ソードアート・オンライン──聖剣── 作:kujiratowa
穏やかな、春の日の午後だった。
こんな素晴らしい環境設定で昼寝しないのは嘘だと思い、いつか、鋼鉄の城でもしたように仰向けになって草原に寝転がる。
≪プーカー領≫の外れにある、名前もついていないその場所には、時折、音楽妖精の賑やかなメロディが風に乗ってやって来た。
寝心地も良いし、耳心地も良い。
現実世界でも慌ただしい新年度がようやく落ち着き始めたところで、やはり体にも疲労が溜まってきていたのだろう。
だったら≪ALO≫にログインなんてせず、普通に寝ていればよい話だが、ついいつもの感覚で、特にクリアしたいクエストがあるわけでもなく、こうやってログインしてしまった。
フレンドリストを覗くと何人か顔見知りがログインしているようだったが、特にメッセージを送ったりせず、何となくアルヴヘイムの空を飛び回って、そして今、この場所で寝転がっている。
贅沢な時間の使い方だと思いつつ、目を閉じた。
ALOを始めてから、二度目の春。
ほんの少し、夏の混じり始めた風が、頬を撫でていく。
「…………ん?」
プーカーたちのBGMに、何か別の異音が混じる。
しかし、どこかで耳にした覚えのある音だ。
えぇと、なんていったっけ、この独特の──そうそう、風切り音!
なんてことはない、どこかで……というより、いつも耳にしている飛行時のサウンドエフェクトじゃないか。
しかし、それが何でこんなにも大きく聞こえるんだ。
「………ぅぅぅぅぅ…………ぇぇぇたぁぁぁあぁぁぁっっ!!!!」
それはもちろん、近くを誰かプレイヤーが飛んでいるんだろう、と確認のために目を開けた。
それからすぐに目を閉じた。
恐る恐る目を開けて、それから全力で腹筋に力を込めて起き上がり、そのまま前のめりに寝転がっていた場所から飛び退く。
直後、統一デュエル・トーナメントでもなければ滅多に聞くこともないド派手な衝突音が真後ろから発生する。
そのまま二回三回転がったあと、すぐに慣れ親しんだ片手剣を一本装備し直し、背中に現われた剣の柄に右手をかける。
片膝をついたまま向き直るも、やや長めの草が衝撃で舞い上がり、その衝突の全貌を認識することができない。
ただ、直前に聞こえた声。
あれは間違いなく、プレイヤーの声だった。
やがて、小さく身を屈めていたらしいその影が、立ち上がる。
黒に限りなく近い、濃紺のワンピース。
右手に握った、刀身の輝く細剣。
こちらに背を向けて立ち上がっているため顔こそ確認もできないものの、おそらく女性プレイヤーだと思わせる真っ直ぐに伸びたセミロングの黒髪が、首よりも少し下のところで微かに震える。
「随分と、派手な登場じゃないか」
とりあえず、声をかけてみた。
もちろん、記憶する限りでは、目の前のプレイヤーに覚えはない。
恨みを買うような真似は、確かにしたことがなくもないが、こんなにも明確に敵意を向けられた経験は、ほとんどなかった。
鞘から剣を抜き放ち、膝立ちを止めて立ち上がる。
≪PK≫なんてされるつもりはない、という気迫と一緒に剣を握り直し、一足で彼我の距離を可能な限り縮める。
その勢いのまま放った単発ソードスキル≪スラント≫の狙う先は、細剣。
悪いが≪武器破壊≫させてもらう────!
