「……ッく――」
ふっ、と緩やかな目覚めだった。
これで寝ていた場所がふんわりとした気持ちの良い高級ベッドとかだったらよかったのだが、固い感触からして、どうやら地面に転がっているようである。
視界に広がっているのは夕暮れの空。
舞い落ちている桜の花びら。
ゆっくりと上体を起こすと、次に視界に入ったのは旧校舎と思しき木造建築物。
……ムーンセル、ではない? いや、どこか別のフロアだろうか?
ひとまず助かったようだが、ここは一体――
『目が覚めたかい、マスター?』
頭の中で声――念話を通じてサーヴァントが問いかけてきた。
実体化していないのはムーンセルの目に気を配っているからであろう。まぁ、割といつものことなので別に気にすることではない。
「あぁ……お陰さまで。ここは?」
『見たところ旧時代の建築物……らしいけど、僕にはよく分からないな。けど、この建物の中からたくさんの気配を感じるよ』
「トラップの可能性は?」
『これは結界……かな。校舎全体に張られてる……うん、安全地帯だと思っていいよ』
それは良かった、とひとまず立ち上がって歩を進める。
玄関口の扉に手をかけ、中に入ってみると――うむ、どうやら普通の校舎らしい。
購買に店員は居らず、廊下を見回すとあちこちにNPCらしき人影が見えた。
「おや――貴方は」
声のした方を見て、思わず目を見開いた。
上へ通じる階段に立っていたのは金髪碧眼の少年――レオ。
警戒レベルを最大まで引き上げるが、なぜか今の相手からは全く此方に対する敵意も殺意も感じられない。
……やはり、ここに来たときに何かあったのか……?
「確かツキナリ――そう、月成ルツさん。貴方もこちらに来て……いえ、『落ちて』きていたんですね」
コツコツと至って落ち着いた動作で階段を下ってくる。
その後ろにはセイバー――ガウェインが護衛として立つ。しかしこちらからも敵意、警戒心のようなものは感じられない。
だが「落ちてきた」とは妙な言い回しだ。いや、確かにあの暗闇の中では落ちていたような感覚もあったが……、
「……、アンタは――その、どうしたんだ。その格好」
訊きたいことがあり過ぎて結局なんでもない、素朴な疑問を口にする。
私が指摘したのはレオの服装……制服についてだ。
今までは赤い制服だったのだが、現在は黒い学生服を着用している。一体どういう風の吹き回しか。
「あ、これですか? 実は僕、一般の学生生活に憧れていて……この機会にイメチェンしようかなと! はい、というわけでおはようございまーす!」
「!? お、おう……?」
話の前後が噛み合ってない。何が「というわけで」なのか。
あの暗闇での「声」も月の女王とか自称していたが、こっちもかなりトチ狂ってしまっているらしい。毅然とした常勝の王の面影はどこへいった。
「おや、つれませんね。月成さん、こういうのは苦手ですか?」
何が起こっているのかと思わずレオの背後の騎士へ目を向ける。アンタの主、これでいいのかと。
「……その、我が主は年相応の無邪気さを発散しており……貴方の寛容さを切実に期待します」
「いや、ぶっちゃけ『年相応の無邪気さ』が存在していることに驚きなんだが」
太陽の騎士でさえこの有様だった。
おかしい。おかしいぞ。もしやこれは夢なのでは?
「まぁ、ここで立ち話もなんですし。生徒会室で詳しい事情を説明します。貴方も今の自分の状況を知りたいでしょう?」
「――、」
一瞬、ためらった。
何せ次の戦い相手なのだ――しかし警戒するのは当たり前だとしても、自ら「王」と名乗り、騎士のサーヴァントを連れているこの少年が奇襲を仕掛けたりするとは思えない。
もう一度だけ、数秒熟考を重ねてから。
「……分かった。事情を聞かせてもらおう」
*
ランサーは霊体化させたまま、二階の生徒会室で説明を受けた。
要するに、ここは月の裏側らしい。
いわばムーンセルが「使用しない」と封印した情報倉庫。
私たち以外にも、他のマスターや運営用のNPCまでもがこの裏側に落とされたとのこと。
「そしてもう一つ――貴方は、聖杯戦争中のことを少しでも覚えていますか?」
「……
レオの質問に頷こうとして、止めた。
この質問は……きっと答えようによっては「利用できる」と思ったからだ。
そもそもこんな質問をすること事態、レオが私への態度が変わった理由に関係しているに違いない。
「やはり、お前もそうか……記憶喪失はお前だけの話ではない。レオも校舎にいる他のマスターたちも同じだ」
そう答えたのは黒いコートを着ているユリウス――ユリウス・B・ハーウェイ。
西欧財閥の殺し屋で、レオの異母兄弟。現在はレオのサポートに徹しているらしい。
……おかしいな。こいつは五回戦の時に敗れたんじゃなかったのか――?
