「岸波白野さん。直ちにそのサーヴァントとの契約を断ちなさい。
そうすれば貴方と、旧校舎の人々の安全は宇宙の終わりまで保証します」
機械のような目で、BBはそう言った。
サクラ迷宮八階から戻ったというのに、目を開けてみれば、そこは異世界……ではなく、ここは迷宮と旧校舎の狭間に位置するところらしい。
BBは自分がギルガメッシュとの契約に、全ての令呪を消費したことが気に入らないようで、今こうしてルール違反ではあるが、取引をしにきたのだと。
「宇宙の終わりまでとは気前が良いな。では、断れば宇宙を滅ぼすのだろうな?」
「もちろん終わらせます。彼女がギルガメッシュとの契約を切らなければ、全ての電源を落とします」
ギルガメッシュの問いに、そう断言するBB。
だが、彼女は管理AIだ。流石に、マスターを殺す権限まではないのではなかろうか。
「マスターを殺す権利はなくとも、この宙域を崩壊させることは可能です。わたしごと、貴方たちを終わらせてもいい」
「だそうだ。どうする? 我はどちらでも構わんぞ?」
「…………」
……とんでもないことになってしまった。
契約を切るか、否か――
切れば安全が保たれる。AIは嘘をつかないので、これは本当だろう。
しかし切らなかった場合はどうか。宇宙が、世界が終わる?
「……この虚数空間もそう長く安定しません。三秒以内に答えてください」
これは間違いなく、運命の選択だ。
自分は――
「――契約は、切らない」
❀
旧校舎へ無事帰還し、パッションリップの二つのSGを獲得してから数時間。
こちらの疲れも取れたので、生徒会室に入り、いつもの席に座るとブリーフィングが始まった。
しかし今回――いや、今朝はレオからの極秘任務を任されていたユリウスの姿があった。
「我々の目的は記憶を回収し、迷宮の端に到達する。BBの撤去は状況に応じてのもの、と考えてください。兄さん、説明を」
「BBと戦う必要はない。アレがいかに強大な権限を持とうが、それは月の裏側だけのものだ。
レオ、遠坂凛、ラニ……岸波白野か。この四名は不意打ちでこちらに引き込まれただけだ。表側ならBBなど取るに足らん。わざわざ支配されている裏側で戦う必要はない」
「なるほど。じゃあ、レオ会長はBBは出来る限り無視して、迷宮の踏破を優先するのね」
凛の問いにはい、と頷くレオ。
そう、彼女は暴走こそしているが、
これはつまり――
「逆に言えば、我々が端に到達しなければ迷宮は増築されない、という事です」
桜の観測では、ラニの解放後に増築された迷宮は六階分。
今は八階だから――残りは四階分か。
「まずはパッションリップのSGを摘出。その後、AIの擬似心象に侵入し、内部からアルターエゴを破壊。その過程で、可能ならば記憶の奪還を」
「あまり無理はしないでください……記憶を入手せずに表側に戻っても、忘れたままにはなりませんから」
桜曰く、ムーンセルは全てを観測、記録しているので、参加者に記憶の欠損があると判明すれば、即座に修復されるのだとか。
まさに人生の修正パッチだ、と通信越しにジナコがそう言った。
確かに、その人物がイレギュラーな状態でない限り、「事実」を記憶するムーンセルで「取り戻せない過去」は存在しないだろう。上手い例え方をする。
「生徒会の方針は以上です。それでは――」
「会長、その前に報告を。白野さんが発見し、こちらでコピーした圧縮データの解析は、失敗しました。解凍はできず、データの正確な調査は不可能だったからです」
この結果になった憶測は立てられるものの、今は確証がない。だがサンプルが二つあり、同じ結果になるのなら憶測ではなく仮説として提唱できる、とラニ。
「なので、白野さん。可能であれば、もう一度あのキューブを見つけてきてください」
「とのコトです。では、これより九階の攻略を開始します。お気をつけて」
レオの宣言にみなが頷き、各々の作業に戻る。
自分もサクラ迷宮に……行く前に、ユリウスに秘密任務の成果を聞いてみた。
ユリウスは、私がBBやリップの目を引きつけている間に迷宮を調査していた――のだが、感覚が鋭いリップに目をつけられてしまったのだとか。レオが記憶の奪還を後回しにした理由がこれであるとも。
「……すまんな。また一つ、お前に仕事を押し付けた」
……おや、何かいま、レアなものを見た気がした。
しかし記憶が曖昧なために、「何があり得なかったのか」は分からない。
……迷宮に急ごう。あの場所に記憶があるというのは確かなのだから。
❀
校庭に出る――と、かつてない悪寒が襲ってきた。
いわば「知らぬ間に運良く助かっていた」、という感覚だ。
「雑種、アルターエゴの遠征だぞ」
霊体化を解いたギルガメッシュの視線の先、桜の木の下――サクラ迷宮の入り口付近に、パッションリップが立っていた。
なっ――BBと違い、彼女はこの空間に入って来られるのか!?
