「漣、いつも悪いねえゴホゴホ」
「御主人様、それはいわない約束でしょ」 もしも提督が軍人にあるまじき病弱さだったら というギャグでやろうとしたら路線が変わった。 漣の存在感が強いのは私の初期艦だったので……「キタコレ!」が1番好きな台詞です。面白い子や お題は「わるものマニア」(http://www.w-mania.com/)より。
対潜警戒任務の遠征の報酬。この司令官がそれで最初に買った家具は、布団だった。それに対して、当時の主な秘書艦だった漣は首を傾げた。ツインテールが揺れる。
「御主人様、何でオフトゥンなんです。壁紙でも床でもカーテンでもなくて」
「必要だからね」
いって、ピンクのカバーの布団を部屋の片隅に寄せる。軍服の白い後ろ姿を眺めていた漣は、はたと気付いた様子で声を上げた。
「はっ、まさか、私達を押し倒す為ですか!? この基地で爛れたハーレムを築くおつもりですか御主人様! エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!!」
「漣、発言は自重なさいね。そんなんじゃないよ。ただ、そろそろ季節の変わり目でしょ」
秘書艦の言葉を諫めながら、司令官はいった。
「俺には必須なものだからね。次は暖炉かな」
「?」
その時の漣は、まだ彼の言葉の意味がわからなかった。
体温計を見る。水銀のそれが、とあるメモリまで伸びていた。それを見て、曙は声を上げた。
「馬鹿じゃないの、このクソ司令! 39℃とか何事?! 軍人らしい健康管理ぶりね!」
「曙、お願い、もう少し声を低く……頭に響く……」
「……何でこんな高熱なのよ、流感じゃないの」
マスクをつけた少年が、その部屋の片隅で布団に横たわっている。部屋の中央には達磨ストーブが鎮座しており、その上には鍋が置かれていた。この部屋の主の加湿の為に水が張られている。既に湯に変じつつあるそれに、誰かが汁粉の缶をいくつも漬けていた。許したのは部屋の主なのを知っているので、曙はそれに関しては何も言わない。何も言わずにローテーブルを布団の上に渡し、重ねて書類を載せる。そして無理矢理、身体を起こす司令官の頭から氷嚢を退けてやった。寝間着姿の彼は、マスクで覆われていてもわかる程に、白い顔を真っ赤に染めていた。大きな目は焦点が合わず潤んでいる。それでも差し出された印鑑をしっかり握ると、蓋の外された朱肉に押し付け、判を捺した。そして、司令官は仰向けに倒れた。布団へ。今の動作で疲れてしまった彼は、天井に向けて溜息を吐いた。マスク越しだったが。
「静かにしてくれて有難う……インフルエンザではないってさ。急な発熱って訳でもないし。じわじわ上がってきたのをちょっと放置してたら、気が付いたら38℃超えてて」
「馬鹿じゃないの」
「面目ない。37℃までだったらいけると思ったんだ……」
ローテーブルを片付けながら毒突く。そんな彼女に司令は目を瞑って眉を顰めた。自主的に布団を被り直す彼は、テーブルを隅に置く曙の背中に向かっていう。咳き込みながら。
「……こりゃ駄目だ。君達『艦』にはうつらないだろうけど今日はこの通りだ。今のみたいな余程、重要な書類以外は漣か敷波に頼んであるから」
「知ってるし。今のあんたが使い物にならないのは見ればわかるわよ、クソ司令」
「だよねー。それじゃ、お休みなさい……」
苦笑いした彼は、氷嚢を自分の額に乗せた。
本日、執務室には休業の看板がかかっている。その為に別室では、秘書艦が指揮を執りながら書類の整理をしている。その傍ら、漣が口を開いた。
「これで3回目ですねー御主人様が風邪を引くの」
「3回目ぇ? あのクソ司令、まだここに着任して日が浅いんじゃないの」
「小さい頃から病弱なんだってさ。よく軍人になれたよな」
相槌を打つのは曙と敷波だ。先程、主に立ち回っている彼女達の代わりに書類を持っていった前者は、漣の証言に呆れ顔になる。隣にいた霞や満潮も同じような表情だったが、前者の方がよりそれが深い。
「体調管理がなってないわね。体格は普通だし、あれだけ普段も食べてる癖に何で風邪ひくのかしら。見かけ倒しね」
「司令官なしで出撃は出来ないから、あの人が寝込んでるうちに全滅って事はないからまだいいけど体質改善はして欲しいわ」
「私達にどつかれても平気そうなのに、不思議よね~」
背を向けて茶を淹れていた龍田が、至近にいた曙に湯飲みを渡しながらおっとりと首を傾げた。切り揃えられた髪が揺れる。装備を解いても浮いている頭上の輪が不思議だと、曙は密かにいつも思っている。書類を置いて焙じ茶を啜る彼女が眺める先で、龍田は次々に湯飲みを配りながら言葉を続けた。
