軍の人事は何を考えているのか。その基地にはじめて着任し、当時の秘書艦だった漣に司令官と顔合わせをさせられた時。最初は同じ「艦」かと思った。しかし「艦」は女性しかいない。一瞬、見間違えたものの彼はどう見ても男だった。そして次に司令官と知り、あまりの外見の若さ――否、幼さに思わず、直ぐに口に出してしまった。
「……宜しく、といいたいところだけど。司令あんた、幾つなの。私らと変わらなそうに見えるんだけど」
「変わらないよ。18歳だよ」
「えっ」
漣が声を上げた。机に向かいながら万年筆を走らせる司令官。何でもない様子の彼へ、漣は机越しに詰め寄った。
「ご、御主人様!? てっきり15かそこらだと思ってました!! 合法ショタキタコレ!!」
「漣、発言は慎みなさい。それに、合法っていうにはやっぱり成人してないとまずいんじゃない。あと2歳足りないよ」
荒ぶる漣に、彼は慣れた様子でサインを続ける。敷波はそんな2人を半ば呆然と見詰めていた。
とんでもないところに来てしまった。なぜ、そんなに若い司令官が基地ひとつを任されたのか。自分達「艦」は、司令官の指先ひとつで命を左右されるのに。敷波は、自身の先行きの暗さを思って目眩がした。だから、直ぐには気付けなかったのだ。なぜ、どう見ても男である筈の彼が、「艦」だと思ってしまったのかという意味を。
「まあ、君の不安は尤もだよ。俺は軍に身ひとつで放り出されたようなもんだからね」
「本当にそうだったのかよ」
それから暫く経つ。幸い、敷波は今のところ轟沈の憂き目に遭っていない。尤も、それはここに着任した「艦」全てにいえる事だと、敷波は知っている。頼まれた茶を出しながら、彼女はさらけ出した当時の不安に対する答えに思わず呆れ顔になる。
何度も旗艦を任されてレベルが上がり、今では漣と交代しながら秘書艦も務めている。出撃した艦隊のうち、ひとりでも中破以上のダメージを受ければ夜戦まで、大破すればたとえボス戦手前でもその場で引き返す、入渠や補給はこまめにといった、基本的な方針を司令官が徹底しているこの基地は中々戦績が上がっていない。だが経験値は積んでいる為、気が付けば第1艦隊を最も多く率いていた敷波は、最初の秘書艦だった漣を抜いた強さにまで至っている。現在は着任してきた軽巡洋艦や重巡洋艦などに抜かれ気味ではあるが、近代化改修や改造なども施されて現在も前線に出ている。そんな彼女は、司令官とは時にツッコミを入れつつ入れられつつ巫山戯合う漣とはまた違った信頼関係を築いている(但し、それが信頼であるとは敷波は認めたがらない事だが)。当時は少佐だった司令官が、なぜこの若さで基地ひとつを任される事になったのか。大体の推察は出来ていた。
司令と呼ぶにはあまりに幼い顔の少年は、湯飲みを取る手はそれなりに大きかった。湯気の立つそれを啜りながら、彼は童顔に見合わぬ深々とした溜息を漏らす。
「色々やり過ぎて、上層部にちょっと煙たがられてねえ。『向こうで功績立ててこい、帰ってこなくてもいいぞ』って辞令と一緒に日本から追い出された時は、さすがにどうしようかと思ったよ。少佐昇進という名の左遷だったね。選んだ秘書艦が中々にツッコミ所溢れる子だったから困ってる暇はなかったけどさ」
「漣も仕事をしてますよ。知らないけど」
「知ってるの知らないのどっち。まあそれはわかってるけどね。……漣はいつ風呂から上がるかねー」
湯飲みを口から離し、呼ぶのは今は入渠している駆逐艦の少女の事だ。少々突飛な口ぶりだが、仕事には意外に真面目だ。司令官の慎重すぎるともいえる采配に付き合ってきたのも彼女だ。時に入渠を嫌がる天龍を共に宥め、時に資材の遣り繰りで共に頭を悩ませた。現在は司令官が慣れたのもあってそれなりに安定した運営になっているが、敷波が秘書艦になるまでそれを手伝ったのは彼女だ。但し今でも時にドジを踏む為、現在はメインで秘書艦を務める敷波がそのフォローに回っている。勿論、愚痴を零しながら。敷波は盆を抱き締めて溜息を吐いた。
「あんたがそれなりに無謀な奴じゃなくてよかったよ。最初は何でかぱっと見、女の子にも見えたし。でもどう見ても男だって気付いたあとは、こんな若い上司でこっちもどうしようかと思った」
「俺も『艦』だったら同じ事を思ったろうな」
