ゆっくりと意識が回復する。
しかしまだ瞼は開かない。ので、しばしぐったりと身体を布団に預けておく。
次に感覚能力が戻り、背中に何か暖かいものが張り付いていることに気がついた。
「…………」
重く感じる身体を無理矢理起こし、離れたものの正体を視認する。
緑色の髪を持つ、未だにすよすよと眠っている天使――……誰?
「……あ、そうだ。そうだった」
小さくなったエルキドゥ。
この可愛い子が私のサーヴァント。
うーん、なんて充実しているグタグダ生活。エデンはここにあったのだ。
「……んにゅ。あ、マスターおはよう……」
「……おはよーさん」
思考回路の方はまだ本調子とはいえないが、ひとまず朝の挨拶くらいしておいた。
一方、薄く目を開けたエルキドゥは起き上がらず、そのままごろんとうつ伏せになり、二度寝を始める。
「……ま、いいや」
本人が寝たいというならそのまま寝かせておけばいい。どうせサクラメントが溜まらない限り、自分の仕事はこないのだし。
それはそれとして、やっぱりこのサーヴァント、犯罪級に可愛い。
❀
「――などとまぁ、今朝はこんな感じに朝を迎えたのだが」
「カーッ! マジサヴァ充爆発しろ! っつーか、なんで昨日の今日でこんなに慣れてんスかアンタ!? 賢者スか、仙人なんスか、もう悟りでも開いたんスかー!?」
言われてみればそうかもしれない、と頷くと僅かにだがジナコに身を引かれた。
起きたときこそ感覚が麻痺し、思考回路もまともに働いてなかったが、改めて冷静に状況を見ると、結構とんでもない環境にいることが分かる。
……しかし、その、なんだ。
「悟らないとやっていけない……というか」
「…………あー」
そこで理解を示してくれるジナコの存在はありがたいと思う。
そう、「一周まわって逆に落ち着く」という状態でなければこの先やっていけないような気がするのだ――現に今、本人に後ろから首に手を回す感じにくっつかれてるし。
「同じ校舎にいるだけの人間なのに、この差はなんなんスかねぇ……月成さん、やっぱチェンジしない?」
「断る……つーかよジナコ、お前も
「誰のせいだと思ってんスかアンタ。朝っぱらから本当に妹さん連れて来てどうにかならない輩がいないとでも?」
こいつを妹さんって呼んでる時点でお前も相当末期のようだな、ジナコ=カリギリ……
というかアレだ、根本的な疑問。
――子供化してから妙に接触過多になったエルキドゥは一体どうしたのか?
『え? なんか「ねっと」ってやつに書いてあったよ。小さいものを好む人間はロリコ――』
「シャラァアァップ!! なんだお前は! 私をなんだと思って、いやどう判断した!?」
「……今の台詞でも何のやりとりかは十分わかったっスよ。月成さん、なんとなく感じてたけど、アンタ、ボクと同じような匂いが……」
「うるせぇよ! 確かに二次元は好きだが、そんな極みに達してねぇ!」
そもそもエルキドゥが可愛い過ぎるのが原因だろーが!
可愛いは正義というが、限度ってモンが人間界にはあるんだよ!