『――マスター』
ふと、再びランサーが念話を通じて話しかけてきた。
何か気になったことでも? と返答しようとした矢先、室内にもう一つ人影が現れた。
「失礼します。レオさん、先ほど新しくマスターが発見されました」
紫色のロングヘアが特徴的な少女だった。確か、保健室で支給品を配っていた……間桐桜、だったか。彼女はマスターではなく、ムーンセル側が用意した上級AIだ。
しかし、どこか……そう、彼女の声は、あの暗闇で聞いた声に似ている。人格からして全く違うので、おそらく同一人物ではないだろうが。
「マスターですか。もしかしてその人は――」
「はい。
「――――」
……一瞬、湧き上がった思いを押し留める。
おそらく、いや絶対に違う。「アイツ」がここにいるのはあり得ないのだから。
「それは何より。まぁ詳しくは後で聞くこととして……さて、月成さん」
「断る」
「……まだ何も言ってませんよ?」
言わずとも分かる、と言っているのだ。
これから提案されること――おそらく「共同戦線を組んで表側に脱出しましょう」とかいうのは容易に想像がついた。
聖杯戦争への復帰のためにここを脱出、というのはまだいい。
がしかし、私にとって先の説明の中で最も重要視したのが――ここが、「ムーンセルの支配下の外」ということ。
「どうしても人手不足になったら考えなくもない。けど、今は私なりに少し思いついたことがあるんでね。四六時中、お前らに付き合っていられる暇はない」
「思いついたこと……? 自力でここから脱出すると?」
「それに返答したらぼかした意味がなくなるだろ。丁度、新しいマスターが発見されたんだ。頼るならそっちを頼ってくれ」
じゃあそういうワケで、と席を立つ。
情報は得た。あとは思いついた策へ取り掛かるのみ。
「待ってください。月成さん、貴方のサーヴァントは――」
「あぁ、いるよ。貸さないけどな」
吐き捨てて出入り口へ向かう。
此方の情報は出来る限り明かさない。ただし、後に混乱が起きても面倒なので嘘は言わないし、騙さない。現状、既に全てが未知なのだ。変に策略を練るより、今はできることを優先して取り掛かるべきだろう。
「――あ、あの。一階の売店近くに月成さんのマイルームを設置しておきました。よければ使ってください」
「お気遣いどうも。有効活用させてもらうわ」
後ろからかけられた声に、軽く返答する。
*
生徒会室から退室し、先ほど告げられた「マイルーム」へ向かう。
――その途中。
『あの、マスター。できれば向こうの教室を覗いてみてくれないかな。少し気になることがあって……』
「教室?」
一階への階段を降りようとした矢先、ランサーがそう提案してきた。
1・2年教室……? 何かあるのか?
