本日7月4日は、志摩廉造の誕生日だ。
「へぇ、はじめて知った。おめでとう」
「墨村君はそうやろと思ったわ」
寮の食堂。何やら数人の男子生徒や子猫丸にプレゼントらしきものを渡され「おめでとう」という言葉をかけられている志摩を見咎めた利守がそれを知ったのは、その日の朝の事だ。定食の塩鮭を箸先で解す志摩は、小脇に置いた同級生達からの贈り物を尻目に苦笑する。利守の返答は予期していたもののようだ。対する利守は、味噌汁の碗を片手に憤慨気味だ。
「だって言わなかったじゃん」
「そらまぁそやけど。俺かて墨村君の誕生日を知らんし。墨村君から今日お祝いの言葉を貰えただけでも上々やわ」
「僕の事を何だと思ってるんだよ、お前は」
「んー、スーパードライ&クールな、麦酒のCMみたいなお人かなぁ」
唇を尖らせる利守に対するいつも通りの締まりのない笑顔の志摩の答えは、彼が常日頃、利守から感じるそのままの答え。利守は唇を真一文字に引き結んだ。そんな彼を気にする事なく、志摩は箸を振った。そしてさり気なく利守の盆から卵焼きを取り上げようとする。
「まぁホンマ気にせんでええよ、この卵焼きで手ェ打ったるわ。ところで自分の誕生日はいつなん」
「いつだっけな。あと卵焼きはやらん」
「おぶふっ、け、結界術は卑怯……」
利守は即座に、テーブルの下で志摩の腹に強かに結界をぶつける。小さめに作ったそれは志摩の肋骨の下を抉った。腹の中身が出ない事が奇跡だと、志摩は呟きながら箸を取り落とした。それを怪訝そうに眺める周囲の視線に構わず、利守はさっさと卵焼きを口に運んだ。自分の盆の上に落ちた志摩の箸を彼の盆へ戻しながら、利守は考える。甘い卵焼きの香りが口に広がった。
利守は男子寮を出てひとりで歩いていた。友人はいなくはないし、時間が合えば志摩達と共に学校に行く事もある。しかしこの日は敢えて登校時間をずらした。朝食を早々に終えて、志摩と子猫丸の出ないうちに寮を出る。中途半端な時間帯の為か、寮から高等部への通学路は人気が疏らだ。その中で、敷地内備え付けのベンチに腰掛けて、新聞を読んでいる男の姿がある。温暖化の激しい昨今、5月の時点で夏物のスーツを着ていた男は、本格的な暑さの盛りになってきた今は半袖の薄手のシャツを着ていた。恐らくスラックスも薄手の素材だろう。まださして暑くない時間帯、日陰に当たるここで新聞を読む様は、利守がこの学校に留学しにきてから毎日のように見られる光景だ。それこそ、学校がある日なら毎朝のようにだ。時折、座っているベンチは変わっていても、彼がいる事には変わりない。彼はごく普通の中年のサラリーマンに見えたし、学生達や、時折通る町民達の中に溶け込んでいた。利守も、今日まで1度も気に止めた事はない。しかし、この日は別だった。
利守はこの日も彼の姿を認めた。否、まともに視界に入れたのはこの日がはじめてだった。利守は彼の姿を見つけると、進路を学校のある方ではなく、彼へと定める。真っ直ぐにベンチに座る男へと歩み寄っていった。男はそれに気付く様子はない。ただ、黙々と新聞を隅々まで読む作業を続けていた。それは、利守が彼の真ん前に立っても同じ事。利守がそこに立っても、男は口を聞く事はない。だから利守は溜息を吐いた。鞄を肩に掛け直す。
そして、その新聞を、両手で剥ぎ取った。
「……ちょっと。他人のふりしてくださいよ」
「今日は状況が変わりました。細波さん、貴男にお願いがありまして」
新聞を読んでいた男――細波は、剥ぎ取られた新聞を未練がましく睨め付ける。利守は左手にそれを広げたまま握って、嘆息した。
「それにどうせ、本業は騎士團及び祓魔塾生の偵察よりも、僕の保護がそうでしょう。新聞なんて仕事道具のおまけでしょうが」
「それをわかってるなら直接接触してくるとかやめてくださいよ。仕事になりません」
「すいませんねぇ、ウチの上の兄が過保護で。僕の為に3年間もこっちにいなきゃならないんですから。お疲れ様です」
「あぁどうも……じゃなくて! それでご用件は?!」