『えーと……? じゃあ離れた方がいいのかな……?』
「いや、それはどうぞお好きに。別に嫌とは言ってない」
「チェーンジ! チェンジっスよォ! 同じニート属性のくせに、こんなのは理不尽ッスー!! ていうかランサーちゃんもいい加減に口を開いて欲しいッスー!」
それはお前の持つ録音機が原因なだけなのだが。
「ラニの秘密?」
用務員室に来てから約数十分。
迷宮探索の話題で、そんなことをジナコが言ってきた。
「月成さんが来る前に、ハクノさん達がここに来てたんスよ。っていっても、ジナコさんはそういうリアルな人間関係よく分かんないッスからねぇ」
……すれ違い、か。
毎度毎度、いつバッタリ出くわすか分からない。
まぁそのときは、エルキドゥが気配感知のスキルで知らせてくれるのだろうけど。
「ふーん、何か手掛かりとかないのか?」
「んー……そういえば、チェスセットを見つけてたッスね。なんの役に立つかは分かんないッスけど」
「……いや、間違いなくそれが手掛かりじゃねーかよ」
チェス、白黒……うっ、頭が……
しっかし、自分の迷宮にわざわさチェスゲーム? そんなもの、SGへのヒント以外のなんだというのだろう。
計算高いラニのことだ、チェスなんかはきっと一番得意とするゲーム。どや顔する態度を崩せば、すぐに尻尾を出すに違いない。
「……同族のクセに、頭はよく回るんスねぇ。ランサーちゃんはどストライクッスけど、アンタはなんか、期待を裏切られた気分ッス」
そう言ったジナコの顔にはなにかしらの陰りが見えた。
……もしかすると、
「まぁ大方アンタの予測通りッスよ。今はー……ハクノさんが挑んでるらし、あ、負けた」
「早いな」
アトラス院のホムンクルスの演算能力は世界一。いや、それにしてはあまりにも早過ぎやしないだろうか……?
『話にならんな。折角の機会を棒に振るとは、つくづく使えぬ雑種よ』
ディスプレイを覗くと、物凄く偉そうにそう吐き捨てている英雄王の姿があった。
当の岸波はがっくりと肩を落とし、かなり疲労していると伺える。
『口だけ……英雄王は口だけ…………』
そうぶつぶつと言う岸波の態度に呆れたのか、戯れに遊んでやる、とギルガメッシュが前に出た。
するとラニとギルガメッシュの姿が掻き消える……なるほど、別空間での勝負か。
こちらとその空間での時間の流れは違うのだろう。先の岸波は、本当に一秒で負けたわけではなかったようだ。
『――完敗です』
五秒フルに使った後、戻って来たラニがそう零した。
しかし当然の結果だと分かっていたのか、特に動揺している様子はない。
「あの金ピカ、本気で頭良いってことか。人間の思考速度じゃねーよ」
「先を読む、という時点で既に負けだよ。彼にとって、盤上での未来は読むものじゃない。俯瞰して観るものだからね」
へー、と声に返答したところで、ジナコが「あっ!? また逃したァ!?」と喚いているのが聞こえる。
流石はミスター・ゴールド。数段階上の「視覚」があるとしか思えない。
『初めから性能差は明白でした。ですので、これはノーカンです。他にプレイ希望者はいるでしょうか?』
……そして、その後。
岸波たちだけでなく、レオ、凛、桜、ガウェインまでもが通信越しにラニと対戦した。
だが、レオの敗北宣言がとどめになった。
最適戦略でラニに勝てるのは英雄王ただ一人。
まぁ彼は例外として、生徒会の面子でラニに勝つことは難しそうである。
『――はぁ。公正なゲームは、最高に気持ちがいい』
挑戦者を打ち負かし、うっとりとした声のラニ。
……大分、SGの内容が読めてきたぞ?
❀
チェンジチェンジと騒ぐジナコを払いのけ、自室へと帰還する。
さて、迷宮探索の様子は――なんと、シンジが挑戦していた。
『……生徒会室の皆さんに通信します。何故このような愚行を?』
『え? ってシンジ、いつの間にサブに座ってんの!? そこ会計用の席よ!?』
そう照れるなよ遠坂、と答えているシンジはかなりノリノリな様子だ。
レオもシンジなら勝ち目はある、とか言っている。確かにこのゲームに負けてもペナルティはなさそうだが……、
『チェスは五歳のときからお父様に仕込まれたゲームの基本なんだ。ヒューマン・プレイヤーの誇りにかけて、まだAIには負けられないのさ』
『……いいでしょう。ではプレイルームへ。公正なゲームを』
ラニの姿が消え、その数十秒後。
彼女の顔にはかすかに疲労の後がみえたが、結局シンジもラニの
「やっぱダメだったな」
誰もが予測できた結果である。
『くっ、まだだ、もうワンセット! 僕が勝つまで負けじゃないんだ、勝ち続けるという意思が大事なんだ!』
『プレイヤー・シンジ。貴方ほどのセンスなら、今の二戦で互いの力量は測れたはず。貴方ではあと二手、私には届きません』
『っ……』
シンジは聞き分けはないが、道理が分からない人間ではないようだ。
ラニの指摘を受けて、シンジは大きく深呼吸をして敗北を認めた。
席を立ち、潔く生徒会を後にしていったが、事態は何も変わっていない。
この流れだと、次はジナコ辺りに協力要請が行きそうだが……
『では月成さん。どうせ見ているんでしょう? 次は貴方にお願いします』
「げ」
にこりと微笑んで言ったレオは、やはり私が見ていると確信しているらしい。
悪魔め、天敵め。こうなったら次々と戦力を投下していくつもりか……!
