彼の双眸に映る景色は   作:sophist

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37 ヨルヨル、ヨルモノ

 暦は葉月。いよいよ夏バテに成りそうな程に茹だる暑さが続く季節。此処はコンクリートジャングルに比べれば幾分かは気温は低いが、しかしそれでも夏は夏であるので。冷房を入れて寝る日々が続いている。

 その日はいつも通りに書類仕事を早く終わらせ、普段通りに過ごしていた、これと言って特筆する事が無い平穏な日だった。敢えて言うとしたら、台風が南洋で発生したらしい事位だろうか。就寝したのは日も変わった深夜零時。執務室の隣に割り当てられている私室に敷いた布団に寝転び、目を閉じた。

 ところでこの私室は当然の如く一人、或いは二人用の広さである。元々四月の頃は二人だったのだが、その後一人が加わった。けれども僕とキリさんの私物は少ないので、ヲ級の分の増えた荷物は収納出来ており、その点では不都合が無い。問題は寝る時である。備え付けのベッドが元々有り、床に布団を敷くともう一枚を更に敷く余裕は無くなる。かと言って人一人が寝られない程に余裕が無い訳では無い。だから僕は基本雑魚寝をしている。ポジション的には廊下に一番近い所だ。だからその夜、ドアのノック音に気付いたわけで。

 コンコン、と廊下と私室を繋ぐドアが叩かれた。耳朶を打ったその音に、僕は薄らに目を開ける。おもむろに立ち上がり静かにドアノブを回す。廊下は薄暗く、室内の豆電球の光に照らされシルエットが浮かび上がる。

「あーっと、何。二人とも」

寝起きの為に擦れた声しか出ない。よく見ると二人が繋いでいる手は固く固く握りしめられている。表情も何だか今にも泣きそうに思える。薄暗くて確りとは判らないが。僕はキリさんとサキさんを起こさぬ様、静かに廊下に出た。

「取り敢えず食堂に行こうか」

 

 僕は食堂の灯りを点け、置いてある扇風機の首を振る。コップを三つと麦茶の入ったボトルを取り出し、注ぐ。僕は一先ず一口飲み、そして小声で切り出した。

「それで、何か有ったの?」

二人、雷さんと電さんは暫く沈黙していたものの、訥々と話し始めた。

「私はなぜだか夜中に目を覚ましたの。そしてまた寝ようとしたときに、カタカタっていう音がしたわ。窓の音だって分かったんだけど、段々と大きくなっていったのよ。ガタガタガタって」

「その音に電も目を覚ましたのです。そしたら音は止んだのです。直後に窓ガラスが割れんばかりの勢いで叩かれたのです」

「私たちは見たわ」

「窓の外にいる、長髪の人影を」

へぇ。まあ、夏の夜にはぴったりのものだけども。

「ちょっと部屋を拝見しても良い?」

 

 僕らは二階に有る―というか艦娘の私室は全部二階だ―雷電姉妹の部屋に向かった。雷さんに電灯を点けてもらい、家具雑貨をすり抜けて問題の窓に向かう。そして窓を揺らす。横方向、縦方向、奥行き方向。流石は築二年弱の建築物だ、揺れる余地が殆ど無い。カタカタという音を立てる事さえ出来なかった。

 そう考えていた時に、

「きゃぁぁぁぁぁぁああああ!」

という悲鳴が聞こえてきた。

「今のは曙さんの声です!」

と言って駆けだす電さん。

「もしかして……」

と続く雷さん。流石に部屋主が居ない部屋に留まるのはよろしくないと考え、僕も雷電姉妹の部屋を出る。曙さんは現在、不知火さんと同室であり、それは電さん達の部屋の向かいである。僕は開け放たれている曙・不知火の部屋の扉の所に立ち、待つ事にした。

「どうかいたしましたか」

僕が廊下の壁にもたれかかり立っていると、左手の方から鳳翔さんと龍驤さんがやって来るのが見えた。先程の悲鳴はそこそこ大きかったので、どうやらそれに起きてしまったのだろう。反対側からは、

