岸波が、サクラ迷宮八階へと足を踏み入れた。
既に生徒会の方からリップの反応がある場所のデータは送られているので、まずはそこへ向かうという。
そしてしばらく進み、爪の音に振り返ると、やはりパッションリップがつけていた。
『え……あれ、あわわ……! あの、ごご、ごめんなさい……!』
話しかけようとすると、すぐに逃げていってしまった。
本気でストーカーじみてるな……
『反応はまだ残っています。おおよその位置データを再度送ります』
二回目。桜からの情報通り、迷宮を駆ける岸波。
今度こそ、と走って近づくが……
『!!』
転移。
どうしろと言うんだろうか。
「……キリがないね、これは」
「まさか、近寄ると逃げ出すボスがいようとはなぁ……」
もう一度だけ、岸波は迷宮内を歩く。
すると、またもリップが現れた。
動かないところからすると、最後は立ち止まって様子を見るようだ。
不毛な時間が流れていくが、岸波もリップもじっとしている。
――と。
『あの……そっちに行って、いいですか……?』
焦らず、無言で頷く岸波。
向こうはおずおずと、ゆっくり歩み寄ってくる。
ギルガメッシュは注意深く近づいてくる相手と対峙し、岸波はなるべく自然体を装ったのだろう、「さっきから何の用?」と尋ねていた。
『……! あの、がんばって……クッキーを……砕いて、みたんです……けど……』
砕いたのか。
しかし話しかけた途端、ぱぁっと表情を輝かせて岸波に駆け寄っていく。
『クッキー……? 洋菓子の?』
『は、はい……これです……!』
粉々のクッキーを渡そうとしたリップだが、その手は巨大な爪である。
寸前でギルガメッシュが動き、なんとか岸波が潰されるのは防がれた。
『たわけ。ここで事故死されては、今まで付き合った
『……また、邪魔を。…………すごく、すごく……許せま、せん。
サーヴァントがいる限り、白野さんには近づけないんだ……なら、アナタはいらない、です……』
アルターエゴの目が狂気を帯びる。
その爪がギルガメッシュに向けて持ち上げられ、まさに戦闘が始まろうとした直前――
ぐぎゅる、と腹の虫が鳴った。
『っ…………あ、あの、急用を思い出したので、失礼します……!』
『なんだその撤退理由は! 少しはダイエットを心がけよ!』
そこでリップの気配は完全に消失したのか、岸波はおとなしく迷宮から脱出していった。
まさか相手がこちらと戦闘すらしない、とは……これでは他の対策を立てるしかないだろう。
❀
『余計な手間を取らせてしまって申し訳ありません。あんな事態は思いもしませんでした……』
『うむ、小生も逃げ足には自信があるが、あのAIの逃走覚悟は凄まじい』
生半可な方法では捕まえられまい――とガトー。
確かに一人では難しい。ならば次はツーマンセル、とレオが言う。
二人一組で彼女を包囲する……ってオイ待て。
『あの、岸波さん以外の方が迷宮に入るのは危険ですが……』
『いえ、いるでしょう。サーヴァントと契約していて、暇を持て余している人物が、二人ほど』
『……ジナコと月成さんって人ね。ジナコはともかく、月成さんのサーヴァントって?』
あぁ、やっぱり矛先がこちらに……
どうしよう? とエルキドゥへ視線を投げるがフルフルと首を横に振るだけだ。申し訳ないが、ジナコにやってもらうとしよう……
「おーい、撃退したっつっても一瞬だけだぞ。ガチの戦闘になったら適わないって。欠陥がある私たちより、ジナコたちの方が確実性があるだろ」
言うと、む、と静かになる生徒会室。
幸い、向こうはそこまで今のエルキドゥの状態を知らないのだ。ならば、欠陥のない――ペナルティを負っていないジナコ達の方が良いと思わせるしかない。
『……ツキナリ……?』
おい
しかし幸いにも、少し考え込んだ後、思考を放棄してくれたのか、私に関しては特に口を開かなかった。あぶねー。
『……仕方ないですね。ではジナコさんを連れて来てください、白野さん。そういうのは得意分野でしょう?』
『ジナコを生徒会室に……? 会長は簡単に言うけど、それはリップを捕まえるより難しい気が……』
『なに、万が一の時は小生がコンビになる! 二人であの巨乳を捕まえるのだ!』
『か、勘弁してほしい!』
流石はガトー。岸波のやる気が三倍増しになったようである。
『では説得、よろしくお願いします。我々は作戦の準備をしていますので』
❀
――そして、説得に岸波を出向かせて数分の後。
『ちゃっり~ス、失礼するッス~。リアルジナコさん、生徒会室にご到着~』
……すげぇ、ホントに説得しやがった。
生徒会室の様子を映し出す画面に、ジナコが現れた。
流石はパシリが似合うマスター断トツ一位の岸波である。無論、私の中だけでの順位付けだが。
つか、ジナコもまんまと懐柔されやがって……エルキドゥのことバラすなよ?
