かちこめ! 花子さん   作:ラミトン

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そのじゅうさん 決戦!勝利は我が友のために!(2)

 二枚目のスペルカードを使い、花子が逆転した。そのことに酒を楽しむ誰もが驚いたが、すぐに喧騒は酒宴のそれに戻っていってしまう。静葉を含むただ一部の者のみが、再開した戦いに目を向けている。

 

「どう思います?」

 

 そう訊ねてきたのは、守矢の二神の小さいほうを寝かしつけた早苗だった。どうと言われても、と静葉は腕を組む。

 花子は見違えるほどに強くなったと思うし、文を前にしても決して引かず果敢に攻めている姿勢は、高く評価できる。しかし、早苗が聞きたい答えとは違うだろう。

 正直にそれを口にするのは嫌だったが、黙っていても仕方がないので、静葉は少しだけ唸ってから口を開いた。

 

「厳しい戦い、だよね。私も穣子も、きっとあの天狗には勝てないし」

「私も姉さんと同感。もちろん、花子ちゃんが私らより弱いって決め付けてるわけじゃないけど」

 

 用意された兎鍋を無視して焼き芋を頬張っていた穣子が、湯気立つ芋から口を離して言った。

 静葉と穣子の家に訪ねてきた時はまだ空も飛べなかった花子は、勇ましさすら感じさせる勢いで文へとショットを放っている。静葉の目から見てもまだまだ粗いが、対する天狗に余裕があまり感じられないのは、きっと文にしか伝わらない覇気があるということだろう。

 

「気持ちの強さは、妖怪にとって力になると聞きますけど……。花子さんは今、文さんを凌ぐほどの気力があるんでしょうか」

「うん、きっと――今はね。あなたも現人神なら、分かってるんじゃないの?」

 

 少し意地悪いかと思いつつ、静葉は横目で早苗の顔を覗き見た。彼女は小さく「そうですね」と答えたきり、表情もほとんど変えないで上空に広がる弾幕を見上げている。

 神という存在にとって、信仰心――すなわち心の力は、大きな意味を持つ。妖怪の妖力や悪魔の魔力と違い、固体のポテンシャルに左右されない、全ての存在が平等に、そして無限大に持つ力だ。静葉達を始めとする神々は、その力を感じ取ることができる。

 時に、心の力は弱者を大きく飛躍させる。窮鼠猫を噛むとはまさしくその通りで、決死の覚悟を決めた者は誰にも負けない強者となり得るのだ。今の花子が、まさにそれだった。

 しかしながら、想いは磨耗する。どれほど強い意思があっても、時間の経過や体力の低下で、気持ちは削れていく。まして、もとの力が小さい者であれば、消耗は早い。

 意志の強さで一時的に力を得られても、その力がある間に勝利を掴めねば、いずれは弱者に戻ってしまう。文と激闘を繰り広げている花子は今、凄まじい勢いで精神を磨り減らしているはずだ。

 

「……長くは持たないかもね」

 

 そう呟いた穣子の言葉を、静葉も早苗も否定できなかった。

 できることなら、花子に勝ってほしい。しかし、もともとの力でも精神的な余裕でも、文が有利なことは揺るがない事実だ。

 ただでさえ、花子は一度くじけかけている。静葉達の姿を見て気を取り直したようだが、それもいつまで持つのか。

 胸元で両の手を握り合わせて戦いを見守っていると、突然右半身に重みを感じた。同時に凄まじい酒臭さを覚え、静葉は反射的に逃げ出そうとし、そして失敗した。頭を抱えられ、引き寄せられたのだ。

 柔らかい感触に驚いたのも束の間、酒の臭いに全力で眉間にしわを寄せながら、顔を上げる。

 注連縄(しめなわ)を王冠のようにして頭に乗せた、青髪の女性だった。守矢の二神が一人、八坂神奈子だ。

 どれだけ酒を呑めばこれほど臭うのか、静葉には理解できなかった。神奈子は静葉を抱えたまま、酔った赤い顔を隠そうともせず、

 

「神が祈りの姿勢を取るなんて、感心しないね」

「……それは」

「しかも、弱小妖怪一匹相手に。信仰する側とされる側の区別くらいは、つけておくべきじゃないかな?」

 