利守の丁寧な謝罪と感謝に、つい釣られて頭を下げかける。しかし直ぐに我を取り戻した細波は、目の前の「最優先対象」に小さく怒鳴った。細波は自らの上司の末弟とこれまでほとんど接触した事はなかった。だが、少なくとも今の利守はどうやら彼と相性が悪いようだった。ペースを乱されながらも自らの任務にいち早く戻るべく、接触してきた高校生の少年を見据える。
現在も裏会実行部隊・夜行の諜報班として生きている彼の今の仕事は、夜行の頭領にして裏会幹部である正守の末弟・墨村利守の保護だ。建前は、正十字騎士團との業務提携の一環で時に仕事を協力する事もある。しかし彼を派遣した正守の本音は、橋渡し役として祓魔塾に交換留学中の利守が心配でならないというものだ。それゆえ、正十字学園町に単身赴任中の彼の普段の業務は、こうして利守の周りの塾生の監察……という名の利守の保護となっていた。因みに、正守はそれをひと言も明言していない。ただ、「ついでだから利守の様子も見守っておいてくれ」と言った時の目に、細波は本音を感じ取っただけだ。そして恐らく態と感じ取らせたのだろうと、細波は判断している。そして、自らの、1度は離反を考えた上司の判断が明らかに誤っているように細波には思えた。
だってこのガキ、強かだぞ。器用さでは頭領より上かも知れない。
細波のそんな思考などわかっているのかいないのか、利守は構った様子もなく話し出す。「あぁそうでした、もう。人の話の腰を折らないでくださいよ」と責任転嫁甚だしい台詞を臆面もなく放ってから、血管を浮き立たせる細波に利守は言う。
「それで頼みなんですけど、志摩の五男が好きそうなもんをちょっと調達してきて欲しいんですよ」
「あぁ頭の色も中身もピンクの。なんでまた」
「あいつ、今日、誕生日なんだそうです。今朝方聞いたばかりで。それで僕が調達する暇はなさそうなんで、貴男にお願いしたく」
利守の口から出された名に、細波の頭に直ぐ浮かぶのは、髪を桃色に近い茶に染めた垂れ目の青年だ。利守と同じ普通科で、同級生。そして彼と同様の、「跡継ぎに縁のない末息子」でありながら事実上、明陀宗の大僧正の息子と僧正血統のひとりを守護せねばならない立場にある。重い責任とは裏腹の軽い性格がかえって彼の双肩に担われるプレッシャーのコントラストを際立たせている――というのが細波の、志摩廉造という祓魔塾生に対する観察結果の考察だ。そして、その同級生の誕生日を祝いたいというのだから、細波はその心情が少々窺い知れない。
(頭領をも凌駕するスーパークール&ドライの利守君が、同級生の誕生日を祝いたい……だと……)
実際のところ利守は、実家にいた3月まで、妖であり食事を必要としない斑尾に毎日餌を与えていた程度には気遣いの出来る少年だ。しかしそんな瑣末な情報を忘れていた細波としては驚きを隠せない。だが、「立場だけでいえば似てるから、親近感を覚えているのだろう」という判断を下した彼は、直ぐに気を取り直す。そして薄く笑った。
「タダでですか」
「これも仕事の一環だと思って」
「志摩の五男が好きそうなのっていったらそっち方面しか思いつきませんよ、それが仕事ですか」
言うと、利守も苦笑を浮かべて肩を竦めた。志摩廉造が年頃の青年らしい性的欲求に非常にオープン且つ忠実である事は、祓魔塾及び正十字学園高等部の1部界隈、それに細波の監視報告から裏会1部にも知れている話だ。そしてそれ以外に志摩廉造の好むものなど思いつかない、嫌がらせで虫の玩具の詰め合わせを贈るなどならともかく。裏会の男の仲間の為ならともかく、好きで監視をしている訳でもない利守の為にそんな文字通りの下世話な事まで面倒を見られるか、そう座ったまま睨む彼に利守は笑っていう。その笑顔は、裏会に交渉にやってきた騎士團の人間に対して向けていた正守の貼りつけた笑みによく似ていた。
「ほら、僕は今、裏会からの交換留学生としてここにいるでしょう。つまり、騎士團と裏会の重要な橋渡し役になっている訳です。将来的にどうなるかまだわかったもんじゃないですけど、僕は中々重要な立ち位置ですよ。ひょっとしたら裏会でも騎士團でもどちらでも将来出世するかも知れないじゃないですか。今の内から、1番近い場所にいるひとりの貴男は僕に恩を売っておいて損はないんじゃないですかね」
「……上のお兄さんによく似られているようで」
「よくいわれます」
