誰と戦ってきたなんて知らない。
彼女が今、どういう気持ちで目の前にいるかなど、知る由もない。
岸波白野。
戦いの中で最弱から最強へと至り、無名の魔術師から月の覇者へと成る人間。
……その情報は、死徒が敗北した後、彼女が思考できる間に虚数空間で検索した「聖杯を手にする者の名前」で入手したもの。
そのリストに記載されていた一人――それが、目の前の彼女だった。
「じゃあよろしくー。とりあえず購買行くぞ。起きたばっかで空腹なんだよこっちは」
「えぇ!? なんか、こう……緊張とか、雰囲気、決意表明的なものは……!?」
「ねぇよ。どうせ情報もお互いに知ってるし? どうせ最終的には殺し合うだけだし? 私としては死ぬ前に、思い切り生を謳歌しようとしているだけだけど?」
顔見知りと殺し合う、というのも躊躇われる話だが、逆にそれまではかなり気楽に過ごせる。なにせ校内での戦闘は禁止、行えばマスターに罰則が与えられるという程の厳重ルールだ。ついでに言うと、サーヴァント同士も親友レベルの絆なので超楽。めっちゃ楽。たぶん。
「――フ、よかろう。しばしの余興だ。お前も付き合うがいい、友よ」
「もちろん」
「やっぱ制服似合ってんなアンタ」
かなり気に入っているらしい。戦闘中はともかく、校内ではずっとこの格好と見た。
金髪……制服……外国からの留学生――うっ、頭が……
「とにかくよろしく――だ。決戦まで仲良くしようぜ岸波」
「……あぁ。ルツがそう言うなら」
若干呆れたような、けれどどこか安心したような顔の岸波と握手する。
これはきっとムーンセル史上初の、仲良し聖杯戦争であろう。
◈
朝が終わると昼が来る。
猶予期間の過ごし方は大抵、夕方になってからアリーナへ行き、鍛錬を兼ねたトリガーキーの取得だけだ。
だから朝は思う存分に寝ていられるし、昼は習慣的に購買で飯を食う。
殺伐とした戦争ではあるが、校内にいる午前中は平穏そのものといっていい。……奇襲がなければ。
闘争の空気と平穏の空気の切り替えに慣れるまでは一日中聖杯戦争のことしか考えられていなかった。午前中は敵へ仕掛ける作戦や情報集めの手段を練り、午後にはそれを実行に移してアリーナでの闘争が始まる――といった感じに。
それが月の聖杯戦争。
聖杯を手にするまで、一切の救いがない生存競争。
「――お」
二階、図書室。
朝食は共にし、昼食は別々――だったが、サーヴァント達の気配が失せたので、大方二人で屋上やら中庭やらで優雅に散歩でもしているのだろう。
なので、ハッキングを使い夕方になる前に相手のマスターの居場所を探してみた。
岸波は室内で席に座り、何かしらの本を読んでいた。
意識しなければ――彼女の左手の令呪を確認しなければ、一瞬NPCと見間違えるほどの存在感。奴は表情が乏し過ぎるのである。
「やっほー、はくのん。何読んでんの?」
本を読んでいる相手へ対し、話しかけるきっかけの決まりきった質問を投げかける。そのノリは完全に死徒のもの。心の内のどこかで、自己嫌悪に陥っている自分を感じた気がしたが、すぐにその感覚は失せてしまう。
一方の岸波は、特に驚く様子もなく淡々と答えを返した。
「マザー・グース集」
予想の斜め上、伝承童謡集であった。
まぁ岸波らしいっちゃらしいが……何ゆえ、そんなものを?
「……ナーサリー・ライム。ありす達のことを思い出して……」
「あぁ、あのフランス人形。へー、そんな真名だったのか」
あの童話からまんま出てきたような子たち。
マスターの方のありすはサイバーゴーストだという推測だ。今となっては、もう無意味な推測だが。
「マザー・グースっていったらアレか。“メリーさんのヒツジ”とか、“ソロモン・グランディ”とか」
岸波とは反対側の席について、ぼんやりした月成側の知識を披露する。
本自体は読んだことはないものの、少しばかりのタイトルは知っていた――という感覚。
「ソロモン・グランディならさっき……あった。これだろう?」
言うまでもないことだが、ソロモンと言っても別に古代イスラエルの王とは全く関係ない。単に同名なだけである。
「一週間を人の人生として表したもの――か。深いねぇ」
「まぁ、童謡集だし。けど一週間っていうのは……なんだか、この猶予期間みたいだ」
「期間だけ、な。決戦日――日曜に死ぬならまだしも、当てはめるのは無理があるだろ」
……モデルといえば、聖杯戦争の元は何なのだろう。
地上にて行われていた儀式らしいが……ふむ、今度見かけたら言峰にでも聞いてみようか。
「――そうだ。ルツ!」
「んぁ?」
本を閉じ、脇によけると岸波は一体何をしようというのか、端末を取り出した。
ムーンセルから送られてくる対戦相手の発表やら、トリガーの生成やらの情報を受け取る情報通信機器。ただし行える機能はあくまで通信のみ。がしかし、改造すれば術式なんかも埋め込めるが……どういう仕組みなんだろう、これ。一度分解してみたい。
