スコルピト・C・ラスコータ先生の浮遊感   作:ランタンポップス

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奴隷が来た。TWo

 ラスコータはあまりの衝撃からか、一瞬だけ立ち眩みを催した。

 クラリと歪む視界の中、貫くように捉えていたのは目の前の『シルヴィ』と呼ばれる少女だけ。

 

 

「……実は先月ですか。とある有名な資産家が事故で亡くなられましてね?」

 

 呆然と立ち竦む彼に補足をするように、男は雑談する風に経緯を説明し始めた。

 

「これが孤独な方でして、近しい家族がいないもんですから……有り余らんばかりの遺産を求めて役所やら友人に遠縁を名乗る方々が寄って集って、遺産をさらってしまいました」

「え? え、え?」

 

 男は言葉を一旦切り、疲れたような眼差しでシルヴィを一瞥すると、「何とも言えない」と言いたげに肩を持ち上げ、呆れた表情となった。

 

「……私もその資産家さんと……まぁ、表立ったものではありませんが、細々とした関係でありましてね……最後のお零れとして遺産を貰い受けたのですが……その最後に厄介なものを押し付けられましてね?」

「…………」

「……『これ』が、その一つです」

 

 ラスコータは無意識に身震いながらも、神経質な彼は男のバックグラウンドを恐る恐ると解釈した。

 これは三ヶ月前から気付いていた事だ。この男はやはり、『裏商人』である。

 

「あの……この子は……その、し、し、資産家さんの……何でしょうか?」

「……まず娘さんとは、思いませんよね」

「……全く、思いません……だって、こんな……! こんな……」

 

 ラスコータは詰まり詰まりに講義を起こそうと口を開くのだが、同情を向けたシルヴィの目を見て、心臓を掴まされた気分に陥り、口籠る。

 暗く、どんよりとした曇天の瞳である。部屋の明かりを角膜が反射しているが、奥にある精神的な輝きが微塵も見受けられない。その正体は、凍て付くような無表情のせいであるとラスコータは気が付いた。

 

 

 希望の色もない、ラスコータを視界に捉えているものの興味を示していない……まるで、死人のような目だ。今にも降り出しかねない曇天の下のような、鬱々とした不快な目。

 こんな目、どんな環境下より育てばこうなるのか。ラスコータは思わず、少女に対して恐怖を抱いてしまった。

 

 

「……あまり詳しい事は私も知りませんのでね……私はただ、『私の立場上から』の説明のみとさせて頂きます」

「た、立場……」

「まず、賢明なラスコータ先生ならお気付きかとは思いますが……まぁ、オブラートに包んで、私は『何でも売る商人』であります」

「………………」

「そしてこれも、私の商品の一つですがねぇ……全く。肉体労働が可能なものなら兎も角、こんなガキを買うなんて物好きはいないもんでしてねぇ……」

 

 再び男は肩を持ち上げ、呆れた表情となる。

 シルヴィはもはや人形のように、男の側に何の感情を抱かずに立っている。

 

「だからと言えど、ずっと手に置いておくのも、私に徳がないんです」

「…………」

「……このまま買い手付かずでは、『処分』も考えております」

「は、はぁぁ!?」

 

 男の口から出た飛んでもない発言に、大人しいラスコータでさえも声を荒げた。

 古い木の床を大きく軋ませ、怒りに燃える神経質な表情で男を激しく罵倒するのだ。

 

 

「あ、あ、あ、あんたは何て人間だッ!! 恥ずかしくないのか!? この子を見て、同情もしてやれないのか!?」

「…………」

「そ、それに、これは人身売買だろ!?……人間が人間を売るなんて、残酷と考えないのかッ!? あ、あんたは人でなしだ! この守銭奴の外道め!!」

 

 人差し指を突き付け、大きく見開いた目で罵る彼を前に、物静かな印象から一変した攻撃的側面に多少なり驚いた表情をしているものの、それでも平然とした様子で男はラスコータに宥めの言葉を投げかけた。

 

「まぁまぁ、落ち着いて下さい……私とて、そんな事はしたくないですよ。私も人間です、良心と哀れみを全て消し去った訳ではありませんよ……行く行くは、と言う(てい)での話ですよ。そんな、私が畜生でしたら今頃これを処分していますよ」

「その、『これ』を止めるんだッ!! この子は物じゃなくて人間だろ!」

 