 言い返そうとして、静葉は口をつぐんだ。神格としては大先輩である神奈子には逆らえないし、彼女の言っていることは正しい。

 なんとか神奈子を引き剥がし、こちらの様子を心配そうに眺める穣子に目配せしてから、静葉は神奈子に告げた。

 

「確かに、私が妖怪に祈りを捧げることは間違いです。けど、でも……」

 

 分かっていても、そうなってしまうのだ。静葉の両手は、自然と胸元で握り合う。

 

「友達の勝利を願う気持ちまで、許されないのでしょうか?」

「そうだねぇ、そのくらいならまぁ、大目に見ましょうか。しかしだね、秋神の姉よ」

 

 一升瓶から最後の一滴まで搾り出すように(さかずき)に注ぎ、神奈子が一気に呷る。ただ酒を呑んでいるだけだというのに、静葉と穣子はその振る舞いに凄まじい神々しさを感じた。

 杯から口を離して、しゃっくりを一つ、神奈子が笑う。

 

「友人を応援するなら、心からするべきだ。負けるかもしれないなんて、間違っても思っちゃいけないね」

「……」

「神の心力は、相手に大きく影響する。秋神を長いことやっているあんたらが、知らないわけはないと思うんだけど、どうだい?」

 

 頭では分かっていた。穣子もまた、同じだった。

 力の弱い八百万の神であっても、二人の想う力は相手に影響を与える。神々が持つ、相手の願いを聞き入れ叶える力は、まさに神の心なのだ。

 それを知っていたからこそ、静葉と穣子は花子と友人になり、彼女が空を飛ぶための力になった。だというのに、今こうして花子が負けるだろうことを信じてしまっては、彼女の足を引っ張ることになってしまうかもしれない。

 

 観衆がどよめいた。見上げれば、花子がわずかに落下し、何とか体勢を整えている。霧散していく青い弾は、文のものだ。

 花子が、ショットに被弾した。一点減点し、持ち点は十四点。得点でもカードの枚数でも、文と再び並んでしまった。この状況での被弾は、花子にとって大きなプレッシャーになるはずだ。

 自分が弱気になってはいけない。分かっている。分かっているのに、心は勝手に弱くなる。静葉はこの時ほど、自身の弱さを憎んだことはなかった。

 

「……早苗!」

 

 突然、神奈子が声を上げた。あまりの大音声に、周囲の妖怪がびくりと肩を震わせる。彼らと一緒に驚いた早苗だが、神奈子の意図を察して、新しい一升瓶を持ってきた。

 

「加奈子様、ほどほどにしてくださいね」

「断る」

「ですよね。知ってました」

 

 もはや呆れもないのか、早苗は淡々と答えて、四つのコップに酒を注ぐ。一つは神奈子に、もう一つは自分に配ってから、残りの二つを静葉と穣子に渡した。

 戸惑いつつも受け取ると、神奈子がそれでいい、と頷いた。

 

「神が弱気になるななんて、そんなことを言うつもりはないよ。でもまぁ、今はその時と違う。どうせ応援するなら、派手にいこうじゃないか、なぁ早苗?」

「……そうですね」

「どう思う? 秋の妹」

「うぅん、確かにグチグチ言ってるよりは、大きな声出したほうが元気は出るかな」

 

 先ほどまで一番重苦しい顔をしていたというのに、穣子の最初から分かっていたとでも言いたげな顔ときたら。まったくやり手だと、静葉は苦笑した。

 神奈子がこちらをじっと見ている。一瞬だけ目を合わせてから、コップの中身を口の中に注ぎ込んだ。アルコールが喉を熱くする。

 

「――ぷはっ」

 

 度数の高い酒を一気に飲み干し、全身に行き渡った熱をそのままに、静葉は叫んだ。

 

「がんばれぇぇぇ! 花子ちゃぁぁぁぁんッ!」

 

 控えめで地味と呼ばれていた秋静葉の叫びを聞いて、妖怪達が一斉にざわめいた。少しだけ羞恥を覚えたが、

 

「負けるなぁぁぁぁぁっ!」

「まだまだいけます、諦めないで!」

 

 穣子と早苗も共に叫んでくれた。それだけで、静葉もまた、大きく息を吸い込める。

 すっかり応援に夢中になった静葉達には、一升瓶を抱えながらしゃっくりをする神奈子の、満足そうな笑みは見えなかった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