『――――――』
『うむ、おはよう! そして想像以上に太いのである!』
『……なんで大部分無言なんスか。あとおっさんはホント消えるがよい』
あまりの普通さに思わず静まり返る生徒会室。
なんだか全員、ジナコを相当濃いキャラを想像していたらしい。
ていうかジナコとガトー、仲良かったのか。
『普通で悪かったッスね。ボク、帰っていいッスか?』
いや、そういう意味ではなく。
裏側に来てからというもの、なんだか味濃いヤツばかりが登場していたため、みんなジナコが素朴な外見で来られて、逆にインパクトを受けたというか。
『失礼しました、ミス・カリギリ。先ほどの非礼、お詫びします』
『べ、別にいいッス、そんなに怒ってないし! そ、それより、ジナコさんに協力を頼むとか、よっぽど行き詰まってると見たけど』
そう言ったジナコに、ざっと現状を説明するレオ。
記憶のこと、リップの逃亡やおかしな思い込みのこと。
迷宮のシールドも健在。とにかくリップを「逃がさない」方法を考えなくては、これ以上先には進めない。
『二人で挟み撃ちにする……作戦としちゃ王道ッスけど、アルターエゴは出たり消えたり自由ッス。ストーカーに「追いかける」は逆効果。捕まえるには、追いかけさせるしかないんじゃないッスか?』
『はい、その通りです。なのでジナコさんには白野さんの恋人のフリをしてもらいます』
……うわお。
やっぱりあの少年王、BBが用意したニセモノなんじゃないだろうか。裏側に来てから頭のネジが数本飛んでしまったのではないだろうか。
「マスターはいいのかい? 岸波白野のこと、気になってたみたいだけど……」
「私に関しては、性転換して出直せ、だな。悪いがそっちの趣味はないんだよ」
恋人役といっても今回の場合はエサである、エサ。囮役。
断って良かった……本当に。
『すごいッスね。で、何言ってんスかアンタ?』
『パッションリップは白野さんに執着しています。今までの彼女の行動から、白野さんに恋人がいる分かれば、白野さんより恋人の方を追いかける可能性が高い』
ジナコがリップに襲われている隙に、後ろから白野がこっそり接近。
無防備なアルターエゴの胸元に手を伸ばし、「記憶」のデータを回収――という流れだ。
『ちょっ――そんな話、聞いてない! おとり役とか恋人役とか、それならレオとかシンジさんでいいじゃないッスか!』
『ボクとしても、そうしたいのは山々なのですが……兄さんがダメだとうるさくて……』
『……オレは教育係でもある。レオにはまだ、男女交際は早過ぎる』
『それにジナコ=カリギリ。チェスのとき、貴女は一般人の根性を舐めるな、と言いました。その言葉をここで証明してください』
『うぐぐ……ラニさん、まだ根に持ってるッスか、最強厨』
生徒会に迫られ、逃げ腰になっているジナコ。この分ではもう八割決まったようなもんである。
『わ、分かったッス。でも白野さんはイヤなんじゃないッスかね。そうッスよね、白野さん?』
『嫌じゃないよ。ジナコは一緒にいると気を使わなくていいし、面白い』
『――――』
……話は決まった。
そもそもこれはあくまでフリだ。岸波の近くにいるだけでエゴは襲ってくるだろう。
恋人作戦、開始である。
❀
『その女……誰なんですか……? 一緒に、わたしの迷宮に入るなんて……』
――パッションリップの食いつきは早かった。
そして例の病んでるデレを発揮し、ジナコ達がいるポイントが封鎖される。どんだけ岸波に敏感なんだアイツ。
『どっちだっていいんです。だってすぐに――貴女はここで、潰れて消えるんですから』
『ひいいぃぃぃ!! 本気で怖いッス――――!!』
怯えたジナコが走り出し、予想通りその後を追いかけ始めるアルターエゴ。
生徒会からのデータを頼りに岸波も走り出し、指定のポイントへと辿り着くが――
『とてもじゃないけど回りこむとかムリ! この女、めちゃくちゃ足早いし、小回りもきくし、フェイントはきかないし!!』
『ジナコ、落ち着いて! 貴女のサーヴァントなら、アルターエゴをやり過ごせるから!』
『ダメ、潰されるよぅ……! 助けて、助けて誰かぁ!』
凛の声も届かない。完全なパニック状態だ。
いくらカルナがガウェインと同格の英霊であろうと、彼女には実戦経験の差がある。
危険の意味を測れずに飛び出し、恐怖を克服できず死に至る――それが一般人というものだ。
『レオ、これは明らかにお前の采配ミスだぞ』
『……はい。ですが反省は後に。白野さん、一刻も早くジナコさんの救助を!』
迷宮を駆け回り、岸波が再合流ポイントへ到着する。
――が、二人の移動スピードがどんどん早くなって、そこは既に15秒前に通過済み。
しかし方向は間違っていないので、そのまま最奥のシールド前まで直進していく。
ジナコはシールドを背に追い詰められていた。
もう逃げ場はない。時は一刻を争っている。
『貴女は……キューブにしません。このまま迷宮の壁に、押し込めるだけ、です……』
『く、来るな――! 壁に押し潰される、なんて、お父さんたちと、同じだよぅ……!』
リップはジナコに集中してきっている。
今がチャンス――岸波が、背後からパッションリップに抱きついた。
『ふぁ……!?』
すると、へなへなと膝から崩れ落ちるリップ。
何が起きたのか分からないが、今の内にブレストバレーから記憶を取り出そうと手を伸ばし、エゴの谷間を手探りでかき回していく岸波。
しかし一向にこれだと見つからないところからすると、あのゴミ箱には多くのキューブ片が捨てられているのかもしれない。
『っ……やめて、ください……もう、だめ――』
リップが岸波を突き放す。
記憶らしきものは取り出せなかった……あそこにはない、というコトか?
