「――メルトリリスの自我防壁、開きます。いつでもどうぞ、先輩」
岸波の擬似霊子の階梯が変化する。
それを桜との連携で保護し、そしてレリーフへと流し込む――
「……ふー」
精密な魔力の操作。
構築した軌道に沿っての潜入。
……これ、マスターしたら本当にヤバい術である。もっとも、私は二度とこんな術式は展開したいと思わない。というかキアラの秘術、などと考えるだけで悪寒がするし。
「サイコダイブ完了。成功です」
桜の声でほっと力が抜ける。
あとはこれまで通り、岸波の帰還を待つだけ……
「……っと。桜、迷宮との繋がりを切るぞ」
「えっ? は、はい……」
前置きはしたものの、実際は桜の返事を待たずして繋がりを断ち切った。
……危ない危ない。またメルトリリスに繋がって、こちらに侵入されたらたまったもんじゃないのである。
「よし、それじゃあ私たちは迷宮で待機だな。行ってくる」
「行ってらっしゃい。こっちもできる範囲で足掻いてみるわ」
「どうか気をつけて。規格外の英霊が二体でも、BBは128体ものサーヴァントを飲み込んでいますので」
「バックアップは任せてください。まだ私のメモリには余裕がありますから」
生徒会から激励の言葉を受け、その場を後にする。
エルキドゥの姿は最初に出会ったときと同じ、十六歳ほどの外見になっている。
使えるアイテム、魔法石は全てかき集め、礼装の準備も万端。
あとは、マスターである私の指示と――まぁ、その場に応じて臨機応変に。
❀
目の前には何度もモニター越しに見てきたレリーフ。
これが迷宮の核……メルトリリスだからかもしれないが、すげぇポーズの意匠が施されている。
「お――来たか」
レリーフが泡のように、空気へと溶けていくように消失した。
そして光と共に現れたのは岸波白野と黄金の鎧を纏ったギルガメッシュ。
決着は、ついたらしい。
『よし、BBの反応ナシ。今の内にさっさと突き進んじゃって!』
凛の通信に了解、と答えて先の見えない、中枢へと続いているであろう道へ目を向ける。
私はともかく、岸波は疲れが溜まっているだろうが、とにかく今は階段を降りていくしかない。
「んじゃあ、行くか」
岸波に視線を投げ、頷くと未知の領域へ向かって足を踏み出した。
辺りは一面の闇――いや、宇宙か。
恐怖はないが、暗く冷たく、生温かい死と誕生の狭間。
そういえばこの英雄は不死を求めて冥界まで旅をしたという逸話があったんだっけ、と思いつつ、四人で中枢へ続く階段を駆け下りていく。
しばらくして、漸くひときわ広い空間へ出た。
あともう少しで出口につく、と感じた瞬間――
「……ッ!?」
空間に先ほど見たメルトリリスとは比にならない大きさのレリーフが出現した。
それに施された意匠は桜……否、BBか。
『ちょっ、もうBBの方に衛士はいないはずでしょ!? 桜!?』
『そんな……あれは…………』
見れば見るほど巨大なファイヤーウォールである。
……ハッキングやってみたいなぁ、これ。
「BBの心……とするなら、サクラ迷宮そのものがBBの心象風景だったってことかな?」
「……ベストアンサーだエルキドゥ。ラニ、この中にBBはいるのか?」
一瞬生じた欲を押し殺して通信すると、どうやらこれはただの抜け殻。単なる物理障壁とのこと。下手をすれば中枢防壁より頑丈なのではないか、という冗談であってほしい推測まで耳に入ってきた。
『と、とにかく調べてみて白野。BBめ……まさかこんな奥の手を隠し持ってただなんて……』
『これを壊せるのはこれの持ち主のみ。無念ですが、違うルートを探すほかありません』
――いや。
BBの心であるならば、同型機の桜なら突破できるのでは?