「これはまた、賑やかな応援だこと」

 

 変則的な赤と青の妖弾を展開しつつ、文が神社の境内を見下ろした。花子にそんな余裕はなかったが、その声は花子の耳にもしっかりと聞こえた。

 ありのままの自分でいればいいと教えてくれた秋姉妹と、スペルを一緒に考えてくれた早苗だ。こんな空高くまで聞こえるほど、一生懸命に応援してくれている。同点となったことで動揺していた花子の気持ちは、彼女達の声ですっかり元に戻っていた。

 

「……こんなに応援されたんじゃ、簡単には負けられないや」

「そう。まぁ私には関係ないけどね。守矢の巫女はまだしも、秋姉妹とはあんまり仲がいいわけでもなし」

「それこそ関係ないですよ。穣子さんと静葉さんは、私の友達です。あなたがどう思おうと、あの人達が応援してくれるなら――」

 

 弱りかけていた花子のショットに、勢いが戻る。桃色の妖弾が、花子を中心に五つの頂点を取る。

 

「私は、負けない!」

 

 足元に二ヶ所、両肩に二ヶ所、そして頭上に一ヶ所の計五ヶ所から、桃色の二重螺旋が放たれた。

 範囲が狭かった三ヶ所の時とは違い、確実に文の退路を断つ弾幕だ。文のショットには並べずとも、先ほどよりも洗練されている。

 空を埋め尽くす、赤と青、そして桃色の妖弾。二人のショットはお互いの行動を大きく制限し、少しも気を抜けない状況が続いた。

 そこらの弱小妖怪ならば、もうとっくにスタミナ切れで被弾しているか、焦れてカードを使っているはずだ。しかし、花子は不思議と疲れを感じず、また心にも余裕があった。慣れもあるのかもしれないが、文のショットなら、まだまだ避けられるという自信があったのだ。

 文にショットを当てることができれば、勝負を動かすことができる。スタミナも妖力も小さな花子にとって、長期戦は避けたいところだった。ただでさえ、もう精神力だけで戦っているようなものなのだ。

 上半身を右に反らして青の妖弾を回避し、花子は背後を見る。文が回りこんでいた。 

 

「意気込みは結構。だけど、言葉だけではこの射命丸文は倒せないわよ」

 

 ショットを展開しながら腰に手を当て、口元を嫌味に歪める。その頬はわずかに上気しているが、疲労は少なそうだ。

 一方の花子は、秋空の気温は寒いほどだというのに、セーラー服が体に張り付くほど全身汗まみれになっていて、肩で息をする始末だ。しかし、瞳の光は真っ直ぐに文を捉えて、負けぬとばかりに挑発的な笑みを浮かべる。

 

「言葉だけに思えるなら、文さんの目は節穴ですね。新聞記者、向いてないんじゃないですか?」

「ふん、余裕を見せてるつもり? そんなふらふらな状態じゃ、もうスペルを使えないんじゃないかしら。カードはあと三枚も残ってるのにね」

 

 桃色の弾幕を軽々と避け、文が弾幕をばらまく。妖弾は無数のリングを形成して、花びらのように空を彩る。

 何度も避けた文のショットだが、妖弾は放たれるたびに不規則な迷路を作り上げてくる。例え慣れを感じていても、油断はできない。

 速くもなく遅くもないが、確実に相手の精神を追い詰めてくる文の弾幕に、花子は歯を食いしばる。

 小さな体を動かすたびに、汗がほとばしった。五つの二重螺旋を維持しつつ、短く息を吐き出す。

 

「ふぅっ――」

 

 交差するように迫る妖弾を飛び越えて避け、文を狙う。範囲が広まったとはいえ、花子のショットは直線的だ。遊びがある文のそれとは違い、余裕がない。撃ち合いが長引くほど、花子は不利になる。

 それでも、ここでショットを当てなければと花子は思いつめていた。カードを使い切らせるほど文を追い詰めることは難しい。お互いの持ち点が十四点で、カード枚数は三枚なので、カードだけで得点を減らしきることもできない。

 最低でもあと五回、ショットを被弾させなければ。その回数に、花子は酷い焦りを覚えた。胸によぎったその感情はまるで他人事のようにも感じたが、一瞬の焦燥感は花子の冷静さを確実に奪う。

