スコルピト・C・ラスコータ先生の浮遊感   作:ランタンポップス

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お久しぶりです!
久々に『奴隷との生活』を最初からしてみたら、シルヴィが瞬きするわ、リップシンクするわ、進化しまくりで泣きました。


安心は得て欲しいな。TWo

 時計の針は正午を越した。 四時までの休止が始まるのだが、ラスコータは気が気で無かった。

 これから、シルヴィと街へ赴くのだ。

 

 

「……ど、どうしたものか」

 

 

 診察を終え、椅子にぐったりと凭れる。午前は六人しか来なかったなと、火車状態の院内経理も頭を悩ませる。ここに来て悩みの種が増えてしまったと、仕事終わりという事もあってか酷く疲れ果てていた。

 

 

 

 それよりも目下の悩みは、シルヴィだ。

 風呂内で心因症状を引き起こしていた彼女を、連れ出して良いものか。だが彼は、自分勝手に行くと決めてしまったし、それをシルヴィに言ってしまった。今からシルヴィの元に行き、「やっぱり休んでください」と言うのも可能だが、気の弱いラスコータには重労働に他ならないだろう。

 

 

 何故、自分は彼女を誘ったのだ。頭を抱えて、長い溜め息を吐く。唐突に彼を突き上げた、シルヴィへの情があのような暴挙に繋がったのかと、自己分析に耽る。

 しかし考えれば考える程に時間は過ぎ行き、うかうかすれば昼休みは終わりそうだ。迷うべきは今では無いのではないか。

 

 

「い、行くしかないかな……でで、でも、女性用のコートなんてないし……」

 

 

 今日も外は寒空であり、吹き荒む風の強さが宙を舞う枯葉で察する事が出来た。

 寒い上に風が吹いている、余計に寒い事は誰で分かる。

 下着は自分の物を履かせたとは言え、ウエストが合っていない。ブカブカの薄着で外に出すなんて拷問だろう。傷を隠させる為にも、自分のコートを貸してあげるべきか。

 

 

「…………そう言えば靴も無かったんじゃ……」

 

 

 シルヴィは裸足でやって来た事を思い出した。自分の靴は流石に、彼女には大き過ぎるだろう。

 サイズが小さな靴ならば、夏用のサンダルがあったと気付くが、寒い中では厳しい。長靴を見つけたので、それを履かせる事にした。

 

 

 ここまで彼女の身の回りを整えようとして、ラスコータはつくづくあの商人へ苛立ちを覚えて来る。

 ラスコータ自身は決してこんな表現はしたくないが……彼女を商品として売るにせよ、それなりのメンテナンスをするべきではないか(メンテナンスの言葉自体は心理学の世界で使われる)。

 

 

 

「……あっ! あ、アレを使おう!」

 

 

 マフラーを手に取った時、客の忘れ物があった事を思い出してタンスを開く。

 灰色のレインコートではあったが、子供用でシルヴィに合うだろうし、無いよりマシだ。もう放置されて一年経つし、私物にしても良いハズだろう。

 

 

「レインコートに、長靴に、マフラー……よ、良し。揃えた」

 

 

 それら三つを抱えながら、彼はシルヴィの部屋へ戻った。

 両手が塞がっている為、扉をどう開けようか迷ったものの、部屋の前で動いていた音をシルヴィが聞き取り、向こうから開けてくれた。

 

 

「ご主人様、それは……?」

 

「レインコートと、長靴とマフラー……え、えと、長靴とマフラーは僕の物だけど……さ、さ、さあ、羽織って!」

 

「え……?」

 

 

 長靴を床に落とし、困惑するシルヴィにレインコートを着せる。サイズはジャストだ。

 続けて細く白く、生々しい傷痕のある首にマフラーを巻いてやり、足元で長靴を立てる。子供が患者の時が多く、こう言うのは慣れてしまった。

 

 

「よ、良し。じ、じゃあ、行こっか」

 

「……本当に、街へ?」

 

「い、行きつけのカフェとか、市場とか、た、沢山あるからさ! さ、さ、寒いけど、レインコートじゃ、厳しいかもだけど……」

 

「………………」

 

「だ、だから、その、服屋とかで、下着とか揃えようよ。お、お昼も食べたりさ……」

 

