東方新抗禍 ~A new Fantasy destroys devious vice~ 作:ねっぷう
「あら、新子。おかえりなさい」
木製の安楽椅子に座りながら前後に揺れている、母親が帰宅した新子に向かってそう言った。薄い着物の上に黄色いエプロンを着ており、綺麗な真っ黒い髪の毛を後ろで結んでいる。
今は座っているのでわかりにくいが、新子の母親は女性としてはかなり身長の高い部類に入る。新子の長身も、きっと母親譲りなのだろう。
「うん、ただいま…母さん」
新子はそっけない態度でズカズカと台所の水道まで歩き、ステンレスの大きめのタライに張ってある水を手ですくい、顔の汗を流す。タオルで顔を拭いて、そのままタオルを首にかける。ほのかに洗剤の匂いがした。
「シャワー浴びたいんだけど」
今日はけっこう汗をかいてしまった。腋や首元が汗でべたべたしているというのは気持ちのいい感覚ではないので、すぐにでもこの汗を洗い流したいところだ。母さんは浴びてくればいいじゃない、と言ってまた膝の上に置いてあった本を読み始めた。たぶん店で新しく入荷した本を念のために見ているのだろうか?
新子は台所から続く洗面所で服を脱ぎ、浴室へ入っていった。新子の母は、シャワーが流れる音がし始めたのを確認すると、また台所から続く別の戸を開けた。この戸は鈴奈庵の店内に繋がっていて、ここを通ると支払い時のカウンターの中に出る。
「新子が…帰ったのか?」
新子の母親はカウンターの中で椅子に座っている、肩幅の広い痩せた男の肩に手を置いた。すると男はゆっくりと振り向いて、開いているのか閉じているのかよくわからない、半分まぶたを下げた目を向けてそう言った。
「ええ、さっき。今はシャワーを浴びていますわ」
「…今日は、あの子の18歳の誕生日だ。私たちは…この日を、ずっと待ち望んできた」
そう、この男は新子の父親であり、今の鈴奈庵の店主である。もう50歳を超えていて、まだ働ける年齢ではあるが、生憎このあまり力のない体系のせいで力仕事もあまりできなくなってきていた。だから、本を仕入れたり、そして仕入れた本を置いたりするのは新子に任せてしまっている。自分はこうしてカウンターに座って、事務の作業に徹している。
「禍王の計画を…挫く日を…」
「ふう」
シャワーを浴び終わった新子は、まだ強く握れば水が滴り落ちそうなくらい濡れている茶色い髪を揺らしながら、台所に両親が二人とも居ないのに気が付いた。二人とも、店の方に居るのだろうか?
新子が店の方に出ると、思った通り両親がカウンターの前に座っていた。今日はもう店を閉めたのか、いつもより早いな…。
新子は暇つぶしに、と適当に本棚から一冊の本を取り出し、椅子に座ってパラパラと流し読みする。内容は理解する気もないが、一応貸本屋の娘なのでこうやって本を読む素振りだけはしておくことにしている。
「てゆーかさァ…さっきから辛気クセー雰囲気で固まってよ、何なんだよ父さんも母さんも!?」
両親に指を差しながらそう怒鳴った。
「今日は、お前の誕生日だったな」
「あ?そうだけど、今さら親に祝ってもらうような歳じゃねーだろ…」
新子は持っていた本を棚に戻し、父親の顔を見る。いつになく真剣な顔だ、何かヤバいことを言われるのではないかと一瞬ドキッとした。
「…確かに、娘の誕生日はめでたい事だ。しかし、私は新子にあることを頼みたい」
「あることォ?」
「お前は…”幻想郷縁起”、を何度も読んだな…」
幻想郷縁起。人間の生活の安全を確保するために妖怪等の能力や実態、または幻想郷における危険地区を記録し、理解や対策の啓蒙、準備のための知識を伝授するために、かつての稗田一族が著した書物だ。この幻想郷縁起だけはアタシにとって、とても面白く、今までで唯一何度も読み返して熟読した本なのだ。
「ああ…」
「マガノ憲兵団ですら見つけられなかった、この床下のさらにもう一つ下のスペースに今も隠してある。最後に幻想郷縁起を記した13代目の稗田家当主が居た。その13代目は、幻想郷を脅かす、禍王のある恐ろしい計画を知ってしまった。それから数日と経たないうちに13代目は殺され、それきり稗田の転生も途絶えてしまい、彼女の遺した遺言書に従って私は幻想郷縁起を回収し、この鈴奈庵に隠した」
父さんは、カウンターの内側にある引き出しを開け、そして中にしまってあった物を全て出し、引き出しの底の板を外した。板を外すと、黄ばんだ紙切れが一枚置かれていた。引き出しの底にもう一枚板を置くことでこれを隠していたのだろうか。
「これが、13代目の遺した遺言書だ」
”禍王の恐ろしい計画を決して────はいけない。そうすればこの幻想郷に、もう一度───────訪れるだろう。禍王の計画は──だ。だから”
自分の血を指に付けて、ペンの代わりにして書いたのだろう、赤黒い文字で書かれており、ところどころ掠れてしまって読めない箇所がある。紙の裏には、さっき父さんが言った通り、幻想郷縁起を回収して隠してくれといった内容の文章が書かれていた。
「恐らく、言いたかったことはこうだろう」
父さんはもう一枚、それほど古くない紙を机の上に置いた。
”禍王の恐ろしい計画は決して放置してはいけない。そうすればこの幻想郷に、もう一度美しい平和が訪れるだろう。禍王の計画は最悪だ。だから”
「恐ろしい…計画…?」
「そうだ。イバラ、入ってきていいぞ」
店の方の入り口から、ボロ布を纏った姿勢の悪い女性が片手に食べかけのリンゴを持って姿を現した。…え?イバラ?
