スコルピト・C・ラスコータ先生の浮遊感 作:ランタンポップス
朝食はまた、パンとミルクセーキと言う、昨晩と何も変わらないラインナップだ。まさに独身で食の執着が無い男性の、典型的な現象だろう。
ラスコータはそんな朝食に対して申し訳無く感じ、昨日同様に彼女の表情を伺いながらの、気まずい食事となった。
シルヴィは例え昨日と同じ物としても、それまでの劣悪な生活と比べれば御馳走と言っても誇張表現ではあらず、不満なんか毛頭も持っていないだろう。だがラスコータの捻くれた心は、勝手に彼女の心中を深読みし、勝手に居た堪れない気分になってしまう。
(……今日の昼に、買い出しに行こう。行かなきゃ)
パンを頬張りつつ、そんな事を考えてながら、またちらりとシルヴィを見やる。
「くしゅっ!」
と、同時に、彼女から小さなクシャミが聞こえて来た。
「あ……」
「あ、も、申し訳ありません!!」
「え? あ、いえ! 大丈夫……ですよ!」
互いが互いを見上げているかのような、奇妙な関係だ。クシャミ一つでここまで澱んだ気分になれる物なのかと、ラスコータは彼女と自分の心に根付く、お互いへの恐怖心に呆気さえ覚えて来た。審問官を前にしたような緊迫感と窮屈さは、思ってはいけないのに「シルヴィを引き取らなければ良かった」とふと考えてしまう。
突沸した邪険を、ラスコータは押し隠すようにミルクセーキを飲み干した。心なんて誰にも見えないし晒せないハズなのに、それをまた隠そうとするのだ。
ともあれ彼のその罪悪感は、彼女とのコミュニケーションに繋がったようだが。
ラスコータはシルヴィに話しかけた。
「風邪でも、引きました?」
「え?」
「いえ、大丈夫なら、良いんですけど……ね? クシャミ、していたから……さ、あっ!」
ストーブは点けているからと思っていたが、ハッと彼女の服装に気付き、風邪の心配から服装の心配へとシフトする。なんて言えど、彼女の服装は昨日より、汚れたボロ布のようなワンピースでは無いか。
傷口に何かしらの劣等感があるハズなのに、敢えてそれを曝け出しているような薄い服装。冬場であるのに、ストーブは点けているからと言ってもこの薄着では寒いだろうに。
「ふ、服とか買わなきゃ! そ、そんな軽装じゃ、寒かったよね! ご、ごめんね、気付けなくて……き、気付けないのがおかしいんだけど」
パンを持ったまま狼狽えるラスコータを前に、食事の手を止めてシルヴィも謙る。
「ご主人様、あの……私はこれで十分です……ので、その、お気になさらないでください」
「そ、そうですか……いや! そうですかじゃあなくてね!! も、もっとちゃんとした服着ないと、その! 衛生面もあるし、すぐ駄目になっちゃうし、特に下着なんてずっと同じ物とか考えられないでしょ……う、ね?」
途中で自分は何でこんな、力説しているのかと恥ずかしくなって来た。朝から懺悔に罪悪感に羞恥心と、負の感情の行進だ、こんな心が吹き荒むような朝は久し振りな気がするほどに、清々しさなんて言葉の無い朝だ。
だが衛生面とかの問題は、その通りだと自覚している。汚れた服やらは病気の元になるし、細菌の温床になる。強いては、垢の付着と汗など、気持ち悪い要素しか無いだろう。
特にシルヴィはまだまだ年端も行かぬ女の子だ、身嗜みを大切にするべきだと……これもまた恥ずかしくて言葉にする訳にはいかない事を考えてしまった。
「あの……その……」
恥と使命に駆られるラスコータの前で、言い辛そうにシルヴィは肩を揺らしながら話す。
「どう、どうしました?」
「その、言い難い事なんですが」
「うん」
ちらりと、いつもの申し訳なさそうな上目遣いで、ラスコータと視線を合わせる。
「下着……」
「下着?」
「……ない、ですが」
「んん!?!?」
驚きの余り、椅子から転げ落ちそうになってしまった。手の上で転がしていたパンを落としかけ、慌てて掴み直し、まずは深呼吸。
こんな薄いワンピースの下は裸とは、良く昨日はあんな寒い夜の中を素足で歩けていたものだと、関心に似た気分が湧く。いや、そんな関心よりも、下着を穿いていない事に対するインパクトが大きく、そちらの方に気分が向いてしまった。
