少し寂しい気がしますね。
黒崎が身体についた汚れを落とし、超体育着を脱いで撤収の準備をしていると、
何やら話し声が聞こえた。
「…しかし…という訳には…!彼の負担も…」
「ですがねえ、これしか方法が…。私は飛べませんし…」
どうやら殺せんせーと烏間先生が揉めている様子。
黒崎が何かあったんですかと聞くと、殺せんせーは答えた。
話を聞くと、茅野をどうするかという話らしい。
本来なら、防衛省指定の病院にすぐさま連れて行き診断したいのだが、
あいにくこの時間になると診察はしていない。
かといって今生命の危機にある訳ではないので、急患として搬送する事も出来ない、
という大人の事情だそうだ。
それで、茅野は一回家に帰らせるしかないというが、この状態で1人で帰らせるのは危険である。
烏間先生はこの後仕事があり、なら殺せんせーが運べば良いと思ったのだが、
「空を見てください。」
と言われ空を見上げると、雨雲が一面に広がっていた。今にも雨が降りそうだ。
「雨の中だと、触手がふやけて先生満足に飛べません。ましてや茅野さんを乗せて飛ぶなど…」
厳しいそうだ、ではどうするんだと訊くと殺せんせーはこう答えた。
「申し訳ありませんが、黒崎君、茅野さんを家まで送ってくれませんかね?」
「え…」
「悪いですけど、君しかいないんです。任せられる人が。」
成る程、それでさっき2人は揉めていたのか。
「できれば一生徒である君には負担を掛けたく無かったのだが…」
と烏間先生が呟く。まあ仕方がない。
「そういう事なら…、引き受けます。一度救おうとしたからには、それを
最後までやり通すべきですから。」
「ええ、助かります。」
そう言いながら殺せんせーは心の中でこう思った。
(最初は誰とも関わらず誰も信用しなかったのに…、彼の心も大きく成長しましたね。)
***
そして黒崎は、茅野の元へ行く。茅野はまだ疲れた様子でそこに座っていた。
茅野に事情を話すと、彼女は納得した様子だった。けれど…
「…ごめんね。私のせいでこんな苦労させちゃって。」
と茅野が謝ってきたので、
「そんな事はない。気にするな。」
と黒崎は言う。
彼にしてみれば、クラスメイトを救う為ならこの程度の苦労などささいな事だろう。
でも、茅野にとってその罪悪感は大きかったようだ。
黒崎は茅野に問う。
「1人で歩けるか?…いや、無理は禁物だな。茅野、俺の背中に乗ってくれ。」
茅野は何も言わず俺の背中に乗った。
「じゃあ行くぞ。椚ヶ丘駅まででいいか?」
茅野はコクリと頷いた。心無しか彼女は体温が高いし顔色も良くない。
よほど触手の影響で体力を消耗しているようだ。
気付けば殺せんせーも烏間先生もその場を立ち去っている。
黒崎は茅野を背負って駅まで歩き出した。
茅野が重い訳ではないが、触手を受けた際のダメージや疲労が重なって、
黒崎にとってかなり歩くのは負担が大きい。訓練で鍛えた身体だが、限界はある。
それでも、茅野の為だと思えば歩く事は出来た。
すると、
ポツリ、ポツリ
水滴が空から降って来る。雨雲が空を覆っていたので分かってはいたが、
生憎雨を防ぐものは一部が焦げたコートくらいだ。
雨音は次第に強くなり、体を雨水が叩きつける。
さらには雷鳴が鳴り響く。
駅まではそれほど遠くないが、このままではかなり濡れてしまう。
黒崎が濡れた所で乾かせば済む話だが、茅野はそうは行かない。
茅野の服は冬着るのには寒すぎる服で、体力が低下しているこの状況で、
さらに雨に濡れれば、体温が奪われて行く。そうなってはまずい。
黒崎は茅野を一旦下ろし、彼女にコートを掛ける。
「ほら、濡れると困るだろう。 」
「…うん。」
茅野は頷いた。
黒崎は先程よりペースを早めまた歩き出す。
茅野は心の中で思っていた。
(黒崎君…、私の為にここまでしてくれるなんて。私は、皆を騙してたのに。
