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太郎くんへ
お元気ですか? 花子は元気です。
だんだん飛ぶことにも慣れてきました。もう少しで自由に飛びまわれそう。空を飛ぶって、とても楽しいよ!
今日は桑の実を晩御飯にしました。まだ青いのも残ってるけど、甘酸っぱくておいしいよ。山の学校に行けばあるかもしれないから、太郎くんも探してみてね。
ごめんね、手紙のお姉さんを待たせてしまっているので、今日は短いけどこれまでにします。なんだか日記みたいになっちゃったけど、許してね。
またおたよりします。
花子より
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花子の特訓を始めて二週間、彼女の成長は予想していたより早いものの、まだまだ時間はかかりそうだ。こいしに手を引かれてフラフラと飛行練習をしている花子を眺めつつ、萃香は瓢箪の酒を呷る。
細かい妖力のコントロールは、だいぶ上達してきた。こいしも手伝ってくれているおかげだろう。自由奔放なこいしがこんなにも長く付き合ってくれるとは思っていなかったが、よほど花子のことが気に入っているようだ。
「あわわ、こいしちゃん、手を放さないでね!」
「分かってるってぇー」
重力に引っ張られがちな花子は、まだ一人で飛ぶことは難しそうだ。もう少し落ち着けと何度も言っているのだが、土から離れることへの恐怖が心のどこかに残っているのだろうか。
今は練習を楽しんでもらうのが一番なのかもしれない。そうなると、付き添いは萃香よりもこいしの方が適任だろう。あの能天気さが花子の気を楽にしてくれるはずだ。
ゆっくりと川の上を飛んでいる二人をしばらくの間眺めていたが、じっと見ているだけというわけにもいかない。飛行練習をこいしに任せて、萃香は立ち上がった。
「おゥい、花子にこいし。ちょっと出かけてくるよ」
「あれ? どこに行くのぉー?」
こちらに振り返ると同時に、こいしが花子の手を放した。慌てて空中で停止してから、花子も萃香の方を向く。
「お出かけですか? 珍しいですね」
「うん、ちょっくら人里に用事があってねェ」
鬼は人間にとってそこらの人食い妖怪以上に天敵なのだが、萃香はサバサバした性格やその容姿も相まってか、あまり嫌われてはいない。無論好かれているわけでもなく、自分から近寄ろうとする人間は皆無だが。
新入りの花子や地底暮らしが長いこいしが深く気にした様子はなく、二人揃って二つ返事で空を飛ぶ練習へと戻っていく。人攫いでもするのかと言われそうだと思っていただけに、萃香はむしろ拍子抜けしてしまった。
「あの子ら、私が鬼だって忘れちゃいないだろうねェ……」
呆れた溜息をついて、飛び上がる。自身を霧状にしてしまえばあっという間に里へつくのだが、花子の飛行練習を見ているうちに飛びたい気分になってしまった。
ぷかぷかと入道雲が浮かぶ夏の空を飛びながら、萃香はポケットに手を突っ込んだ。確か、里の外で軽く人間を襲った時に奪った金銭がいくらか残っていたはずだ。
まるで強盗だが、幻想郷の人間は食うことも攫うこともできないので、代わりに多少小遣いを頂戴することにしていた。この手法で人間の通貨を手に入れている妖怪は、割りと多い。
取り出した硬貨の枚数を見て、一人頷く。欲しているものは買えそうだ。
一時間ほど飛び、人里に到着した。今日は晴れているだけあって、ずいぶんと人が多い。里の大通りに出ている屋台には、妖怪が店主のものもちらほらあるようだ。
人間と妖怪の関係は、ここ数十年――少なくとも萃香が地底から出てくる前と後では、大きく変わってしまった。人間の里で妖怪が買い物を楽しむ日が来るなど、百年前ならば夢にも思わなかったことだ。