 

 シルヴィは呆然とラスコータを眺めている。

 挙動不審な所を見ているのか、自分に優しくする彼を不思議がっているのか、どちらもかは分かりかねる。

 ただ何にせよ、変に思われている事だけは確かだろうか。

 

 

「……良いんですか?」

 

「う、うん。さあ、早く長靴に履き替えなよ……またお昼越したら仕事だから、時間が無いし!」

 

 

 ラスコータはどんどん彼女を促し、長靴を履かせた所で背中を押して部屋から出した。

 それまでの行動全てが、油の足りない歯車のようで、何処と無く危なっかしい。挙動の一つ一つが、瞬時の思考で動いているかのように。

 

 

 シルヴィが玄関に出るまでに、ラスコータも身支度を済ます。上着掛けにあるコートと帽子を取るだけなので、すぐに出掛ける用意は出来たが。

 

 

「財布も持った……あれ、と、時計がない……」

 

「あ、あの……ご主人様……?」

 

 

 上着のポケットを弄り、時計を探すラスコータ。

 そんな彼へシルヴィは遠慮がちに、教えてくれた。

 

 

 

 

「上着の下の、セーターのポケットかと……」

 

「え? あ、えっと……あっ、あった!」

 

 

 懐中時計を探し当て、それを上着のポケットに入れた後にラスコータは扉を開けてやる。

 寒風が入り込み、顔を思わず顰めた。振り返ると、寒そうに両手をギュッと握るシルヴィがいる。

 

 

「街に……さあ、行こうよ」

 

 

 手を外へ差し出し、彼女へ先を譲る。

 ジョニィから学生時代に教わった、『レディー・ファースト』の基本だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シルヴィは首に巻いたマフラーで口元まで大きく隠している。

 やはり傷痕が強いコンプレックスなのだろうか。まだ誰もいない田舎道だと言うのに、既に辺りを憚るような仕草で歩いていた。

 

 

 対するラスコータもまた、彼女と同じ気分だ。

 シャワールームの時のように、何かの拍子でシルヴィが混乱しないかと不安で仕方ない。街中で起きれば、どう対処すれば良いのやらと、最悪の事態の予想を延々繰り返していた。

 

 

 しかし思えば、シルヴィはあの商人に連れられ、色々と転々歩かされたハズだ。そんな易々と混乱しないとは思うのだが。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 風と土を踏む音しかない。人間同士の会話は無く、その点のみを音としてあげるのならば、これは沈黙だろう。

 何か話さなければと、彼は辺りを見渡して見た。何かの取っ掛かりがないと、会話が難しい性のようだ。

 

 

 左手の方、畑の向こうの方に、教会が見える。

 ラスコータはあそこを指差し、シルヴィに話しかけた。

 

 

「あ、あの教会が見える?」

 

「教会……ですか?」

 

「うん……あそこの教会、庭が凄いんだ。何が凄いかって言うと、花だね」

 

 

 話し下手な人間と言うのは、自分の知識を語る事は得意だ。それは『会話をする』と『説明をする』とは、別の思考だからだと思われる。台本が無いのと、台本があるとの違いだろうか。

 

 吃らず、声のトーンを落とさず、彼はゆったりと話しを続ける。彼が話したかった内容だ。

 

 

 

 

「教会の西側は蔦が這っているんだけど、それは『クレマチス』なんだ。クレマチスと言うのは、この時期に咲く紫色の花の事だね……蔦が上へ上へ登って所々に花を咲かせる。頂点は丁度、ステンドグラスの下に留まっているから、まるで昇天を表しているって、好評だよ」

 

「……それは、あの、すみません、想像が出来なくて……」

 

「でも一目見たら、一生忘れられないと思う。絡み合って、壁を掴みながら、それでも咲いて……天国を目指す。苦難と、昇華と、到達……」

 

 

 ラスコータは振り向き、シルヴィに横顔を見せて微笑んだ。

 

 

「……まるで人生だよ。輝くような……」

 

 

 僕とは違って。

 それだけは彼女の前で、決して言わなかった。

 中途半端な形で話を切った為、シルヴィからは怪訝な目を向けられる。しかしここからは、話を考えていなかった。

 何を話そうか迷った挙句、話を振る事にするしかなかった。

 

