幸せとは、知らない事。そして、幼さは、知らない事。それは、幸福そのもの。けれど、幸せだと知らなければ、幸せだとはわからない。不幸を知らなければ、幸せはわからない。だから、深雪は幸せ。
pixivでの企画参加品です。控えめにしようと思ったのに通常運転でした。シリーズ読んでないと訳わからんところもありますが、まぁ不穏な空気だけ感じて貰えれば。
▼艦娘の食事事情に関してはFa/teの鯖みたいな感じです。魔力=資材。戦艦や正規空母はbsk並
子どもだった頃もあった。けれど、まだ、大人でもない。それでもあの日、自分は自分の意志で子どもである事を、やめた。
深海棲艦との戦いを日夜繰り広げる日本海軍。しかし、土日祝日は全軍が休む。だから日本ではゴールデンウィークの一日に当たる今日も、艦娘達は思い思いに過ごしていた――但しこの日に限っては、間宮と鳳翔の柏餅と粽に舌鼓を打つが大半だった。5月5日、子どもの日である。
「柏餅も粽もうめぇ!」
「ふふ、よかったわ。よく噛んで食べるのよ」
深雪もまた、そのひとりだった。食堂の一角。朝食と共に饗されたそれをデザートに頬張る駆逐艦娘達の姿は、艦娘の他の軍人達にも微笑ましく映った。この朝、深雪が鳳翔の隣に座ったのは偶々だった。駆逐艦の中でも、あどけなさの残る深雪である。母性溢れる鳳翔との対比は、まるで本当の母娘のようだ。そう評されているとはつゆ知らず、彼女達は微笑みあう。心地よい喧噪の中、鳳翔は自分の朝食を摂りながらいう。箸が、おみおつけを摘んだ。
「司令にも好評だったから嬉しいわ。美味しかったって、間宮にもあとで伝えておくわね」
「あれ、そういえば司令官は」
粽の葉を捲る深雪は、鳳翔の言葉に左右を見渡す。右方には、数席を空けて雷と電、斜め向かいには川内型姉妹。鳳翔の向こうの左方には、レーベとマックスが並んで座っていた。海老ぞりに後方を見遣れば、丁度通り過ぎた霞が「行儀が悪いわよ」と咎めてくる。同じ事を鳳翔に窘められながらも、深雪は首を傾げる。
いつもならば、休日のこの時間。寝ぼけ眼で遅めの朝食を摂っているところだ。白い飯の詰まった櫃の上に、漬け物やおかずを乗せてもりもりと頬張っている姿は、既にこの鎮守府の名物だ。本人は「10代男子で軍人だから燃費が悪いんだよ」と訴えているが、その横で、彼の同年代の下士官がその半分にも満たない量の食事を終えて立ち上がったので、その言葉は空を回った。司令官のその様は、まるで「艦娘」になる前の艦娘の燃費の悪さにも似ていた――深雪は幼いなりにも、そんな印象を抱いていた。
艦娘の戦闘の為のエネルギーは、通常の食事だけではまかなえない。まとめて資材と呼ばれる燃料や弾薬、鋼材やボーキサイトでエネルギーを摂取するのだ。但し、これは艤装をつけられるように改造したあとの話だ。艦娘になる前、「素体」の時点では、個体差はあれど、軒並みフードファイターになれる程の大食漢ばかりだ。駆逐艦も同様である。この為、艦船血統を取り扱う「ブリーダー」達に支給される予算は、主に食費に消えるのだった。艦娘になってからの彼女達の摂る食事は、どちらかといえば嗜好品に近い。勿論、食事を摂れば、微々たるものでもエネルギー摂取になるので、推奨はされている。通常の軍人が酒・煙草を嗜むようなものだった。それよりは遙かに健康的、ましてや薬物に手を出されるよりはずっとましなので、こういった年中行事も行われるのだった。特に、今の司令官が着任してからは、そういった事は積極的に行われるようになった。基地周辺に広がる日本人街の者達や、地元の住民も交えたイベントも盛んに行われるようになった。もみじ祭やハロウィン、クリスマスや忘年会に新年会。節分からバレンタインデー、ひな祭りやホワイトデーに花見――日本ならではの無節操さだが、地元の経済活性化に貢献しているので、上層部から一定の評価は得ているという。但し、「かなり捻くれた表現だったわね」とは、その通信を受けた敷波の言だ。
『昇進という名の左遷だったらしいから。上も、そう素直に褒める訳がないけどね』
漣とぼやいていた彼女の言葉を、執務室の前を通り過ぎていた深雪は聴いていた。どうやら相当に深い事情があるらしい事は、18歳でひとつの鎮守府を任されているという時点で察せざるを得なかったが――以上の連想を打ち切ったのは、鳳翔の「司令なら、もう朝食は食べ終えたわ」という言葉と、丁度やって来た吹雪の返事だった。