 細かい所を指摘したなと、少し恥ずかしくなる。ただあまり大声を出さない彼は、ここまで叫ぶように抗議したばかりに言葉尻が嗄れていた。

 だが彼の熱意を前にしても、シルヴィは相変わらず変化を見せない。対して男の方は関心したように微笑んでいた。

 

 

「……いやはや、ラスコータ先生は本当に人道主義者でありますな。私を命懸けで助けて頂いただけはあります」

 

 男が畏敬の念を込めた口調で話している事を察知し、ラスコータはやっと濁流のような感情を鎮められ、男の話に歯を立てる事を取り止められた。

 久し振りの憤怒でエネルギーを多量消費したのか、ラスコータは肩で息をしている程にややぐったりと窶れた様子にはなっているのだが。

 

「実はこれ……失礼。『この子』の引き取り手を探す最中、もしかしたら先生にならと考えた訳でして……」

「…………は?」

「……ラスコータ先生は、独り身であられるようではありませんか」

 

 男がシルヴィに対しての『物扱い』を撤回した事に満足を抱いた時に、胡散臭い交渉を彼が持ち掛けた事にラスコータが嫌な予感を覚えさせた。

 じっとりと、舐め回すように男は部屋中を見渡し、最後にあの、左右非対称な笑みを浮かべてラスコータに提案する。

 

 

 

 

「……急な話ですが、この子を引き取ってみてはいかがでしょうか?」

 

 

 彼の提案を前にしたラスコータの表情は、唖然としていた。

 口をぽかんと開け、男の言葉を今一つ理解していないような感じだ。いや、理解はしているようだが何故か、恐怖に似た感情を震える瞼で表現している。

 

「……な、なんと? 今、あなたはなんと、申し上げました、か?」

「引き取ってみては、と申し上げました。慈悲深い先生なら、この子と上手くやれるでしょうに」

「ま、ま、ま、待ってくれ! そ、その……その子を……!?」

 

 ラスコータはやや、現実を把握し損ねている様子だった。

 

「えぇ。どうでしょうか?」

「は、話が唐突過ぎるんだ! ぼ、ぼ、僕がかかかか……か、彼女を引き取るのかぁ!?」

「そう、先程から提案させて頂いていますがね……あっ。もしや、都合の悪い事情でもおありで?」

「…………あぁ、なんて事だ……」

 

 そして初めてここで彼は、「してやられた」と頭を抱える事になる。男に突き付けた自分の言葉を思い出してなぞれば、自分はシルヴィに同情している(勿論、実際に同情の念はある)言動ばかりだ。

 客観的に見れば、そこまで猛抗議して怒った人間が「じゃあ引き取れよ」と言われて「拒否」の二文字を示せるハズがないのだ。特にラスコータのような、神経質だが悪い人間ではない性格ならば気負いを生じされられる事に期待出来よう。

 

 

 ラスコータは男に、引き取らざるを得ない雰囲気に持ち込まされた訳だ。

 

「…………」

 

 彼には彼なりのプライドは勿論、存在している。

 それは医師としてのアイデンティティだ。医師として、『人を治す者』として、男に偽善者と思われる事はとてもプライドが傷付く。ここで拒否をしてしまえば(彼の性格上、とても出来ないだろうが)、自分は今日より懺悔と偽善の烙印を己に課して生きて行く事になる。それは、平穏でしっぽりと生きていたい彼にとって、とてつもなく避けたい事態だ。

 

「う…………」

 

 しかし、引き取ってしまっても平穏はない。一人が好きな人間嫌いのナーバスな彼にとって、他者による自生活の介入は何よりも嫌な事だった。確かにシルヴィに対しては同情している、しかし彼女を引き取って育てあげる自信が彼にはないのだ。

 

 

 引き取りたい、自信がない。引き取りたくない、偽善者だ。二つの選択肢はどちらもマイナスの面を持っている。ラスコータは完全に思考停止し、歯をがちがち鳴らしながら考えに耽っていた。

 

「…………」

「……先生、今宵は冷えます、早い所ご決断なさってください」

「……え!? あ、その……えっと、えっと、えっと……!」

 

 急かす商人に気が動転し、ラスコータはほぼ無意識状態で言葉をこぼした。

 

 

 

 

「ひ、引き取ります!」

 

 言った後に口を押さえた。自分で言った事に、動揺したのだ。

 ラスコータは恐慌状態で撤回しようと言葉を脳内で組み立てるが、商人はニヤリと笑う。

 

