「ちょちょいのちょい……っと」
丸一日のほとんどを休養に当てれば、蓄積されていた疲労は相当に解消されていた。
おかげで礼装などの修理や調整も難なく終わり、決戦へ向けての最低限の準備は完了したといっても良い。
――決戦まであと二日。
ところが未だ、闘技場の扉を開ける肝心の鍵が揃っていなかったりする。
◈
「あ、先輩! こんにちは、いらっしゃいませ」
「ご苦労様。それじゃあ今日は……」
「えっとですね、今日はお弁当を作ってみたんです! お口に合うかは分かりませんけど……」
「……! とても美味しそうだ。ありがとう、桜」
今日も今日とて
店頭で二人だけの世界にいる岸波と桜をテーブル席から眺めながら、軽く溜め息をつく。
「なんなんだアレは……どうしてAIにもフラグを建てられるんだアイツは……」
「あやつ、あのAIがいると分かった日から毎日通っているのだぞ。『記憶がないのならまた作ればいい』などと言ってずっとアレだ」
対席している英雄王が珍しく苦労人をやっている。
いや、というか愉しんでいる。どうやら別れの時になったあの二人の様子を見たくて仕方がないらしい。やはり最悪なサーヴァントである。
猶予期間、五日目。
昨日は影すら見つけることができなかった対戦相手も、一日経ってから食堂でバッタリ遭遇した次第である。
ちなみに、争いを起こした張本人である私たちも別に険悪な雰囲気というわけではない。過去は過去、今は今だ。相手も戦闘を仕掛ける気分ではなさそうなので、こうして同じ空間で会話が成立している。
「んンー……ちょい待ち。ええと、このままだとルークが……いやその前にナイトを……待て待て待て、順番。そう順番が大切なんだよ。えぇーっと……」
もちろん、単に向かい合っているだけではない。
テーブルの上にはチェスの道具が広げられ、絶賛死闘中なのであった。ちなみに傍観に徹しているエルキドゥは、テーブル横から眼だけを出してじっと勝負の行方を見つめている。
「……よし。どう――打つの早くね!?」
「当然だ、たわけ。我と貴様の視覚を同列に扱うな」
「んがががが……!」
ギリギリと歯を食いしばりながら盤上を睨む。
この一手はブラフだろうか――いや、もしかすると三手前に打ったビショップが本命か? だとするとこちらのルークの位置が非常に危険である。しかしポーンがあと一息でプロモーションだ。この局面において優先すべきは――
「……頭痛くなってきた。ギルガメッシュ王、雑種はプレミアムなケーキを賜りとう存じます」
「劣化しただけではなく、図々しくもなったか貴様。我が宝剣で串刺しにされたいのか」
「あぁ、おいしいよね、アレ」
一瞬の間。
極めて自然な動作で英雄王が席から離れ、カウンターへ行って(宝物庫からインゴッドらしきものを取り出すと岸波が眼を丸くしていた)戻ってくると、
「ふははははは! 我が友がそこまで言うのならば仕方ない、ありがたく恩恵に預かるがいい!!」
「わーい王様ってば太っ腹ー」
流石は人類最古の英雄王、器の大きさが違う。
ありがたく受けとったプレミアムロールケーキはやはり美味しかった。エルキドゥもすぐ近くの席から椅子を引っ張ってくると、やはり盤上を傍観できるテーブル横にてモゴモゴ言いながらロールケーキにかぶりつく。
「よぅーし、再開だ。いけるいける、今なら勝てる! 気分的に!」
一手打つと、ふむ、と一瞬思考した王は即座に次の手を出してくる。
……くっ、この英霊の思考を止められるのはたった一秒にも満たないというのか……!
