鬱これ:財前提督シリーズ   作:駒由李

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あと金剛。この提督はコーヒー党です。そして我が家ではミルクパンは塗装はげて使い物にならないんで普通の手鍋でやってるけど、牛乳って焦げやすいですよねじゅーじゅーいうわ


コーヒー・カンタータ

 戦法の基本とは、相手の補給線を絶つ事だ。補給路を断つ事で極めて省コストに勝利を得られる。老教授はそう教えてくれた。

「歴史を繙けば、それがよくわかるよ。馬鹿正直に正面突破を図るものじゃない。……深海棲艦の正体の通説を考えると、あまり、低コストに勝つとか、そういう事はいいたくないんだがね。要は向こうに、こちらの分の犠牲を余計に強いる訳だから……」

 後半の言葉は、レポートを提出した時に丁度ティーブレイク中だった教授の紅茶を分けて貰いながら漏らされた。受け取ったレポートをその場で採点していた教授は、皺の連なった手で、自分のカップにブランデーを注いだ。なみなみと。紅茶入りブランデーと化したそれを凝視しながら、彼は自分のカップを傾ける。少しばかり、渋かった。教授の表情が彼と似ていたのは、けれど紅茶の味と、自分の紅茶を淹れる技術の拙さだけではなかった。教授は、ずれた老眼鏡を直しながらレポートを折り畳んだ。

「君は恐らく、優秀な軍人になれる。今の軍人は、戦闘員ではなく、司令官か参謀である事を望まれるからね。体が弱くとも十分にやっていけるだろう。けれど、それは多くの『艦』を轟沈させる事と同義だ。敵味方を問わずね。その意味を、君は他の誰よりも罪深く受け止める事になるよ。だって君は」

 鐘が鳴った。予鈴の音だ。それに重なって、続いた言葉は遮られる。けれど彼の耳には届いた。届いてしまった。教授は口を閉ざす。そして、採点済みのレポートを差し出した。

「内容はいいけど、次からはもう少しフォントを大きくしてくれ。最近、老眼が悪化してきてね」

「わかりました。それと教授、紅茶をご自分で淹れられるのは、もうやめた方がよろしいかと」

「コーヒーにはしないぞ」

「……紅茶、御馳走様でした」

 レンズの奥に頑迷さを見出して、彼はそれ以上の追求はやめる事にした。まだ艦娘の運用が一般化されておらず文字通りの艦船のみで深海棲艦に対抗していた彼の現役時代、希代の策士として鳴らした軍人を閉口させたのは、軍のまずいコーヒーだったそうだ。本人が元より無類の紅茶党だったゆえにコーヒーへの反発は根強いらしい。彼にも主張したい事はあるが、老教授が親紅茶派として譲らぬ事はわかりきっていた。

(コーヒーだってちゃんと淹れれば美味しいのに)

 卒業後、早々に司令官として昇進という名の左遷をされた彼は、給湯室にひとり立つ。コーヒーミルから取り出された焦げ茶色の粉をドリッパーに流し込んだ。ガスレンジの上では、薬缶が不機嫌そうに湯気を盛んに立てていた。そこは辺境の鎮守府。執務室からも少し離れたそこで、肩書きの上ではこの基地の最高責任者の司令官は、コーヒーを入れるべくそこに立っていた。

(そういえば、昔はコーヒー豆に事欠いたんだっけ。紅茶は何とかなったらしいけど)

 コーヒー粉の上に湯を注ぐ。それが濾過されるのを待ちながら、連想するように思い出したのは、軍事学校時代の戦争史学の老教授、それから日本におけるコーヒーの事。その昔、まだ深海棲艦の問題が露見していなかった頃は、国家同士の争いが盛んだった。日本ではコーヒー豆の栽培はほぼ不可能に近い。ゆえに今も昔も輸入一辺倒だ。だから戦争中、補給路が封鎖されていた時はコーヒー豆のコーヒーを飲む事が叶わなかったという。蒲公英や桜の根などを利用した代用品の研究はされてらしいし、彼も口にした事がある。結論としては、やはり豆のコーヒーが好きだった。それは今でも代わらない。