「天龍ちゃんが肩パンしたり~プロレス技かけたり~寝技かけたり~それに川内ちゃんが夜戦させろって装備ごとどついてきたりしても~案外平気そうだもの~」
「主に天龍が酷い目に遭わせてるな」
「御主人様がマゾだったらとんだご褒美なんでしょうけどねー」
「怒らない上に抵抗もしない司令も司令ね」
そういえばそんな姿を見た気がする。霞が怒る横で湯飲みを置いた。詳しい事はわからないが、霞の言葉通りなら、どうやらそれから逃げずに受け止めてしまっているらしい。その様を想像してみたが、普通の人間が「艦」の自分達の攻撃を喰らったら、あまり無事では済まない事が容易にわかった。そういった事は「艦」同士なればこそ、じゃれ合いで済む。丈夫なのは軍人ゆえだろうか。敷波が嘆息しながらも、何か物言いたげだったのを曙は気付かなかった。湯飲みを配り終えた龍田は、盆を戸棚に置く。
「ハードはそんな風にとても頑丈みたいだけど、どうにもソフトは弱いみたいね~。何でかしら」
「……取り敢えず食べて治して貰わなきゃいけないし、食事、司令のところに持っていってくる」
「あら、私が行くわ~。貴女はここで仕事を回してて。私は司令の口に食事を突っ込んでくるわ~」
立ち上がりかけた敷波を、龍田がやんわりと押しとどめる。確かに彼女と漣にいて貰わないと今日は困るので、それは助かった。敷波は、頷いた。それを眺めながら、曙は思う。右隣の怒っている霞と、左隣の、呆れてはいるが、どこか心配そうな満潮に挟まれながら。
軍人にしては鷹揚で温厚な人間だ。曙は短い付き合いながら、この基地に就任した司令官をそう判断している。それは天龍や木曾などのような苛烈さとは遠く、それゆえに目覚ましい武勲を立てさせる訳ではない。戦って勝つ事が自分達「艦」の本分ゆえに、忍耐と慎重を求める采配に物足りなさを覚える者も少なくない。士気も上がりにくい事は否めなかった。その不満を緩和させているのが、普段は部下に好き放題をいわせ、させている彼の鷹揚さだった。どちらがましか、曙にはまだ判断がつかない。
『戦いに出る艦なら、それでいいよ。俺は君達のような気性の激しさは持っていないし。それに案外、君は運が良いようだしね』
それでも1度、見た事がある。霞がおっとりと彼女の物言いを受け入れている司令官に、「何とかいいなさいよ」と文句を吐けた。その際の答えがそれだ。
『君の叱咤に応えられる。それが俺が目指すところの司令官だしね。帰れば、また来られる。正しくその通りだ』
(満潮をはじめて入渠させた時も、そういえばいってたな)
曙は重ねて思い出す。霞とは違った捻くれた物言いをする満潮が見せた、はじめての本音。それに対し、彼は微笑んでいった。
『大丈夫。任せて』
(……それでも、聖人君子だとは思えない。軍人だから)
曙の頭に、どしりと乗る。それは司令官が、飽くまで自分達を運用する軍人に過ぎないという事実。彼女は書類の文字を追いながら、考える。
あの司令官は自分達の命を最優先するという点では、これ以上なく揺るがない。それだけは確かだ。あの年で、いっそつまらない程に功を急がないというのは貴重かも知れない。だが、それが、あまりにそれに従順すぎる印象を彼女は受けてやまない。まるで、そうする事で自分達の気持ちを集める事を目標としているようだ。平たくいえば、人気取りだ。良い司令官を演じているようだ。
(これはさすがに勘繰りすぎてるとは思うけど。実際、慎重すぎて不満も起きてるし。でも、少なくとも、目指すところが、「良い司令官」とは別のところにあるように思える。……その為に、ここで司令官でいる気がする)
だから、自分達は利用されているようなものだ。曙は、そう思い込もうとした。思い込んで、絆されそうになる自分を戒めようとしていた。窓の外では、そろそろ日が暮れる。
ひやり、冷たい手。それが額に触れた。
「兄さん、また風邪を引いたのか」
頭上から降ってくる。それは弟の声だ。自身とよく似ているといわれた。当たり前だ。呆れの色を帯びるそれを聞いて、彼は少し、安堵する。
(ああ、ここは実家なのか)
瞼は閉じたまま。開く事はない。降ってきた家族の声、それだけで安堵した。匂いも、音も、実家周りのそれだった。そして聞こえてきたその声に安堵した彼は、ゆるゆると思い出す。
自分より体格は細くとも、健康な弟。商才に恵まれていた。だから、弟が養父の事業を継いだ。それでよかった。それで安心した。安心して、軍人になる事を決められたのだ。家督争いの心配もなかったから。
それなのに、なぜ弟は、あんな顔をしたのだろう。あんな、辛そうな顔を。
「なぜ、好き好んで軍などに行くんだ。兄さん」
決めた事だよ。頭を振る。すると益々、弟は激昂した。
