迷宮への入り口は、桜の樹の根の下。
ちらりと校庭を見たが、悲惨なものだ。半径数キロ……いくかどうかは判断できないが、相当な規模のクレーターができていた。空間が壊れなかったことが逆に奇跡にも感じる。
魂の改竄は既に完了した。
読み通り、先日かき集めたサクラメントをふんだんに使ってみると、エルキドゥの特殊スキル「変容」は最大ランクまで上昇。本人によると、これで本来の――Aランク相当の域に辿り着いているとのこと。
「サクラ迷宮の……十三階、だっけ。戦闘の指示は覚えてるかい、マスター?」
「ゲームのチュートリアルみたいな台詞だな……大丈夫だよ」
今のエルキドゥの姿は子供じゃない――元の十六歳程度の姿に戻っていた。
なんでも、自分の一部じゃない服は戦闘の際には邪魔になってしまうのだと。
確かに、迷宮内のエネミーと昨日のエネミーはレベルが違う。昨日のは所詮、防壁も突破できない数が武器の雑魚だ。
しかし迷宮は、下層へと潜れば潜るほどレベルも高くなる。宝具まで開帳することはなくとも、一応の対処だ。場合によってはアルターエゴやサーヴァントと戦うことになる可能性だってゼロじゃない。
扉が開く。
――さぁ、探索の時間だ。
❀
「ここが……サクラ迷宮」
深いウロに落ちていく感覚。
長い階段を降りた先に、海底よりもさらに深い場所に広大な神殿が沈んでいる。
なんとなく、酸素が薄いような息苦しさを感じたが……これはきっと、ムーンセルの中枢に近づいているからだろう。
『通信、聞こえる? 今までより空間の密度が一段と上がってるわ。活動には支障が出ないようにするけど……ちょっと居心地が悪いかもね』
凛の言葉になるほどと納得する。
現在、生徒会のリソースは私の電脳体の保護を最優先に設定してくれているという。
アリーナといっても、月の裏側のここは虚数で構成された「無い世界」。
簡単に喩えると、迷宮は水中で、生徒会室から私が活動するための酸素を送ってくれている……ということらしい。
「さて、行くか」
そう言ってエルキドゥと視線を交わし、頷き合うと、迷宮探索の第一歩を踏み出した。
「ヤーノシュ山からあなたに~♪ 一直線、急降下~♪」
「――――」
しばらく進むと、迷宮にある高い高い柱の上から、絶世の音痴で台無しになった絶世の歌声が聞こえてきた。
これは……もしや、
「そう! 地獄から返ってきた鮮血アイドル! 人呼んで――」
「エリザベート・バートリー。……アンコールver.ってところか?」
ぐるりと渦巻く竜の角、意外と長い竜の爪、それを彩る真っ赤なフリル。
記憶が正しければ、アレはかれこれ二回も岸波と対戦し、負け続けている赤ランサー。
「あら、聞き覚えのない声ね。もしかして私のファン?」
そんな台詞と共に、目の前に転移してくる。
いつの間に復活を……というか。
「マスターはどこのどいつだ?」
「ふん、とんだ三流記者ね。受け付けるのはトップアイドルに相応しい質問だけよ。てゆーか、誰よ貴方。そっちの男だか女だかはっきりしない方も!」
「……私は月成ルツ。こっちは――」
「エルキドゥ、でいいよ。もう隠す必要もないしね」
……真名を言ってしまった。
まぁいいか。生徒会室で口にした時点で、バレるのは時間の問題だし。
「ふぅん、そういうこと。BBったらまだ遊んでるのね。いきなりこの私をオイルまみれで復活させて、あんな冴えないネズミを付き人にして放り出すなんておかしいと思ったのよ」
「……岸波たちはどうしたんだ。まさか、もう――」
「子リス? 確か、犬空間だの虫空間がどうのって……とにかく! 今回は私こそが
犬? 虫空間? って、なんだろう。
あいつはまたろくでもない罠にかかっているのか……?