 尤も、最近やってきた鳳翔が、忙しい彼を気遣って淹れてくれる茶は、決まって日本茶。同じくやってきた金剛は紅茶をプッシュしてくる。仕事の合間に飲もうとすると差し出される茶は親切そのものだから、拒絶するのも気まずい。ゆえに、このところはコーヒーを口にしていなかった。習慣のように飲んでいる風邪薬にはカフェインが入っている為にカフェイン中毒による頭痛は発症していないものの、精神的に飢えていた。その飢えを満たす為に手ずから豆から碾いたコーヒー粉は、悪魔のように黒い液をドリッパーから滴らせていた。

「そうだ、牛乳」

 黒いそれをみて、対照的な色を連想した。屈み、至近にあった冷蔵庫を開く。そこでは牛乳パックが鎮座していた。戸棚からミルクパンを取り出し、牛乳をそれに注ぐ。なみなみと注いだのは彼が特にカフェオレを好んでいた為もあったし、1杯のコーヒーで済ませるつもりもなかったからだ。

「あ、しれぇ、いた!」

 けれど、給湯室の前を駆け抜けようとした舌足らずな声に、彼は口封じを決めた。駆け込んできた幼い彼女が秘書艦の名を声を張り上げて呼ぶ前に、彼は即座に微笑みかける。

「しれぇ、敷波が仕事しろって捜してましたよ! 鳳翔や金剛も!」

「やあ、雪風。カフェオレとホットミルクとココア、どれがいい」

「ココアがいいです!」

 彼の片手には牛乳の注がれたミルクパン、片手にはいつの間にやら純ココアの容器。雪風は敷波に課せられた任務をあっさり放擲した。

 

「しれぇはコーヒーがお好きなんですね」

 シンクの縁を両手でつかむ、少女の目は白いカップに注がれていた。少女の手には丁度よい小さめのものだ。それに熱々のココアが注がれていく。問われた彼は、頷いて手鍋を戻した。笑って見下ろす姿は、軍帽と軍服のジャケットを脱いでいる為にただの学生にしか見えない。事実、先程から給湯室の前を忙しく通り過ぎる軍人や艦娘は、彼の後ろ姿をみても司令官だと気づく様子はない。司令官が自ら給湯室で茶を淹れるとは考えにくい先入観もあるだろう。それをいい事に悠々とココアを淹れてやった彼は、「まだ熱いから座って待ってなさい」とパイプ椅子を引き出してくる。それに素直に座る雪風に、彼はそれから頷いた。シンクの上では、カップになみなみと注がれたココアが湯気を立てている。

「うん。特に好きなのはコーヒー牛乳かな」

「こーひーぎゅうにゅう」

「あれ、知らないかな。……ああ、君は『ブリーダー』の元を離れてあまり時間が経ってないか。駆逐艦だし」

 円らな目を瞬く雪風。鸚鵡返しにいう彼女に、司令官は首を傾げかけ、眉を顰めながらも納得したように頷いた。その表情の意味を雪風は理解していない。司令官は理解も納得もしていなかった。ただ、知っていた。

 「陽炎型雪風血統」は希少価値がある。数は少ないが、その神に偏愛されたような運の良さは他の艦娘にはないものだ。だから他の艦娘よりも、「ブリーダー」――戸籍上は「養い親」――に大切に育てられる。それこそ、艦娘として鍛えられはしても、表社会に出られる機会は自然と限られる。だから、100種を超える装備の名前を把握していても、こんな些細な常識を知らない事もよくあるのだ。それは他の艦娘にも共通した事だが。