「し、下着が、無いのかい!?」
「お食事中に、品の無い事を話しましたが……前のご主人様に支給されたのが、これだけでして。申し訳ありません」
「い、いや、その程度は……し……そそそ、それよりも……あぁ、参ったな……」
下着が無い事に関し、ラスコータは医学的な側面から心配してしまう。
特に下半身は冷気に対しデリケートであり、下着の有る無しで病気の罹患率が上下する事を知っている。そんな状態では、シルヴィはもう明日にでも風邪を引いてしまうぞと、危惧していた。
しかしあの商人め。シルヴィを商品としか見ていなかったとは言え、きちんとした服装ぐらいは整えておけと、内心で悪態吐く。そもそも今になって考えれば、自分は彼の恩人なのに、面倒事を押し付けられただけではと考え始める。いや、『では』では無く『そうなんだ』であろう。ああ言う商人はずる賢い。
そう言えばあの商人から貰ったお金があった。午前の診察の後に、そのお金で買い出しついでにシルヴィの服を買い与えるのも良いだろう。
「……えと、その……」
「……? ご主人様?」
「君が良ければだけど……正午からさ、街に行きませんか?」
シルヴィは小首を傾げた。
「街……で、しょうか……」
自分の腕にある傷跡を横目で見た事を、ラスコータは見逃さなかった。それもそうだ、こんな醜い傷の残った肌を晒して歩くものなら、行き交う人々の好奇心と畏怖を誘うだろう。彼女は軽蔑と奇怪の目な晒される事は自明の理であった……特にあの街の高飛車な連中は、容赦無しにそのような厳しい目を向けてくるハズだ。ラスコータにさえ嘲笑を見せる、嫌な奴もいるほどだ。
しかしラスコータ自身、だからと言ってシルヴィを家に置いておく事もどうかと考えてもいた。
折角の自由の身だ(本人はそうとは思っていないだろうが)、傷跡が云々でこっちが気を利かせて、家にて留守番させていても、それは結局行動を縛っている事に他ならないだろう。
言えど、シルヴィにとったらそっちの方が大助かりと思い、こんな考えは自身のエゴでは無いかと、また意地悪な自分が囁く。
それでも彼女には是非、世界を見てもらいたい。らしくも無いとは思いつつ、そんな考えをラスコータは抱いていた。
「……あ、あ、あの……」
その思いを、ラスコータは突然に話したくなった衝動に駆られたようだ。
「は、はい」
「君は、僕より十以上も年下だ……まだまだ、少女なんだ。それで……えとね、その……」
これまでの凄惨な奴隷生活に、触れるべきか触れないべきかで一瞬だけ葛藤し、気の弱い彼は遠回しに言うと決める。
「…………そう、まだ若いんだしね。えぇと……年相応の女の子は皆、街へ買い物に行くもんだよ」
遠回しにする事を選んだ事で、「自分は何を言っているんだ」と恥ずかしくなって来た。年相応の女の子は買い物好きとは、固定概念も良い所だろうに。言えど女性経験なんて三十年間皆無だ、今だって女性と言うものを分かっていない。肉体的な意味では医者として理解しきっているのだが。
「……そう言う、ものなんですか?」
「え、えぇ……じょ、女性の友達はいないけど……多分、そうだよ」
「でも、私は……あの、他の方々から先生へのお目汚しにならないかが……」
「………………」
傷跡が彼女の心に足枷をかけたようだ、傷跡が彼女に呪いをかけたようだ、傷跡が彼女に羞恥の烙印を付けたようだ……彼女は一体、何をしたと言うのだ。
望まれたからこそ生を得たハズなのに、何の権限があって彼女の心を蝕めると言うのか。シルヴィの傷跡は現代医学では決して治らない、治せない……一生背負い続けるだろう。
「僕なんか、気にしなくても良い……よ。何も……」
口籠るように喋ったから、シルヴィに聞こえたかは微妙だ。
だがラスコータ自身、少しずつ彼女の方へと歩み進めていた事は事実であった。三ヶ月前にあの男を助けた時のような、医者としてのアイデンティティがまた、暗い地中を裂いて芽吹いたようだ。
「……流石に、下着は買わないと、ね。あ、あと、そうだ、昼食は外食にしよう。あと、紹介したい友人もいるけど……こ、これはまた今度になるかなぁ」