『月の裏側で稼働中の全ての思考体に通達。
上級AIによる中枢制御が達成されました。以後、ムーンセル・オートマトンは人類の管理・運営装置に移行します』
は、と突然響いた放送に呆けた声が出た。
そんなわけがない。そんな予兆などおきていない。
第一、すぐ目の前にある中枢には、何の変化も起きていないのだから。
『なお、この達成はBBからの要請を受け、現実時間では五百九十六万一千六百秒前に成立したものとし、事象選択を完了させています』
ゴセン……えーと、一日は確か86400だから……69。69日前に制御は完了していた、ってことか。
なるほど、と納得してふと岸波の身体が震えていることに気がつく。
いや、岸波自身もだが、空間そのものも震えている。
『――逃げて二人共! 初めからBBには敵わなかった! これは最初から――』
『そう、ワタシが中枢に辿り着いた後からこのゲームは始まった。そしてワタシの所有時間中に、この領域への侵入者は見られません。矛盾を無くすため、バグを消去します』
そこでやっと、岸波が震えていた原因に至った。
純粋無垢な神の権能が、人間の心を持ってしまったというおぞましさ。
――だがそれは、すぐに“そういうもの”であると割り切った。
「……ちょっとマズイね。逃げるよルツ!」
「忌々しいが撤退だマスター! 空間ごと消されるぞ!」
サーヴァント達の声で、やっと鉛のように重くなった脚を動かした。
岸波は動かない――いや、動けないのか。
「おい岸波! 動け!」
……動かない。
完全に恐怖に支配されてしまったらしい。
軽く舌打ちして腕を掴む。
生徒会の強制退出はもう間に合わない。自分では短時間で術式を組み立てることも不可能。
他に使えるものといったら――そこまで考えてリターンクリスタルを物質化させた。
空へ放り投げ、魔力を通して発動を促した刹那、視界は白く染まり、そして迷宮からの離脱を確認した。
❀
「――――――」
浅い眠りから覚めるように意識が回復する。
身体に痛みはないのを確認し、寝転がっている体勢から、ひとまず上体を起こす。
……妙に身体が軽く感じる。
あれは紛れも無い神威だった。それをヒトの身で前にして、正気でいられるはずがないのに――なぜか、この身の根源は、それすら一つの「過程」として断じているらしい。
「……岸波?」
声をかけ、周りを見渡す。
と、すぐ横に彼女は転がっていた。
ぐったりと、まるで死人のように。
「良かった。気がついたみたいだねマスター」
霊体化していたのか、エルキドゥが姿を現す。
ということは、英雄王も霊体化したままこの場にいるのだろう。少し意識を集中させればそれらしき魔力を感じ取ることができる。
「アイテムを使ったとはいえ、かなり乱暴な転移だったからね。魔力は大丈夫なのかい?」
言われて、自身の中にある魔術回路へ意識を向けた。
魔力を通そうとするが、上手くいかない。なるほど、身体が軽く感じると言ったが、どうやら感覚が麻痺しているらしい。
「そちらのマスターは目が覚めたようだな。既に精神は安定しているらしいが――なんにせよ、身体を休めるに越したことはなかろう」
岸波の傍らに黄金の王が実体化する。
……今の言葉って、もしかして。
「珍しいね。君が他の人の心配をするなんて」
「なに、これで我がマスターが救われたのは二度目だ。恩人に先立たれては、返すべき恩も返せない、などと悩み始めるに違いないからな」
……まぁ、その言葉の真意については深く考えず、遠まわしにだが気遣ってくれた、という点を飲み込んでおく。
なんとか助かったが――生徒会の方は大丈夫だろうか。
魔術についての知識が豊富な、天才である凛たちのことだ。今の状況は、私なんかよりずっと重く見ていたりしまっているかもしれない。
「ん……」
「目を閉じるな。意識を保て。ここで終わるのなら、我が手ずから息の根を止めるのみだぞ」
さらっと起きかけた自分のマスターに死刑宣告をするサーヴァント。
真剣に言っているのだろうが、自分はその言葉だけで飛び起きる自信がある。
ゆっくりと――それこそ生き返ったかのように、岸波は起きて、立ち上がった。
身体に影響はないようだが、彼女の場合は心がまだ恐怖に呑まれたままなのだろう。
「……ありがとう、ルツ。おかげで助かった」
「あぁ、一生感謝しろ」
そう軽く返しながらこちらも立――てない。
というか足に力が入らない。
「ルツ……?」
「……悪い、少し休むわ。ランサー、ちょっと肩貸してくれ」
エルキドゥに支えられ、やっと立ち上がることができた。
うむ――なるほど。確かにこれは、一度休息をとった方がいいかもしれん。
不安そうな表情を浮かべる岸波には「さっさと行け」と促し、やっと彼女が校舎へ消えてから大きく息を吸い、吐く。
……手足はうまく動かせず、ブルブルと小刻みに震えている。
精神はあの神威を割り切ったものの、器はショックに耐えられなかった、ということだろう。
「魔力はアイテムで補えるだろうけど、身体はしっかり休めた方がいいね。部屋までは僕が運ぶよ」
「――――はい?」
という、返事をする前に抱きかかえられた。
……ロマンも何もクソもなかった流れに軽く落胆する。けどまぁ、こんな美少年に抱えられる機会なんてまずないので、ひとまずこれはこれで堪能しておく。
❀
流石は筋力A、軽々人間一人を抱えて歩くことなど造作もない。
購買も店じまいか、あの腹黒店員がいなかったのは奇跡といってもいい――どこかで眺められていたという説は早々に記憶から消去する。
「……? マスター、顔が赤いけど大丈夫かい?」
「ハハハ、まぁ寝れば治るさ。今はちょっと調子悪いからナー」
この天然属性が。
仮にも私だって女子である。中性的であれど、かっこいい奴に抱えられて嬉しいやら恥ずかしいやらと感情が渦巻かない道理などあるか。いやない。
……まぁ。なにはともあれ、と気持ちを切り替える。
エルキドゥにはここまで運んでくれた礼を言い、寝台の上へと腰を下ろす。
しかし、たかが逃走にどんだけ魔力を使ったのか、少し力を抜けばそのまま後ろへ寝転んでしまいそうだ。
とにかくそれは堪え、今は視線をモニターへと向けた。
『……聖杯戦争に戻るという最終目的も意味を失った。私たちは――終わったのです』
電源を入れると、そんなラニの声が聞こえてきた。
どうやら肝心の話の方はもう終わってしまったようだが、映像として映った生徒会室は随分と――絶望的な、重い空気に満ちていた。
誰も何も言わない。
佇んでいた岸波も、やがて踵を返して出て行ってしまった。
……はて、皆して