▼H●Hの1話か2話で「人がどういう時に怒るかよく見ておけ」というミトさんの言葉が出て来たけど、その逆で怒らない人ってどういう人かわからないから信じられないっていうお話。個人的には、そういう信用出来ないタイプのキャラは嫌いじゃないですけどね。面白そうで
▼何で利守が野球を観ているのかと言われれば、私が高校野球好きだからです。シチュエーションに悩んだ結果がこれだよ! 取り敢えず地元を応援しています
力を使い果たしたのは今回がはじめてだ。利守は痛む頭に乗せられた氷嚢を押さえながら、ぼんやりとテレビの画面を見遣る。今は夏だ。既に大分、温くなっていた。箱の中では今日、この京都出張所や宿の近辺で起きた異変について飽くまで世間一般の常識に照らし合わせて報じられている。利守としては事情を知りきっている、しかも既に解決した異状よりも、観る事の出来なかった甲子園の結果を知りたい。なのにローカルニュースは利守の望みを中々叶えてくれなかった。彼が唇を尖らせていると、襖を叩く音がする。
「はい」
「墨村君、具合はどぉ」
襖が開く。ひょっこりと、桃色に近い茶色い頭が覗き込んできた。布団の上に座っていた利守が眼を瞬く前で、その手には新たな氷嚢がぶら下がっていた。
ちゃぷり、水音が鳴る。頭皮に心地良い冷たさを伝える氷嚢は、耳からも利守の頭を涼やかにしてくれる。隣では、その辺りにあった座布団を引っ張ってきた志摩が笑っていた。いつもの表情である。与えられた個室、点けられたままのテレビでは今日と明日の天気予報を伝えていた。
「墨村君も雪村先生もおらんと思うたら、結界師としてお仕事してたんやね」
「悪いね、昨夜は手伝えなくて」
利守が微苦笑を見せると、志摩は肩を竦める。それもやはり、いつも彼が見せる、どこか諦観を漂わせた仕種だ。
「まー正直、墨村君がおった方が多少は楽出来たと思うけど。墨村君達は墨村君達で足場を作ったりとか魔障を受けそうになった人を援護したりとか大変やったんやろ。後方支援に引っ張りだこやったって聞いとるで、自分ら」
「まぁね……あのさ、志摩の事だからチェックしてると思うけど時姉……雪村先生は生きてるかな。昨夜、任務が終わってから会ってないんだけど」
頭の鈍痛を堪える為に、眉間は始終寄せられている。それでも利守は、事情をわかってくれているだろう志摩にそのままの表情で尋ねた。昨夜は本来なら前線に出るタイプの術師ではない時音や利守も、そんな事は言っていられないと対不浄王戦に参じた。彼女の無事は確認したものの、細かい体調までは把握していない。志摩は果たして利守の期待に応えた。
「墨村君と似たような感じやったで。まぁ墨村君よりは平気そうやったけど、それでもおでこに冷●ピタ貼ってはったわ。術師って大変なんやな」
「やっぱりか……」
留学生として多少は待遇が良いといえど――こうして個室を宛がわれているぐらいだ――、本来なら候補生としての仕事(という名の雑用)はまだある。それでも利守がこうして部屋で休む事を許されているのは、騎士団の祓魔師とは系統の異なる術師の扱いをまだ彼らが把握しかねている証左だった。昨夜の戦いでは時音も利守も、体調不良を訴える程に自分達の異能を使った。特に利守は、使い果たしてしまった。その限界を知らなかったゆえに、周囲も彼らを止め損ねたのだ。だから彼が遠慮なく休んでいても、誰も文句は言わないのだ。だが利守は、こんな時に時音と自身の差を否応なしに理解させられる。それは致し方のない話なのだが。
時音はスタミナの差はあれど正統継承者の上に、番人としてのキャリアがある。異類との戦闘経験は豊富で、力の使い方も遙かに彼女の方がうまい。更に彼女は、裏会との共同戦線にて、集団戦においての後方支援の仕方も覚えている。一方、利守は現間流結界師の中でも最も力が弱い。その上、祓魔塾への留学が決まってから急遽、祖父から修行をつけられた。だがまともに異類と戦ったのは祓魔塾に入ってからと言って良い。勿論、集団戦など未経験だ。それゆえに、戦いから一夜明け、時音と利守の体調に差が出るのは当然の帰結だった。志摩はそんな彼を見て言う。
「雪村先生が動き回ってはる事は周りも心配しとるけどね。墨村君がこんな具合やから。あれって無理してはるん?」
「ちょっとはしてるかも。でも僕も実のところ、頭痛を我慢すれば動けるから、先生もそんなに具合は悪くないのかも。でも下手に無理するなっていうと余計に無茶するから、そうだね。無理してるように見えたら、理詰めかごり押しで説得すれば休んでくれるから。勝呂や奥村辺りならごり押しで通じるかも」
「さすが、よぉわかってはるな」
「言っておくけど僕と先生は何でもないからね。ただの年の離れた幼馴染みだから。あとあの人の彼氏は僕じゃなくてウチの下の兄だから」