 文のショットを潜って回避した先に、赤と青の妖弾が待っていた。重なるようにして花子へ向かってくる。隙間はまったく無く、その間を抜けることはできない。

 すぐに避けなければと思っても、花子の体は下降した慣性が残っている。その上疲労までもが押し寄せてきており、体が動いてくれない。

 

「や、だっ!」

 

 それはもはや、彼女の意志ではなかった。勝利への執念か、被弾への恐怖か。花子は自分がとった行動に愕然とし、すぐに悔しさのあまり唇を噛みしめる。

 文のショットが消える。上空から見下す宿敵へ、嫌味を言うこともできない。

 自然と突き出していた右手が、震える。握られているのは、桃色のカード。

 

 花子、三枚目のカード宣言。文のショットを回避しきれず、逃げの選択としてのスペルだ。

 

「宣言の撤回はできないわよ」

 

 花子の前へと下降してきた文が告げる。花子はそれに、分かっていると言い返すこともできなかった。

 ショットに追い詰められてしまった。その事実は、この後の撃ち合いで花子の重荷となり、文にとっては余裕となるだろう。

 心が乱れる。自分を嫌いになるほど、花子は胸中で自身を罵っていた。避け切られたら、いよいよ勝ち目はなくなる。まだ、ショットに被弾していたほうが傷は浅かったかもしれない。

 しかし、もう取り返しがつかない。カードをポケットにしまい、花子は震える唇でなんとか言葉を絞り出した。

 

「当てれば、いいだけ。大丈夫」

「そんな蚊の鳴くような声で言われてもねぇ。……本当に大丈夫? 顔、真っ青じゃない」

 

 眉を寄せて花子の顔を覗きこむ文は、まるで本気で心配しているようだった。しかし、今の彼女は敵なのだ。甘えるわけにはいかない。

 花子はもんぺの左ポケットに手を突っ込んだ。秋姉妹からもらった髪飾りとブローチ、その尖った部分が、花子の掌に当たる。ちくりとした小さな痛みが、動揺と焦りを少しだけ和らげてくれた。

 肩をゆっくりと動かし、深呼吸。花子の顔色に血の気が戻り、それを見た文が花子から離れる。

 

「いらない心配だったようね」

「そうですね、全然いらない心配です。このスペルを当てればいいだけの話だもの」

「……よくもまぁ」

 

 最後まで言い切らずに、文が間合いを大きく取る。

 花子が無意識に選び取ったカードは、消耗こそ大きいが、自信のあるスペルだった。自分のタイミングで選べなかったことは悔しいが、今はこのスペルに集中しなければならない。

 全身に妖力が滾る。もはや搾り出しているに近い状態だ。遠めに見える文が、人差し指でかかってこいと挑発してくる。

 いこう。例え避けられて不利になっても――。よぎった思いを、花子はすぐに否定した。

 避けられない、避けさせない。妖力を解き放ちながら、花子は呟いた。

 

「必ず、当ててみせる」

 

 緑の妖弾が、文を囲むようにして、ぶわりと不気味に浮かび上がる。その数は十や二十では足りず、もしかしたら百に届いているかもしれない。

 大した密度ではないが、設置型のスペルはどう動くか分からない。文が警戒の色を強め、いつでも動ける体勢を取った。

 文にばれないように、花子は少しだけ眼下の観衆に目をやった。皆が見ている前で、慌てふためく姿は見せたくない。

 

 このスペルで、戦況を変える。花子は体中の妖力を両手に溜めた。掌が、淡い桃色に輝く。

 

「さぁ、文さん。準備はいいですか」

 

 離れた文には聞こえない、小さな声だった。しかし、文は答えるかのように妖気を高めている。

 設置された緑色の球体全てに、花子の妖力が伝播する。輝きを強める花子の妖弾に、文が身構えた。

 

「それじゃあ、いきますよ」

 

 眉を吊り上げ目を鋭く細めた花子が、腕をいっぱいに広げ、

 

「さん――」

 

 おかっぱ頭のてっぺんで、両手を景気よく打ち鳴らした。

 

「はいっ!」

 