「……付いて行っても、よろしいのですか?」
「構わないよ!……お昼までは待機、だけどね」
ラスコータは懐中時計を見る。時刻は八時前に差し掛かる。
「……開院まであと一時間だね」
椅子からゆっくりと、立ち上がった。
「シャワーを浴びて来るよ……あ。使ってみる?」
蛇口を捻ると、シャワーヘッドから水が雨のように降って来る。突然の冷水に余裕を持っていなかったのか、小さな悲鳴をあげた。ガスに火が付いたとは言え、お湯になるまで少しかかる。
自分の髪が水を吸って、てらてらと輝き出す。水を浴びたのは幾日ぶりだろうかと、ぼんやり滴る水の粒を眺めていた。
遠慮したものの、ラスコータは彼女から先に入って貰った。新聞屋が来るからとか、薬品の整理をしてからとかと言って勧めたのだ。あの特徴的な吃りと、気を伺うような遠慮がちな声が記憶に残っている。
「………………」
シャワーを浴びるシルヴィは、自身の右肩から腕、そして左の脇腹に左手首……の、赤く醜く溶けて肉が盛り上がった傷跡を眺めた。裸になった自分の身体、傷跡を眺めていると、あの時の痛みが蘇って来そうで、すぐに目線を逸らしてしまう。
代わりに頭に浮かべたのは、やはり新しいご主人様であるラスコータの事だ。
今まで出会った人間たちとはまた、変わった人間である。こんな自分なんかに、彼は怯えを見せていた。奴隷の自分に、だ。
だけれども、急いで食事をしようとする自分を窘めた時、街へ出かける旨を話した時に、その怯えは何処かへ消えて、代わりに輝かしい光が目に宿ったように見えた。分かりやすく言えば、生き生きとしていると言うだろうか。
不思議な人だ、こんな自分を丁重に持て成すとは。医者らしからぬ傷んだ黒髪と、黒ずんだ目、痩けた頬の線の細い男。自分同様に、希望の色を覆い隠したような目が思い出される。
時に、そのベールを剥いで、落ち着いた余裕のあるもう一人の彼がやって来るのだ。奇妙な二つの顔が、同居している。
「………………」
ぼうっと、シャワーの穴々から零れ落ちて来る水を顔に当てたまま、その状態でシャワーヘッドを見上げる。
細やかな粒が皮膚の表面に当たる、こしょばゆい感覚を感じながら思考を巡らせた。
時に、感覚の途切れを実感する。
左半分は感じる水の流れを、右の頬はとても鈍く感じられる。痛い痛いを与え続けられた神経が、疲れ切ってしまったのだろうか。全て、傷跡の部分はまるで膜でも貼られているかのように、感覚が鈍い、そしてチクチクする。
もうこの傷は治らない、どうしても治らない、死ぬまで治らない……いや、死んでも治らない。
生々しいこの傷は罰だ。不甲斐無い自分への罰なんだと考え直し、醜い自分を卑下して傷跡を正当化して、心の安寧を保とうとする。前のご主人の言い付けが脳内にこびり付いているのだ。
『皮膚は所詮、仮面でしか無いのだ』
視界が暗く染まり、見覚えのある闇の中へ落ちた。
首に首輪が付けられ、自分の他に、隣にずらりと一人二人三人……の、少女たち。向こうの四人ばかしはぐったりし、微動だにしない。
『人間の本質は、顔なんかでは無く……そして肉体なんて物質的なものでは無いんだよ』
暗闇の中で、大きな大きな人影が、自分で腰を下ろした。
勿論、逃げられない。首輪には鎖がかかり、それは天井に繋がっている。鎖は張られており、首を下げる事は出来ない、嫌でも人影を見なければならない。
『本当の自分を見た事あるかい?』
人影は、燃えるような目で睨んだ。
『本当の自分は何だと思うかい?』
人影の口角が、歪に持ち上がった。
『本当の自分に会ってみたいかい?』
人影が何か透明な管を見せ付けた。
透明な管はスポイトだ。中に注入されている液体を、自分は知っている。
とても怖いもの、とても恐ろしいもの、とても痛いもの、とてもとてもとてもとても…………とても言葉に尽くせないもの。
『人間は追い詰められた時、限界に陥った時、初めて獣を見せるのだ。理性生物だと思っている人間の、誠の部分だよ』
スポイトの先が、右目の上の額に当てられた。