ともあれ、放って置くことはできない。それに彼女は何か、恐ろしいことをしようとしようとしている気もした。
「あ……そう、でした。あの中には、白野さんのお部屋も、あったんでした……直前で気付けて、良かった……でも……」
両手を下げ、こちらを見るリップ。
普段、敵対姿勢を見せない彼女にしては珍しく、その目にはかすかな敵意が宿っていた。
「……記憶を取り戻そう、なんて……いけない人たちは、……、しちゃおうって……。
記憶があったらぜんぶ、本当の気持ちになっちゃい、ます……本音なんて聞きたくない……わたしは、わたしが好きな白野さんのままで、いて欲しいんです」
それを邪魔するのなら。
いくら相手が自分だとしても、許せないと。
……パッションリップの理論は破綻している。
好きな相手を好きなままでいるために、好きな相手を――する、などと。
最早それはただの好意ではない。好きなモノをこそ破壊するという狂気に他ならない。
「たわけめ、記憶とは理性。即ち仮面だ。記憶がないこの状態のこの女こそ、偽りのない本性ではないか!
人の本性を知るには記憶は不要だが、上質な愛には記憶は不可欠。どのように愛し、愛されたいのか。愛が欲しいのなら、まずはそれらを自覚してから出直すがいい!」
ギルガメッシュの一喝でよろよろと後退するリップ。
正面から論破され、彼女の敵意は完全に消失していた。
――が、いかなる理由か、その目はより
「記憶を知りたいのは……わたしを、笑うためじゃ、なくて……より深い、愛のため……
そっか……! 白野さんは、わたしをもっと……強く、愛してくれるんだ……!」
普段のリップからは考えられない、あまりにも凶悪な、爆発じみた推進。
避けようが無い。
ギルガメッシュの防御も間に合わない。
彼女の巨大な爪が、岸波白野を包み込むように迫ってくる――!
『 』
だけど、聞こえた。
詠唱する声。
共に感じた絶大な魔力の気配。
「きゃっ……!? これは、妨害……? ――ッ!!」
――気がつけば、リップの姿はない。
しかし地面には抉られたような跡。先ほどの魔術の影響、だろうか?
「……術式展開成功。久しぶりの大仕事だったな……おい、無事か岸波?」
「あ――あぁ。大丈夫だ、ありがとう」
現れていたのは月成ルツ。
今のは……彼女の
「ん? まぁ軽くハッキングを仕掛けてな。ちょいとサーヴァントにも手伝って貰った」
「え……ということは、もう不調は治ったのか?」
「治ってない。むしろ進展ナシ。とはいえ、ずっと閉じ込める、っていうのもな。まぁリハビリみたいなもんだ」
リハビリ……できる程度には、回復しているということだろうか。だがそれだと、進展なし、という言葉は一体……?
