キーボードを叩く音が室内に響く。
凛もラニも、桜だって疲れは溜まっているというのに、ここにいる誰もがデータの解析に力を注いでいる。
――アーチャーは敗北した。
外部からの攻撃と、内部を侵食する毒により、急速に自壊していく身体。
そんな状態でも、さらにもう一つ――「本命」であるという記憶データを渡してきたのだ。
岸波が戻ってくると、早速データ解析が超特急で開始され、自分と凛、桜も加えた三人でBB対策の案について思考を巡らせている。
一方、記憶データはラニが丁寧に行ってくれているようだ。誰のものかは分からないが、岸波と関係しているのは確からしい。
「……ふぅ。ま、今日はこんなところかしらね。そっちはどう、ラニ?」
「もうしばらく時間はかかるかと。しかし区切りとしては丁度いいです。一度、ここで休息を取るのが望ましい」
「では、お茶をいれますね。少し待っていてください」
「あ、私コーヒーで」
了解しました、と言って桜は保健室へと転移していった。
いま自分に足りないのはカフェインである。あの苦味は一旦、思考をリセットできるのだ。
「そういえばラニ、貴方好きな人のタイプってどういうのが好み?」
「? 好きな……? 性能がよい、などのことでしょうか」
「えらく機械的ね……じゃなくて、異性についてよ。見た目、性格とか、自分の理想に思う相手のことよ」
……突然ガールズトークが始まった。
いや十中八九、気分転換だろう。そうじゃないのなら、これは単なる凛の好奇心によるものだ。
「……よく分かりません。そもそも他人に恋愛感情を持つ、という経験自体、私にはありませんので」
「んー、それじゃ仕方ないわね。じゃあ月成さんは? 学校……とかって通ってたこと、あるの?」
「あるよ。恋愛……かどうかは知らないけど、それなりに親しく思う奴はいた」
もう死んだけど、とまでは言わない。
そんなことを言ってしまったが最後、空気は重くなってしまうだろう。こういう話は、少しくらい夢を見せてやればいいのだ。
「わぁ、意外。それってどんな人? きっかけは? どこら辺が気になったの?」
「やけにグイグイ来るなお前…………学校、行ったことないのか」
「まぁね。割と早くから抵抗運動を始めてたから。だから予選のときの学校生活は物珍しかったわ」
「私も生まれてから師と二人きりだったので……同じようなものですね」
……ハードな青春時代送ってきたんだなぁ、最近の若者は。
というか、今の時代なんて大体そんなもんである。ハーウェイの管轄地域外だと、学校という施設が機能していない場所も結構多いのだ――その点、私が生まれた街は首都にあったとはいえ、テロが起きるまでは奇跡のようなところだったのだとしみじみ思う。
ま、この世界ではどうなっているか分からんが。
「それで話は戻るけど、どんな人だったのよ。月成さんが惚れる相手って」
「……別に恋愛対象とは見てなかったけどな。私としては話が合う親友ポジション、ってカンジだったし」
「一生親友でいよう、という類のものですか。残酷ですね」
何がだよ。
文句を言おうとしたが止めておいた。こと恋愛系のガールズトークに関しては、下手をすると墓穴を掘りかねない。
「お待たせしました。紅茶とコーヒー、できましたよ」
桜が戻って来た。
手渡されたのは黒いコーヒー。特にこだわりの豆などはない。ただ、この苦味には魔術訓練の際によく助けられただけである。
「……ふぅ、桜の入れたお茶は落ち着きますね」
「あ、そうだ。桜はどうなの? 好みの異性のタイプって」
「異性……ですか? ええと……すみません、AIの私にはよく分からなくって……」
「あえていうなら岸波とかじゃないか? 凛とかラニとかジナコとか、ほとんどの人間、アイツと縁があったりしてここにいるだろ」
スパッと言ってやると、私以外の全員が呆気にとられた顔でしばし固まった。
そう――この事件、この世界、中心には岸波白野がいる。
あのレオでさえ、次期会長を任せるほどの信頼を得ている奴。
というか、前にも言った気がするが、岸波から見たこの脱出劇の登場人物は偏りすぎなのである。
