あぐりの傷は致命傷だった。医学を極めた死神でも治せないような。
「何故…、飛び出さなければ私の巻き添えにはならなかったのに…」
そう哀しげに、絞り出すように呟く死神。
「ドジこきました…、まさかあんな罠がびゅるって来るなんて…。
だけど、そうでもしないと、貴方は止まってくれない気がして。」
その通りだった。あのまま外界に出て行けば、歪んだ感情が触手を歪め、歪んだ触手が感情を歪め、
どす黒い姿の破壊生物として安定してしまう所だった。
そうなってしまえば、おそらくあぐり1人とは比べ物にならない犠牲が出ていただろう。
そうならずに済んだのは、彼女の感触のお陰だった。
(後0.1秒早く気付いて居れば守れたのに!触手を医療に使う訓練をしていれば救えたのに!)
死神は狼狽する。
世界を憎んで育った殺し屋は、その全てを、相手を殺す為だけに使ってきた。
戦闘術も、対人術も、科学知識も。
(力の使い方は、他にもあったはずだ!どうして、誰かを助けるために力を使おうとしなかった
殺す力を、壊す力を!)
死神はようやく気付いた、身に付けた力の使い道は他にも沢山あった事を。
(どうして、気づく時間は山ほどあったのに!)
「…私が、殺したも同然だ。」
死神の懺悔の言葉。あぐりはそれを否定する。
「そんな訳ないですよ。私が助けたかっただけですから…。
それにね、貴方になら、殺されても構わない。そう思えるんです。そのくらい貴方が大切な存在だから。
いつか貴方も、そんな相手に巡り会えますよ。」
息も絶え絶えに呟くあぐり。
「君になら殺されても悔いはない。だが、君以外にそんな相手に巡り会えるとは思えない。」
「ゲホッ!」
あぐりは吐血する。
「もし、残された1年間、貴方の時間をくれるのなら、あの子達を教えてあげて。
貴方とおなじように、あの子達も闇の中を彷徨っている。
真っ直ぐ見てあげれば、きっと答えは見つかるから。」
「…君がそう言うのなら。」
最後に、自分を包む触手に弱々しく触れながら、彼女は死神に言った。
「なんて…、素敵な触手。その手なら、きっと貴方は、素敵な…、教師に…」
それが、雪村あぐりの、最後の言葉だった。
前任教師の懐には、誕生日プレゼント。
どこで着用するのか、まるで不明な巨大なネクタイ。
「ダサい…」
そんな欠点も、彼女の長所だと、今理解した。
残りの時間を、教師である事に使おう。あなたが見てきた生徒を、私の目で見続けよう。
どんな時でもこの触手を離さない、彼はそう誓った。
紙に、逃亡とE組の担任を引き受ける事を書き、空へ飛び立つ。
最後に、あぐりの髪を整えて。それを偶然、茅野は目撃してしまったのだ。
…凄まじい速度が出た。
人間の細胞が全て触手細胞に置き替わり、彼は全く新しい生物になろうとしていた。
この力があれば何でも出来る。どんな生物になるかは、彼の望み次第。
彼は凄まじいスピードで裏山に突入する。そこに巨大な穴が空いた。
触手は彼に聞いてきた、どうなりたいかを。彼は答えた。
「弱くなりたい」と。
弱点だらけで、親しみやすく、この触手に触れる、どんな弱い存在でも
守れ、助け、導ける存在に。
時に間違うこともあるだろう、もしかすると冷酷な素顔が出るかもしれない、
でも精一杯やろう、自分なりに、自分の得意なやりかたで。
彼女の思いを受け継いで。
触手を変化させ体を整え、草から服を編み出し、それを墨で黒く染める。
首元にはあぐりの形見となってしまったネクタイ。
全ての準備を整えて、それから、マッハ20の新米教師は、ゆっくりと、ゆっくりと立ち上がった。
***
こうして、殺せんせーはその長い過去を語り終えた。
「以上で、先生の過去の話は全てです。 なお不明な点、疑わしい点があれば指摘して下さい。」
…誰も殺せんせーの話を疑う者はいなかった。
皆も。そして茅野も、納得したかのように黙りこんでいた。