───────…………イィンッ……─────
「おいおい…………冗談、だろう」
俺の振るった剣の刃の部分に、相手は恐ろしいほど正確に、細剣の切っ先を合わせてきた。
金属同士の衝突によるサウンドエフェクトも、今回ばかりは小さく響くばかりだ。
直前、彼女が放ったのは細剣ソードスキル≪ストリーク≫は、確か上方向へと放つ≪リニアー≫だ。
瞬時に旧SAOから今までのアスナの動きが脳内で再生され始めるものの、こんな風に≪パリィ≫する姿は、ほとんど見たことがなかった……というか、一度もなかったかもしれない。
もしこれが偶然なんかじゃなく、狙ってやったのだとしたら…………恐らくこいつは、アスナ以上の細剣使いということだろう。
「へぇー、本当だ、聞いてた通り」
何か確かめるように呟いた彼女は、互いのソードスキルが発動を終えたところを見計らって大きく後ろに飛び退いた。
そこで改めて、目の前に立つ女性プレイヤーの表情を窺うことができた。
自分と同じ≪影妖精≫種族らしい彼女は、嬉しそうに顔を綻ばせている。
そのあどけない表情に何となく既知感を覚えるも、すぐにそれを拭って、再び武器を構える。
聞いていた通り、というのは一体何のことだ。
俺のことか、それとも武器破壊のことか。
先日、ユウキと戦ったこともあって、随分と名前も顔も売れてしまった。
少し調べられれば、俺がどんなプレイヤーなのかはわかってしまうだろう。
けれど、武器破壊の方は、ALOではほとんどプレイヤー相手に見せたことがない。
もし、聞いていたということが後者であるなら、旧SAO絡みでの何かだろうか。
背中を、冷たい汗が一滴流れていくような錯覚を味わう。
あぁ、まさか≪GGO≫のときのような、≪笑う棺桶≫の関係じゃないだろうな────。
「よしっ、と」
「…………え?」
暫し手放しかけていた非日常での戦闘へと気持ちを切り替えようとした矢先のことだ。
彼女は手にしていた細剣を腰元の鞘に戻し、そのままのんびりとした足取りでこちらに向かって歩き出した。
淀みのない、しかも軽い足取りで、一歩ずつ、着実に、俺との距離を縮めていく。
こちらも構えを解くべきか、それとも現状維持か────そんなことを考えているうちに、彼女はもう、目の前まで来ていた。
「初めまして、キリトさん」
「あ……あぁ、初めまして」
「ふふー、やっと、会えた!!」
「わぶっ!?」
言うが早いか、勢い良く彼女が飛びかかって……いや、抱きついてきた。
その勢いに耐え切れず、押し倒されるようにして、草原に二人転がる。
「その──君は、一体」
「内緒です。気が向いたら教えるかもしれません。もう少しだけ、こうしていてもいいですか」
「…………好きにしなよ」
「わぁ、浮気者の発言ですね! こんなところ、ぁ……アスナさんに見られたら、誤解されちゃいますよ」
だったら、離してほしい。
いつの間にか人の手を腕枕に、何とも夢見心地のような微睡んだ声で、名前も知らない彼女が話しかけてくる。
…………って、そうじゃなくて!
「君、どうしてアスナのことをっ」
「知っていますよ。それはもう、たくさん」
頭を少し動かして、こちらに視線を向けながら、彼女は嬉しそうな声で答えた。
「どうしましょう? キスでもしちゃいましょうか?」
「へ? な、あ、キっ!?」
「もう、初めてじゃないでしょうに。私はいつでもオッケーですっ」
「ばっ、何を!」「あ、照れてる。ふふー、こういうところも可愛いんでしょうね」
「顔、顔が近い! じゃなくて、えぇと、ぬわー!!」
遠く、ファンファーレにも似た軽快な音楽が響いた。
* * *
名前を名乗りもしないその少女をようやく押し退けて立ち上がり、辺りを見渡す。
「誰もいないですよー。何か引っ掛けようとしているわけじゃないですもん」
「…………さっきのことを写真に撮って、ばら撒こうと思っているとかってわけじゃ」
「あはは、まさか! そんなことしたって、私には何の利もないですよ」
彼女もまた起き上がり、後ろ手に組んで、俺の思考を面白そうに笑った。