「ふ――ふふふ。月成さん、それはどういう意味で言ってるのかしら。まさかSGを引き抜かれたからー、なんて言い出すんじゃないでしょうね」
「そんな命知らずな真似をしたつもりはないけど……でも事実だよな、それ」
「つ、月成さん、その発言こそ命知らずな真似です……!」
SG、という理由もあるかもしれないが、何より私が重要視しているのは、「それ以前」のことについてだ。
月の裏側に来る前。つまり聖杯戦争のときから、岸波と凛たちは知り合いだったのだろう。
でなければ秘密を引き抜くなんてことはできない。ジナコについてはよく分からないが、それでも縁があったことは確かである。
「確かに、聖杯戦争のときに白野さんと会った記憶はあります。それでもあちこちの出来事があやふやな気がしますが」
「……それは私も感じてるわ。詳しいコトはよく分からないけど、とにかく表側に行っちゃえば解決はするはずよ。だからこうして今頑張ってるんじゃない」
それもそうだ。
あやふや、はっきりしていない等の部分は人生の修正パッチであるムーンセルが解決してくれるだろう。
もっとも、記憶が何一つ欠けていない私は表側に戻ったところで、そこまでの変化はないと思うが。
❀
「いよっし……ま、今日はこんなところかしらね」
作業の一区切りがつき、凛が身体を伸ばしている。
ガールズトーク、最後の休憩時間から二時間後。凛、桜と共に進めていたBBについてのデータ解析はやっと半分に至った。
「次の探索に使用予定のデコイも完成しました。ここで一度、各自睡眠を取りましょう」
ラニが言うデコイ、というのは岸波のそっくりさんのことらしい。
これもメルトリリス対策の一つ。本物にはジャミングをかけ、探索している間に別の階層で偽物を走らせておくのだとか。
「私はもう少し知識を詰め込んでからにするよ。三人共、先に休んでくれて構わない」
「そうですか? ……無理はしないでくださいね、月成さん」
桜に了解の意を示すと、向こうも分かってくれたのか、彼女たちは生徒会室から出て行った。
残されたのは、自分と霊体化しているサーヴァントだ。
「……勉強、といってもほぼ終わっているんじゃないかい、マスター?」
「まぁ大体の流れは掴んださ。けど、実際それを行使できるか、っていうと、ちょっとなぁ……」
未だに魔力の扱いには不安がつきまとっている。
加えて、擬似霊子になった岸波を保護してレリーフ内へ送り込む――なんて、失敗したら大惨事になりかねないし、プレッシャーが重い。
「……待てよ。保護、そうか保護ね……包み込む感じでいいのかな」
受け止めて送り込む、というイメージが包み込んでそっと流し込む、というイメージに書き換わっていく。
ふむふむ、ピンときたぞ。これならいけるかも――
「うわっ!? なんだお前、いたのかよ!?」
「……いや、お前もなんだよ」
桜によってロックされた筈の扉が開く音を聞き、顔を上げてみるとシンジが侵入してきていた。
エルキドゥがわざわざ報告しなかったということは、そこまで脅威ではないということ
だろう。
「あのドレイン女には恨みがあるんだ。お前ら、メルトリリスのウイルスのサンプル回収したんだろ? 僕にも見せてみろよ」
「それは無理だな。まぁ止めはしないが自分から教えることはできない。見方によっては裏切りに見えちゃうしな」
「ホント使えないなアンタ! ……って、え? いま止めないって言ったか?」
「あぁ。お前のキャラ的に、なんかよくない悪戯に使う、ってことくらいしか思い浮かばない。ので、別にどうでもいいかなぁ、と」
「……ああ、僕がナメられるってことは分かったよ……!」
拳を強く握り、肩を震わせながらもどうにか怒りを鎮めようとしている様子のシンジ。やがて空中にモニターを出現させて生徒会室を調べ始めた。
正直こいつがどう動こうと知ったこっちゃない。岸波なら何か追求するだろうが、あまりこの案件は重要視しなくてもいい気がする。いやむしろ――
「……あ、あった。案外ちょろいね、ここ」
――
