ハリー・ポッターと幻想殺し(イマジンブレイカー)   作:冬野暖房器具

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 今作初戦闘、どちらかというと禁書寄りの描写です。

 色々ツッコミ所が満載ですがご容赦下さいませ。

 


14 優等生

 

 

 

 

 

「な……んだこいつは」

 

 突如として現れた巨大な影。女子トイレの入り口から、窮屈そうに姿を見せた巨体を見上げながら、上条当麻はそう呟いた。屋敷しもべ妖精に続く、上条が目にする2種類目の魔法生物。しかしそのスケールはこれまでの比ではなく、博物館に飾られている恐竜の標本のような、何世紀も前の白亜紀(ジュラシック)な世界を髣髴(ほうふつ)とさせる出会いであった。

 

(まさか、ハロウィン特有のイベントか何かか? でもスネイプはそんな事言ってなかったはず……手に持ってるのは棍棒? 一体何がどうなって……)

 

 ふと思い出したのは、とある女魔術師の扱うゴーレム(エリス)の姿である。血の気はなくとも、呼吸するたびにわずかに動く肌。猿よりも人間に近い顔に、まるで排水溝のような匂いなど……この怪物が生物である事は間違いようがない。だがその見た目から連想される危険度と、絶対に腕力では適わないと確信できる点は共通していた。

 

「と、トロール? 何で、こんなところに……?」

 

「知ってるのか!?」

 

 上条がハーマイオニーを振り返るも、返事はなかった。目の前の怪物に目が釘付けになっているせいで、上条の言葉は届いていないようだ。

 

 そして。彼女の表情が驚愕の色に塗り変わるのを見て、上条が視線を戻すとそこには。巨大な棍棒を振り上げている怪物の姿が───

 

「……ッ!!?」

 

 とっさに地面を蹴り、上条はハーマイオニーに飛び掛る。二人が宙に身体を投げ出すと同時に、その背後で轟音が鳴り響いた。トイレの床のタイルを粉々にし、城の基盤まで届くかと錯覚するほどの衝撃。この馬鹿げた一撃を食らうわけにはいかないと、倒れこんだ上条はすぐに体勢を建て直した。

 

「……っ! 大丈夫かハーマイオニー!?」

 

「は、はい先生!」

 

 それだけ聞くと、上条は彼女がトロールと呼んだ生物へと視線を戻した。思考が理解から生存へと切り替わる。こんな時の返事まで優等生だな、などという思考を頭の隅に追いやり、突然訪れたこの窮地を脱出する術を、上条は模索し始めていた。

 

(何で怪物がこんなとこにいるかを考えるのは後回しだ。今はハーマイオニーをここから逃がす方法を考えねえと……あの巨体だ、直線の多いホグワーツの城内でも、狭い道を選んで逃げれば追いつけないはず……怪物の足は速そうには見えないけど確証はない……なら)

 

「俺が囮になる。お前はその隙に逃げるんだ」

 

「で、でも先生……」

 

「でもは無しだ! いいな!?」

 

 そう叫ぶと同時に、上条は怪物へと走り出した。未だ振り下ろされたままのこん棒へと飛び乗り、そのまま怪物の腕を駆け上がる。ここまで巨大な生き物相手に、人間の拳がどこまで効くのかなんて事はわからない。だがもし狙うのなら、あるいは倒せずとも意識をこちらに向けさせるためならば。狙う場所はたった一つ。

 

「う、おおおおおおおお!!!」

 

 二の腕まで到達したところで跳躍し、大きく右腕を振りかぶった。一方の怪物は上条など視界に入っているかも怪しい表情で、ぼんやりと宙を眺めている。その顔面へ向けて、上条は渾身の一撃を叩きつけた。

 