「なんやつまらん」
じとり、円らな目で睨む。すると志摩はつまらなそうに唇を尖らせた。そんな同級生に嘆息する。彼はあまりにいつも通りだった。
利守と時音が他の祓魔師達と共に戦っていた頃、志摩達は志摩達で大変だったらしい。らしいというのも、利守は、志摩よりも先に見舞いに来た子猫丸から大凡の事情を聞いたからだ。聞けば志摩の様子も少々、可笑しかったようだ。どうやら家の事で、普段は飄々としている彼もまた、利守の上の兄のようなストレスを覚えていたらしいと利守は思ったものだ。こちらに来てから利守もいやでも理解させられた明陀宗内部でのしがらみは、近親憎悪を通り越して懐かしさすら覚えた。あぁ、そういえば裏会が騎士団と業務提携する事になったのも、裏会の兄弟のトップが殺し合いという名の派手な喧嘩をしたせいだったっけ。実際には血縁がなかったとか正兄も言っていたなぁ。ついでにウチと雪村が争っていたのもそもそも開祖が弟子同士に成長を促す為に競争原理を取り入れたせいなんだっけ。よくウチと雪村は生き残ったなぁ。ところで良兄、僕にも開祖を殴らせてくれないかな。今からでもいいから。え? 無理? 封印しちゃった? 今からでもこじ開けろ。母さんには悪いけど。ウチには謝りに来た覚えがないぞあの野郎、顔も知らないし――利守が瞬時に巡らせたそんな思考を無表情の下に押し込められたのは、近くに時音という身内がいたからだ(尚、時音が「怪我人って聞いてた割には元気ね」と呟いていたのを利守は聞いた。彼の目には存外に平気そうだった)。それを察してか、勝呂は利守の背中をそっとその場から押し遣った。その後、与えられた力仕事で、思い出してしまった昔のストレスを発散した事が、利守には既に遠い過去のように思える。
(思考が逸れた)
閑話休題、そんな事があったとも思えない様子で、志摩はいつも通りにヘラヘラと笑っている。先程、尖らせた唇も元通りだ。どうやら身内以外、身内にすら思考を読ませる気はないようだ。利守はずれた氷嚢を直しながら話を続ける。
「それはともかく、ここが霊地みたいなもんで助かったよ。そうじゃなきゃ多分、今こうして起きていられないし」
「霊地っちゅーようなもんでもないと思うけど」
「あぁ、正確にはゲヘナに近かったというか」
不可解そうな志摩に、利守は注釈をつける。氷嚢を支えた。
「悪魔がいるところは人間には魔障っていう害があるところだけど、こっちの術師にとっては力が使い易くもあるんだ。周りの力を利用出来るというか……特にウチは空間支配というか、異界を作るのが本質だしね。物質界にとって異界そのもののゲヘナに近い程、そんなに異能の行使に負担がないんだ。まぁ術師自体は人間だから勿論魔障を受けたりもするけど……志摩、大丈夫? 頭は追い着いてる?」
「あーと、つまり、墨村君達がそんなにダメージを受けずに済んだっちゅー事はわかったわ」
説明が進む毎に眉根を寄せていった志摩を利守が心配して声を掛ける。志摩は苦笑いしながらそれだけを頷いた。利守もそれに苦笑する。そしてふと、とある考えが頭を掠める。
――志摩はそんなに頭は悪くなさそうなんだけどな。勉強が出来るのと頭の出来具合は違うし。
なぜ自身がそんな事を思ったかはこの時の利守にはわからなかった。だから、頭を掻く志摩に話を続ける。この時の利守は、確かに常より不調だった。体調の悪さによる無意識の不安を喋る事で補っていたし、その話に、妙に耳を傾ける志摩の様子に気付けなかったのだ。
「まぁ僕よりも、正統継承者の雪村先生の方が周りからの力を使うのがうまいけどねやっぱり。力を入れておく器の大きさが違うから。それにここだとあんまり関係なかったけど、やっぱり土地神……悪魔に気に入られやすい性格だし」
「正統継承者とそれって関係あるん」
「あるよ。好かれるからこそ正統継承者になったんだし。僕と正兄は好かれないタイプだから継承者にはなれなかった」
不意に言葉を切る。
『聞く必要はないんじゃないか。もう終わった事だろ』
それを尋ねた時、閃は困った様子で眉間を顰めた。正統継承者になる条件を。力の大きさに関係があるとは思えなかった。母は膨大な力を持っていても、正統継承者ではなかった。利守はその事に気付き、そして、答えを得ていそうな閃に尋ねたのだ。知らないで幸せでいるより、知って不幸になりたかった。
そして、利守は幸せにも不幸せにもなれなかった。否、どちらかといえば不幸になった。好かれない方だと断じられるのは、気分のいい話ではなかった。たとえそれが異類の類であっても。
(自分の性格が万人受けするタイプだとは思ってないけどさ……良兄を見てると、ああなりたいとはあんまり思えないし。あそこまで開けっ広げというかストレートになれない。かといって、否定されると気になるんだよなぁ。正兄もこんな気分だったんだろうな)