 彼の実母もそういう傾向があった、そういう風に育ててしまった。「ブリーダー」も兼任していた養父は、彼にそう告白した。皺と共に苦渋も刻まれた顔だった。

「……コーヒー牛乳っていうのは、まあカフェオレみたいなもんかな。でもお店で売られてるコーヒー牛乳は味がちょっと違うんだ。配合は企業秘密らしくてね」

「へー、美味しいんですか」

「俺は好きだよ。そうだね、今度のお休みにでも足柄達辺りにでも銭湯に連れて行って貰いなさい。この辺りは日本人街だから銭湯もあったと思ったしね。そこでお風呂上がりに飲むコーヒー牛乳が格別なんだ」

「へー……」

 自分のカップにコーヒーを注ぐ司令官の言葉に、雪風の目は俄に輝いた。子供らしいそれに、彼は目を細める。その眉間に皺が寄ったのは、ほとんど無意識だ。それを自覚してかしないでか、彼は笑みを浮かべる。

「……小さい頃に家族で銭湯に行ってね。その時、美味しく感じたのは楽しかったからかな」

「銭湯って楽しいんですか? それにあまり一気に基地を空けても」

「少しぐらいなら大丈夫だよ。それに、そうだね。でも、どちらかというと……」

「Oh! 司令! こんなところで何してるんデース?! しかもコーヒー飲んでますネー!」

「げっ」

 砂糖を入れていたところで、給湯室に飛び込んでくる影。雪風が目を見開いた。

「あ、金剛」

「Hey、雪風! 見つけたら教えてくださいっていいましたよネー! ……司令、雪風をココアで買収しましたネー!?」

 巫女服に似た衣装に身を包んだ金剛は、飛び込んだ勢いのままに給湯室を見渡して状況を把握した。そしてミルクパンを掴んだままの司令官に詰め寄った。彼はカップに牛乳を注ぎながら視線をさまよわせる。罪悪感の発露である。

「い、いいじゃん、偶にはコーヒーが飲みたかったんだよ。あと雪風は悪くないからね」

「そんなのわかってマース! でもそれより、この忙しい時に執務室からいなくなるんならひと言ぐらい残してってくれって敷波が怒ってましたネー!」

「マジか……敷波、怒ると怖いんだよな……これ飲んだら行くっていっておいt」

「その前に司令には、今後こんな事がないように私がきっちり紅茶党にしてあげマース……美味しい紅茶を淹れてあげますから、雪風は司令を足止めしててくだサーイ!」

「了解しました!」

「あっちょ雪風、ココア作ってあげたでしょ!」

「まだ冷めてないですー」

 金剛に指示を出されて、本来の任務を思い出したように雪風がカップ片手の司令官の腰にしがみつく。そうなると女子供を邪険に出来ない彼は身動きがとれない。それが深海棲艦を相手取って戦える艦娘であってもだ。だからいそいそと準備をはじめる金剛に説得を試みる。正直な話、紅茶には飽きていたのだ。

「ちょっと待っ、金剛! 俺だっていいたい事はあるぞ! お前だってコーヒーの味わい深さをちゃんとは知らないだろ?!」

「コーヒーなんて泥水ネー」

「ええいあの教授みたいな台詞を! ……わかった、飲む、紅茶も飲むから雪風はとりあえず離れなさい、ココアはもう飲み時だ!」

「Oh,それは嬉しいですけど飲み過ぎると水腹になりますヨー」

「鴛鴦茶! 鴛鴦茶で手を打つから!」

「しれぇ、えんおうちゃって何ですかー?」

「金剛、雪風、何を騒いで……あ! 司令こんなところに……!」

「ちょ、待って敷波、俺が悪かったから機銃を構えないでええええ!!」

「し、敷波落ち着いてくだサーイ!! ここは基地内だし雪風もイマーs」

 その時、基地の一角で銃撃音が響いた。

 