全ての辻褄があっていたからだ。殺せんせーが万能だったのも、
どんな暗殺でも知っていたかのように避けられたのも。
そして、イトナが触手を出した時、何故あんなに激怒したかを。
雪村先生の死の責任を、殺せんせーに求める生徒もいなかった。
2人とも、困っている人を放って置けない先生だという事を皆知っていたから。
「…先生の教師としての師は誰あろう雪村先生です。
目の前の人をちゃんと見て、対等な人間として尊敬し、一部分の弱さだけで人を判断しない。
彼女から、そういう教師の基礎を学びました。
先生は、それに自らの知識を足して、皆さんと向き合う準備をしました。
自分の能力の限りを尽くし、君達に最高の授業を受けてもらう。
その為に先生が考えたのが、先生の残された命を使った暗殺教室です。」
…そうだ、そしてそれは目論見通りに行った。
殺し、かわし、手入れして教える。暗殺を通して、俺たちの心の闇は晴れていった。
…だがしかし。
「前にも言いましたが、先生と君達の絆は、ターゲットと暗殺者という関係でこそ結びついた。」
イトナがやって来た時、俺らは殺せんせーの過去を問い詰めた。
その時に先生はそう言った。
「そうでなければ、先生は君達の担任にはなれなかったし、
君達が本気で刃を向けてくる事も無かった。
だから、この授業は、殺す事でのみ修了できます。」
殺せんせーはなおも続けた。
無関係な殺し屋が先生を殺す。出頭して処刑される。自殺する。爆発期限を迎えてしまう。
それらの結末では、先生と君達の絆は卒業前に途切れてしまう。
もし殺されるなら、他の誰でもない、君達に殺して欲しい物です。」
と殺せんせーは語り終えた。
力の差があり過ぎて、誰もが気付かなかった事がある。
殺せんせーが、今まで俺たちに過去を話さなかったのは、俺たちにその考えがよぎらないよう、
細心の注意を払っていたからじゃないかと。
だからこそ、皆は気兼ねなく暗殺できた。殺せんせーを殺す事こそ、俺たちの絆だから。
本当に、良い先生だと俺は思う。
だけど、殺せんせーがE組に来て9ヶ月。30分かけて先生が過去を話し終えた時、
突如、俺たちの脳裏を、思い出が駆け巡った。
怖かった事。寺坂達が渚を自爆させた時、殺せんせーはド怒り状態で寺坂達を説教した。
腹が立った事。カルマは油断した結果1学期期末テストで惨敗し、殺せんせーに煽られた。
嬉しかった事。2学期期末テスト、全員がトップ50以内に入った事。
楽しかった事。南の島、最終日の前日海で遊んだ事。
花火を皆で見た事。裏山でバーベキューをした事。
俺達は初めて気付いた。恐ろしい難題を突きつけられたと。
この先生を、殺さなくちゃいけないのか!
…と。
その事実に気付いた時、皆が言葉を失った。渚も、カルマも、俺も、茅野も。
烏間先生ですらも思わず目を背ける。彼の脳裏に浮かぶのはビッチ先生の言葉。
「ねえカラスマ、殺すってどういう事か、本当に分かってる?」
彼は防衛省の人間。戦闘の訓練を積み、自衛隊内でもトップクラスの成績だったが、それでも、
決して自衛隊では人を殺す訓練はしていないし、暴力装置などでは無い。
当然烏間先生には人を殺した事はない。殺せと言われて、すぐに人を殺せる勇気はない。
ましてや、まだ年端もいかぬ中学生の彼らに暗殺をさせているのだ。
今までは暗殺に集中出来ていたが、殺せんせーの過去を話せばどうなるだろうか。
必ず皆は殺せんせーに同情し、暗殺を躊躇う。
おそらく、殺せんせーも、そのことをわかっていただろう。
それでも、殺せんせーは過去を話さざるを得なかった。
そうして、皆は沈んだ様子で帰途に着く。1人、また1人と帰って行き、
その場に残ったのは、烏間先生と、殺せんせーと、茅野。
そして、茅野を助ける為に使った物の後始末をし、傷を手当てしていた俺だった。