その後、シンジは無事に目的を達成したのですぐに出て行った。本当に用件はこれだけだったらしい。
ただ、出て行く前に少しだけ話をした。
「そういやアンタ、一体なんなんだ? 表で死んだマスターのくせに、なんでサーヴァント持ってんの?」
「私は別の世界線……まぁ異世界人って奴だよ。お前らが参加した聖杯戦争じゃない、別の聖杯戦争に参加したマスター。虚数空間にある歪みを通ってここに来たらしい」
「……は、はぁ? なんだよソレ、並行世界ってヤツ?」
「そうだよ。だから私はこの世界においてのイレギュラーみたいなものだ。気にすることはない、元々ここにはいないはずの人間だからな」
「いない……って、それじゃあ表に戻っても、この世界のアンタはもう死んでるんだぞ。僕たちと同じだ、戻ったら死ぬしかない――」
「……まぁ、この世界線の表に戻ればな。けど、表には絶対に帰らないといけない理由があってな」
「? あ――そうか、アンタが元居た世界なら、アンタは聖杯戦争に復帰できる――」
そこまで言うと、シンジは苦虫を噛み潰したような顔をした。
……そう、確かに私は「元の世界線」なら生き延びられる。
だが、それを
チッ、と舌打ちしてシンジは去った。大方、私だけはどうにかすれば生き延びられる、という事実が恨めしくなったのだろう。
❀
数時間後――――私はまだモニターと睨み合っていた。
無論休みは取っていない。だが無理をしているというわけではない。
傍らのエルキドゥも“そろそろ休もうよマスター”という顔をしているが、断じて好きで椅子に座っているわけじゃないのだ。
メルトリリスといえば、現在問題になっているのはあの無敵性。
もしかしたら、と以前ふと考えた案を採用し、あるポイントへとアクセス……したまではよかったのだが、嫌がらせなのか、何かエラーでも起きているのか機械の処理速度が落ちてきたのだ。
その修理ついでに色々いじくっていたところ、いつの間にか時間は過ぎ去って――……という状態なのだ。
まぁ、今やっと持ち直してきたところである。
「…………あ。あーあ、やっぱりか」
やっと表示された画面に思わず溜め息を吐く。
無敵性の秘密。それはやはり、
「何か分かったのかい?」
「あぁ。あいつ――メルトリリスは裏側ルールの『時間感覚の喪失』を『自身への当たり判定の喪失』への書き換えをしてたんだ。そりゃあ無敵にもなるわな」
だがこれのおかげで、自分達は危機感を持って、ここまで迷宮を踏破してこれた。
その点は不幸中の幸いといえるが、しかしシステムに干渉するとは……成程、プレイヤー側の自分たちでは中々思いつかない発想だ。
「でも仮にそのルールを突破したとしても、彼女には『ドレイン』のスキルがある。レベルまで吸収しているなら、きっともうメルトリリスは無敵に近いパラメータだろうね」
「うわっちゃー……そっちの問題もあったな。やばいなこれ、ドン詰まりじゃないか」
BBに相談したらシステムのルール、変えてくれるかなぁ。ついでにレベルも下げて欲しいところだけど、流石にそれは高望みか……
「おはよー。って、アレ? 月成さん、まだいたの?」
「……バイタル値チェック……やはり疲労が減少していません。無理をしても作業効率が落ちるだけです。早急に休息をとってください」
実に丁度いいタイミングで凛たちが戻って来た。
もちろん彼女たちが起きてきたということは、迷宮探索もいずれ始まるということ。
だがその前に、こちらには色々と報告すべきことがある。
「そうだな、休みは取らせてもらう。そういえば凛たちが居なくなった後、シンジが何か持っていったぞ」
「事後報告じゃないそれ……けどシンジが、ねぇ」
「間桐シンジ……あまり警戒する必要はないかと思われますが……何を持っていったんですか?」
「多分メルトウイルス。まぁ放っておいても大丈夫だろ。それとメルトリリスの無敵性のカラクリについても分かったんで、対策の参考にしてみてくれ」
えっ、と驚愕する凛とラニの脇を通り過ぎて退室する。
なんだかんだで疲労が溜まっているのは確かだ。申し訳ないが、今回の迷宮探索は休ませてもらおう。