『おや、僕達が貴方のハッキングに気付いていないと、本気で思っていたんですか?』
さらなるレオの追撃に、げぇ、と再度呟きそうになる。
確かに雑なハッキングだったが、今まであえて注意されていなかったことを思うと、完全にこちらはナメられていることが分かった。
『月成ルツ……データにはありませんが、旧校舎へ逃げ延びた者の一人ですね。公正なゲームである以上、挑戦者には応じます。しかし見たところ、平凡なプレイヤーのようですが?』
確かに私は魔術師としての才は
気まぐれに始まり、終わる――そんな
……正直、もう白黒の画面は見たくない。
なので、ここは何とかして断りたい――が、残念なことに、負けても特にデメリットは発生しないようだ。
今のレオならば、私をありとあらゆる手で適当に丸めこみ、挑戦者として仕立て上げかねない。
メンタルがこれ以上傷つけられる前に、折れておいた方がいいだろう。
「――いいよ、分かった。玉砕覚悟で挑ませてもらおう、ラニ=Ⅷ」
『はい。それでは始めましょう』
ラニの声が途切れると、一瞬、ぐらりとした感覚が脳を襲った。
別空間への移動。
時間の流れが違う異空間。
眼下にはきれいに、礼儀正しく並べられた白と黒の駒が揃っている。
……さて、始めようか。
❀
「ステェェーイ、ルゥゥゥぅぅ…………」
身体の感覚が戻るや否や、ばったりと背中から倒れこむ。
こちらでは一体何秒の出来事だったのか――しかし、とにかく、今は目標達成の喜びを噛み締めるより、疲労感の方がハンパなかった。
『……お見事。貴方を甘く見ていたようです、ルツ・ツキナリ』
『え――、ってことは、勝っ……た……?』
『いいえ、
ラニの方は至って涼しい顔……というか、清々しい顔をしている。
まるで、これがチェスの醍醐味ですよね、などと言うかのように。
……確かにギリギリの攻防ではあったが!
『ステイルメイト――? ちょ、月成さん、貴方もまさか人間の思考速度を超えて――』
「んなワケあるかよ、金の女王。私は勘と運と根性でなんとかしただけだ」
『……全宇宙のチェスプレーヤーに怒られそうな発言ね……』
怒られようがなんだろうが、引き分けは引き分けだ。
運など絡む余地のないゲームだが、無駄に重ねた経験と持ち前の思考速度の良さで、
「お疲れ様、マスター。けどまさか、君がここまでチェスを得意にしているとは思ってもみなかったよ」
今の姿のエルキドゥに褒められると自然と顔が綻んでしまう。
だが前述した通り、チェス自体にはあまり良い思い出はない。
――さて。
結局、自分も挑戦したところで、そこまでの進展はなかった。
そもそも、相手が得意とするゲームで勝負する、という前提から間違っているのだ。
さらにラニは、チェスを公正で公平なゲームだと思っている。そこの「間違い」を突いて、やっとSGが手に入れられることだろう。
残るプレイヤーの心当たりは――あと一人。