「なぁ、どういうタイプが好かれるん?」
「うーんそうだな」
利守は問われるがままに考える。志摩の目は見ていない。器用に氷嚢を乗せたまま顎に手を添えた彼は直ぐに答えを出した。
「あぁ、奥村兄弟」
「ぶっふぉ! ……奥村君の方は何となくわかるけど、クロに好かれてはるし。でも若先生はそんなん思えへんけど」
「若先生も結構いじられキャラだろ。シュラ先生なんかビリーとかいってしょっちゅういじってるじゃん。あれが良い証拠だよ」
本人達がいないからと好き放題だ。特に雪男に聞かれたら黙って拳銃を取り出されそうな事を笑いながら話す。噴き出してのち、大笑いする志摩に、ふと利守はひとりごちた。その黒い目は窓の外にやられた。明るい空だ。
「あぁでも、若先生は責任とか背負い込んで色々悩んじゃうタイプだからな。雪村先生とはまたタイプが違うか、どっちかっていうと正兄寄りだからやっぱり若先生は好かれないかも」
「責任感のあるタイプは好かれないんやな」
「うーん、どうだろ。責任を感じてない訳じゃないと思うよ。2人とも常識はあるし。面白い行動するぶっ飛んだタイプが好かれるというか……うんやっぱり、後先を考えない時があるのはそうかも。理性より感情タイプというか」
利守は考えながら口にする。今は落ち着いて見える時音ですらその傾向があったと利守は聞いている。それを聞いて、継承者と自身や正守の違いを利守はしみじみと感じ入ったものだ。彼は続ける。
「それに腹の中で何を考えてるかわからないタイプというか……そうだね。僕や志摩は好かれないかな。かわいげないから」
「こんな可愛い系イケメンを捕まえて何を仰有る」
「そういう笑えない冗談は置いておいて」
「墨村君ったらいけず! 傷付くわぁ」
およよ、と泣き真似をしてみせる志摩に利守は構わない。頭に乗せていた氷嚢を一旦下ろすと、それを手慰みに弄る。冷えた頭皮、虐げられていた髪が持ち上がる感覚。利守は言う。
「まぁ、別に好かれたいとは今は思わないけどね。感情に身を任せてたら、責任を果たせないし」
「責任とか重うない」
――その時の志摩の声は、どこか冷えていたと利守は覚えている。彼は顔を上げた。
志摩の表情はいつも通りのものだ。いつもの、飄々とした、感情を読ませないもの。だから利守もごくいつも通りの調子で、言葉を返す。
「重くないっていったら嘘になるけど、これが僕の欲しかったものだからね」
「変わったもん欲しがるなぁ」
「だって、重石がないと、しっかりした足跡をつけられないじゃないか。僕らの立場じゃ、ふわふわ浮いて歩く事もままならない」
「……成る程。墨村君は生きた証を地面に求めるタイプなんか」
そういって笑う、志摩の表情はどこか悲しげに見えた。哀れんでいたのかも知れない、利守は思う。けれど志摩はそれ以上の感情は見せずに答える。
「せやけど、いっそもっと浮いて、ふわーって飛んでもうて。そしたらみんなに見て貰えて覚えておいて貰えるんやない」
「意外だね。志摩は衆目を集めたいんだ」
「生徒会長までやっとった人にはわからんかも知れんけどなー、おれは一般人やねん。でも目立ちたいって気持ちはなくもないで」
志摩は嘯く。利守は氷嚢を頭に乗せ直した。視線は志摩に向けられたままだ。
「明陀宗に生まれておいてどこか一般人なんだか。それに、浮き上がり過ぎると、人には肉眼で見えなくなるよ」
「お星様になれるんやない」
「星っていうのはとてつもなく大きいからこそ、地上から見てやっと点みたいな形で見えるんだよ」
志摩の眉が跳ね上がる。珍しい表情だった。だから利守は尚のこと、極力嘲うように言い放つ。
「そこまで大きくなれるの。君は」
蝉の声が聞こえた。どこからか、燐の声も聞こえた気がする。
先に溜息を吐いたのは志摩だ。彼は降参と言わんばかりに息を吐く。やや眉間に皺が寄ったままだった。
「……墨村君、おれ、君の事いつの間にかそんなに怒らしたんか。ケンカ売られとる気がすんねんけど」
「うん。ここで君は怒るべきだったね」
対する利守の答えは淡泊だ。訝しげな志摩に、利守は笑う。それは苦笑とも嘆きとも見えた。
「怒って欲しかったよ、志摩。僕は、君に会って、まだ1度もまともに怒ったところを見た事がないんだ。他の、誰に対してもだけどね」
――君は、腹を見せないよね。
暗にそういう利守に、志摩はやはり貼りつけた笑顔で答えた。
「それは、墨村君もやない」
「……お互い様か」
利守は苦笑する。テレビでは、この日の甲子園の試合がはじまろうとしていた。志摩は座布団から立ち上がると、利守の頭から氷嚢を取り上げる。それはすっかり温くなっていて、「交換してくるわ」と彼は笑顔で言った。
結局、届けに来たのは燐だったから、その話は彼らの間で再開される事はなかった。
End.