 

「え、えっと……き、君……教会に行った……じゃなくて」

 

 

 まず行った事はないだろうと考え直し、質問を切り替える。

 

 

 

 

「……神様とかって、信じている方かな?」

 

 

 言った後に、心底自分を恥じた。

 こんな哲学的な話しか自分は出来ないのかと、頭を抱えてしまいたかった。

 

 昔から世間に疎く、興味は専ら、自分の内面だった。あれこれを夢想したり、想像したりするのが好きな人間だった。だから彼の好きな話題はずっと、答えのない学問……哲学、神学、心理学、天体学、占星学……これらを趣味として、関連書籍を集めていたりするほど、好きだった。

 

 そんな彼が医者になったのは、当然だったのかもしれない。人体は未だ神秘的な面が多く、最近になってやっとドイツの医者が人間の脳波を確認したほどだ。つまり人体ほど、身近で未知に溢れたものは無かった、答え無き領域。そこに踏み入る事は確かに楽しかっただろうし、だからこそ医者にもなれたと認めざるを得ない。

 

 

 

 話を戻す。

 ラスコータのその、「神を信じるか」と言った答え無き質問を藪から棒に突きつけられ、シルヴィは困惑していた。

 流石に話の展開としては頭が悪過ぎたかと、後悔しながら変更しようとする。その時に「クレマチスの話の方が良かった!」と閃いたが、これこそ『下衆の後知恵』だろう。

 

 

 話を変えようと考える最中、シルヴィは答えてくれた。

 

 

「神様は……信じるかは、違うと思うんです」

 

 

 その答えにラスコータは驚き、足を止めて振り返る。

 

 

「……神様は……誰にもなれる者です。自分の作った世界に、人を従わせられる人がそうだと思うんです」

 

「……!」

 

「……私にとって、前のご主人様は『神様』ですか。信じなきゃ、いけなかったのかもしれません」

 

 

 二人の目が合う、風が吹き始める。

 

 

 

「……目の前の『絶対』は、信じない訳にいきませんから。神様って、そんな人です」

 

 

 

 

 ラスコータはマフラーと髪との間に見える、闇に満ちたシルヴィの目に釘付けとなった。

 

 

 ああ、これなら、教会に行った事あるのかと聞けば良かった。

 この子にとっての神様は、天の上の不可視かつ不可侵な人物を指すのではない。恐怖を敷き、決して逃げる事の出来ない脅威こそが、彼女の世界であり、その創造神たるは怪物。それでも、信じなければならないほど、彼女の世界は修羅だった。

 

 

 神は信じる信じないのではない、信じるしかない……怪物であっても。

 ラスコータは彼女の意図を知り、絶句してしまう。

 

 

 

「……ご主人様は、信じる神様がいるのですか?」

 

 

 

 その問いで真っ先に浮かぶ、父の顔。

 急いで幻影を振り払い、動揺し、シルヴィから背を向ける。

 

 

「……さ、寒いからね。は、は、は、早く街に」

 

 

 導いているのに、まるで彼女から逃げるようだ。

 それからのラスコータは決して口を開く事は無かったし、シルヴィも黙って彼の後ろを付いてきた。

 

 

 

 車のエンジン音、雑踏、話し声、歌。

 街が見えて来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………うぅ」

 

 

 街に入ると、あからさまにシルヴィの挙動が変化した。

 表面上は落ち着いているものの、目線は頻りに辺りを見渡しているし、傷痕を隠そうと一層マフラーを鼻先まで引き上げていた。

 

 客観的に見れば、晴れの日にレインコートと長靴の姿は異様だっただろうか。行き交う人々は通り過ぎ様にシルヴィを一瞥し、次に従えているラスコータを見遣る。

 

 

「………………」

 

 

 ただでさえ人の視線が嫌いなラスコータ。

 シルヴィと同じように、帽子を目深に被って顔を隠そうと努めた。

 

 

「………………」

 

「……お、お腹空いたね。ま、まず昼食にしよう……」

 

 