「あそこは僕達を生まれる前から蔑ろにするところだ。ましてや、兄さんの体が弱いのは、僕達が生まれた時に軍の保護が薄かったせいだろう」
それでも、■■■。俺はね。
「僕には兄さんが、わからない」
御免。御免ね。お前に、そんな顔をさせたかった訳じゃないんだよ。
ああ、帰れない。帰れないんだった。自分の目的を思い出して、涙が出そうになる。
御免ね。俺は帰れないんだったよ。御免、御免ね。御免ね。
「何を謝ってんのよ、クソ司令」
はたと、眼を開く。視界が滲んでいた。瞼を瞬くと、頬に伝う何かを感じた。額に乗る重たい感触がない。それに気付いて顔を傾けると、暗がりの中。薄明かりの傍らで、曙が氷嚢に砕いた氷を入れているところだった。その口を閉める曙は、この暗闇の中で昼間の服のままだ。そんな彼女に、彼は問う。
「曙。今、何時」
「時計を見なさいよ。……もうすぐ明け方ってところかしら」
憎まれ口を叩きかけたところで、暗くて時計が見えない事に気付く。それで窓の外を見遣った曙の応えに頷いた彼は、身を起こそうとした。
「夜明け前が1番暗いっていうけど、本当に暗いね……」
「ちょっと、先に熱を測りなさい。何が欲しいの」
「水」
いいながら布団に戻り、曙に渡された体温計を寝間着の中に突っ込む。敷き布団から晒された首筋に、ストーブは点いていても僅かな温度差が心地良かった。少しばかり気分が良かったから改善しつつあるのかも知れない。彼がそう思っていると、水差しの吸い口が差し出される。それを大人しく飲む。口から離された時に、彼は横の彼女に問うた。
「ありがと。でもどうしたの、こんな時間に」
「夜回りのついでよ。今日は私が当番だったから。司令官がいつまで経っても臥せってたら基地が滞るし」
「ああ、夜回りか……」
「秘書艦とはいっても、敷波や漣にばっか看病させる訳にはいかないでしょ。戦場でもないのに体力を使わせるとか」
「ああ、そうだねえ。気遣ってくれたんだね」
「……仲間をね」
「うん、そうだね」
おっとりと頷く、彼の額に、曙は何かを誤魔化すように氷嚢を乗せた。やや乱暴に。少し潰れたような声がした。その下の、彼の頬に伝った涙は、既に乾いていた。それを眺めながら、曙はいう。
看病の為にやって来たら、氷嚢がすっかり温くなっていた。それを取り替えていた矢先、魘されだした。ただでさえ幼顔なのに、寝顔は子供そのものだ。だから魘されている様は、少々見ていて辛い。だから起こそうとした。その時に、彼の口から漏れた名は。
「ねぇ。■■■って誰」
脇に体温計を挟んでいる為、動けない。それでも彼の体が強張ったのが見て取れた。顔も顰められた。だが直ぐに、その表情はいつもの緩んだ笑みへと変じる。ただ、それは苦笑の類だった。細められた目が、頭上の曙へと向けられる。
「……呼んでたかあ」
「男の名前みたいだけど」
「うん。故郷の、弟」
「故郷」という言葉に、気持ちがこもっていた。それは、病で弱っているからか。それとも別の要因か。曙にはわからない。彼女が返事をしかねていると、彼は「ちょっとツッコミが厳しいところは曙に似てたかなあ」と笑った。それが屈託のない、いつものものだったから曙はどこかで安堵しながらいつものように返事をする。
「男に似てるっていわれても嬉しくない」
「だよねえ」
けれど、それから彼は言葉を続けなかった。まだ眠かったのだろうし、熱も下がりきっていない。曙は盥に僅かに残った氷を眺めた。湿気はあるものの温かい部屋の中で、早々にそれは溶けはじめていた。薄暗がりの中、東の空からは僅かに白んでいた。
「似てるから、私達の事を大事にしてるの」
「そういう訳じゃないよ」
「艦」に間違われる司令官。屹度、弟も似ているのだろう。それを前提にしての問い掛け。即座に否定の言葉が返ってくる。見下ろすと、円らな目が、まだ焦点は合わないもののこちらを見ていた。茫洋とした眼は、底知れないものがある。それが戦場での感覚に似ていた。そう、深海棲艦を相手取っている時のような。なぜ、ただの人間である筈の彼にそんな気持ちを持つのかわからないまま、曙は重ねて問う。
「じゃぁ何で」
「知りたい事の為に、軍に入った」
彼はいった。喉が荒れ、掠れた声で。
「でも今は、それとは別に、なりたいものが出来たんだ」
「……」
「その派生で俺の扱いが君達に対して良いものになっているなら、それは俺が目指すものに近付いてる証だから嬉しいよ。まだ、俺は迷ってるから」
「……質問に答えなさいよ」
けれど、それが屹度、今の彼なりの答えなのだろう。曙はそれだけは、悟らざるを得なかった。
迷いながらも、他に影響を与えないように進む。それが今日の彼の采配に影響していた。それが彼がまだ若く、あまりに人間的だと、気付かざるを得なかったのだ。
End.