かちこめ! 花子さん   作:ラミトン

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第一部 トイレの花子さん
はじめのいっぽ


 紙をめくる音が鳴るたびに、少女の体は小刻みに震えた。叱られることを怯えているような面持ちだ。

 

「あー。そうね、昔は有名だったね」

 

 頬杖をつく中年の女性が、紙面と少女を見比べる。女性といっても、その顔は赤黒く髪は白髪で、牙まである。彼女が人外の存在であることは間違いない。

 もっとも、少女も同じく人外であるため、そこに驚いたり怖がったりするようなことはない。ただ、女性の少し高圧的な雰囲気が、少女を少し怯ませてしまっていた。

 

「おかっぱに、セーラー服ともんぺ。典型的だねぇ」

「ど、どうも」

「別に褒めちゃいないんだけどねぇ」

 

 鼻を鳴らす女性に、少女はびくりと肩を飛び上がらせた。実を言えば人外のキャリアは少女の方が上なのだが、怖いものは怖いのである。

 なにより、彼女がこの女性――というより、人の住まう地から隠れた場所にあるこの廃屋を訪れた理由が理由であるため、大きな態度を取ることができないのだ。

 椅子に座って面倒くさそうに書類をめくる女性の頭上、天井から吊るされたプレートをちらりと見上げる。『妖怪生活相談所 東京支部』と書かれている札を見るだけで、少女は気が滅入る思いだった。

 

「今はどうなの? ここに来なきゃならないくらい脅かせなくなったのかい?」

 

 突然の質問に慌てて視線を戻し、きっちり揃えられた前髪を揺らして頷いた。

 

「えぇと、子供達に噂されなくなっちゃって、誰も呼んでくれなくなっちゃったんです」

「はぁん。あんだけ全国で引っ張りだこだったのにねぇ」

 

 ペンを取って、女性は慣れた手つきで紙面にペンを走らせ始めた。そちらを直視することができずに、少女は終始俯いたまま、膝の上で小さく拳を握りしめる。

 この女性は一体なんという妖怪なのだろう。そんなことを考えていると、女性がおもむろに呟いた。

 

「でもまぁ、いいタイミングだったかもしれないね」

「え?」

 

 顔を上げてみれば、ちょうど手続きか何かを書き終わったらしい女性がペンを置いて、にんまりと笑っていた。

 

「人間が科学に溺れれば溺れるほど、妖怪はやりにくくなる。お役所仕事の私らはともかく、あんたらみたいに人を驚かして暮らしてる妖怪は特にそうだろう?」

「は、はい」

「実はね、そういう子らを受け入れる郷があるんだよ。そこでは人間よりも妖怪が幅を利かせててね、まさしく一昔前の日本と同じなのさ。お嬢ちゃんが輝けるかもしれないよ」

 

 似合わないウインクなどする女性だが、少女にはその顔すらも輝いて見えた。せいぜいが役所の書記にでも回されるのだろうと思っていただけに、まだ妖怪として人を驚かせるかもしれないという希望は、まさしく神仏から手を差し伸べられるが如き喜びであった。相手も自分も妖怪だが。

 想像に想像を膨らませて、少女は思わず身を乗り出した。

 

「やります、私どこでも行きます!」

「はいはい、じゃあとりあえず、こっちじゃ引退届けだね。私のほうでやっておくから、ほら」

 

 女性が地図を手渡してきた。ここからかなり離れた山奥に、赤い丸がついている。地図上では記号も何もない。ここに一体何があるというのだろうかと、少女は首を傾げた。

 しばらく固まっていると、疑問に思っていることを、女性が説明してくれた。

 

「そこにはね、参拝客がいなくなった寂れた神社があるのさ。そこの鳥居をくぐれば、まぁ結界が云々とか幻想の常識がどうとか色々あって、例の場所に行けるんだよ」

「は、はぁ……」

 

 あまりにも大雑把な説明に、少女は困惑した。そもそも地図自体がかなり適当な出来なので、無事に到着できるかどうかすらも心配になってくる。

 それでも――

 

「……ありがとうございます!」

 

 少女は深く頭を下げた。これが最後の可能性かもしれないならば、やるしかないではないか。

 丸っこい黒目を爛々と輝かせて、少女はボロボロのリュックサックを背負う。地図に目を落として、大体の場所だけを確認した。後は足で探すしかないだろう。

 

「しっかりやるんだよ」

「はい!」

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 

「ほ、本当にあった」

 

 山に入って一週間。延々歩き続けて、少女はようやくその神社を見つけた。どうしてこんなところにあるのかと不思議になるほど深緑に囲まれており、山道らしいものもなかったのだが。奥に見える本堂にも、人が住んでる気配は感じられない。

 ボロボロの鳥居には『博麗』と書かれている。ここが、件の博麗神社であることは間違いないようだ。鳥居をくぐれば、目的地に辿り着くことができるらしい。

 

「幻想郷、かぁ」

 

 聞いたことのない地名だったが、ずいぶん昔に妖怪の賢者とまで呼ばれる大妖怪が作ったと、相談所の女性が話していた。明治に入った頃に結界で区切られたらしいので、昭和生まれの少女が知るはずもない。

 鳥居に近づくと、なるほどなんとも不思議な力が伝わってくる。神社が神聖なものであるだけに、妖怪の少女としては踏み込むことが躊躇われたが、大きく深呼吸して目を閉じた。

 

「始めの一歩、始めの一歩よ、私」

 

 自分に言い聞かせて、目をきゅっと閉じたまま、もんぺをはいた右足を動かす。

 もしかしたら、用済みになった自分をリストラという名のもとに葬り去る策略ではとも思ったが、相談所の女性が浮かべていた笑顔を信じようと自分を奮い立たせる。

 

「始めの――、一歩っ!」

 

 勇気を持って踏み出した、その右足。鳥居を跨ぐと同時に、懐かしさを感じた。慣れきってしまった現代日本の荒っぽい外気が、生まれたばかりの頃に感じた絹のような柔らかさに変わっている。

 目を開けるのに少しだけ勇気がいったが、少女は恐る恐る、瞼を持ち上げた。

 

「……!」

 

 思わず言葉を失った。結界はそのまま神社に送るのではなく、小高い丘の上に少女を案内してくれた。彼女が求めたその場所は、彼女が思う以上に素晴らしい景色だった。

 見渡す限りの青空、溢れる緑と、遠くに見える人里と思しき小さな集落。少女が生まれた時代よりずっと昔――それこそ明治の始めを思わせる風景だ。飛び交う鳥の中に、たまに妖怪が紛れていることも分かった。

 妖怪の世界だ。少女はそう思った。自分が再び輝ける舞台が、目の前にあるのだ。いてもたってもいられず、少女は両手を広げて、青草茂る丘を駆け下りた。

 

「やーるぞぉぉぉっ!」

 

 今日も変わらず平和な幻想郷に、さらに平和な少女の声がこだました。

 

 

 

 かくして、かつて学校の怪談におけるエースとまで呼ばれた少女、『トイレの花子さん』こと御手洗花子(みたらいはなこ)は、怪異としての地位を再び築く野望を胸に、幻想郷へと足を踏み入れたのであった。

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