 ゴン! という鈍い音が身体の芯にまで響き渡る。全力疾走の勢いに、自重を上乗せした一撃の余波が上条の身に襲い掛かったのだ。嫌な音を立てて骨が軋み、右手首どころか肘や肩までその衝撃は連鎖的に伝わっていく。だが激痛にのたうち回っている暇はない。その顔を歪めながらも、どうにか床へと着地に成功した上条が顔を見上げると、怪物の苦悶の表情が目に入った。どうやらある程度の効果はあったようだ。

 

「今だ、行け!」

 

 上条がそう叫ぶと、視界の端に走り去っていくハーマイオニーの姿が映る。あまりの痛みに冷や汗を掻きながらも、上条は口元に笑みを浮かべた。最低限の目的は果たした。ここからハーマイオニーがこの怪物に追いつかれることはないだろうと。だがそんな予想を覆すような声が、上条の元へと届けられた。

 

「ハーマイオニー! 無事か!?」

 

「ハリー! ロン!? どうしてここに!?」

 

 ハーマイオニー以外の生徒の声。はっとして声のした方へと顔を向けると、ハーマイオニーの他にもう二人分、ホグワーツの制服が目に飛び込んできた。赤毛の男の子と、黒髪で眼鏡をかけた男の子だ。二人はハーマイオニーに駆け寄り、すぐその先にいる巨大な生き物のシルエットを確認すると、驚きのあまり身をすくめてしまっていた。

 

「う……アレが、トロール!? それにあそこにいるのは……」

 

「上条先生?」

 

 思わぬ登場に呆気に取られたのは上条だけではなかった。小さな二人の珍客の方へと、怪物の視線がチラリと移る。

 

「まずい……お前ら逃げろ!」

 

「先生避けて!!」

 

 ハーマイオニーの絶叫が上条へと届けられた瞬間だった。いつの間にか振り上げられた巨大な足は、まるで道端に転がっている小石を蹴飛ばすかのように、上条の身体を直撃した。

 

「ごっ、がああああああああ!!!!」

 

 放物線ではなく直線で、上条は女子トイレの壁に叩き込まれる。肺の空気は一瞬にして吐き出され、身体に壁の破片が幾つも食い込み、上条の白いシャツが血で赤く染まっていく。そのまま受身も出来ず、上条は力なく床へと倒れこんだ。

 

「先生!!」

 

「この野郎!」

 

 明滅する視界の外で声が聞こえた。それと同時に何かが風を斬る音と、トイレに響く反響音。その正体はハリーとロン、二人の生徒が砕かれた床の破片をトロールに投げつけている音であるのだが、上条がそれに気づくことはなかった。

 

「に、げろ……」

 

 焼け付くような痛みの中で絞り出した声も、生徒たちには届かない。必死で立ち上がろうと試みるも、身体はまったく言う事を聞いてくれず。まるで水を吸ったスポンジのように、叩き込まれた衝撃は上条の全身を重く蝕んでいた。

 

(駄目だ……このままじゃあいつらが……)

 

 右拳を割れるほど握り締める。魔術でもなければ科学でもない。理屈ではなく、最初からそう形作られたこの世界の脅威。言葉も右手も通用しない。状況を打開するような閃きも、この世界の知識に乏しい上条では浮かぶはずもない。決定的なまでの敗北に、上条はぐっと歯を食いしばる。

 

(それでも……ここで倒れるわけにはいかねえだろ、上条当麻……っ! 肩書きだけでも……教師を名乗るのなら……生徒を守るのがテメェの仕事じゃねえのかよ!!)