里の外では人間を襲っているであろう妖獣や妖怪が、どこぞで拾ってきた綺麗な石を首飾りにして売っていたりする。金銭を稼ぐ手段は色々らしい。あの方法は自分には向いていないだろうなと、萃香は肩をすくめた。
目的の店までのんびり歩いていると、自分の目の前だけがやたらと開けていることに気付く。鬼である萃香を見つけた人間が、逃げるように道を譲っているのだ。人間とまではいかなくとも他の妖怪と同じように扱ってほしいと常々思っている萃香としては、寂しい限りだった。
しかし、慣れていることも間違いない。片手を挙げて感謝を伝えつつ、街道のど真ん中をありがたく通らせてもらった。
程なくして、目当ての店を発見する。店名には興味がなかったが、大きく掲げられたのぼり旗には『本』と書かれている。庶民向けの写本や読み書き算盤の指南書などを扱っている店だ。
今まで縁がなく、そしてこれからもないだろうと信じていた店へと足を踏み入れる。店内に満ちている香りは、紙の匂いだろうか。萃香にとってはあまりにも馴染みがなく、なんとも落ち着かない。酒でも呑もうかと思ったが、飲食厳禁の張り紙を見てそれすらも断念させられた。
さっさと用事を済ませるために、萃香を見るなり怯えきっている店主を捕まえる。
「やぁ親父、ちょいと聞きたいんだけどさ」
「ハヒッ、ななななんでございましょう」
初老の男なのだが、なんとも情けない顔だ。そんなに怖がらなくても良いだろうにと、萃香は頬を掻いた。あまりの恐れっぷりにほんの少し傷つく。
「スペルカードルールについて詳しく書かれた本、置いてるかい?」
「あ、えぇえぇ! ございますとも、確かこちらの棚に」
他の客を押しのけて大慌てで棚に駆け寄り、店主は一冊の写本を持って戻ってきた。あまり上物とはいえない紙が紐で閉じられているだけの簡単な作りだが、大衆向けの写本ならこんなものか。
奉納でもするかのように写本を差し出し、真っ青な顔でこちらを見上げる店主。さすがに気の毒になってしまい、さっさと会計を済ませることにした。
「ありがとう。そいつァいくらだい?」
「そそそそんなお金なんて受け取れません命があれば私はそれで!」
「別にあんたを攫うつもりなんかないよ。私ゃ買い物に来たんだ、ちゃんと払わせてくれよ」
「さ、左様でございますか。そうしますと、こちらのお値段に……」
震える手で算盤を叩き、こちらに差し出してくる。なんとも安すぎる値段だが、親切心からの値下げだろうと思い込むことで、無理矢理納得した。
写本を受け取り支払いを済ませ、しかし萃香はその場から動かない。店主が「早く出ていってくれ」と涙目になっている視線で訴えてくるが、そういうわけにもいかなかった。
「親父」
「ヒッ!?」
たった一言で縮こまる店主に、萃香は極力気にしない振りをしつつ続けた。
「弾幕ごっこの遊び方が書いてある本なんて、あったりするのかね」
「えっ……あぁいや、実はそれが、そのう」
妙にしどろもどろだ。あるのかないのか、それだけが聞きたかったのだが。
しばらくじっと見つめていると、店主は青から白に変わりつつある顔で、
「も、申し訳ございません。あれはどうしてか、なかなか本にしようという方がいませんで」
スペルカードルールと混同されがちだが、弾幕ごっこはスペルカードとはわずかに趣が異なった遊びだ。基になったものはスペルカードルールだが、弾幕ごっこは決闘よりもスポーツという感覚に近い。