万年筆を走らせ続ける司令は、敷波の物言いにも鷹揚に笑う。目を細めると、より幼く見えた。答える声の低さや体格そのものは、成人男性のそれに近い。体が出来上がっているのは軍人の訓練ゆえだろう。しかしまだ成長途上らしい彼は、それと顔立ちのあどけなさに落差があった。だから敷波は、ふと口を噤む。
(何で、こいつは軍人なんてやってるんだろ。こんな鷹揚とした性格だと、どこかの良いところのボンボンっぽいのに。色々やらかしたとかいってるから結構、過激なのかな)
「けど、そんなに君達に似てるかな俺は」
不意に、司令が問う。それは何気ない様子だった。万年筆のインクが切れたらしい。万年筆を置き書類を退け、抽斗を引く彼を見下ろして、敷波はいう。
「似てるっちゃ似てるよ。何ていうのか、顔立ちのタイプみたいな……系統が同じみたいな。女顔じゃないんだけど、何か私達っぽい」
「自分じゃわかんないんだよねえ。散々他の子達にもいわれてるけど。お、あったあった」
目当てのものは1段目にはなく、2段目にあったらしい。彼の手にはインク壺とスポイトがあった。白い軍服を恐れる事なく慣れた様子で万年筆を解体する。インク壺を開きながら、彼はいう。室内の為に軍帽を被っていない彼の横顔は、やはり幼かった。何気ない様子で、彼はいう。
「君達に似てるのは、俺が母親似だから当たり前っちゃ当たり前だって、死んだ養父さんもいってたんだけどね」
「――?」
その物言いが、引っ掛かった。だが見咎める敷波の視線に構わず、彼は壺にスポイトを突っ込んだ。吸い取られた墨が、黒く管を染める。それを見詰めながら胴軸にインクを注ぐ彼は、どこか遠い目をしていた。
『“艦”は家畜のようなものなんだよ』
実母も育てたという、養父は全てを諦めたように養子に語った。元軍人だという彼の手は既に枯れていて、その面影を感じさせなかった。
『はじまりは私も詳しくは知らない。だがとにかく、昔、兵器装備の改造を受け付けられる少女がいたそうだ。彼女から“艦”の血統化、“品種改良”、“配合”……そうして100種類以上の“艦”が生まれた。前線に出て戦うのが娘ばかりなのは、単に改造を受け付けられるのが男よりも女の方が耐久性が高いというだけだ。男が生まれにくいのもあって、“艦”の男は一生、軍に囲われる事になった。種馬が必要だったからな。それこそ赤ん坊から老衰するまで、飼い殺しだ。娘も同じようなものだがな。彼女達は現役のうちは自分達の運命を知らん』
『じゃあ、何で俺はここにいられるの』
『……お前の父親は、軍人とはいえ一般人だったからな』
吐き捨てるように、養父はいった。嘗て、娘として育てた彼の母親の事を想ってだろう。その小さな眼に、悲哀が過ぎった。
『一般の人間と“混ざる”と、生まれながらにして丙種扱いだ。一般人と交わって生まれたのが娘だった場合は、人手がなくなれば予備の兵器として、改造を受け付けられる余地があるから乙種。だが男は、“艦”の娘と混ぜれば更に“劣化”する。かといって女より改造を受け付けられる可能性が低い。だから軍としては兵器開発に使えない、と放置されている。それでも戦況が切羽詰まればお前にも手が掛かるだろうが』
枯れ枝のような手が、彼の頭を撫でた。丸い頭すら母親似であると、彼は知らない。ただ養父の話を淡々と聞き続けるだけだ。暖炉の前。絨毯に座る養子に、養父はいう。その眼が細められた。憐れみで。
『……実のところ、お前のような子供はあまり珍しくはないよ。今の娘達には私の訴えが効いて、保険として軍からピルが配付されているらしいし、昔も一般人が不用意に娘を孕ませれば、兵器開発の邪魔をしたと国家反逆罪に処せられたがな。それでも軍は男所帯だ。年頃の乙女を自らの欲望の捌け口にしたがる奴は跡を絶たない。恋愛をしたいという者は、まだマシな方だな』
『結婚も許されないの』
『許されてはいる。但し、一般人と結婚する場合は、その前に種馬の男との子供を産んでからじゃないと許可が下りない。そしてその子供は軍に取り上げられる。加え、彼女達との間に生まれた子も、有事には取り上げられる可能性もある。男でも可能性はある。たとえ跡継ぎでもだ。それでも構わないという男がどれだけいるか……出逢いが軍人としかないも同然だし、家の跡継ぎの場合も多い。……お前の実父もそうだったが、実父は国家反逆罪で処刑されてしまったからな。向こうが引き取りたがらなかった』