 

「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 ありったけの力をかき集めて、覚束ない足取りながらも上条はゆっくりと立ち上がった。だがその絶叫の影響か、ハリーたちを見ていた怪物は進路を変えて、再び上条の方へと歩み始める。

 

「……っ!? おい! こっちだウスノロ!」

 

「上条先生! 早く逃げて!!」

 

 赤毛の子が罵倒を浴びせながら瓦礫を投げつけるも、怪物が振り返ることは無かった。あと数歩も進めば、その手に持つこん棒の射程圏内に入ってしまうだろう。

 

(ごめん、ダンブルドア……たぶん凄い迷惑だろうけどさ)

 

 震える指先で、右手の手袋に左手の人差し指をかける。ホグワーツの安全のために、定められた場所以外では決して外すなと言われていた、幻想殺し(イマジンブレイカー)のための安全装置。その封を上条は、半ば引きちぎるかのように強引に取り去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界が歪む瞬間を、ハーマイオニーたちは目撃した。

 

 上条が右手の手袋を外した瞬間だった。まるでピンと張ったシーツの一点を摘んだかのような、世界がその右手に掴まれる感覚を、その場にいる全員が感じ取った。ダンブルドアやスネイプのような幻想殺し(イマジンブレイカー)に対しての知識を持つ魔法使いであれば、ホグワーツの魔法結界に幻想殺し(イマジンブレイカー)が干渉した結果の現象であると看破しただろう。だがハリーやロン、ハーマイオニーにはそのような事など気づけるはずもなく。ただあるのは、魔法を打ち消すその右手に対しての、魔法使いとしての根源的な恐怖であった。

 

 そして。恐怖を感じたのはハーマイオニーたちだけではない。食える食えない、快適不適、敵とその他など、単純な思考で行動するトロールでさえも、その右手の異質さに気がついていた。魔法生物には効力を及ぼさない。ダンブルドアの言うところの、人の思考を介さない無色の魔法力に幻想殺し(イマジンブレイカー)はまったくの無力。だがトロール自身はそうは思えなかった。カチリと何かのスイッチを入れてしまえば、いとも簡単にその条件が成立してしまうような。魔法生物にさえ通用する右手に、今すぐにでも変化してしまいそうな危険性を、トロールは本能で感じ取ったのだった。

 

「ウヴォオオオオオオオオオオオーッ!!!!」

 

 それは叫びだった。相手を威嚇するモノではなく、自らを鼓舞するための咆哮。生まれて初めて感じる恐怖に対する、本能的な対抗策。これまで何の感慨もなく振るってきた棍棒に、トロールは初めて意志を込める。アレは潰さなくては駄目だと。種として生き残りたいならば、ここでやらなければ駄目なのだと。視界は赤く染まり、沸騰しそうなほどの血液の濁流を感じ取りながら。トロールは棍棒を振り上げ、目の前の怪物に叩き付ける。

 

 だがその一撃が上条を捉える事はない。ふらつきながらも獣のような動きで上条は横へと飛び退き、その一撃を回避したのだ。そしてそのまま棍棒の横を通り抜け、半ば倒れこむかのように、トロールの足元をその右手で殴りつける。

 

 バキン! という破壊音が鳴り響いた。それを確認した瞬間、上条は喉が張り裂けそうな勢いで叫んだ。

 

「ここから離れろ!!」

 

 上条の右手を基点として放射状に床に亀裂が走る。それは上条と、そしてトロールの足元まで達して尚止まる気配は無く。ハーマイオニー達は自分たちの足元まで伸びてきた亀裂を見て、思わず後ずさった。そして───

 

「かみじょうせんせえええええーッ!!!!!」

 

 亀裂が破損へと変わる。ハーマイオニーの絶叫の中で、上条とトロールは落ちて行く。一つ下の階に落ちるだけ、などという生易しいモノではなく、眼下に広がっているのは底の見えない真っ暗闇である。だが上条に焦る気持ちはない。これで生徒が無事ならそれでいい。そんな考えを抱きながら、気持ち悪い浮遊感に身を任せる事しか出来なかった。

 

 そして、その落下を目撃した三人といえば。ハーマイオニーは叫びながら膝をつき、赤毛の少年はただ驚愕に目を見開く事しかできないでいた。だが最後の一人、額に稲妻形の傷を持つ少年だけは違っていた。持ち前の反射神経でもって、矢のような速度で懐から杖を取り出し、落下を始めた上条に向けてこう叫んだ。