「ヒットチャートを皆殺し、か。
「今までの本番前の前フリよ。どんなアイドルにも、暗黒下積み時代はあるものだわ」
……なんか、エルキドゥが妙に現代に馴染んできているのは、ネットサーフィンでもした影響だろうか。変なこと覚えなきゃいいんだが……
「というかお前、何度も出てきて恥ずかしくないのかよ?」
「それ質問してるフリして辱めてるだけじゃない!? は、恥ずかしくなんてないわよ! 第一、『使い回し』じゃなくて、待望の再登場、復刻ベスト版でしょう!?」
それにしてはペースが早いというか、ぶっちゃけ有り難味がない。
使い回し感は、最初から変わらない衣装が原因な気がするし、それが無理ならせめて名前を変えてこい。
「こ、これが
「ははははは! ようやく僕の出番のようだね!」
と、またもや柱の上から声が――って、あいつは……
「えっと……シンジ? お前が、エリザベートのマスター!?」
「そうさ。BBがどうしてもって泣きついてきたから付き合ってやることにしたんだよ!」
トゥ! と変に格好つけた転移でシンジがエリザの隣に現れる。
初めの相手がこのコンビか……なんというか、実にちょろそうだ。
「……って、アレ。お前月成!? なんでこんなトコに――いや、なんだよそのサーヴァント!? 今さら新キャラとか聞いてないんですけど!」
「あー……」
謝った方がいいのかな、これ。確かに新キャラというには遅すぎる登場だ。
向こうは使いまわし、こっちは時期外れの新キャラ……どっちもどっちである。
『呆れた……いつの間に寝返ったわけ? 相変わらずクズっぷりと駄目っぷりは断トツ首位をいくわねアンタ』
「はっ、僕はお前たちみたいな、情に流される馬鹿とは違うんだ。さぁ月成、降伏宣言をしなよ! 岸波だってもうBBに捕まったんだ、お前に何が――」
「まぁそういうことよ。正直、リンとラニが恋しいわ。二人とも色々問題あったけど、私好みの容姿だったし」
「じゃ、邪魔した上に文句を言うなよな!? お前、貴族のくせに礼儀も知らないのかよ!?」
「文句の一つも言いたくなるわよ。私の付き人がこんな冴えない奴だなんて」
あっ、これ長くなりそう。
そう流れを察し、二人の会話に耳を傾けていると、案の定それは口論に発展し、互いに「ばーかばーか」と言い合う酷い事態になった。
こちらの存在など既に眼中にない。
いっそ今の内に奇襲をかけてやろうか――と、思考を巡らせた直後、
「――こほんっ。おしゃべりが長い悪い子にはBBちゃんの正義の鉄槌~!」
「ギャフン!?」
突如現れたBBの落雷がシンジに直撃する。
……元凶を直に見るのは初めてだ。傍らのエルキドゥも臨戦態勢に入る。
「おいっ、何するんだよBB!」
「あ、しまった……つい。ごめんなさい、手が滑りました。私がシンジさんを攻撃するなんて、起こりえるはずがありません。
なぜなら、貴方こそ人類最高の
そういう風に操ってるのか……
それで乗ったシンジもシンジだが……いや、待て。
「あのさぁ、僕はサーヴァントがいれば聖杯戦争に勝ち残れる人間だ。その僕が協力してやるんだから、それ相応の報酬は払ってもらうよ?」
「はい、それはもう。私がムーンセル中枢に到達したら、ムーンセルの表側をお納めください。貴方こそ、月の王に相応しいキングです♥」
「そう、そうさ。その通りだ! 僕は選ばれた人間、勝ち残る勝者なのさ!」
BBにおだてられ、顔をゆがめて笑うシンジ。
他人を見下した、いつもの顔なのに、それはどこか追い詰められたようにもみえる。
「――さて。貴方たちが新たな虫ケラさん? 正直、驚きましたよ。まさかまだ、規格外のサーヴァントが残っていたなんて」
じろり、とBBの視線が自分たちに向けられる。
……殺意や敵意といったものは感じられない。これは単に、「邪魔なもの」として見られているのだろう。
「岸波はどうした。まさか、もう――」
「いいえ? そんな簡単に潰しちゃ面白くないでしょう? あ、居場所を見つけるのは諦めてくださいね。あそこはもう空間が切り離されていますから。ちなみにサーヴァントは汚らわしいので、メモリには変換せず、消えてもらいました」
消えた……って、英雄王!?