彼はわからなかった。養父が、なぜ急にこんな話をしだしたのか。自身を否定するような親ではなかった。それは養母もだ。だから、彼の話は戸惑いしか産まない。それをわかっているのか、養父は話を続けた。
『お前のような子供は、多くが軍を嫌う。嫌って、違う仕事に就く。不幸中の幸い、“艦”は少々常人より体が丈夫だ。何をするにしたって体が資本だ。何をやってもうまくいける。有事には徴集される身とはいっても、今までその例はなかった。だから、■■■。お前も、わざわざこんな御時世に軍人を選ぶ必要はないよ。お前の性格だと、私の商売を継がなくても、もっと穏やかな仕事に』
『丈夫だっていうなら、勿論、軍人にもなれる訳だね。寧ろそれが最適な訳だ』
それが養父の求めた答えとは真逆である事を、彼は理解していた。養父は目を瞠った。そして、直ぐにかなしげに伏せられる。その目元に老いを感じた。
『……お前のような存在は、軍の中では公然の秘密だ。色々いわれる。何をやっても“艦”の子だから、で片付けられるような色眼鏡で見られる。いざとなればとっつかまって一生、飼い殺しの種馬だ。種切れになれば捨てられるだけだ。お前は頭が良い、屹度、上層部からは煙たがられるぞ。ましてや、有能な軍人を何人も処刑する切欠になった騒動の落とし種だ、お前は。軍の愚行の象徴として扱われるぞ』
『それでも、養父さん』
彼はいった。決然とした表情で。それは日頃の温和さが鳴りを潜めた、強い眼差し。
『そこでは、俺を産んで直ぐにいなくなった、母親の行方が掴めるのかも知れないんでしょう』
そして、かなしい眼差しでもあった。
轟沈したとも、ただ消息を絶ったともいわれる、現役の軽巡洋艦だった「艦」。それが彼の生みの母親だった。
『俺は、それがわからないと、“艦”にも種馬にも軍人にも、人間にもなれないよ』
「司令。インクが机に溢れてる」
「おっと」
気が付けば、スポイトで注いでいたインク。それが胴軸から溢れていた。慌てて、且つ慎重にスポイトを引っ込める。残った中身を壺の中に戻すと、それを傍らに置きながら、横から差し出された雑巾で万年筆を、続いて机を拭く。しつこいぐらい、彼は机を拭いていた。敷波はそんな司令官の顔が無表情である事に気付いた。溜息を吐く。
面倒そうな事情を抱えていそうだ。
「司令、もう充分だろ。ほら、これで手を拭いて。指にもついてる」
「……そうだね。御免ね」
「書類についたら困るし。とっととその万年筆を締めて」
投げ渡された箱入りのティッシュペーパーで軽く手を拭く。盆を小脇に雑巾を持ち上げた敷波は、促されるがままに万年筆を片付ける上司の向かう机の前を横切る。そして執務室のドアノブを掴んだ。振り向く。
窓から差し込む日の光。その中で万年筆をいじる彼は幼い少年だった。傷ましい程に。
「……何でもいいけどさ」
「え、何」
「あんたのプライベートに関わる事で、私達の采配に影響を出すような下手は打たないでよね」
顔を上げる司令官。彼に放った言葉は、一見突き放したようにも思えるものだ。
だが、そうではない事を、彼もまた理解した。相手の事を理解しはじめていたのは、敷波だけではなかった。彼は微笑んだ。光の中で溶け入りそうな程、柔らかく。
「大丈夫。それだけはしないよ。今の俺は、君達がついてくるのを後悔しないような『司令官』である事を目指してるから」
光の中にあるのに、彼のその笑みには、かなしさが付きまとっていた。
その表情に、とある既視感が頭を過ぎる。
「……ま、頑張りなよ」
敷波は、扉を閉めた。脳裏に過ぎったその連想を振り払うように、引き攣りかけた自身の表情を隠すように、強く。
(まさかね)
後ろ手に握るドアノブは冷たい。駆け寄ってくる漣の足音が聞こえる。入渠上がりらしい。それを耳にしながら、彼女の頭にはまだその強いイメージが残っていた。
面影を見た。深海棲艦、その中でも自分達に似た姿をしている、リ級以上の彼女達の。
敷波が、嘗てこの基地の幹部を一掃する事となった、「艦」が被害に遭ったという集団暴行事件の事を知るのは、今暫く先の事だ。更に、その「艦」が今なお生死不明だとも、彼女が知る由もなかった。
End.