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!───浮遊せよ!」

 

 少年の杖先から、上条の目にのみ映る閃光が放たれた。その光は上条を包み込み、落下を始めていた上条をその場に繋ぎ止める。その魔法を放った少年は安堵の表情を浮かべたが、その次の瞬間。バチッ! という電撃にも似た音と共に、魔法の光は一瞬にして消え去った。

 

「ッ!!? 何でっ!?」

 

 幻想殺し(イマジンブレイカー)。上条の右手の前では、あらゆる異能の力は消去される。右手を効果範囲に含める浮遊呪文では、触れた瞬間にその効力を失ってしまうのだ。加えてその力は上条の意志でコントロールできるモノではなく、常時発動してしまう代物であるという事さえも。その少年、ハリー・ポッターは知る由も無かった。

 

「……う、ウィンガーディアム・レヴィオーサ!───浮遊せよ!」

 

「ロン!?」

 

 ハリーの後を追うように赤毛の少年、ロン・ウィーズリーもまた慌てて杖を取り出していた。狙いは、トロールの後を追うように再び落下を始めた上条であったのだが、慌てたせいかその狙いは大幅に外れ、魔法はトロールの棍棒へと直撃する。だが奇跡的な事に、上条は干された布団のような格好で、宙に浮く棍棒へと引っかかった。

 

「ごっ!?」

 

「!? い、いいぞ、ロン!」

 

「お、重いッ……!!」

 

 ふらふらとした動きで上条と棍棒は宙に漂っていた。ロンは杖を両手で持ち、その動きに合わせて必死に持ち上げようと試みる。一方でハリーは、もう一度浮遊呪文を唱えようと上条に狙いを定めていた。

 

「ハリー! 早く!!」

 

「……駄目だ。下手に魔法を使ったら、今度こそ落ちちゃうかも!」

 

 上条は今、棍棒に引っかかっているだけの状態である。ここで上条だけを持ち上げたり、あるいは棍棒を持ち上げたとしても、そのバランスが崩れればすぐに滑り落ちてしまうだろう。上条が棍棒にしがみつけばうまくいくのかもしれないが、当の本人は気を失っているように見える。一か八かで魔法を唱えるかどうか迷っているハリーだったが、この場にはもう一人……自分が知る限りで最も優秀な生徒がいる事を、彼は思い出した。

 

「ハーマイオニー! 手を貸してくれ!」

 

 へたり込んでいた所に名前を呼ばれ、ハーマイオニーはびくっと身体を震わせた。

 

「む、無理よ! こんなの私、何も出来ないわ!」

 

「無理でも何でもやるんだ。……そうだ、君が練習していた『呼び寄せ呪文』なら───

 

「ダメっ! だって私、一回も成功したことないのに───

 

 ハーマイオニーが言い終わるが早いか否かというところで、顔を真っ赤にして耐えていたロンの癇癪が爆発した。

 

「ネビルが出来て君に出来ないわけがないだろう!! 上条先生を助けたくないのか!!」

 

 その言葉で、ハーマイオニーの闘志に火が点いた。

 

「アクシオ!──ベルトよ、来い!」

 

 ハーマイオニーが叫び杖を鋭く振るうと、上条の身体が棍棒から浮き上がる。そして上条の腰周り……正確にはベルト部分が引っ張られ、くの字に折れたまま上条は猛スピードでハーマイオニーの元へと突進してきた。その挙動を見て、反射的にハリーとハーマイオニーは横に飛び退いたのだが───

 

「ごはァ!!?」

 

 棍棒の浮遊を維持しようと杖を構えていたロンはそうは行かず、どてっ腹に上条の直撃を受けて、そのまま女子トイレの床を滑っていく。やがて二人はもみくちゃの状態で盛大に壁へと激突し、そのまま動かなくなってしまった。