美しさを競うという性質上第三者の審判を必要とするスペルカードルールと違い、スペルカードを使った弾幕ごっこは一対一でもできる遊びだ。いかに美しく、避けにくく、しかし必ず攻略できる弾幕であることが重要らしい。萃香が力技の弾幕を放った時に、人間の魔法使いが言っていた台詞だ。
弾幕の作り方や飛ばし方は萃香が直々に教えてやるとして、花子が一人でいる時や修行の合間に勉強できるようにと、こうして本屋へと足を運んだのだ。
しかし、弾幕ごっこの指南書が売っていないとは。これは困ったと、萃香は眉を寄せる。すると、その顔を見た店主が土下座せん勢いで頭を下げた。
「大変、大ッ変申し訳ありません! 次回までには必ずご用意致しますので、どうか、どうかお許しを!」
「別にあんたを責めちゃいないよ」
「ヘヘェーッ!」
自分が悪代官にでもなったようで、なんとも居心地が悪い。さっさと戻るかと踵を返したところで、萃香は柔らかいものにぶつかった。
布だ。一歩下がって全体を見てみると、それが群青色のスカートであることに気付いた。
「鬼がこんなところで、何をしているんだ」
女だ。青いメッシュが入っている銀髪は、腰まで伸びている。何度か会ったことがある相手だった。
萃香は買った本を脇に抱えて、鼻を鳴らした。
「本を買いに来ただけさ。それ以上のことはしてないよ」
「本当か?」
「私は鬼だよ、嘘は言わない。そんなことを知らないお前じゃないだろう、ワーハクタク?」
挑発気味に口元を歪めると、ワーハクタクの上白沢慧音はじっと萃香を見つめ、
「……人は鬼を怖がる。イタズラに歩き回らないでいただきたい」
「ずいぶんと酷いこと言うねェ。あんただって半分は妖怪じゃないか」
「鬼は強すぎる。人間にとっては天敵なんだ。それはあなたが一番知っているはずだろう」
「……世知辛いもんだよ、まったく」
いつだったか、地底の仲間に戻ってこいと言われたことを思い出す。地底がとても恋しくなったが、萃香はその気持ちを振り払った。
「言われなくても出ていくさ。可愛い弟子が待ってるからね」
「そうしてくれると助かる。……すまないな」
一応は彼女も悪いと思ってくれているらしい。慧音の半身は妖獣であるため、人間だけの味方をすることに負い目を感じているのだろう。
このまま放っておけば後味が悪くなる。萃香は唇に人差し指を当てて、頭を下げたまま動かない慧音に声をかけた。
「なぁ、ちょっと頼まれてくれないかい? それが終われば気兼ねなく帰れるんだよ」
「構わないが、食ってほしい歴史でもあるのか?」
「あぁ、違う違う。ワーハクタクに用はないんだ」
萃香は、ニカッと笑った。
「用があるのは、寺子屋の先生様である上白沢慧音の方さ」
◇◆◇◆◇
弾幕ごっこの教本がないのなら、作ってもらえばいい。なんとも安直な考えだったが、慧音は萃香の頼みを喜んで引き受けてくれた。
美しい正座で机上の紙に筆を走らせる慧音の姿は、とても様になっていた。蝋燭に灯された火がちらちらと輝き、彼女の背中から伝わる緊張感に拍車を掛けている。
教職者という連中はどうにも堅苦しくて苦手だったが、彼女の教えならば受けてみたいと思わせる、そんな後姿だ。もっとも、本当に慧音の授業を受けるかと聞かれたら、萃香は無言で首を横に振るだろうが。
慧音も弾幕ごっこを楽しむことがあるそうで、霊夢やレミリアとも戦ったらしい。結果は敗北だったが、あの霊夢に「美しさだけなら負けていたかも」と言わしめたほどの腕前だ。
人里から出て行く条件として提示したはずの教本作成だったが、結局里からは出て行かず、今は慧音の自宅兼寺小屋にいる。外見も内装もずいぶんと新しく、最近建て直したであろうことが伺えた。
壁に貼ってあるたくさんの半紙には、子供が書いたと思われる『元気』という字が入っていた。力強く主張しているものから控え目に小さく書かれているものまであり、まるで半紙の上で子供達が駆け回っているようだ。