「司令? 司令ならさっき、輸送の人から荷物を受け取ってたよ。個人が受け取るにしては、結構な量だった」
「荷物」
「やっぱり間に合わなかった、ってしょぼくれてたけど」
「あぁ、あれかしら」
「あれって」
深雪と吹雪が鳳翔を見遣る。彼女は顎に手を添えながら、天井を仰いでいた。
「子どもの日に、駆逐艦の子ども達だけで野球大会がしたいなー、って、春の選抜を観ながら呟いてらしたから。多分、野球道具一式じゃないかしら。さすがに、急には無理だろうとはわかってらしたようだけど。あの人、野球が好きだから」
「へぇ、はじめて知りました」
「でも観る専じゃないの。あの人、病弱じゃん。その割にはよく食うけど」
駆逐艦の中では、比較的遅くにやって来た吹雪と深雪がいう。駆逐艦の中で、主に司令官のサポートをこなしているのは敷波と漣だ。現在はまだ前線に出ず、主に演習と遠征任務をこなしている深雪達は、あまり司令官と接さない。温和で優しい、且つ慎重派の司令官。頻繁に風邪をひいては、布団のローテーブルの上で書類決裁を行っている様の印象が強かった。とてもではないが、スポーツとは結びつかない。けれど鳳翔はいった。
「司令は結構、頑丈だけどね。だからこそ、らしいわ。親御さんが、病弱な彼を心配して、体力をつけさせようとしたらしいの。小学校から、ボーイズリーグで捕手をしてたって。公式試合には『事情』があって出られなかったらしいけど」
「へぇー」
「それも、士官学校に入るまでの話らしいけどね」
声を揃えて驚く2人。彼女達の前で、鳳翔は最後に付け加えた。その声音の色に、深雪は首を傾げつつも、最後の粽を口に放った。
さて、今日は、どうしようか。考えていなかった空白の予定に、ある項目を書き加えた。深雪は席を立った。
青い空、白い雲。赤く広がる地面に点在する雑草。風で舞い上がる、乾いた土。照りつける、春の陽光。倉庫の向こうのそれは、嘗て彼の親しんだものとよく似ていた。違うのは、ここが日本から遠く離れた土地である事。そして自身が所属するのは、故郷の学校と野球チームではなく、日本海軍であるという事だ。木箱をバールで開ける作業を淡々と繰り返していると、開け放たれた扉の向こう。そこにシルエットが躍り出てくる。
「しーれいっ、何してんのー」
「おや、深雪。おはよう。ちょっと荷ほどきをね」
「やっぱ野球道具?」
「おやおや、ばれていたか。鳳翔かな」
プリーツスカートを揺らしながら、真っ直ぐに駆け寄ってくる。子犬を連想しつつも、司令は木箱の中身を彼女と共に改めた。木箱の中には、緩衝材などと共にボールが詰まっていた。深雪が手に取ったそれは、彼女が実家にいた頃に手にした事のあるそれより重かった。深雪には丁度良い重さだったが。それに首を傾げる彼女に、ボールをいくつか改めながら司令は笑っていう。
「駆逐艦級ぐらいの腕力仕様のボールだよ。ちなみにバットも似たようなの。ヘルメットやユニフォームもボールに対応して頑丈なのだから」
「なんで」
「君達に一般の野球道具を使わせたら、うっかり気を抜くと、ボールが海まで飛んでいっちゃうからね。とりあえず少しだけ作って貰ったんだ。ウチがモニターになって試してみて丁度良かったら、他の鎮守府でも艦娘向けのスポーツ道具を配給するってさ。まあ、どちらにしろ、艦娘の野球の試合は、一般の軍人に直接観戦はさせられないけど」
後半の言葉には、今度は深雪は理由を尋ねなかった。艤装の機銃や砲弾を軽々と使いこなす艦娘の膂力だ。観客席に飛んでいったファールボールやホームランで、死人が出るかも知れない。観戦できるのは艦娘のみになるだろう。あとは鎮主府内に限ってのテレビ中継ぐらいか。青葉にやらせたら面白いかも知れない、そう思いつつ深雪はボールを掌で弄んだ。丁度良い重さのそれは、ちょっとやそっとでは飛ばなそうだった。「試合場にする場所に軍用ネットを張らないと、近所に飛んだら危ないな」とひとりごちる司令官の横顔を、深雪は見る。日焼けしていない、餅のように生白い顔色のせいもあって、野球坊主というよりも、文学少年といわれた方がしっくり来る外見だ。ギムナジウムの木陰で本を読み解いていなければ、山奥のサナトリウムで療養していそうだ。そもそも、軍服が似合わないのだ。尤も、普段から工廠に頻繁に出入りしているので、作業着の上に軍服の上衣を羽織っているという、ミスマッチにも程があるファッションを見せているが。今日は祝日なので、ただの作業着のみだ。それも実のところ、あまり似合っていない。