 

「ウワー……ハーマイオニー。あれってもしかしてわざと……?」

 

「違うわよ! ……けど、ちょっとすっきりしたかも」

 

 どこか晴れ晴れとした顔でそう言い切ったハーマイオニーを見て、ハリーはくすりと笑った。だがその直後に、女子トイレの入り口へとやってきた人物を見て、その表情は驚愕の色へと変わる。

 

「……これはまた、随分と派手に壊したのう」

 

「! ダンブルドア先生!」

 

 ハリーの声に、ダンブルドアはにっこりと微笑みかける事で応えた。

 

「やぁハリー。それにグレンジャーも、息災でなによりじゃ。これでも急いだ方なのじゃが、間に合わなくてすまない」

 

「先生、トロールが出て……その、この穴の中に……」

 

 たどたどしく、ハーマイオニーはどうにかその言葉を搾り出した。だが混乱しているハーマイオニーを右手で制し、ダンブルドアは首を横に振った。

 

「すまぬが、その話はまた後じゃ。今は可及的速やかに取り掛かるべき案件があるのでな」

 

 そう言ってダンブルドアは杖を軽く振るう。すると大穴の底から青白い布切れが飛び出し、ダンブルドアの杖先に引っかかった。

 

「……ふむ。随分と急いで外したようじゃの。どれ、スコージファイ──清めよ」

 

 布切れに着いた汚れを落とした後、ダンブルドアはそれを宙に浮かべて、そのまま杖先を不規則に動かし始める。それが魔法で編み物をやっているのだとハリーが気づいたのは、ダンブルドアがそれを完成させる直前だった。

 

「よしよし、以前よりもいい出来じゃ。これでもう不出来とは言われんじゃろう」

 

「あの、先生。それって、上条先生の……」

 

「左様。いささか不思議に思えるかもしれぬがのハリー。穴に落ちたトロールや、怪我を負っている上条先生よりも、ワシにとってはこの手袋こそが重要なのじゃ。ホグワーツを瓦礫の山に変えるわけにはいかぬのでな」

 

 そう言いながらダンブルドアは、上条の近くに歩み寄り姿勢を低くする。ごそごそとする事数秒、ダンブルドアが立ち上がった時には、上条の右手には手袋が着けられていた。

 

「外したのがトイレで助かったのう。近年増設された区画でなければ、もっと酷い事になっておった」

 

 ダンブルドアのこの発言に、更に疑問符を増やしたハリーとハーマイオニー。そんな三人の下へ、バタバタと足音が近づいてきた。

 

「これは……一体何事ですか!?」

 

 声の主はグリフィンドールの寮監たるマクゴナガルだった。彼女の後を追うようにして、防衛術の教師たるクィレル教授とスリザリンの寮監であるスネイプもその場に駆けつける。

 

「ダ、ダンブルドア先生、これは一体……」

 

「さて、わしも今しがた到着したばかりでな。トロールが穴の下で伸びているそうじゃが……その辺りは当事者たちに聞いてみるのがよかろう」

 

 当事者、という言葉を聞いてマクゴナガルの目がぎろりとハリー達二人の姿を捉えた。のしのしと彼女が歩み寄るのを微笑みながら見守った後で、ダンブルドアはスネイプに向き直る。

 

「セブルス、上条先生とウィーズリーを医務室へ運んでくれ」

 

「……承知しました」

 

 スネイプが杖を一振りすると、上条とロンの身体が宙に浮く。だが上条の方は一瞬の出来事であり、ほんの数十センチほど浮いたところでドサリと落ちることとなった。

 

「痛ッ……?」

 

「ふん、やはり浮遊呪文では駄目か。今ので起きたのなら貴様は自分で歩け」

 

「無茶を言うでないセブルス。わしの見立てじゃが、おそらく全身の骨のあちこちにヒビが入っているはずじゃ……上条先生を持ち上げたいのなら、右手を魔法の効果範囲に含めないことじゃな」