つまりいま岸波は一人の状況で、BBのオモチャとして弄ばれ続けているということか……!?
「けど『虫空間』はもう飽きてきちゃいましたし、今度は『犬空間』で観察してみましょうか」
「……犬だか虫だか知らないが、お前随分と岸波に執着してるんだな。目的はなんなんだよ」
「目的、ですか? 人間の欲望をぜーんぶフリーにしてあげることですよ♥」
……今度こそ言葉を失った。
人間の欲望を自由に? そんな……AIが、そんな大層な目的を持つなんて――
「――だけど。わたし、どうして貴方が生きているのか本気で分かりません」
「…………」
それは……記憶の齟齬と、関係があることなのか。
というか、どうして今まで自分たちについて触れてこなかったんだ?
「それはセンパイがあんまりにも無様で面白――コホンッ! そりゃあ、ギルガメッシュさんに気付かれたら面倒になりそうな気がしたからですよ。ムーンセルからの制約もあったらしいし、見逃してあげていたんです。……まさか、突破しちゃうとは思いませんでしたけど」
「……見逃されていたってことは認めるけど……なぁゲームマスター。聞きたくないが、もう私は表で死んでるのか?」
ここ最近で感じてきた違和感の正体に迫る。手が届く疑問は早めに解決した方がいいだろう。
元凶な上、全ての情報を把握しているであろうコイツなら何か知っているに違いない。
「えぇ、月成ルツは三回戦で死亡したマスターの一人です。わたしの力で
――さらりと恐ろしいことを言ってくれる。
どちらが本物か? つまりどちらかが偽物だとでも?
「いいえ。死んだ筈の貴方は『何故か』サーヴァントと契約している。そのサーヴァントさんの記憶と貴方の記憶は完全に一致している――それじゃあ、偽物とか本物とかの話じゃありません」
私が本物だという証拠は十分に揃っている。
ムーンセルに来る前の記憶、聖杯戦争に参加してからの記憶。そして裏側に落とされた後の記憶。
自分の記憶には、何の欠損もない。
だからこそ、BBは今ここにいる自分の存在が不可解なのだろう。
「――ねぇBB。君、マスターが裏側に落ちている時のことは覚えているかい?」
エルキドゥが、ふとそんなことを言った。
良い質問だ、と思った。それだ。それこそ、疑問を解決する最後のピース――
「……え、
意表を突かれた様子で、BBはそう答えた。
嘘じゃない、と感じた。
同時に、おかしいのは我々の方だ、とも確信した。
AIは嘘をつかない。ならば今のBBの証言を疑う必要はない。
異物は自分たちのほう――つまり、これは。
「……ちょっとBB。ここの主役は私! 貴方がいるといつまで経ってもライブが始められないじゃない!」
「っと、すみません。それじゃあキング様。くれぐれもエリちゃんの秘密を奪われないよう、ご注意を」
言って、BBは去った。
結局、岸波の居場所を聞き出したり、BBを捕まえたり倒す、なんてことはできなかったが――
「ふん。自分の秘密くらい、自分で守ってみせるわ。さぁ、オープニングトークはここまでよ。復活ライブに震えなさい!」
周囲に盾型のエネミーが出現する。
囲まれた――しかも一体や二体じゃない。って、よく見ればほぼ一つの群れである。
「そいつらは僕がレベルデザインしたプログラムだ。せいぜい足掻いてみてくれよ。ゲームスタートだ、月成」
「今度こそ勝つのは私。ええ――必ずよ」
迷宮の奥へ行ったのか、二人の姿は消えた。
少しばかり手間取りそうだが、所詮は小物の寄せ集め。
それに今はちょうど、ある人物への怒りが湧いてきたところである――よし。
「エルキドゥ、
「了解。後ろはまかせて」
サーヴァントと背中合わせになるように立つ。
身体強化の魔術を唱え、破邪刀を鞘から抜いて正眼の構えのまま、目前の敵を睨み――そして、こちらの存在を感知した敵性プログラム達が波のように向かってきた。
思うことは一つ。
――あのジジイ、マジ殺す。