「あの……ルツが持っていた礼装、壊れてしまったんだろう? 代わりといっては何だけど……」
はい、と物質化して渡されたのは古びた刀。
破邪刀ではない――それよりもっと、神秘を帯びた礼装だった。
「こりゃ凄い、神刀かぁ! 一体どこで拾った!? まさかあの邪神がドロップしたとかか?」
「い、いや、サクラ迷宮で見つけたんだ。使う機会もないし……迷惑だっただろうか」
俯く彼女の表情で、これが全く悪意のないただの差し入れだということを確信する。
古びた神刀――英霊に付加する能力は筋力上昇。
かつて、神が怪物を倒したときに入手したという古刀。今の世界で売り飛ばしたらどれくらいの価値なのだろう。
「や、ありがたく使わせてもらうよ。百パーセントの善意は受け取っておいた方が得だしね」
岸波白野は同情や哀れみでこんなことをする人間ではない。
ただの一般人的感覚を持つ「普通」の女子である。ただ、人一倍諦めが悪いだけの。
「それで、私は何を支払えばいい? まさか無償、なんてことは――」
「…………えっ」
呆けた岸波の返事にえっ、とこちらも聞き返してしまった。
本気でただ譲ることしか考えていなかったのか……いや、魔術師らしくない魔術師だし、何より、そういうところも岸波らしい。
「あ、そうだ。エルキドゥのことについて教えてくれないか? 部屋に戻るとギルがいつも友達自慢しかしてこなくて……だから、マスターとして見た彼のことを、教えて欲しい」
「お、いいなソレ。どうせなら英雄王との付き合いのコツも教えてくれよ。エルキに聞いてもなーんかすっきりしない答えしか返ってこないからさ」
「それは……もう慣れるしかないというか……」
半分諦めの目だった。諦めの悪いはずの彼女が、この点に関してはお手上げらしい。
――その後は、まるで学生に戻ったかのように会話が弾んだ。
互いのサーヴァントのことについてから始まり、彼らとの出会いの衝撃、裏側の憶えている限りの思い出の数々。
ただしお互いに、決して己の過去については踏み込まず。あくまで二人の間で共通する話題でのみ、話が進んでいった。
「サーヴァントかぁー。いいなぁ、小さい男の子とかのサーヴァント、私も欲しいなぁ」
などと言って、会話に入り込んだ受付係のNPCには、「それはやめておけ」と忠告しておいた。岸波もヘッドバンギングの如く頷いてところから察するに、あの作家英霊は少々、自分達にちょっとしたトラウマを植えつけたようである。
「――ん、」
唐突に、岸波の目が虚空を見た。
何かあるのか? と視線の方向を見るが、特に変わった様子はない。
首を傾げ、時計を見て、やっと岸波の行動の意味が分かった。
「……ギルに呼び出された。今すぐアリーナに行くって」
「行ってら。私達はもう少し後で行くよ」
「なんでもアリーナのエネミーを殲滅するらしい。友達とどっちが多く倒せるか勝負する……とかなんとか」
「ちょ」
おい馬鹿やめろ、までは言わなかった。
こちらの戦闘の勘が落ちていることに気がつかれるのはまずい――岸波に限って、いちいち気がつく可能性は低かろうが。
「……そうだ。もう一つ提案があるぞはくのん。ちょっと端末寄越せ」
「?」
ポカンとしながら、なんの躊躇いもなく、なんの警戒もなく端末を渡してくる岸波。
信頼されている証なのだろうが、その態度は呆れの気持ちと共に毒気までも抜かれてしまう。
……端末を操作する。
やがて自分の端末も出し、画面を触れ合わせると、パチンと音が鳴った。
「ルツ、何をしたんだ?」
「通信できるようにしたのさ。あくまで通じるのはセラフの中だけだと思うけど……あ、情報とか盗む機能は付加してないからな?」
一応釘を刺しておく。
何かあれば……なんてことは英雄王がいる限りないと思うが、トラブルに巻き込まれやすい岸波へ対してのあくまでの予防策だ。
……どちらかが死ねば、その登録されている名前も消えるのだろうが。
「ありがとう。それじゃあ、また」
応、と返事をして、走っていく岸波の足音が小さくなっていくのを聞き、ただ一人図書室に残される。
エルキドゥは何処にいるんだろうか――まぁアイツには気配感知があるので、こちらの場所を特定するのは容易であろう。
同じく、置いていかれた『マザー・グース集』を手に取る。
月曜日に誕生、火曜に洗礼、水曜に結婚、木曜に発病、金曜に悪化、土曜に死亡、日曜日に埋葬。それがソロモン・グランディ。うむ、シンプルでとってもよろしい。
窓の外には0と1で編まれた無機質な空が広がっている。
聖杯戦争が終われば、この校舎もろとも全てが初期化され、予選の状態に戻るという。
その知識はどちらのものだったか――いや、ムーンセルについての情報は蘇生されたときに大方焼き付けられた。どちらのものか、という話ではなく、単にこれは引き出しているだけだ。
「聖杯……ね」
岸波白野は何の願いをかけるつもりなのだろう。
今更になって、そんな当たり前の質問をし忘れたことを、ただ悔やんだ。