「そうですか! 引き取ってくださりますか!」

「え、い、いや! その、今のは……はい」

 

 言質は取られた。それに、自分が拒否してしまえば、この少女に明日が無い事を思い出し、喚き散らすエスを抑えて承諾する。口元がヒクつき、それを隠すように俯く。

 怪訝に思った商人が「如何しました?」と聞いてくるので、表情筋を意識して我慢しつつ頭を上げた。

 

「なん、でもない……」

「……ともあれ、引き取ってくださるのでしたら、こちらも助かります。この子は身寄りも無い奴隷です、手伝いをさせるなり何なり、ご自由にどうぞ」

「…………」

 

 奴隷と聞き、また感情が突沸し、男を罵倒しかけたがそれを寸での所で引き止める。

 思えばこの男は、酷い目に遭い最終的には一人ぼっちになったこの少女に、引き取り手を探してやっていたのだ。勿論、奴隷として売っている所で人道主義とは絶対に思わないが、選択肢にラスコータを入れた事は褒められる点だろう。

 

 

「それでは、私はこれにて」

「……え、帰られるので?」

「長居する予定ではありませんでしたし、私には他に仕事も御座います……あと、ジョニィ先生の所にも向かわなければと」

「……そう、ですか」

 

 ラスコータが言葉選びに齷齪していると、男は帽子を持ち上げて一礼し改めてお礼をしてから宵闇に身を溶かしていった。

 扉の前にいたシルヴィは家の中に入り、扉を閉めてからラスコータを見た。冷えた目だ、ラスコータは舌の先を噛み、身震いを抑える。

 

 

 

 

「……引き取ってくださり、有り難う御座いました」

「え? あ、えぇ……」

「力仕事は出来ませんが、申し付けてくださりましたなら簡単な雑用は出来ると思います」

「…………」

「何卒、宜しくお願いします」

「…………」

 

 ラスコータは、溜まった涎を飲み込んだ。心臓が痛んだ。まるで身体全体が、細胞の一つ一つが停止してしまったかのような圧迫感と動揺。説明文を読むかのような無機質なシルヴィの言葉たちと、光の無い目が彼を恐怖させた。

 淡々サラリと言葉を連ね、沈黙するラスコータに対してもう一言付け加えた。

 

「前のご主人様は、悲鳴を聞いて楽しむのが一番の使い方だと、言っておりました」

「……なんだって?」

「お手柔らかにお願いします」

「…………」

 

 改めて、彼女の全身を眺めた。痛々しい痣の数々と、爛れたケロイド……前の主人は異常だ、共感性が欠如しているとラスコータは精神分析的に判断している。

 くらりとする頭を抱えて、一通り言葉を言い終えたシルヴィが黙って立っている。

 

 

「……そんな事は、しないです」

 

 ラスコータはぽつりと呟くと、シルヴィに背を向けた。ヒクついて歪む自分の顔を見て欲しくなかった事もあり、立ちっぱなしの……しかも良く見たら裸足の彼女を座らせてやろうと椅子を出したのだ。

 

「…………」

「……椅子、運びましょうか?」

「え? あ、違う……えと、疲れただろうね、座っていいよって……」

 

 シルヴィは申し訳無さそうな表情になり、首を小さく左右に振って拒否をした。

 

「いえ、椅子なんて私には贅沢です……その、私なら床の上でも構いませんので」

 

 謙虚を通り越して、これは卑下だ。長い間、凄惨な奴隷生活を経て、自分を最下の人間だと刷り込まされているようだ。椅子に座る事さえも申し訳無さが出る程、彼女はそうなってしまっていた。

 

 

「……今日は冷えるよ。床は……冷たいと、思います……し」

「私は……」

 

 ラスコータは気恥ずかしいのか、シルヴィと目を合わせずそっぽを向きながら言う。

 

「……安心してよ……」

「え?」

「……僕は……こんな、人間だし……」

 

 椅子を引き、シルヴィに着席を促す。

 当惑している様子の彼女だったが、これも命令だと考え直したようで、「失礼します」と声を付けてから椅子の方へ歩を進める。

 

「……寒い……かな? ストーブを点けなきゃ……薪を持ってこなきゃだけど」

 

 薪ストーブの火を点けていなかった。この家が古い為、近世時代の物が生き残っていた、言えど、燃えかすやら臭いやらと彼の神経に障る要因が多いので、ラスコータは診療所中以外は点けようとしない。