 

 ダンブルドアの声を受け、再びスネイプは杖を振るった。今度は全身ではなく、上条の右足を吊るし上げるような形での浮かせ方である。今度は落ちないだろうかと、スネイプがしばらくその様子を見守っていると、ようやく意識がはっきりしたらしい上条と目と目が合う。

 

「……スネイプ、か? ……生徒たちはどうなった?」

 

 うっすらと目を開け、逆さまの状態となった上条は息も絶え絶えにそう問いかけた。不機嫌そうな表情のスネイプはイライラとした様子で、その問いかけに短く答える。

 

「問題ない。気絶していたウィーズリーもこの通りだ」

 

「ハー……マイオニーは……?」

 

「医務室送りなのは貴様とウィーズリーだけだ。それだけわかればよかろう」

 

 スネイプがそう言うと、上条は満足そうに頷いた。その後スネイプはダンブルドアに会釈をし、浮かせた二人と共に医務室へと歩き始める。

 

「私の……私のせいなんです、先生」

 

 黒髪の少年の前に立ち、そう言い放ったハーマイオニーが、上条が意識を手放す前の最後の光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく、生徒が二人運ばれてきたと思ったら。片方は殆ど無傷で、もう片方は生徒ではなく教師……そして運んできた先生も怪我をしてるなんて。一体何がどうしたというのです?」

 

 不満なのか世間話なのか、よくわからないトーンで上条に話しかけるのは、医務室の長たるポピー・ポンフリーである。あれから数時間後。現在上条は医務室のベッドの上で、包帯をぐるぐる巻きにされミイラ男のような状態で寝かされていた。ミイラ男と言っても、包帯には骨折を直す薬品がたっぷりと染み込ませてあるようなので、上条としてはカラカラに乾いた古代エジプト産ミイラと言うよりは、墓から這い出てきた製造一週間後ミイラのような感覚である。

 

「一部の魔法が効かず、更に手袋を外しては駄目だなんてオーダーをスネイプ先生から聞いたときは耳を疑いましたよ。薬もどうやら効きが悪いみたいですし、もうしばらくはそのままの格好でいて頂きますからね」

 

 なんて事を彼女は喋っているのだが、上条の耳にはとても早口且つイギリス訛りの英語しか届いてこなかった。トロールに吹き飛ばされた時も、ハーマイオニーに『呼び寄せ呪文』で引っ張られた時も、スネイプに宙吊りにされた時でさえも。上条の頭に魔法で固定されていた翻訳ハットを彼女に取り上げられてしまっていたのだ。取り上げると言っても、上条の目の前にあるコート掛けに引っ掛けてあるだけなのだが。プチ全身粉砕骨折な身の上としては、そこは手の届かない所に分類される場所であった。

 

「聞いてるんですか上条先生!? まったく、さっきみたいにまた無理に動こうとしたら、今度は指一本動かせないくらい包帯で固定しますからね!」

 

 そこまで言って、やかましい女医は上条の元から去っていった。実のところ彼女の言葉は一言も伝わっておらず、上条としてはじっとりと肌に吸い付くような包帯の感触を味わいつつ、彼女のキンキン声を聞かされ続ける拷問がようやく終了したな、といった所である。そして当然ながら『動くな』という彼女の命令も届いていないので、どうにかして翻訳ハットに手が届かないものかと、上条はごそごそ奮闘を始めるのだった。

 

(……やっぱり包帯がきつすぎるな。あちこち関節が固定されてて思うように動かせないぞ)

 

 まず起き上がらないと話にならない。そう思い立ち、水中で泳ぐ海老のような運動を繰り返すこと数度。ふと気がつけば、上条が一生懸命に見つめる翻訳ハットに、白く小さな手が伸びていた。

 

「これが欲しいんですか、上条先生?」

 