「白野さん! ああ、良かったご無事で……!」
「――――っ」
心配した様子で校舎から駆け寄って来たのは殺生院キアラ。
だが彼女が現れると共に、ルツの顔色は青ざめ、一歩後ろへ下がった。
「あら、月成さん? 魔力の気配を感じたのですが……一体、何が?」
「……パッションリップが、この空間に侵入してきたんですよ。強引に、迷宮まで追い返しましたけど…………」
? ルツの様子がおかしい。
キアラ相手に緊張……というより警戒しているような……敵意こそ示していないが、拒絶している様子が読み取れた。
「まぁ、素晴らしい技量を持っていらっしゃるのですね。お怪我はありませんか?」
「だ、大丈夫です。はい、全然……お構いなく……」
怪我はない、と言うが具合が悪そうだった。
キアラが苦手、なのだろうか……? しかし、どうして――
「と、いうか……なぜ貴方がここに? 随分と、
「この方たちのような、善い主従をむざむざ失うのは辛うございまして。
それに……私、白野さんを特に好いているようなのです。職業柄、清い心、濃い魂には敏感と申しましょうか……貴方にはどうか、最後まで生き残ってほしいのです」
「おい、まっとうな少女をつまらん道に引きずり込むのは後にしてくれ」
と、言いながら姿を現したのはキアラのサーヴァント、アンデルセン。
……おや、なぜかルツが彼を盾にするように移動したのは気のせいだろうか?
「お前等もだ。この女の言葉にいちいちほだされるな。他にやることがあるだろう。所詮、一人では何の役も立たん女だ」
「……はあ。アルターエゴとは逆に、貴方は本当の自分を忘れた方がいいのでは?」
「本当の自分だと? くだらん、そんなものがあると思い込む事こそ愚劣さの証だ。そも、自分のことは自分が一番分かっている、というフレーズの陳腐さは唾棄すべきものがある」
「その証明がアンタだもんなぁ……アンタを見てると、自分なんて永遠に分かんないもんだって思っちゃうよ」
「分かるものか。なんだってまた、俺は死んだ後も童話書きなんぞやらねばならん!」
安定の毒舌っぷりだなー、と返すルツ。彼の登場によるものか、その表情には先ほどよりも少し余裕が見えた。
この二人、結構仲が良いのだろうか?
「さて、と。即席モノだが結界も張っておいた……しばらく干渉はできないさ。きちんとしたやつは生徒会の天才たちに頼め。じゃあな」
軽く手を振り、校舎へ引っ込んでいくルツ。
その足取りは、やはり何かから逃げていくようだった。
「それでは私たちもこれにて。迷宮探索、頑張ってくださいね」
相変わらず優雅な動作でお辞儀をし、キアラ達も戻っていく。
……ルツが何故、キアラに対してあんな態度を取るのかは不明だが、自分たちを助けてくれたことは事実だ。
本人はサーヴァントのリハビリ、と言っていたが、たったそれだけが岸波白野を救う理由に足りえているのか……?
「……フン。三流にも及ばぬ
彼女自身、強力な魔術は使えなくとも、電脳世界において高度な演算処理を可能とする脳を持っている……ということだろうか?
しかしそれだと先の強大な魔力の正体が分からないのだが……
「先ほどのものは魔術ではない。奴のサーヴァントによる攻撃だろう」
言い終えると、しばし何かを考え込んでいるのか口を閉ざす英雄王。
やがて、迷いを振り払うかのように首を振り「しかし、セッショウインは気に入らんな」と話を続けた。
曰く、無欲無償……否、無私無償で人の世を救う願望を持つ者。
ギルガメッシュは多数の幸福のため、人の世を救おうという愚者を山ほど見てきたらしいが、あの女は本気で全ての人間に己が命を捧げるつもりだという。
そして、彼は最後にこう締めくくった。
「もしもその願いが叶うのなら、その人間は聖者でも英雄でもない。
……救世主と呼ばれる、最もおぞましい人間だ」