「いや、今のは『どうやったらより面白く相手を蹴落とせるか』と悩んだだけだと思うよもぐもぐ」
「通訳どうも。愉しむことに関しては本当に隙がねぇなこの古代王……!」
「どうした、万策尽きたか? まぁ焦らずとも良い、最期の足掻きを見せてみよ。上手くやれば勝ち目があるかもだぞ?」
この余裕っぷり。
ギリ、とさらに強く歯を食いしばり、その後に導き出した現在考えうる最善の答えを盤上にて示す。
そしてふと向こうのテーブルを見ると、岸波が桜に卵焼きをあーんされていた。カップルでよくあるアレである。両者幸せそうで何よりだ。
「――そら、貴様の番だぞルツ。この程度の逆境、魂の汚染よりは容易であろう?」
「言ってくれる、言ってくれるぜこの金ピカめ……確かにアンタは侵食なんか受けなさそうだけどさ!」
「落ち着いて――的確にいこう、マスター?」
かけられたエルキドゥの声でどうにか冷静さを取り戻す。
そう、まだ出せる手はある。どうせ向こうはいつでも勝てるのだ――否、その慢心を突いてこちらが勝利をもぎ取るのだ!
断腸の思いでプロモーション手前のポーンを切り札候補から捨て駒へ切り替え、改めて陣形を整えていく。だが、やはりそのニ手後に打たれた駒で再び意識は思考の海へと沈んでいった。
「ちきしょう……この千里眼持ちがぁ……!」
「フハハ、足掻け足掻け」
余裕の表情でそう言いながら、英雄王は自分の蔵から黄金色の酒器たちを取り出していた。ワインとワイングラス。生徒たちの憩いの場である食堂の雰囲気とはアンマッチ過ぎて違和感しか放っていなかった。
「……それ、美味いの?」
「無論。我が宝物庫には至高の財しか有り得んからな。……なんだ、よもや酒まで請うつもりか?」
「いりません。それ飲んだら絶対他の酒飲めなくなるでしょ」
「おや、ルツには飲酒の経験があったのかい?」
「ねぇよ。だから断ってんだよ」
生涯初の飲酒で最高級のものなぞ喉に流してしまえば、きっと感覚が狂う。味覚までもがおかしくなっている今、ここで酒に対する意識を変えてしまうのは絶対に避けるべきだ。
その後のチェス勝負は淡々と進んでいった。
といっても、やはり相手の手が読めるのは十手に一回か、それ以外ならばどうにか想定の範囲ギリギリで対策をうつ防衛戦になっていた。
あのラニ=Ⅷが敗北したというのも頷ける――とにかく彼の視覚は、人のそれを凌駕する。まだ私が勝負を続けられている理由を挙げるならば、それは彼がまだ遊んでいるから。
あとたった二手うつだけでこちらは負けるのに、向こうはあえて決着を先延ばしにしてくれているのだ。だから私が必死にやっているのは、「どうやったらこの王に続ける意志を保っていてもらえるか」という思考を止めないようにするだけである。……何故、チェスでユーモアセンスを問われねばならぬのだろうか?
――しまった。雑念が入ってしまった。
「あ。あー! ごめ、ちょっと待って!! 慈悲を! 王よ、慈悲を――ッ!!」
「たわけ、慢心が過ぎたようだな雑種――!」
ニヤリと口元を歪めたが最後、容赦なくチェックメイトを決めにかかる英雄王。
止める者はおらず、後はもうどうしようもなく。
あっさりと決着はつき、かつてない大惨敗を食らった私には、もうリトライという文字も思い出せなかった。
◈
「ただい……って、どうしたんだルツ!?」
「チェスがトラウマになりそう」
桜との幸せランチタイムを終えた岸波へ、テーブルに突っ伏したままそれだけ返すとあぁ、とだけ言って納得したのか、彼女はおとなしく英雄王の隣へと移動していく。
その間にも私は目だけを動かして、虚空に開かれた「王の財宝」内に仕舞われているチェスセットを見送った。
全く、だから勝算のない勝負事は嫌なんだ――勝算がないからこそ、燃えるゲームもあるだろう? なんて二つの思考が一瞬脳裏を掠めたので、一旦二つ目のロールケーキを食べ始めたエルキドゥを視界に入れて頭を空っぽにする。要はぼーっとする。
「また残高が減ってる……! さっきのインゴットはなんだったんだ!?」
「あれは友の分に決まっているだろう。貴様の蔵から出したのはそこな雑種の分だ」