過去、≪二刀流≫の存在が知れ渡ったときに経験した他者からの好機の眼とまではいかないものの、最近も時々、プレイヤーの視線を感じることがある。
この子がそういった輩と関係がない、とは現在持ち得る情報で判断することは難しかった。
────とはいえ、このまま何もせず、この広い平野にいるのも、それこそ誰かに見られてしまうようで嫌だ。
「なぁ、えーと……」
「≪スプリガン≫でいいですよ。あ、もしくは女の子っぽく≪スプリガール≫とかでも可です!」
「おいおい、一方的に名前を知っていて教えてくれないってのはどうなんだ」
「それにはですね、≪世界樹≫よりも高く、≪ヨツンヘイム≫よりも深い事情があるからですっ」
どうだ! と云わんばかりに胸を反らして見せる少女に若干の眩暈を覚えつつ、とにかくその場から立ち去ろうと、背中に翅を広げる。
「あれ、もう行っちゃうんですか?」
「悪いが、俺は今日という心地良い日を昼寝したいんでね。だから君とは────!」
背中から剣を引き抜き、眼前に迫った黒閃に剣の腹を滑り込ませる。
右手首に感じる重圧をどうにか跳ね除け、再び彼女と相対した。
…………話がわかる相手じゃないなら仕方ない────今度こそ、その得物を砕かせてもらう。
目を細めるようにして、彼女の出方を窺う。
俺の様子に満足したのか、彼女は口元を綻ばせ、俺と同じように目を細めて見せた。
彼女が振るう武器は、その形状と、先ほどのソードスキルから、まず間違いなく細剣に分類されることがわかる。
辻PKをかけてくるような輩だとすれば、それなりに腕に覚えもあるだろう。
彼我の距離はおよそ5メートル、仕掛けるには十分な間合いだ。
この状態で、他を圧倒するために細剣使いが放つソードスキルは、自然と限られてくる。
やや左足に体重を乗せ、前傾姿勢を取って、武器を掴んだ右腕を肩口まで上げている────恐らく、細剣最上位突進技≪フラッシング・ペネトレイター≫。
彗星をも思わせる光を纏って前方10メートルに渡る範囲を蹴散らす、攻防優れた突進技である。
躱してスキル硬直の瞬間を叩くか、同じように突進技でぶつかり合うか────距離的に回避しきれるかは、微妙なところだ。
かといって、片手直剣と細剣では、突進判定でやや分が悪い。
…………ならば、仕方ない。
武器破壊がメインとはいえ、多少のダメージも相手に覚悟してもらおう。
正眼気味に構えていた剣を引き絞り、左足をしっかりと踏み込む。
片手直剣単発技≪ヴォーパル・ストライク≫────これで、突進そのものに対抗する。
そう、考えをまとめた直後のことだ。
「おーい、キリの…………うおぉぉぉ!? 何物騒なことしてやがんだぁっ!?」
和装の羽織を棚引かせながら飛来した≪火妖精≫────鋼鉄の城での時間を共にした≪クライン≫が、俺と彼女との間に割って入り、すぐにでも抜刀できるよう柄に手をかけた。
どうやら、俺たちの張り詰めた空気を察したらしい。
だが、極限まで高められたこの緊張感の渦巻く中で、一人の部外者が来ても何の意味はな「きゃああぁぁぁぁあぁぁっ!!」────い、こともない、らしい。
「え、うそ? でも、あの羽織…………本当に? うわっ、うわあああああああ!!」
ソードスキルの≪プレモーション≫がキャンセルされ、仄かに光を帯び始めた彼女の剣が、再び漆黒のそれに戻る。
剣を掴んだまま、両手で口元を覆うようにして、何やら自問自答しながら、目を瞑って思い切り叫んだ。
それからそのまま、クラインに駆け寄って、数瞬前を思い出すような、猛烈なタックルを仕掛けた。
もっとも、体格差の関係か、俺と違ってクラインはしっかりと彼女を受け止めていたが。
「あー、あの…………えーと? お、お嬢さん?」
「おじさま! クラインのおじさまですよねっ? うわー、懐かしい!!」
「何だ、クラインの知り合いか」
「は? や、ちょ、お、俺ぁ知らねぇぞ! こんな可愛い嬢ちゃんなんか今まで会ったことなんて……!」
クラインに出会えた喜びを全身で表現する彼女に、いつしか俺も剣を背中に戻していた。
破顔して抱きついている彼女。
困惑気味のクライン。
行き場のない俺。
