後で爆薬でも仕掛けてやろうか?」
「やめろっての……」
トサが額に手をやり、やれやれといった感じでシバの発言に忠告した。
三人は再び歩き出した。歩いてから僅か数分、分かれ道の一つを曲がったところで、その廊下の先にあるものを見つけた。
「人だ!」
あったのは仰向けに倒れた一人の研究員だった。三人は急ぎ足で、研究員に駆け寄る。だが研究員の顔を見たところで三人は絶句した。
「おいおい……、思いっきり張り付いてるよ……」
その研究員の顔面には、あの蜘蛛のような白い生物(おそらくあの魔物の幼体)が、お面のようにピッタリと張り付いていたのだ。
長い尾は首に巻きついて、ガッチリと締め上げている。研究員が動かないのを見て、もう窒息して死んでいるのではないかと危惧し、トサが肩に手をかける。
(わっ!)
手を触れた瞬間、研究員の身体が震え出す。そしてゾンビのようにガバッと起き上がり、顔についた生物を剥ぎ取った。
生物は実に簡単に顔から離れ、締め付けているように見えた尾も、たやすく首筋から解かれた。
生物はゴミ袋のように床にペチャリと落ちて、全く動きを見せない。どうやらもう死んでいるようだ。
「はぁ、はぁ、はぁっ……!」
研究員は喘息のように息を荒げ、眼前の三人を見やる。
シバとトサは、何かを思い出したかのように目を見開いた。シバは、訳が判らない様子の幽霊少年の肩を掴み、三人は視線を変えずに一斉に後ろに飛び退いた。
「うっ、うっ、うがああああああああっ!?」
途端研究員が腹を抑え、とてつもない悲鳴を上げて苦しみ出す。三人は彼に近寄ろうともせず、眼前の光景を見入った。
(あ! こいつさっき逃げ出した奴だ!)
シバがそれに気付いた瞬間、研究員の腹から何かが出た。
ブシャッ!ときつい音が聞こえ、研究員の血と腹部の肉片が飛び散り、腹の内側から飛び出したそれは、あの魔物であった。
身体はずっと小さく、白い体色であったが、その顔形は紛れもなくあの奇怪な魔物の姿をしていた。カンガルーの子供のように、研究員の腹から上半身を覗かせている。
「ピギィイイイイ!」
小型の魔物は目の前の三人を威嚇し、コルク弾のように急に研究員の腹から飛び出し、三人に目掛けて飛んできた。
現したその全身に手足はなく、顔以外は蛇のような外観であった。
「火突!」
魔物が飛び出したと同時に、シバは既に構えていた剣を突き出し、魔物目掛けて火の矢を放った。
矢は空中で見事魔物に命中した。魔物の身体は、大量の火の粉を撒き散らして粉々になり、辺りに飛び散る。
事が一瞬で終わってしまった後、研究員は腹にポッカリと開いた穴を見せながら、口から血を吐き出し、再び倒れ付した。おそらくもう生きてはいないだろう……
シバは「ふうう!」と一息つくと、ゆっくり剣を鞘にしまう。幽霊少年は驚きと恐怖で表情が凍っている。
トサは研究員と魔物の焦げた破片を見やると、やや自嘲気味に呟いた。
「とりあえず、今はここから出ることだけを考えないと……」