「それにしても」
筆を動かす手を止めることなく、慧音が口を開いた。
「まさかあなたが妖怪を育てるなんてな。それも、弾幕ごっこを教えたいとは」
「なんだよ、おかしいかい?」
萃香は瓢箪を呷りながら、口元を笑みに歪めた。今になっても、らしくないことをしていると萃香自身が感じているのだ。はたから見ておかしくないわけがない。
しかし、慧音はわずかに肩を震わせてから、首を横に振った。筆は止まっていない。
「いや、意外だと思っただけだ。その名を聞けば、人も妖怪も恐れる。そんな鬼が、あの厠の妖怪を育てるなんて、さすがに予想できないさ」
「だろうね。私だって予想しなかった。でもまぁ、花子はいい奴だからね」
「そうか。正直、彼女が霊夢達に退治された時は、ここでやっていけるような妖怪だとは思わなかった。しかし鬼に育てられれば、あの子も一人前になれそうだな」
「花子はやればできる子だよ。不器用なだけでね」
溺愛するつもりはなかったが、花子はすっかり愛弟子だった。文に勝つのは難しいと思うが、できる限りのことはしてやりたい。
慧音にもそれは伝わったらしく、彼女はようやく手を止めて振り返り、
「教え子が成長する喜びは、師の立場にいる者のみが味わえる。これだけは、誰にも譲る気にならないな」
「そうだね。あんたが教師でいる理由がなんとなく分かった気がするよ」
光栄だと笑いながら、慧音が完成したらしい冊子を渡してきた。あまり大きくなく、頁数も少ない。遊びのルールが書かれているだけなのだし、これなら片手間でも読めそうだ。
わずかに開いた障子の外を見れば、もう日が落ちる時間のようだ。
「さて、そろそろお暇しようかな。本、ありがとうよ」
「……萃香さん、今日は泊まっていったらどうかな」
藪から棒の誘いに、萃香は目を丸くした。何か裏があるのかと思ったが、慧音は小さく肩をすくめる。
「突然の申し出だ、戸惑うのも無理はないと思う。ただ、同じ教育者として、あなたがどんな風に妖怪を教示しているのか聞きたくてね」
「そんな大したことはしてないけどね。それに、花子達が待ってるしなぁ」
「彼女は何十年も生きているそうじゃないか。一日くらいなら自炊できるだろう」
花子はしっかりしているし、こいしもついている。慧音の言うとおり心配はいらないと思うが、彼女とは特別親しいわけでもない。
なんとなく答えあぐねていると、おもむろに立ち上がった慧音が箪笥の中から何かを持ってきた。その手に持っている物を見て、萃香の思考が停止する。
一升瓶だ。美しい飾りも施されており、酒にはうるさい萃香が一目でそうだと分かるほどの上物だ。
「これは生徒の親御さんから頂いたものなんだが、なにせ私一人では飲みきれなくてな。あなたも飲んでくれれば、ありがたいんだが」
「……そうかい? まぁ、そこまで言うなら、付き合ってやらないこともないけどね」
言いながらも、萃香の視線はちらちらと一升瓶を気にしている。この時すでに、彼女の頭からは花子達のもとへ帰るという選択肢が消えていた。
茶碗を二つ用意した慧音が、その一つに酒を注ぐ。ふわりと舞う香りは、普段萃香が飲んでいる瓢箪の酒よりも遥かに濃厚だ。自然と唾液が溢れ、萃香はごくりと唾を飲んだ。
「さぁ、どうぞ」
差し出された椀を受け取って、さらに瞳を輝かせる。高鳴る鼓動を感じつつ口に含めば、その味のなんと甘露なことか。思わず目を見開くと、慧音がくすりと笑った。
「喜んでもらえたようだな」
「いやァ、こいつはいい物だよ! こんな美味い酒は久々だ」
「それはよかった。今つまみを用意しよう。干し肉程度しかないが、それでいいかな?」