 するとシルヴィが立ち止まり、提案する。

 

「場所を教示して貰えましたら、持って来ますよ」

「……大丈夫」

 

 ラスコータは怯えたような目で、シルヴィを見つめた。

 

「……風邪を引くよ」

 

 それだけ言って、呆然と眺めるシルヴィを置いてからラスコータはコートを羽織り、表へ出た。薪は、家の横に積んである。兎に角、ここから出たかったのだ。

 

 

 

 

「…………」

 

 入口を閉め、冷たい夜の中で息を吐いた。長い髪を振り乱して掻き毟り、先程までの事を頭の中でおさらいする。

 自分は少女を引き取った、少女は酷い外傷の痕がある。引き取ったと言う事は、自分が彼女を育てる事となる、育てられるのか。そもそも何故、断れなかったのか、自分は断って、ジョニィに回したら良かったのに。そうだ、何でこんな事を思い付かなかったんだ。

 

 

 心の底から後悔の念が今頃、断続的に湧いて来た。心臓から血管を伝って前頭葉へと、嫌な気分が脳へ染み込んで来る気分だ。

 ラスコータには自信がない。彼は何よりも一人が好きで、一人で静かな夜を過ごせる日々が好きだった。そんな彼にとってシルヴィの存在は異端者であり、障害にも思えるのだ。

 

 

「…………あ」

 

 ここまでの暗い暗い思考から一旦這い出て、そして振り返る。結局自分は、何をしたかったのだろうかと、頭を痛めた。

 助けたのは自分だし、引き取ったのも自分だ。あの男を糾弾した時だって、心には清い信念があったハズ。それが何だろうかこの有り様は、結局は暗い感情と後悔じゃないか。

 ラスコータはもう、自分で自分の心を信用出来なくなっている。少しばかり、心神喪失状態で空を見上げた。

 

 

 空は変わらず、満点の星空。光を散らした黒のキャンバスが世界の屋根のようだった。

 そしてその中で主役を演じる三日月が蠱惑的に照る。肌寒い夜風に身をよじりながら、息を吐いた。ちっとも心は清まらない。

 

「…………はぁ」

 

 彼の頭の中はシルヴィの事で沢山だ。これからどうやって接して行けば良いのか。

 シルヴィの光無き目に、無感情な言霊。彼女の心は可哀想に、永遠の深淵に溶け込み、封じられているのだ。無理も無い、ラスコータが考える以上の壮絶で凄惨な人生だったろうに。

 それだけに不安だ。彼女は果たして、ラスコータと一緒にいたら幸せになれるのか。心を閉ざした自分に、心を開いてくれるのだろうか。考えても考えても、張り切っても張り切っても、また最初から。堂々巡りとした不安と恐怖に、疲れと後悔がレイズする。

 

 

 彼の脳内に一人の人間の顔が現れた。父の顔だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……失礼します」

 

 背後から声があがり、ラスコータは飛び上がった。勢い良く振り返ってみれば、シルヴィが扉を少し開けて、こちらを覗いている。

 

「あっ、いえ、えっ? えっ?」

「申し訳ありません。驚かしてしまいました……」

「い、いら、いや? な、どうし、どうしたの?」

 

 どもりながら、彼女が扉を開けた理由を尋ねたが、応えは簡単だった。

 

「外に出られてから二十分程経たれていましたので……」

「……え、え!?」

 

 ラスコータはポケットから懐中時計を出そうとしたが、それはもう寝室に置いてある事を思い出した。一旦突っ込んだのに出すのは恥ずかしかったので、ポケットに右手を入れたまま話し掛ける。

 

「あ、え、ご、ごめん……考え事、していたんです……」

「御命令に従わなくて申し訳ありませんが……お手伝い致しましょうか……?」

「い、いや……大丈夫……ほ、ほら……ね」

 

 ラスコータは大股で薪置き場に行くと、それらをガバリと抱えて扉の前に戻って来た。突然の挙動に驚いたのか、シルヴィも目を丸くして見ていたのだが、それを無視して少し開いた扉に身体を捻じ込み、入った。少し暖かくなった家の中で、ほっとまた息を吐く。

 

 

「す、ストーブ……今から、火を点けるから……ま、マッチマッチ……」

「マッチでしたら机の上にありましたので……これで……」

「……有り難う、御座います」

 