じろっ、と岸波がこちらを見てくるが、返金する気など更々ないのでサムズアップを向けておく。
「うん、まぁ他人の金で食う飯ほど美味いものはないよな」
「反省の色が! 全く見えないのだが!」
「何をそう苛立っている。我らが運命共同体である以上、財布の中身も共同であると以前言ったはずだが」
向こうの財産システムはそうなっているのか……まぁ正論ではある。
というか、「また」と言っているところ、どうやら勝手に使われているのはこれが初めてではないらしい。英雄王のマスターという立場も、色々と気苦労が絶えないようだ。
――犠牲になるべし、岸波の財布。
「ご馳走様。おいしかったよ、ありがとうハクノ」
「ぐっ……! え、エルキドゥさんがそう言うのなら……!」
「いつの間にさん付けしている仲に」
どうやら先日、アリーナで出くわしたときにあちらも意気投合していたようだった。主にギルガメッシュ関連で。
「この王様に治められていたウルクやその民たちはさぞ凄かったんだろうなぁ……」
「神代の頃は神々の気まぐれで何度も世界が滅びかけてるしね。基本、当時の人間はびっくりする程しぶといよ」
古代メソポタミア。
その時代は現代の魔術世界において、大気中に
……人間と神との決別は、今私たちの目の前にいる二人が大きく関わっていたりするのだが……その話はまた別の機会に回すとして。
「ウルクって、どんなところだったんだ?」
ふと、端末から目を離した岸波がそう問うた。
サーヴァントが過去の英雄である以上、そういう類の質問は当然のもの。しかしまぁ、英雄の最期は全てが良いものだとは言えないので、生前のことはあまり追求しにくい。
がしかし――やはり現代人として、神代の風景についてはかなり興味がある。
無言で突っ伏していた姿勢から起き上がってみると、あ、これ死亡フラグかな、と不安そうな目を一瞬した岸波が見えた。で、当の本人たちは――
「――素晴らしいものに決まっておろう」
「安定のドヤ顔サンクス。しかし雑種はもう少し具体的な話を聞きたいのです王よ」
「んー……食物の点を言ったら羊肉や魚、果実や麦酒なんかもあったかな。菓子だってあったし――あぁ、中でもシドゥリの作ったバターケーキは最高だったね。ウルクのものは総じてどれも美味しかったよ」
魚に肉……? 当時に香辛料はなかったはずだが、どのようにして味付けしていたのだろう。神代の謎は深まるばかりだ。
「
「ま、まさに泥と粘土と羊と麦の国……けど、楽しそうな国だ」
「行けるものなら行ってみたいねぇ……そういや噂の『城壁』にも粘土と石と木材が?」
「ほほう? 聞きたいか? ――よかろう、とくと拝聴するがいい」
あ、長くなりそう、と直感した。
「よし、トリガー回収行かないといけないんで我々はこれにて。じゃあな岸波、後から掻い摘んで色々聞かせてくれ」
「いやこれきっと『聞かなければ良かった真実』的なものを感じるのだが――ッ!?」
無視してパッと席から立ち上がり、足早に食堂を後にする。
既に語り始めていたギルガメッシュの声が背後から聞こえるが、呼び止められないということは、聴衆が一人でもいればいいらしい。それとも単に気付いてないだけか? いやそれはないか。
「……しっかし、今更エネミーにクラス適性が付与されるとかどういうつもりなんだろうなぁ? セイバーとかライダーとか、弱点のクラスなんてあるの?」
「セイバーのエネミーには矢の武器が効いていたよ。ライダーは……なんだろうね。小型の武具かな?」
そう、今回の最終アリーナは迷路形式だけじゃなく、なぜだか出現するエネミーにサーヴァントと同じようなクラスという型が当てはめられているのだ。
千差万別に武器を作りだすエルキドゥや、あらゆる兵器を持つギルガメッシュならば対処できるが、他の英霊ならばまず地獄のような試練会場である。一体どこの誰の嫌がらせなのやら。
『――Hello』
「…………」
「マスター?」
一階の玄関前まで来て足が止まる。
この猶予期間が始まり、意識の底から、頭の奥から響く忌々しい雑音。
『Hello、調子はどうだい、月成ルツ?』
「……いいや、なんでも」
――下らない、取るに足らない幻聴だ。