『あ、そんな、つもりじゃ……ごめんなさい。わたし、皮膚感覚が強くて……触られるの、慣れて、なくて……』
おや、この気配はSGだろうか。
記憶データは見つけられなかったものの、今の行為は何かのトリガーになっていたらしい。
その最後のSGの名称は――
『「神経過敏」……?』
五感……特に触感が異常に成長したアルターエゴ。
それがパッションリップの正体だ。
岸波がSGを摘出する。
シールドは消え去り、フロアの終わり――次の階層への通路も見えた。
『また……わたしの秘密を取得したんですね……白野さんは、わたしのことを理解してくれているんですよね……?』
パッションリップの目には岸波白野しか映っていない。
……自分も「愛」というのは詳しくないが、リップのものは愛ではないだろう。
『SGも、記憶を取ろうとしたことも許します……だから、手を……握ってほしいです……お願いします……』
巨大な爪を伸ばすパッションリップ。
ああ、そうか――きっと彼女の目には、
「本人にだけは、あの爪は
認識障害か、あるいは本当にそう見えているのか。
彼女には自分の凶器が見えていないのだろう。そうじゃないと、あんなに「普通」だと主張しない。
彼女自身は、自分が普通の女の子だと思っているのだから。
『……その手には、乗らない』
まだ気づいていないのだろうが、岸波は手を伸ばさなかった。
……あいつにも、その内分かることだ。
『そんな……どうして……今更、わたしを怖がるんですか。……ひどいです。これならいっそ、はじめから皆と同じように、見ないフリをしてくれた方がずっと良かった……!』
リップの目に狂気が宿る。
『――許しません。酬いを、受けてください。貴方を、この迷宮の先には、行かせません』
言うと、パッションリップはその身を彫像に変えた。
迷宮の核。はじめからそうだったのか、それとも今の顛末が引き金になったのか。
「あれ、ジナコお姉ちゃんは?」
「その呼び名、定着してんのか……?」
突っ込みつつ、ジナコの姿を探してみるが、今の場所にはいない。
そう遠くには行けないはずだし、すぐに見つかるか。
『ボクたちはここから出られない。出てもいいコトなんて何もない。
はじめから――アタシたちに「未来」なんて、ありはしなかったんだってば――!!』
岸波がレリーフの左側の通路へ行くと、ジナコが佇んでいた。
様子がおかしいと思ったのも束の間、その姿はかき消えてしまった。
旧校舎に戻ったのか? いや、あの様子では強引な転移だろう。迷宮内の何処かにランダム転送されたのかもしれない。
『……手間のかかる。レオ、いいな』
『もちろんです。ジナコさんの探索と救出、お願いします、兄さん』
『そういうことだ。岸波、お前は記憶データを回収し、生徒会室に戻れ。命令だぞ』
ユリウスの声には有無を言わせぬ圧力がある。
疑う必要は……ない、と信じたいが、何せ表側では暗殺者――そしておそらく、奴は五回戦で敗北している。
いないはずの者の蘇生はBBの仕業だとして……あいつはなんだか、信用できない。
『――桜!?』
生徒会室の映像を確認すると、突然桜が倒れこんだ。
そういえば、たまに咳き込んでいたな。
迷宮の探索には莫大なメモリを使用している。
誰かが迷宮に入る……それ自体が桜へのダメージになってしまう。
加えて、階層が深くなればなるほど負荷は増えていく。こればかかりはどうしようもない問題だ。
『ケホッ……だ、大丈夫です。すみません、少し休んできますね……』
桜の姿が消える。保健室にでも行ったのだろう。
さて、準備に時間がかかるだろうし、今すぐ記憶の解凍はしないはず。
それに「自分達は本来敵同士」ということもある。
一人だけ記憶が戻っていない者が出ればフェアではないし、一人だけ記憶が戻っても足並みが崩れてしまう。例えば、私やジナコのように。
先の様子からすると、彼女は先走って記憶を取り戻した。
結果、あんな恐慌状態に陥ってしまったということだ。