『いや、その、ええと。ちょっと覗くだけでいいから。けど見たらすぐに逃げて』
……不安極まりないんだが。
まぁランサーのスキル、気配感知に疑うところはない。本人がここまで言うなら何かあるに違いないだろう。
「…………」
見たら、すぐに逃げる――と身体に言い聞かせながら、そっと窓越しに教室を覗く。
旧時代を思わせる学び舎の風景。なんだか妙に懐かしさを感じる。
だが、それら全てを掻き消すような者が――そこにはいた。
黄金。
ギラギラと輝く鎧を身に纏った金髪の人物……一目でサーヴァントだと解る。
というか全然背景と合ってない。そもそも「学校」という場にはそぐ合わない雰囲気だ。むしろ、どこかの宮殿の玉座にでも座っている方がしっくりくる。
『やっぱり――
何か意味深なことをランサーが言う。
知り合いなのだろうか? まぁ、それなら気になってもおかしくはな――
『マスター!』
「ッ――!!」
瞬間――黄金のサーヴァントの赤い瞳がこちらを見た。
鋭く向けられた殺気に思わず腰から崩れ落ち、ランサーの声と恐怖で本能的に階段まで四つん這いになったままバタバタと見苦しく逃げおおせる。
……追ってはこなかったようだ。
しかし、久しぶりに生物として動いた気がした。人は本気で怖がると野生に戻るらしい。嫌な体験だった。
『大丈夫かいマスター? 無理を言ってしまったね……』
「い、いや、いい。つーか何だアイツ? 知り合いか?」
『うん……まぁそうなんだけど。でも、今の状態じゃ満足に戦えないかな……』
戦うつもりなのか。あんなサーヴァントと戦いたい奴とかいるのか!?
あんなのと戦うなんて命が幾つあっても足りないぞ!?
『そうかな? 確かに僕も
「……はは、まぁな」
*
売店近く……階段のすぐ横、その奥に扉はあった。
元は物置きだったらしく、古びた道具が雑然と積まれている。
マイルーム、という役割を得たからか、案外中は綺麗になっており、埃まみれになる心配はなさそうだ。
「広すぎず、狭すぎず……ま、丁度いいっちゃいいな。けどこの道具は……」
「表で溜まった
「採用。って、実体化してたのかよ」
いつの間にか、背後のランサーが姿を現していた。
緑色の長い艶やかな髪、中性的な声色、男とも女ともとれる端麗な顔立ち。
実際、本人に性別を問うてみたことがあるが、そういうものはないらしい。本質が兵器なんだから当たり前っちゃ当たり前である。
「……さっきの金ピカのことなんだけど。お前の知り合い、ってことは真名は『ギルガメッシュ』――で、当たりか?」
「うん、正解。相変わらず頭の回転は早いね君」
「それだけが取り得みたいなもんだからなぁ」
聖杯戦争前、それなりに名のある英雄達については調べてきた。
中でも自分が呼び出すサーヴァントは特に細かく、対人関係までもしっかり把握してきたのだ。
あの堂々とした佇まい、こいつの知り合い……導かれる結論は一つしかないだろう。
「けど、なんであの時は出てこなかったんだよ。おかげでちょっとした恐怖体験だ」
「それについては本当にすまないと思っているよ。でも、僕もだけど、きっと彼も僕を見たら絶対戦おうとするし……それに何より、お互い全力を出せない状態で戦っても面白くないからさ」
「あぁー……まぁお前は……そうだな。けど、向こうは万全じゃないのか?」
「明らかにステータスが下がってる。きっとどこかで居眠りでもしてたんじゃないかなぁ……雰囲気は変わってないけどね」
そういうもんか、と納得する。
マスターには一応、サーヴァントのステータスが把握できる権利が与えられているが、あの時は恐怖でそんな場合じゃなかった。
……確かに、あんな人物が数秒でも他人の視線に気がつかないなんて、何か不調があったとしてもおかしくはない。
「そういえば、良かったのかい? レオナルドの提案。誰かと協力しないと、ここからの脱出は流石に厳しいと思うよ?」
「向こうは忘れてるみたいだが、次に戦う相手と一緒の部屋とか落ち着かねーよ。それに代役がいるならそっちに押し付けた方がいい。私はとにかく、お前にかけられた『制限』を解除することに専念したいんだ」
「策っていうのはそれかい? でも今は全部解除できても、表に戻ったらまた一からやり直しになるかもしれないよ?」
「誤魔化しなんていくらでも効くさ。神様が万能じゃないのはお前が一番知ってるだろ?」
「ああ――確かに。そうだね。何はともあれ、君が無事で良かった。あのまま一人で暗黒に落ちて行ってしまったらどうしようかと思ったよ」
「その件は悪かった。そして助かった。令呪使うのに抵抗があってさ……まぁ、こっちでもどうぞよろしく――」
その名を呼ぶ。
遥か太古の時代、神に造られ地上に落とされた泥人形。
やがてある王と対峙し、私闘の果てに互いの力を認め合い、彼の唯一の友となった存在の
「――エルキドゥ」