『どんな絶世の美女でも、叫びと言うものは醜いものだ』
そしてゆっくりゆっくりと、空気の溜められたゴム状の袋を、摘まれた指で圧迫して行く。
スポイトの中腹にあった液体が、出口の方へズズズと、進んだ。
『叫びこそが、人間の本質なのだよ。君の獣を聞かせておくれ?』
液体が先端から、額に当たる。
肉が溶ける、鈍い音が鳴る、神経が焼き切られるような痛みが支配する。口を裂ける寸前まで開き切り、腹からの苦痛を吐き出した。
浴びた液体が熱くなる。
「ああああああああああああああああああ!!!!」
シャワールームから響き渡る悲鳴に、薬箱を運んでいたラスコータは身体をビクつかせて反応した。
箱の処理に少しもたつきながら、結局は廊下に置いてシャワールームに直走る。
「どどどどど、どうしました!? な、な、ななな何ですか!?」
真に迫った叫びだった、何かあった事は明白だ。中には少女がいるだのと言った考えなどを浮かべる間も無く、ラスコータは扉をこじ開けた。
シルヴィがシャワーのお湯から逃げるように、裸のまま部屋の端でガタガタと膝を曲げて蹲っている。その震えは寒さから来たものでは無いと、ラスコータには分かった。
見開かれた目、ラスコータの耳にまで聞こえてくるほどの歯軋りに、傷跡に手を叩き付けているその様に絶句してしまう。
「だ、だだ、大丈夫かい!?」
濡れるのを気にせず、シルヴィの傍まで駆け寄り肩を掴む。彼女と目を合わせたのだ。
「な、何か、何か、何があったの!? ええ、ええとええと、ごめんね! か、か、か、勝手に入ったけど!! いや、そんな事より、こんな震えて……!!」
シルヴィに顔を近付けた時に、彼女の口から漏れるように、声が聞こえた。
「熱い、痛い、痛い……やめて、痛い、痛い痛い痛い痛い、怖い怖い熱い熱い熱い…………」
悲痛で痛ましく、絶望に満ちた声である。
「……ッ!!」
ラスコータはすぐに蛇口を閉めてシャワーを止め、脱衣所からタオルを持って来て彼女の身体を包んだ。裸体のままだった為、一枚では寒いかと二枚三枚と重ねている。
「た、立てるかい!? 支えてあげるよ、ほら! き、君の部屋まで!!」
膝が壊れたように震える彼女を何とか立たせて、支えながらシャワールームを出て行く。
その間のラスコータはひたすらに自責の念に打ちひしがれるばかり。軽薄だった、まさかお湯からトラウマを引き起こしてしまうとは、完全に予想外だった。
目を合わせた時の、彼女の目が想起される。絶望にドス黒く濁り、瞳孔が死者のように開き切った、錯乱の目。人間の感情が持てる負の部分を全て表現したかのような、深淵の目。凡そ人間とは思えない、修羅の目……ラスコータは彼女の目を、一生忘れる事は無いだろうに。
暫く経って、シルヴィの部屋。
ホットミルクの入ったカップを両手で持ち、口に運ぶ。服はブカブカであるが、ラスコータのシャツを着ていた、元の服は汚いからと思ったまでである。
ベッドの上に座り、ミルクを飲んで一息。隣には、椅子に座って心配そうに見ているラスコータの姿があった。
「……落ち、着いたようだね……」
「………………はい」
「……良かった……」
時刻は十時を過ぎていた……開院時間をとっくに超過してしまったが、今日はいつもより少し遅く開ける予定だ。一先ず、彼女が落ち着くまでは開ける訳にはいかないだろう。
「ご、ご主人様、あ、あの……私……!!」
カップを握る手が微かに震え出す。湯気を立てたミルクに波紋が起こった。
彼女の目には絶望と申し訳無さがこれでもかと、押し出されている。その視線を受けたラスコータは逃げるように目を逸らした後に、諦めたかのようにシルヴィと向かい合った。
「……シャワーの水を……その……薬品と連想してしまったんだね……」
「も、申し訳、ありませんでした……!」
「……いや、僕の方だよ、謝るのは……シャワーを勧めた僕が……」
口から酸素を吸い込み、鼻から吐き出した。冷静を装っているが、本当はラスコータの方も錯乱寸前である。