「何から何まで、すまないねェ。いやしかし、こいつは美味いなぁ」
酒の減る量など普段気にすることはないのだが、今回ばかりは一気に呑むのがもったいなく感じて、萃香はちびちびと酒を楽しむことにした。
久方ぶりの上物に舌鼓を打っていると、干し肉が盛られた皿を持った慧音が戻ってきた。萃香の対面に座り、自分の椀に酒を注ぐ。
「同じものではないが、もらい物の酒はまだまだあるんだ。今日はゆっくり楽しんでいってくれ」
「いいのかい? 鬼にそんなこと言っちまって」
「例え鬼であっても、誰かを育てることは決して楽ではないだろう。たまには骨休めも必要さ」
「はは、あんたはいい奴だね。そんじゃァ、お言葉に甘えようかな」
茶碗を持ち上げる萃香。乾杯は、酒飲みにとって握手と同義である。答えて、慧音が自分の椀を萃香のそれにこつんとぶつけた。
修行の内容やそこに至るまでの経緯を聞かれ、萃香は身振り手振りで答えていった。逆に寺小屋での教育方法を聞けば、慧音は意気揚々と授業風景を教えてくれる。
慧音は萃香のことを教育者と呼んだ。そんな呼ばれ方は少しくすぐったくて、照れ笑いなど浮かべてしまう。普段はあまり見せない表情だが、今の二人は鬼と人妖ではなく、同じ教育者だ。たまにはこんな顔も悪くはないだろう。
二人のささやかな酒宴は深夜まで続き――
その日、慧音亭に保存されていた酒は、綺麗さっぱりなくなってしまったという。
◇◆◇◆◇
太陽が輝いていた青空は、次第に月の支配する星空へと移り変わっていく。どちらが好きかと聞かれても、花子は答えられる自信がなかった。
夏も真っ盛りなこの時期だ。日が完全に沈んだとなれば、それなりの時間だろう。修行を切り上げて、花子とこいしは夕食をとることにした。
本日の夕食は、こいしが木の蔓で編んだ籠にたっぷり入ったやまぐわの実。二人が飛ぶ練習がてら採集したものだ。少し物足りないが、最近は魚続きだったので気分転換にはいいかもしれない。
花子の小指程度の大きさしかない実を噛んでみれば、甘酸っぱい味が口の中にふわりと広がった。しばらく川の水にさらしていたので、とても冷えている。
「おいしいねぇー」
目を細めて、こいしも上機嫌だ。二人ともよく運動した後なので、完熟した甘さが身に沁みる。
真っ赤になってしまった指を舐めつつ、花子は焚き火に目を落とした。
「萃香さん、遅いねぇ。たくさん木の実取ったのにな」
「どこかでご飯食べてるのかなぁー。ねぇ、全部食べちゃう?」
「う、うーん。確かにお腹空いてるしなぁ。でも、もし萃香さんが帰ってきたら――」
「むぅ。花子は心配性だなぁー」
自分が食べたいだけだろうにと思ったが、あえて口にはしなかった。例え言ったとしても、悪びれもせずに「うん」と答えるに決まっているからだ。
とりあえず、花子は紅魔館で借りたまま返せていない竹編みの弁当箱に、萃香の分を分けることにした。こいしが抗議の視線を送ってくるが、無視する。
「川で冷やしておけば、一日くらいは持つよね」
「新鮮じゃなくなっちゃうよぉー。また明日取りに行けばいいじゃない」
とうとう言葉で訴えてきたが、花子は弁当箱を川に浸して石で固定しつつ、呆れの混じった声を上げた。
「そんなに食べたいの? こいしちゃん、結構食べてたのに」
「だって、おいしいんだもん」
と、こいしは頬など膨らませてみせる。彼女は時々、マイペースを通り越してただのわがままになる時があった。変に意地を張るその姿は、花子にスカーレット姉妹を思い出させる。
頭一つ分程度とはいえ、こいしは花子よりも背が高かった。もしかしたら。食べる量も彼女の方が多いのかもしれない。