「何か事件ですか?」

と駆けて来る青葉さんと長門さん。僕はさぁ、と言う風に肩を竦める事で返答に代えた。

 

 起きてしまった人達と畳敷きの会議室に集まった。曙、不知火、電、雷、鳳翔、龍驤、長門、青葉、僕。他六名はどうやら熟睡中らしい。取り敢えず悲鳴を上げた当人と、同室の彼女から話を聞いた。粗方の経緯はもう一方のそれと同じであったが、加えて電灯が点滅した点と、何と言っているかは判らなかったが声が聞こえた点が違っていた。因みに不知火さんは曙さんの悲鳴で飛び起きた様だ。

「どうしたものかね」

つい口をついた言葉に噛み付く曙さん。

「あ、あんた提督でしょ。何とかしなさいよ、こ、このクソ提督」

声は震えているし、普段の溌溂さが無い。そんなに怖かったのだろうか。

「無理だよ。幾ら何でも幽霊と戦った事なんて無いし」

見えないし触れないし。……念仏でも唱えれば良いの?

「そもそもまだ心霊現象と決まった訳でもないし」

「……本当にそうお思いですか、司令官」

「いや全く」

「そうですか」

「取り敢えず皆寝たら? まだ三、四時間程時間は有るから」

僕も眠くない訳が無いので、さっさと寝床に戻る事にした。

 

 それからざっと23時間が経過し、時刻は午前弐時。そう、草木も眠る丑三つ時である。辺りはしんと静まり返り、脆弱な静寂が一層不気味さを漂わせる時刻。僕は永遠に続くのではと錯覚しそうな程の暗闇の中を、歩いていく。

「なあ、キミ。よしんば霊がおったとして、それでどうするんや?」

「いやどうもしないよ。どうしようもないし」

 今回の哀れな同行者を紹介しよう。陰陽系軽空母、龍驤さん。深海棲艦系空母、ヲ級さん。記者系重巡、青葉さん。一応今日も平日の為、業務に影響が出ない様少数精鋭の方針で行こうと決めた。選考基準は何となく。青葉さんは着いて来た。

 手に持った懐中電灯で廊下を照らしながら、僕達は宛ても無く歩いて行く。

「いやー、こうして見ると全く違った景色ですよねぇ」

「ソウダナ。コンナ真ッ暗ナ鎮守府ハ初メテ見ルナ」

「うちはちょーっち怖いけどな……」

                                    ―――――――。

「ヲ?」

「ん、どうかした?」

急に立ち止まり声を上げたヲ級に懐中電灯を向ける。

「眩シイカラ止メロ。イヤ、何カ聞コエタヨウナ」

懐中電灯を周囲に向けるも特に異変が起きている訳でも無し。他の二名も首を横に振っている。再びヲ級さんを見る。

「? サキちゃん、どうしたんや?」

ヲ級は此方を見て、元々白い顔をより一層白く、青白くさせている様に思える。気のせいかもしれないが。

「イ、イヤ、ナンデモナイ」

青葉さんは先程からデジカメで写真を撮っている。

「何か撮れたかい?」

「何とも言えませんねぇ。後でじっくり見てみないと判りません」

それもそうか。

 結局その夜は何も起こらなかった。

 

 そしてそれからは特に心霊現象の報告は挙がらなかった。どうやらあの一夜だけであったらしい。夏の夜に幽霊は定番であるが、死者は所詮それで有るべきで。僕としてはぞっとする―ぞっとしない話であった事は間違いない。そう言えば凡そ三日後辺りに、鎮守府の食堂の掲示板に一枚の紙が張り出されていた。青葉さん作の新聞である。新聞に掲載されていたそれは、確りと皆に恐怖を与えたのかもしれなかった。あの夜、青葉さんが撮った写真の内の一枚が、そこには有った。

 そう、『僕の背後で長髪の女性が不気味に笑っている』写真が。

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