深雪は、司令官にボールを手渡した。彼女は再び問う。
「要は、今日はスポーツ大会をやるつもりだったって事か」
「正確には運動会かな。……運動会、わかるかな」
「一般の人達がガッコーでやるのだろ、知ってるよ。やった事はないけど。ガッコーの生徒でスポーツやるのを保護者が見に来るんだろ」
「一般人」からは隔離されて育つ艦娘。それでも学習はする。世間一般の常識もその覚えさせられる知識のひとつだった。深雪の返答に僅かに顔をしかめたのを、司令官は顔を拭うふりをして隠しながら答える。
「まあ、合ってるけど。そんな感じで、まあ、いつものお祭り騒ぎをね。一般の軍人メインでやるつもりだったけど、どうせなら艦娘の皆にもやって貰いたくてさ。でも、スポーツ道具の開発の限界的に、駆逐艦級対応が精いっぱいぽくて。どうせなら子どもの日にちなんで、駆逐艦の子達限定でやらせようかなって。今年は間に合わなかったし、やっぱり実際に持ってみると、一般公開なんて遠い話になりそうだなー」
「ふーん。……何で一般の軍人メインなんだ。割といつもそうだけど」
これは、深雪も以前から疑問に思っていた事だ。幼さゆえに、あまり難しい事はわからない。しかし、どうやら、この司令官が色々と難しい事を考えているらしい事は、彼女にもわかった。それを、決して口にせず、ただ微笑むのがこの司令官なのだが。この時も、彼は笑うだけだった。小脇に置いていた箱を引き寄せると、その中から茶色いものを取り出す。よく見ると、それはグローブだった。正確にはミットだという事は、野球の知識のない彼女には判断出来なかった。真新しいそれも発注品らしい。それを手に嵌めた司令は、口元を覆いながら肩を竦める。
「どちらかというと、一般の軍人のフラストレーションの発散かな。ストレスのはけ口は、弱い者に向けられるから」
「ふぅん……」
フラストレーション、ストレス。カタカナのそれが示す意味を、彼女は正確には察し得なかった。深雪は、子どもだった。ただ、彼女にもわかっている事がある。ここは以前、もっと閉鎖的な鎮守府だったという。今の司令官が着任してから、地元民と交流するようになったし、軍内外での暴力沙汰も減った。少なくとも、以前は、駆逐艦娘がこうしてひとりで彷徨くのは、艦娘の間で暗黙のうちに危険とされていたという。それが、この幼顔の司令官の功績のひとつなのだろうと。
しかし、子どもだったから、彼女はそれ以上に詳しくは考えられなかった。渋面を作る深雪に気付いて、司令はミットを口から外した。いつもの柔らかい笑みが、そこにあった。
「御免ね、君にはまだ難しいか。そうだね、まずはキャッチボールでもしようか。やり方、わかる」
「取り敢えず投げればいいんだろ。で、相手が投げれば受け止める。それでいいんだろ。っていうか、司令、大丈夫なのかよ」
「何が」
傍らの木箱にミットを戻し、グローブを2つ取り出す。片方を深雪に渡すと、尋ねられた司令官は首を傾げた。そうしていると、ただの少年だった。丁度、軽巡洋艦娘ぐらいの年頃の。体格はそこそこに厚いようだが、それでも線の細さは否めない司令に、彼女はグローブを不器用に嵌めながらいう。
「私らの投げる球、間違ってぶつかったりしたらまずいんじゃねーの。司令も一般人だろ、病弱だし」
「いつも川内や天龍の武闘派艦娘に艤装ごとどつかれてる俺に、その心配があると思う」
「……ねぇな」
「わかればよろしい。グローブの付け方は外で教えるよ。これでも一応野球チームにいたからね」
頷く司令官に、深雪は考えを改めた。そういえば、そうだった。鳳翔の「司令官は頑丈」という言葉に偽りはない。繊弱そうな見た目と病弱な気管支に対して、異様な程の頑丈さは、駆逐艦がボールをぶつけたぐらいでは平気だろう。出口へと向かって歩く深雪に、司令官は安心させるように笑った。風が吹き込んだ。
「大丈夫だよ。俺は、一般人よりは頑丈だから。艦娘には、劣るけどね」
彼女は幼かった。その言葉の意味を、まだ知らなかった。口の中で、朝に食べた柏餅と粽の味が、まだ残っていた。甘かった。倉庫の外は、明るい世界だった。世界は、単純で、優しいもののように思えたのだ。
ボーイズリーグチームを辞したのは、あの日。養父に、真相を知らされた日だった。その日、彼は幸せを知った。幸せとは「知らない事」だと、知った。
だから彼は、艦娘達には、幸せを知らないでいて欲しかった。
End.