だとしたら、もっと食べたいと思うのも無理はないだろう。今もまだ膨れているこいしに、残っている桑の実を差し出す。
「食べていいよ。私、お腹いっぱいだから」
「……でもぉ、花子はそんなに食べてなかったよ」
「ううん、大丈夫。食べて食べて」
少し強引に籠を受け取らせると、こいしは籠に残った木の実をしばらく見つめてから、いつも使っている皿にその半分を移した。
先輩妖怪としての自尊心があったのだろう、どことなく気まずそうな顔をしながら、桑の実が転がる皿を花子に手渡してくる。
「半分こ、しよ」
「……うん。ありがとう」
笑顔で答えると、こいしもまた嬉しそうな笑みを見せてくれた。
いつもそうだが、彼女が笑うと周りの空気までもが笑ったような気がするのだ。不思議な少女だった。
ささやかな食事をしつつ飛び方のコツなどを話し合っていると、ふと背後から声がかかった。
「こんばんは。仲がよろしいことね」
両端がリボンで結ばれているスキマに腰掛けている、八雲紫だ。彼女はよくスキマを椅子代わりにしているのだが、どういう原理なのかはいまいち分からなかった。
もうそんな時間かと、花子は慌てた。手紙を書くのをすっかり忘れていたのだ。
「ごめんなさい、手紙のお姉さん。今日はまだお手紙書いてないんです」
「お喋りに夢中だったものね。いいわ、書き終わるまで待ってあげましょう」
「ありがとう、すぐに書いちゃいますね」
今日は長く書けないなと思いつつ、リュックからピンクの便箋と封筒、さらに下敷きとえんぴつを取り出す。慣れた手つきで下敷きを石の上に置き、さっそく手紙を書き始めた。
せっかく来てくれた紫をあまり待たせるのも気が引けるので、花子は急いでえんぴつを動かした。それでも字が汚くなりすぎないように注意はしているが。
突然、手元が暗くなった。こいしが背後から覗き込んでいるようだ。手紙を見られるのは、あまり気持ちのいいものではない。手を止めて、振り返った。
「どうしたの? こいしちゃん」
「誰に書いてるのぉ?」
「太郎くん。えっと、外の世界にいる友達だよ」
「へぇー」
そこまで興味はなかったのか、こいしはすぐに焚き火へと戻っていった。
こいしが紫にお茶を淹れている音を背後に聞きながら、五分ほどで手紙を書き終えた。便箋を封筒に入れて、シールで止める。もう紙も封筒も少なくなってきたので、調達する方法も考えなければいけないだろう。
手紙を紫に手渡して、花子は頭を下げた。
「これ、お願いします」
「早かったわね。はい、確かに預かりましたわ」
美しい微笑を口元に湛えて、紫が手紙を懐に納めた。どうやって太郎の下へ手紙を届けているのかを、花子は知らない。紫もまた、こいし以上に謎の多い女性である。
「そうそう、萃香なのだけれど。今日は帰らないみたいよ」
「あれ、そうなんですか?」
「だから言ったのにぃー」
先ほど和解したというのに、まだ桑の実のことを根に持っているようだ。しかし花子は、こいしのブーイングを聞かなかったことにした。
視線で萃香が帰らない理由を訊ねると、紫が一つ頷いた。
「今日は、人里のご友人宅に泊まっていくらしいわ。おかしなこともあるものね」
「そっかぁ。わざわざありがとうございます」
「どういたしまして。それでは、そろそろお暇しようかしら」
半分ほど茶が残っているようだったが、紫は茶碗を置いて立ち上がった。花子とこいしに背を向けて、自身の身長より少し大きなスキマを作り出す。
「それではお二人とも、ごきげんよう」
「お休みなさい、手紙のお姉さん」
「さようならぁー、スキマのおばちゃーん」
元気いっぱいに手を振るこいしだが、花子はこの瞬間、空気が凍りつくのを全身で感じた。