 シルヴィが取ってくれたマッチ箱を受け取り、中から一本取り出した。

 ストーブの口を開けて薪を放り込み、近くに置いていた古新聞を入れてから、ストーブでマッチを擦って火を点けてこれもまた、放り込む。口を閉めると、早くも微かな熱気が伝わって来た。

 燃える火の赤が見えた所で、頭をカクリと落とす。やっと安心出来たのだ。

 

 

 

 

「…………き、君……」

「……何でしょうか?」

「……お腹とか、空いて、ない、かな?」

 

 そう言えば食事はしたのだろうかと、ラスコータは尋ねてみる。

 ストーブから振り返り、改めてシルヴィの身体を見た。酷く痩せており、細い腕と色素の薄い肌が明らかに栄養不足を象徴しているものだが。

 

「……お食事を、出して頂けるのですか?」

「……パン、しかない……けど」

 

 ここでラスコータは、栄養不足なのは自分もかなと思い始める。ここ最近は朝食も夜食もパンばかりだからだ、自炊はしない。

 そうだ、客人を呼ぶ機会がないから食事の事など考えた事なかったと、反省する。自責する彼に、シルヴィの返事は投げ掛けられた。

 

 

 

 

「……悲鳴をあげていないのに……本当に宜しいのですか?」

 

 シルヴィの不幸を想像してラスコータは喉を潰させた感覚に陥るものの、何とか気道を確保したと言ったか細い声で応答する。

 

「ぃ……はい……用意、しようね。席で、待っていて、欲しい」

「……分かりました」

 

 彼女は一礼をして、席への歩き出した。

 ラスコータは高速で打つ心臓を抑えながらも立ち上がり、台所の方へと歩き出す。

 

 

 

 

 戻って来た時はバスケットいっぱいに入ったパン、もう片手にはミルクセーキの入ったガラス瓶を手にしている。これが彼の食料だ、非常に質素だと肝に免じており、シルヴィに対して申し訳ない。

 しかし、バスケットと瓶を机の上に置いた時、目の前で座る彼女の目が驚きで丸くなった事を確認した。

 

「あ、ご、ごめん……こ、これしか無いんですよ……まるで朝食ですよ、ね?……さ、サラダとか、欲しいよね、うん」

 

 あまりに質素過ぎたかと、途切れ途切れに言葉を繋いで謝るラスコータだが、シルヴィは次に申し訳なさそうな目となり上目遣いでラスコータを見た。

 

 

「あの、これ……本当に、食べて宜しいのですか?」

「……え?」

 

 予想外の言葉に、今度目を丸くしたのはラスコータだった。彼女の言葉のニュアンスからは、感嘆と言う意味合いでの「信じられない」と言った感情が読み取れる。

 

「こんな沢山のパンと……それに、ミルクセーキまで……」

「……? そうですけど」

「前のご主人様は、水と一つのパンだけだったのですけど……食べて良いのですか?」

「………………」

 

 下唇を噛み、心臓が痛む苦痛を押し殺した。これは前のご主人様とやらへの怒りと、彼女の境遇に対する同情と悲しみからだ。

 手が自然に震える。あぁ、自分は何でこんな少女を邪魔に思えたのだろうか、何で後悔していたのか。医者失格だ。そう自責し自責し、少し落ち着いた所で彼女に話し掛ける。

 

 

「……いいんだよ。君は何も、考えずに……食べたらいいよ…………」

 

 ご主人様が言うのならと、困惑しながらおずおずとパンを手に取り、「いただきます」と口に運んだ。

 パンを咀嚼する様まで見ていた所でラスコータは「あっ」と声を出す。

 

「こ、コップ、がないと飲めないよね……ご、ごめん、持って来る……」

「んっ……!」

「駄目」

 

 パンを食べているので返事が出来ず、急いで飲み込もうとした所をラスコータは止めた。

 彼の表情は、医者としての顔となっている。

 

「……食べ物は良く噛んで。そして、ゆっくりゆっくり……栄養不足の時にいきなり胃に負担をかけるといけない……ですよ」

 

 

 

 

 それだけ言ってラスコータは立ち上がり、再び台所まで歩き出した。背後では何とも言えない表情をしたシルヴィがまじまじと見ているが、気付かないフリをする。

 

 

 自分の身なりを見て苦笑い、まだコート羽織りっぱなしじゃあないか。




何ヶ月振り何でしょうかねぇ……書け書け言ってた友人から音沙汰無しなんで、何とも言えんがね。
失礼しました……僕は一足先に、失礼しますよ?
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