そう、その人物はいつも家の玄関の横で生活している、物乞いの女イバラだった。
「イバラ…何だよ?」
イバラは残ったリンゴの芯まで平らげる。そしてゆっくりと新子らのところへ歩み寄ってきて、言った。
「この格好は何かと役に立ったわ。この姿なら、簡単にマガノ憲兵団に近づくこともできた。おかげで奴らの計画を調べることができたわ。憲兵も、私のような不潔な物乞いの女の前じゃ、重要な話もペラペラしゃべってくれる。どうせこんな奴に聞かれてしまったところで何になる、とでも思っていたのでしょうね…」
「ちょっと待てや…どういうことなんだよ、父さん…」
新子は困惑しながら父親に尋ねる。あのただ力なく家の横に座ったきりだった物乞いの女が突然活気よく喋り始めたのだ。それに、奴らの計画を調べることができた?その紙に書いてある禍王の計画の事か?
「イバラのその姿は仮の姿。かつて仙人として山で暮らしていた茨歌仙なのだ」
「な…仙人だと?そんな偉い御身分のヤツが、ずっと物乞いのフリして情報を集めてたって言うのかよ?」
イバラは再び口を開いた。
「そう、本当の名前は茨木華扇、18年前まで仙人をやっていました。すべてはこの日のため…」
イバラの正体は仙人だった。仙人とは、長い鍛錬や秘術によって寿命を何百年も伸ばした不老長寿の人間の事を指す。超人的な力を身に付けており、妖怪に匹敵するかそれ以上の力を持っている。
「その仙人が、そんな格好してこの日のためにって…父さんが言ってた頼みたい事ってのもまだ聞いてねぇだろうがよ!」
いろいろな事を告げられたことにより、新子は少し苛立ちながら足を床に叩きつけて大きな音を立てながら踏み出し、イバラ…いや、茨木華扇の右腕を掴んで引き寄せ、下から睨みつけた。だがその時、華扇の腕を掴んでいた手に違和感を覚えた。
「おっと…」
確かに、今、華扇の包帯にグルグル巻きにされた腕がぐにゃっと潰れたような、おかしな手ごたえを感じた。だがそれが何だったのかを確かめる前に、華扇はするりと掴まれていた腕を抜いて後ろへ下がった。
「それを今から華扇に話してもらうのだ」
華扇はコホン、と咳ばらいをしてから人差し指を上に向けながら何か喋り出そうとする。
「ちょ、ちょっと待ってくれ…」
だがそれを新子が止める。
「なんですか?」
「言いにくいんだけど…できれば先に風呂に入ってくれ!」
新子に鼻をつままれ、手で匂いをはらわれながらそう言われた華扇は恥ずかしいような腹が立っているような表情の顔を赤くした。
「18年ぶりとなると、何やら気恥ずかしいものがありますが…」
風呂で体を洗い終え、本来の普段あるべき清潔な服装に身を包んだ華扇は再び新子たちの前に現れた。今までの薄汚れた幸の薄そうな顔つきとは打って変わった、キリッと整った顔立ちに、綺麗な艶のあるピンク色の髪の毛。頭の両サイドにシニョンキャップを被っている。
「まぁ」
「確かに、説教臭そうだけど仙人っぽい感じはするな…」
「ふふふ、これなら文句はないでしょう」
花のブローチをつけた胸元に手を当て、くるくると回りながら茨模様の書かれた前掛けと白いスカートを見せびらかす。
「…コホン、それでは本題に入りますが…。禍王の計画であり、今この幻想郷を蝕み続けている原因。それは…”東西南北の歌姫”、”四人の歌姫”」
新子は何だそれは、と言ったように目を細める。
「呼び名は今の二つあるようですが、面倒臭いので歌姫計画と呼ぶことにします。その歌姫計画とは幻想郷の東西南北の最端に歌姫と呼ばれる、大地や自然を蝕む歌声を発する存在を設置する事です。これは200年前、禍王が激闘の末に撤退した時、敗北の原因となった妖怪たちを滅ぼすために設置されたそうね」
200年前、禍王はマガノ国の軍隊を引き連れて幻想郷を我が物にしようと侵攻してきた。初めは有利に戦いを進めていた禍王だったが、ついに団結して一つとなった妖怪たちの前にたまらずに撤退していった。だが、それは仮の敗北に過ぎなかった。撤退すると見せかけて、実は幻想郷の東西南北の最端に歌姫と呼ばれる邪悪な魔力を放ち大地を蝕む存在を隠していたのだ。結果として、幻想郷から美しさは失われ、妖怪たちは唯一の楽園であった幻想郷を捨て、どこかへ消えてしまった。邪魔な妖怪を追い出し幻想郷をいつでも手籠めに出来る状態にするのが、禍王の”歌姫計画”なのだ。その計画は功を成しているといっていいだろう。