スキマに手をかけた姿勢のまま、紫が停止している。汗が一筋、花子の頬を伝っていく。時間が止まってしまったようで、それを拭うことすらできなかった。
ギリギリと、まるで壊れたからくり人形のように、紫の首がこいしの方へと向けられる。引きつった笑みを浮かべているが、目は笑っていない。
「古明地の……こいしといったわね」
「うん、古明地こいしだよぉ」
「そう。ではこいし、あなたには一つ、講義をしてさしあげなければいけませんわね。あぁ、そのままの姿勢で構いませんわ、楽になさいな。でも話はしっかり聞くこと。いいわね?」
こちらの返事を待たずに、紫は大きく息を吸い込んだ。
「私のように一人一種族の妖怪はその分類どおり他の種族と寿命も能力もまるで違うの。つまり年齢をその他の種族と比べることにはなんの意味もない、ということですわ。覚妖怪のあなたにとっては老人のような年齢であったとしても、それが境界の妖怪である私にも通用するとは限らない、むしろ通用しない可能性の方が極めて高い。例えば数百年生きているあなたや吸血鬼も、そこの花子にとっては老婆が如き年齢であるはず。にもかかわらず友人として対等に接しているということは、あなた達の関係に年齢という概念は無意味であることの証明に他ならない。花子はレミリアには敬語を使っているようだけれど、その妹にはこいしと同じように接しているわ。それがどういう意味か、分かるかしら? つまるところ、妖怪という特殊な存在にとって大切なのは年齢ではなく外見のイメージや雰囲気なのよ。そう、あなたにとって千を超える年齢の女性がおばさんであったとしても、それが他種族であるのなら外見年齢で相手を呼ぶべきなの。お互いの関係を円滑にするためにはそうするのがベター、いえ、ベストだわ。こいし、あなたはベストな選択肢が目の前にあるというのに、あえて別の選択をするというのかしら? それは勇敢ではなく無謀、愚行とすら言えることよ。さぁ、私は可能性を示した。後はあなたが選択なさい、古明地こいし」
ほぼ一息で言い切り、彼女にしては珍しく肩で息をしながら、紫はじっとこいしを見つめた。こいしはおろか、花子すらも呆気にとられて口を半開きにしているが。
しばらく――数分程だろうか。あるいは数十秒だったのかもしれないが、長くも短い時間を経てから、こいしがゆっくりと首を傾げた。
「で、何が言いたいの?」
「お姉さんと呼びなさい」
「はぁーい」
間の抜けた返事と共に、空気が一気に弛緩していく。花子もようやく肩の力を抜いた。
初めて紫に会った時、花子は何度もお姉さんと呼ぶことを強要された。花子としては名前で呼びたかったのだが、紫お姉さんでは馴れ馴れしい気もしたので、手紙を届けてくれていることへの感謝も込めて『手紙のお姉さん』と呼ぶに至っている。
どうしてここまでこだわるのだろうかと、花子は胸中で疑問を感じた。再び講義が始まってはたまらないので、決して言葉には出さなかったが。
妖怪は、肉体の成長が著しく遅い。種族や固体によっては、吸血鬼姉妹のように一定を過ぎてから成長がほとんど止まる場合もある。花子やこいしが紫のこだわりを理解できる日は、とても遠そうだ。
満足したらしい紫は、満面の笑みでもう一度「では、御機嫌よう」と告げると、スキマの中に消えてしまった。
普段は大人の魅力に溢れており難しい言葉を使う紫だが、時々見せるこういった一面も、花子は好きだった。
残った桑の実を頬張りながら、頬に手を当てたこいしが何事もなかったかのように破顔する。
「んー、おいしいー」
彼女に習って果実を頬張り、おいしいねと笑いあう。
焚き火の炎が小さく爆ぜる。夜空へ舞い上がった火の粉はきらきらと、まるで二人と一緒に笑っているかのようだった。