本当は自分だって疲れてるはずなのに…。)
無愛想で冷たい態度に隠れた、黒崎の本当の優しさが、茅野には垣間見えた気がした。
もしかすると、それこそが黒崎の本当の性格なのかもしれない。
普段の冷たい態度は彼の警戒心の強さの表れで、
彼の辛い過去が産み出した物。決して消えないだろう。
けど、だからと言って本来の優しさは消えた訳ではない。
その優しさはただ隠れているだけだ、茅野にはそう思えた。
けれど。
それに比べて自分はどうだ。
クラスメイトを騙し続け、嘘の言葉と笑顔を並べ立て。
その上、その演技を本物だと信じていた彼を傷付けて。
そんな自分に、彼に助けてもらう資格は無いのではないか。
いや、そんな資格は無いと断言出来る。私は本来、復讐を遂げようが遂げまいが死ぬ運命だったのだ、
それを誰かを傷付けてまで救われるなんて。
そう考えると気分がどんどん暗くなっていく。
だが、はっきりしない意識の中、茅野は深く考える事はしなかった。
そうこうしている内に駅の近くに着いた。
「そろそろ下ろすぞ。」
茅野は頷いた。
後はここから茅野が電車に乗って帰るだけだ。
茅野の家は最寄駅のすぐ近くだから、1人でもなんとか大丈夫なはずだと思ったのだが。
しかし。
何やら駅周辺の様子がおかしい。人がやけに多く、不審に思いながら駅の中へ入ると人混みが出来ていた。
駅員のアナウンスが聞こえる。
「落雷と大雨の影響で運転を見合わせております。
運転再開までは相当な時間がかかり、終電まで運休となる可能性もあります…」
それはまずい。となれば駅からタクシーで彼女の家まで運んでもらうのがベストだ。
と思い、タクシー乗り場を見てみるが、タクシー乗り場には長蛇の列が。
これでは今日中に乗れそうもない。また降り注ぐ大雨の中茅野を長時間待たせる訳にも行かない。
…仕方ない。今夜は俺の家に泊まらせるしかなさそうだ。俺の家なら駅から近い。
一旦茅野を十分休息させて、家に帰すのは最悪翌朝でも構わない。
幸いにも妹の由夏は今日、「友達の家に泊まる!」と言って家に居ない。帰るのは明日の昼頃だそうだ。
全く、私立の女子校に通っているからと気楽な物だ。
もっとも今はそれに救われたが。
「茅野、今夜はもう帰れそうもない。悪いけど、一旦俺の家で休もう。
その身体でこの雨に打たれたらまずい。
今夜は偶然妹も居ないから、部屋は妹のを使って。家に帰るのはゆっくり休んでからの方が良い。」
俺は歯切れ悪くそう言った。2人きりで女子を家に泊まらせるなど気が引けるが、
今は非常事態だ。しょうがない。
茅野は、
「うん、この雨だし、そうするよ。」
と即答した。
疲れ果てた彼女は、何も考えず、とにかく休息を望んで居たからだ。
黒崎は、茅野を乗せて今度は家の方に向かう。
今度は5分もしない内に到着した。
彼は茅野を下ろして、家のドアを開け玄関に入る。
茅野も続いて中に入る。
リビングの電気を点け、黒崎は何をすべきか少し思案し、
まずは茅野を休ませ、体力を回復させるべきと判断し、取り敢えず風呂を沸かす。
その間に黒崎は着替えを用意する。妹が一年ほど前着ていた服を引っ張り出し、
脱衣所に置く。すると風呂が沸いたので、茅野に入ってくるよう言う。
最初茅野は「良いの?」と言っていたが、
黒崎が、
「まずは体を休めるのが最優先だ。」
と言うと納得したようだ。
茅野が入浴している間、俺は自分の部屋に1人佇んでいた。
大雨が窓を叩きつけ、家の中からでもその音と落雷が聞こえる。
雷鳴と大雨以外に音はしない。そんな中黒崎は椅子に腰掛けながら、
ふと茅野のことについて考えを巡らせていた。
果たして、彼女は大丈夫なんだろうか、と。
しかし、いくら考えても不安は増すばかり。
そんな状態で、彼は茅野が風呂から出るのを待っていた。
まさかの泊まり展開。次回はこの話の続きです。