頭の中は何も考えられていない、ただ炸裂した光が広がるだけだ。何が彼女の為だ、結局は彼女を苦しめたでは無いかと、悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。
神経質に頭を掻き、わざとらしく作ったぎこちない笑みを何とか繕い、平気だと言う事をアピールする。最もタイミング良く彼女はホットミルクにまた口を付けており、情け無いその笑みを見る事は無かったのだが。
その隙に彼の笑みは枯れ、神妙な面持ちへと変わる。
「街は……今日は、やめておきましょう。君も疲れただろうね……昼から少し留守番して貰うけど、今日は休んだ方が良いよ」
仕方ない。
シルヴィの精神状態は、さっきの一件でかなり悪化している。肉体的な疲労と精神的な疲労は次元が違っており、特に後者はとてつもない疲労感を与える。不思議な事だ、一時間働き詰める時と、一瞬の間に起こる精神的苦痛は同等の疲労となる訳だ。人間と言うのは高度な脳を持つだけに、割りに合わない作りとなっているようだ。
特に感情やら心に関しては、誰も抵抗出来ないだろう。申し訳無さに押し潰されてしまいそうなラスコータは、ついついそんな事を考えていた。
彼の提案に、彼女は「はい」と承諾する。少し窶れてしまったようだと、見ていて辛かった。
あぁ、僕は彼女から笑顔を引き出せられるのだろうか。いや、こんな不甲斐ない僕になんか、とても無理だ、無理だ無理だ……否定的な自分が顔を出し、芽吹いた希望を踏み折った。所詮自分はそんな存在何だろう、こんな程度だ。
彼女の為が今後、裏目に出そうで、深い後悔が彼の心を土足で踏み分ける。
街へはとても行けない、また彼女の琴線に触れる事があってはならない。今は家の中だったから良いが、街中で起きてしまったら、今度は今以上の心の傷を、彼女は負ってしまう。
そんな事はもうあってはならない。当分は、療養に努めるべきだろう。ラスコータはそう結論付け、椅子から立とうとした。
「………………」
この話は終わった。終わったんだ、さぁ立ち上がろう。診察を開始しよう。
彼の頭はそう命令を下した。下したのに、何故か身体は脳に逆らっているのだ。
本当に良いのか。鬱屈な表情の、痛んで病んだシルヴィを見て、心の淵に何か湧き上がる物があった。
ラスコータは考え直してしまう。
そしてこの『考え直し』が、彼を突発的な行動を起こさせてしまったのだ。
「……い、いや! こう言う時こそ、気分転換ですよ!!」
さっきまで思いもせず、そして自分でも何を言っているのか分からない事を、口走っていた。
シルヴィの愕然とした表現が目一杯に広がっている。
「え、え? ご、ご主人様……?」
「ま、街に出たら、気分も晴れるもんですよ!」
「でも、さっき……」
「服を買いましょう、お昼ご飯を食べに行きましょう……市場を、一緒に見て回りましょう。今晩の献立を考えましょう」
ラスコータの脳は、黙らせるように警笛を鳴らした。なのに口は止まらない。
「……大丈夫。医者の僕が言うんだ……」
そこまで言った時に、やっと足に力が入る。
勢い良く立ち上がった為に、シルヴィを怯えさせはしたが、ラスコータは自分の事で頭がいっぱいだ。
「そ、それじゃあ、仕事に行って来るよ……診療所は空けられないから、ね」
「……ご主人様……」
飲み干したカップをベッド横に置いた小テーブルの上に置き、恭しく頭を下げる。
「……お心遣いに、感謝致します」
シルヴィからの、やはり機械的な感謝文。まだ、心は開かれない。
ラスコータはその感謝を、手を振って応答し、足早に部屋から出て行った。背中から、彼女の視線をずっと受けながら。
部屋を出て、廊下を歩く。
頰を右手で掻き毟りながら、彼はぶつぶつと呟いていた。
「僕は一体、どうしちまったんだよ……! あんなの、僕じゃないよ……!!」
いきなり出て来たもう一人の自分に困惑しながらも、足にガツンと何かが当たる。
置きっ放しの薬箱が目に入ったのだった。
「最近見かけるこの奴隷ちゃんが可愛くて仕方ない……なんて検索すれば良い?私も購入しよう」
「奴隷との生活teacing feel院g」
この花京院クソコラもう許せるぞオイ!