穏やかな春の日の午後は、時速150キロメートルくらいでアウトバーンを駆け抜けて行った。
* * *
「それで、君は一体何の目的があったんだ?」
たっぷりクラインに抱きついたあと、満足そうに離れたスプリガンの少女は、俺の問いかけに軽く微笑んだ。
クラインは、まだ彼女を抱きとめたままのポーズから立ち直っていなかった。
「それはですねー、ふふっ、私、どうしても欲しいものがあるんです」
「欲しいもの?」
「はい、VRMMOならではの≪伝説級武器≫が」
「それが欲しくて、俺のところにやって来たと?」
「さっすがキリトさん! 物わかり良いですね!」
物わかりも何も、少し察すれば考えつくことだったのに、そんな風に褒められて、悪い気はしなかった。
とはいえ、油断できない。
いきなり斬りかかってくるような奴を信用できないことは、過去何度も経験してきた。
「それとこれと、どうして俺を襲撃することに繋がるんだ?」
「その…………怒らないでくださいね? あの、試してみたかったんです────キリトさんのこと」
「は?」
「だからぁ、キリトさんの腕を見たかったんですってばー! ……あー! ほら、怒ってる! 口元きゅって結んでるー!!」
思わず、次の言葉が出てこなかった。
だって、まるで、その言い方は────そう、俺よりも強い、という確信がありそうな言い方だった。
確かに、アインクラッド最終局面のときに比べれば、見劣りするようなステータスではあるが、だからといって腕まで錆びつかせた覚えはない。
絶剣に敗れこそしたものの、それでもデュエルトーナメントは危なげなく勝ち進むことができた。
なのに────…………と、そこまで考えたところで、珍しく自分が勝敗にこだわっていることに気がついた。
この世界をゲームとして楽しむ余裕が出てきていたというのに、なぜだろう、目の前の少女と相対していると、心がざわつく。
「あの…………まだ、怒ってます?」
「え────ぁ、いや、怒ってないよ。この世界に俺より強い奴がいることより、よく知っている」
なおも不安そうな少女に、少し表情を崩してみせる。
確かにさっきのストリークはものすごい精度だった、あのレベルで他のソードスキルを放つことができるとすると、その技量は凄まじいものがある。
少女がゆっくりと草原に腰を下ろしたのを見計らって、≪ストレージ≫からアイテムを取り出す。
500mlペットボトルより一回り小さいそのガラス瓶を軽く放ると、少女は難なくキャッチした。
「どうぞ」
「ありがとうございます! 自白剤入りですか?」
一口含んだところで、何食わぬ彼女の言いっぷりに、盛大にむせてしまった。
「冗談ですってば! いっただきまーす!」
妙に余所余所しいテンションで、彼女は瓶の中身を飲み始めた。
クラインもようやく硬直が解けたのか、彼女から一定の距離をとるようにして、俺の後ろに座っている。
「うわぁ…………懐かしいなぁ、この味」
「それ、最近販売され始めたばかりの飲み物なんだけど」
「え? わ、や、あはは、昔どこかで飲んだことがあったなぁって、えへ」
やや空回りな様子を見せつつも、悪意ある存在でないということが、何となくわかった。
瓶を片手に、改めて目の前の少女を眺める。
黒と濃紺を基調にした装いで、軽金属防具などもなく、見るからに防御力は低そうだ。
しかし、彼女の目────どこかで、見たことがあるような、ないような。
「それで、いいですか? 話を続けても」
「話?」
「ほら、さっきのです、伝説級武器の話」
「あぁ」
そうだ、伝説級武器がほしいから、俺のところに来たんだっけ。
「まさか霊刀か? 悪いが≪カグツチ≫の件だったら、俺はこいつのためにしか動く予定はない」
握りこぶしの中で親指を立て、自分の背後に控える野武士を指す。
「いや────キリト。俺ぁ、この子が望むなら、カグツチの一本や二本!」
ジーザス、神妙な声色でなんてこと言い出すんだこいつは。
「大丈夫ですよ、おじさま。私がほしいのはカグツチじゃありません。そう、ほしいのは────≪聖剣エクスカリバー≫」
────ストレージの中で、剣が震えた気がした。