「これが物乞いのフリをして里中を駆け回り、時には幻想郷を回って仕入れた情報の全てです」
「このためだけに、さっきの物乞いの姿に耐えてたっていうのかよ…」
新子は若干震える声で華扇にそう尋ねた。
「耐えていた?私が耐えていたのは身なりの貧しさではないわ!この幻想郷を我が物顔で歩き回るマガノ国の者ども!焼かれる里の家々!荒廃する大地!殺されていく罪のない人間!それらを、ただおとなしく我慢して見ていなければならない自分に耐えていたのよ!!全ては、全部を貴女に打ち明ける、この日の為にね」
その強い口調で語る華扇は、その様子から本当に今までやる場のない怒りを感じていたことが伝わってくる。仙人という高貴な者が、理不尽な暴力にさらされる様子をただ見ているだけというのは自分の身なりよりも辛かったのだろう。
「その歌姫ってのは分かったよ。だけど、まさか…頼みたい事ってのァ、アタシにそれをどうにかしてくれって事かよ?」
「そうだ。華扇と共に、4人の歌姫を退治してもらいたい」
「ムリムリムリ!流石にそんなん、アタシでも何とかできるわけねーだろ!大体、華扇一人でも充分なんじゃねぇのか?」
新子は手を顔の前でブンブン振りながら拒否しようとする。流石に憲兵団くらいの相手ならいつものように何とかできるかもしれないが、幻想郷を蝕むような邪悪な魔力を絶えず発している奴を倒せと言うのはハッキリいってできる気がしない。
「確かに、私一人でも行けるところまで行くつもりでした。でも、新子…貴女は憲兵と何度も戦ううちにある能力に目覚めているの」
「あぁ?アタシが能力…?」
「そうです、貴女は気付いてないみたいだけど。何故、新子はいくら喧嘩が強いとはいえあんな簡単にマガノ憲兵団を倒せるかわかる?」
「知らねぇよ…」
「それこそが新子の能力!”魔に対して力を発揮する”能力の所為なのよ」
華扇の指がびしっと新子を指した。
「その能力があるから、貴女は他の喧嘩相手や憲兵に対して力を発揮できるの」
”魔に対して力を発揮する程度の能力”。華扇のかつての知り合い風に言えばそんな能力名になるらしい。ここでいう魔、とは人間の持つ悪意や妖怪、マガノ国に関する敵の事である。述べた通り、悪意ある人間や妖怪に対しても能力は発揮されるが、それ以上にマガノ国の者に対してはさらなる効果が期待できるのだ。
「そして、この能力が大変貴重であり、四人の歌姫を倒すには必要不可欠であると考えた私と貴女の両親は、私が新子のお守りをすることに決めたの。生まれつき気も強くて喧嘩っ早い新子では憲兵団とのトラブルが起こるだろうと思ったからね」
「な…アタシのお守りをしてだだとォ?」
「そうです。新子が外出するときはいつもね。ちなみに、貴女が叩きのめした憲兵団が二度と姿を現さないのは何故だかわかる?」
「お守りをしてたんだろ…まさか…」
「それはその憲兵を一人残らず始末していたからです」
華扇は包帯に巻かれた右手で何かを握りつぶすように拳を固めた。確かに、華扇の言う事が本当なら新子が相手をした憲兵にいくら本居新子に手を出すなと他の隊に伝えておけ、と言っても一向に新子の事を知る憲兵が現れなかったのも合点がいく。
仲間にそれを伝える前に、華扇に存在を抹消されていたのだから。
しかし、何という事だ…。今まで、一度喧嘩をした憲兵が二度と現れないのはアタシに恐れをなしているからと思って天狗になっていたのが、実は華扇がやっていたからだったなんて。これではプライドが大いに傷ついてしまう。
「まぁ、つまり!貴女の能力は幻想郷をマガノ国の魔の手から救う希望となるかもしれないということです!!」
「…そうかよ、だったらやってやろうじゃんか。憎たらしい禍王の計画を、このアタシが挫いてぎゃふんと言わせてやる」