 声の主はハーマイオニー・グレンジャーだった。彼女は翻訳ハットを大事そうに抱いて、ベッドの淵に腰掛ける。そして彼女は呆気にとられた表情の上条に、優しく翻訳ハットを被せた。

 

「ありがとうハーマイオニー……でも、どうしてここに? もう夜も遅いはずじゃ?」

 

「マクゴナガル先生にお願いしたんです。その……お礼を言いたくて」

 

 お礼と言われて上条は脱力し、ぼんやりと天井を見つめた。そして正直に、胸の内に浮かんだ言葉を口にする。

 

「お礼なら俺なんかよりも、あの二人に言ってあげた方がいいぞ。俺は先生として当たり前の事をして……いや。やろうとしても出来なかったんだ。今回はたまたまうまくいっただけで、もしかしたらお前たちを巻き添えにしてたかもしれないんだからさ」

 

 校長の言いつけを破りホグワーツに大穴を開けて、力技でどうにか収まっただけ。それが上条の感想である。ダンブルドアやスネイプだったら。マクゴナガルやフリットウィックであったのなら。彼ら本物の教師であれば、もっとうまくやれたに違いないのだ。特異な右手をただ振るうだけでは、所詮壊すことしか出来ないのだと言う事を、上条は痛感していた。

 

「すまなかった。危険な目に遭わせちまって……」

 

 そう言い掛けて、上条は思わず口を噤んだ。何故ならその唇に、ピトリと人差し指が当てられたからだ。

 

「違います、そうじゃありません先生。私が言いたいのは……先生が私に出した、あの問題の事です」

 

 優しく微笑みながら、ハーマイオニーは囁く様に言った。

 

「先生言いましたよね。『何で私が、規則を守らない男の子たちに注意ばっかりしてたのか。マクゴナガル先生に相談すればいいじゃないか』って……私、ようやくその答えがわかったんです。お礼というのは、それを教えてくれた事に対してなんですよ」

 

 その言葉に、上条は鳩が豆鉄砲を食らったような顔つきになった。出題するだけ出題して、答えは上条ごと医務室送りになってしまったあの問題。その話がここで出てくることもさることながら、まだ答えを教えていないのにも関わらず、教えてくれたお礼とは一体どういうことなのか。ミイラ男の頭に、大量の疑問符が浮かび上がった。

 

「私、マクゴナガル先生に嘘をつきました。あの女子トイレに私がいたのは、自分の力でトロールを退治するためだったって。ハリーとロンは、私を止めるために来てくれたんですって。気がついたらそう言ってました……それでその時……うまく言えないんですけど。たぶん上条先生が言いたかった事って、こういう事なんじゃないかって」

 

 そこまで聞いて、上条の頭から疑問符は消えていた。ハーマイオニーが得た答え。それが間違いなく正解であると確信し、ただ瞳を閉じて彼女の言葉に聞き入っていた。

 

「頼られたいんじゃなくて……ただ力になりたかっただけなんです。無鉄砲な彼らを助けたいから、先生に言いつけたりせずに注意ばっかりして……でも、それだけじゃ駄目だったんですね先生。規則とか、成績とか……自分を大切にしてばっかりじゃなくて、相手を大切にしてあげる気持ちが大事なんだって。勉強をいっぱい頑張ったり、呪文をたくさん覚えても。その気持ちがなかったら意味なんかないって、そう思ったんです」

 

 そこまで言ってハーマイオニーは言葉を切った。提出した宿題に、採点が下されるのを待っているのだ。上条としてはその答えに文句の付けようもなく。返せる言葉は、たった一言しかなかった。

 

「……本当に、ハーマイオニーは優秀な生徒だよ」

 

「……先生の教え方がいいですからね」

 

 そう言って舌を出したハーマイオニーに。敵わないなと、上条は嘆息したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 












 ロンのファンがいたらごめんなさいです。



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