淀みのない利守の台詞に、細波は鼻で笑いながら言う。その台詞は半分は皮肉のつもりだったが、利守の、まろい輪郭には傷ひとつ与えない。そして言葉を続けた。
「それでお願い出来ます? 別にあたらしいのじゃなくていいんで、出来れば今日の塾がはじまるまでに」
「扱き使いますね」
「だって、今日が志摩の誕生日ですから。蜈蚣さん辺りに頼めば早いでしょう、何ならどうせその辺にいるだろう閃さんを使える立場でしょう貴男」
運送班主任や、次兄の友人すら巻き込む気らしい。細波は溜息を吐いて、携帯電話を取り出した。「それじゃ僕、もう行きます」と新聞を渡してくる利守が、心の裡で「18歳以下の未成年にアダルト関係を渡すとか寧ろ犯罪だから、僕に小さいとはいえ恩を売れるどころか、細波さんの弱味にしかならないネタだけどね。正兄に知られたらまずいだろうしなぁ、彼の立場的に。僕も別に恥ずかしくも何ともないし」とこっそりと舌を出していた事は、細波は気付かなかった。相手は一端の結界師ゆえに、彼の異能が使えなかったゆえの、それは小さな小さな不幸だった。
それは、祓魔塾生達にとって、あまりに意外な光景だった。
「はい、志摩。改めて誕生日おめでとう」
「へっ」
塾がはじまる前。いつもの席に鞄を下ろす志摩に、立ち上がった利守が手渡したのは紙袋だ。100円均一の店で売っていそうな茶色いそれに、付箋が貼られただけのラッピングとも呼べないラッピング。しかしその付箋には確かに「志摩への誕プレ」と書いてあった。それに驚愕したのは志摩だけではなく、共に教室に入ってきた勝呂や子猫丸、燐や出雲なども同様だ。宝はいつも通りの無表情なのでよくわからない。しえみはきょとんとしていた。それに対し、利守は心外そうに形の良い眉を顰める。
「失礼だなお前ら。そりゃ今朝知ったばかりだから慌てて用意したけどさ」
「1日で用意してくれたん? よぉそんな暇あったなぁ」
志摩は驚きながらも、利守の手からその茶色い紙袋を受け取る。愛想も素っ気もないそのラッピングはいっそ利守らしかった。しかし中身はなんだろう、「ちょっと知り合いの人に頼んで」と答える利守は、袋から中身を引っ繰り返す形で取り出そうとする志摩を止める。
「あ、ここで開けないで。見てもいいけど」
「それ難しゅうない。どれどれ」
言いながら、志摩は袋の中身を改める。折り畳まれただけの袋の口を開き、その中を見た。
そして、袋の色が茶色い理由を悟る。白ければ透けてしまう。透けると少々、外聞が悪いものだった。そして思わぬタイトルに、志摩は思わず呟く。
「……リアルくのいち……?」
「は?」
「5、6年くらい前の品だけど、夜行の男性陣曰くお勧めの品だって。……あれ、コスプレものはお嫌い?」
その言葉でプレゼントの内容を察したのはしえみ以外の塾生の面子だ。先程とは別の意味で塾生に衝撃が走る。
あのクール且つドライ且つ淡泊そうな利守が、志摩にそういうものを渡しただと。
しかし相変わらずの淡々とした顔で首を傾げる利守はそれに構う様子はない。暫し固まっていた志摩は、丁寧に紙袋の口を折り畳んだ。それを大事そうに鞄にしまう。
そして、目の前の同級生の肩を叩いた。
「墨村君。グッジョブ!!!!」
「グッジョブなのは僕の知り合いの人だけどね。チョイスしたの彼だから」
「ちょっ……こらああああんたら何持ち込んでんの?!」
「墨村ァ! 志摩になんちゅーもん渡しとるんや!? 自分の事だけは信じとったのに!!」
「墨村君!? 何を考えてはりますのん?!」
「志摩、次、貸してくれ。っていうか墨村、どこでそんなの手に入れたんだよその人」
「えーと、何のお話なの?」
阿鼻叫喚。真っ赤な顔で怒鳴る出雲と勝呂と三輪、年頃らしく興味津々といった体で志摩に帯出の許可を求める燐。訳のわかっていないしえみ。利守は勝呂に胸座を掴まれ揺さ振られながら、「もう少し情とか男子高校生らしい部分を普段から見せるべきだっただろうか」とぼんやり後悔していた。
(ちょっと祝ってやろうかなと思ったら皆から騒がれた。解せぬ)
「あーまずい、塾に遅れる。講師がこれでどうするんだ……あれ、あれって裏会の細波さん…………何であんなに息を切らせてるんだ」
End.