「……ご主人様、何でちょっと焦げてるんです」

 手紙を届けに来た漣は、執務室に戻ってきていた司令官を見た時、彼の頭からわずかに上る黒い煙に気づいた。執務室でカップを片手に、いつもの万年筆でサインをしている姿はごくいつも通りだ。ただ、直毛の髪がところどころ輪を描いており、顔には煤が残っている。まるで戦場で破損してきた自分達のようだ。実はジャケットと軍帽は無事だったものの、その白いスラックスも焦げているのだが、机に向かっているからその時の彼女には見えなかった。時々むせ込んで煙を吐く司令官は、カップをソーサーに置いて手紙を受け取る。そして彼女の疑問にも答えた。

「中波しかかってね。金剛は戦艦だし島風はさすがの幸運値で俺に当たったおかげで給湯室も被害なかったけど、7.7mm機銃って結構痛いね。敷波は本気で怒らせちゃいけないね、漣」

「今度は何をやらかしたんですか……ってそれ、コーヒーですか。珍しいですね」

 呆れて溜息を吐く、漣の視界にカップの中身が映る。茶色のそれは一見するとコーヒーに見えた。鳳翔や金剛が機会があれば彼に茶を淹れていたが、決まって日本茶でなければ紅茶だったから、彼がコーヒーを飲んでいるのは久しぶりのように思えた。しかし司令官は頭を振る。

「半分はね。鴛鴦茶だよ」

「鴛鴦茶って何です」

「コーヒーと紅茶のブレンドティー。香港だったかな、その辺のお茶だよ」

「美味しいですか」

「飲めなくはないよ。ああ、給湯室に俺と金剛が淹れておいたコーヒーと紅茶にティーコゼー被せて置いてあるから好きに飲んでいいよ、ブレンドしてもいいし」

「ブレンドは遠慮しておきます。しかし、世の中には色んなお茶があるんですね」

 手紙をペーパーナイフで開く彼は、漣の言葉にただ頷くだけだ。彼がこの時開いていたのは、黒い縁取りの封筒。それが意味するところを、他の手紙に混ざっていて見えていなかった漣が気づいたのは、彼の表情が途端に拭い去られたからだ。思わず尋ねる。

「ご主人様、まさか身内の方が」

「ああ、そっちじゃないよ。……軍事学校時代の恩師の訃報だよ。あの人に教わった軍人には皆送られてるみたい。そうか、年だったからなあ……漣、最低、葬式には出席したいからちょっとこの日付までの予定を調整しといてくれるかな、敷波と一緒に」

「わかりました」

 珍しくおちゃらける事もなく、メモを書き付ける。そして頭を下げると、表情を消したままの司令の前から辞した。彼はそれをまともに見送る事なく、手紙を封筒にしまう。彼が思い出しているのは、学生時代。戦争史学の教授に、鳴り響く鐘の中、いわれた言葉だ。

『君は、同胞殺しの罪も背負う事になる』

「幸せだったから、家族が一緒だったから、あの時のコーヒー牛乳は美味しかった。だから、君達にはいえないんだよ」

 ひとりごちる、その言葉は雪風に告げられなかった言葉だ。執務室に行きがけに足柄達に話をつけたところ快く銭湯へ連れて行く事を快く了承してくれた。その時、無邪気に笑う彼女を、同じようにどこかかなしそうに見ていた足柄達は、恐らく自分たちの運命を知っていた。

(「普通の人間」にとって幸せがどんなものかって、俺は教えられないんだ。だって俺は結局、君達を戦場に送り出す。同胞の君達を。今のところ、まだ誰も殺していないけれど、もし深海棲艦の正体が「そう」なら、俺はとっくに)

「……カフェオレかミルクティーか、区別がつかないな」

 手紙を置き、カップを持つ。その水色は茶色かった。

 

 

 

 一般人が本来の艦船を運用して深海棲艦に戦う術は、絶えてしまった。艦娘という強力な戦力がいるから無用の長物として埃を被っている。だから、今日も艦娘達に出撃をさせる。「相手より大きな兵力で戦いに臨む」、それが戦術の基本だから。それを彼は頭でわかっていても、一般人と「艦」とが綯い交ぜになった気持ちが心をきしませた。

 

End.

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