 行きつけのカフェ……と、言ったが、少し語弊がある。

 正しくは、行きつけ『だった』カフェだ。学生時代に勉強の為、足繁く立ち寄ったカフェだが、もう六年は行っていない。

 

 

 マスターは変わっていないだろうが、従業員とか変わっているハズ。

 そして六年前と変わっていないのなら、マスターは従業員を放って何処かぶらりと出かける。放浪癖があった。つまり知らない従業員と会う事になるのだろうか。

 

 

 緊張は強いが、シルヴィに「行きつけのカフェに行こう」と言ってしまった。有言実行はせねばなるまいと、高を括る。

 

 

「パンケーキと、サンドウィッチが美味しいんだ。コーヒーも良いよ……マスターのは格別だけど、従業員の中には不味い淹れ方の人もいるから、不在の時は紅茶にするのが無難。夜はバーになるけど……行った事ははないかな」

 

 

 久し振りのカフェだが、店構えは殆ど変わっていない。削れた窓枠も、掠れた黒板の立て看板も、変わっていない。ただドアノブだけ新調したなと、うっすら分かる。

 

 

 

 学生時代の空気を懐かしみながら、至ってリラックスした状態で扉を潜った。鼻に馴染む、古木の匂いが二人を包んだ。

 マスターは大抵、入り口のすぐ前のカウンターに立っているが……今日はいない。また何処か、出歩いているのだろう。

 

 

「いらっしゃいませぇ?」

 

「いっ……!?」

 

 

 応対した女性の従業員を見て、ラスコータは肝を冷やす。

 毳毳しい青の、印象的な服に身を包んだウェイトレス。ただ目元にクマがあり、頭が首の据わらない乳児のようにユラユラしており、一目で危ない人だと気付けた。

 

 

「お二人様ですかぁ?」

 

 

 言動も少し危うい。

 だがこの不気味な店員のせいか、不幸中の幸いながらもカフェは空いている。殆ど貸し切りと言っても良いほどだった。

 

 

 

「……ふ、二人です」

 

「と言いましても〜誰もいませんのでぇ、好きな席で構いませんよぉ?」

 

「……ありがとうございます」

 

 

 挙動と言動は危ういが、接客事態はまともそうだ。客席に促す彼女を抜けて、店内の奥に向かって行った。

 昔から変な人が働いていたカフェ。マスターも変わり者だったので、類は友を呼ぶと言う訳かと、妙に納得している。

 

 

 二人は出来るだけ、店の隅の日陰指す席に座った。例え客が来たとしても、目立つ事はない。

 

 

「ご注文が決まりましたらお呼びくださぁい?」

 

 

 フラフラしながらカウンターの向かいに引っ込み、作業の途中だったのか、コーヒーの焙煎機をメンテナンスしていた。

 その時のがちゃがちゃとした無機質な音しか無いので、彼女まで響かぬようにラスコータはシルヴィへ耳打ちする。

 

 

「……マスターもいませんし、早い目に出ましょう」

 

「え? は、はい……」

 

 

 テーブル中央に置いてあるメニュー表を手に取り、シルヴィに見せた。

 

 

「どれを食べますか?」

 

「………………」

 

「……どうしました?」

 

 

 メニュー表を凝視して固まるシルヴィ。もしや何か、彼女のトラウマに引っかかる文字列があったかと不安になるが……その理由は、悲しく、簡単だった。

 

 

「……すみません……文字が、読めない……です」

 

「……え?」

 

「……教育は、受けていません……ので……」

 

 

 俯き、謝罪する。

 その小さな姿を見た時、ラスコータの心に深い罪悪感と怒りが現れた。

 

 文字すら習わせないのか。

 メニュー表を自分の視界に戻し、彼から読み上げてやる。

 

 

「き、気にしなくても良いよ、しし、仕方ない……じゃあえっと……飲み物は紅茶にしようか。僕はコーヒーでも……」

 

 

 カウンターにいる店員を見遣る。とても美味しいコーヒーを淹れられるとは思えなかった。

 

 

 

 

「……僕も紅茶にしよう」

 

 

 次に食事だが、これも選んでやった方が良いなとラスコータは考える。

 ならば注文は決まっていた。

 

 

 

 

 

「……パンケーキだね」

 

 

 甘い物が、好きな男だった。


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