 変化は、その直後に起きた。緑の妖弾全てが、いっせいに動き出したのだ。まるで無数の蛙のように、文の周囲を跳ね回る。

 怪談「ホルマリン蛙の運動会」。妖弾は鬱陶しくバウンドしながら、文の全周囲を囲うように動いていった。

 

 完全に囲まれたら最後、被弾を待つだけになってしまうだろう。文はそれにいち早く気付き、回避と移動を始める。だが、上下に跳ねながらあちこちに動き回る緑の妖弾は、文の動きを徹底的に束縛した。

 彼女自慢の高速を封じ、慎重な回避を余儀なくする。遠くから妖弾を操作しつつ、花子は体力の回復も忘れて文に被弾させることだけを考えていた。

 もし、蛙に見立てた緑の妖弾を高速で動かすことができれば、文に被弾させることは容易だろう。しかし、それでは遊びとしての側面が死んでしまう。あくまで避けられるようにしなくてはならないのが、とてももどかしい。

 それでも、「避けられたはずなのに避けられなかった」という焦燥感を文に与えられれば、以降のショットを当てやすくなるはずだ。ここが勝負どころだと、花子は神経を集中させる。

 文は、花子が思った以上に苦戦を強いられているようだった。跳ね回る妖弾にじわじわと追い詰められ、次第に全周囲を囲まれていく。その様子にはスペル名のような可愛らしさはなく、無数の蛙が文を捕食しているかのようにすら思える。

 これならば、当たる。花子は確信と共に安堵した。完全に囲まれてしまった以上、もはや回避の手立てはない。

 

 その考えは、酷く甘いものだった。

 

 頬を撫でた風が優しかったのは、一瞬だけ。花子はいきなり全身を襲った衝撃に、両腕で顔を覆う。

 

「な、なにがっ!?」

 

 叫びになってしまったのは、そうでもしなければ自分の声すら聞き取れなかったからだ。吹き荒れる風は、花子の声を一瞬で掻っ攫っていく。

 見れば、妖弾に囲まれていたはずの文が、渦巻く風の中心に佇んでいるではないか。花子の妖弾は暴風に巻かれて飛び散り、今もなおバウンドしながらも、その動きは完全に風に支配されている。

 あまりの風に目を開くこともできず、花子は細目で文の姿を捉えた。鋭い目つきでこちらを睨み、見せ付けるように掲げた手には、スペルカード。

 

 竜巻「天孫降臨の道しるべ」。暴風はかなり離れているはずの花子までもを巻き込み、妖弾となった葉を舞い上がらせる。

 攻勢一方だった戦況は一転、スペルの撃ち合いとなる。ようやく生まれた余裕までもを吹き飛ばされ、花子は風に翻弄されながらも木の葉を避け、散らばった妖弾を再び操り始めた。

 花子の妖弾は相変わらず跳ね回り、竜巻に翻弄されながらも、じわじわと文との距離をつめていく。竜巻というスペルの性質上身動きの取れない文は、自身の風で妖弾を吹き飛ばすしかない。

 スペルによって文の武器となった葉の妖弾も、動きが荒い。防御に集中力を割いている証拠だ。かといって、花子も気を抜くわけにはいかない。風に押し戻される妖弾を無理矢理文に近づけることは、思った以上に妖力を削られる。その上、飛んでくる木の葉を避けなければならないのだ。

 

 双方共にほとんど動かずスペルに集中する様子は、一見すれば地味な戦いに見えるだろう。しかし花子は、離れた場所にいる文と自分との間で激しい火花が散っているのを確かに感じた。

 緑の妖弾が、風を押しのけバウンドしながら、文を再び囲んでいく。近づけば近づくほど文が風を強めるので、少しでも油断すればまた飛ばされてしまうだろう。

 

「それでも――あと少しで、届くっ」

 

 苦しげに漏れた言葉は、竜巻に巻かれて消えていく。花子の目には、避けるべき木の葉と敵である文の姿しか見えていない。その文も、目を逸らすことなくじっと花子を見据えている。

 睨みあいながらの攻防。そんな中、ふと文がほくそ笑むのが見えた。同時に、ザァと一際大きな葉のこすれる音が耳に届く。花子は咄嗟に周囲を見回し、

 

「う、うそ……」

 

 竜巻が、大量の木の葉を巻き上げている。足元から、紅葉が入り混じる葉の波が迫っているのだ。

 全てが妖弾となっているわけではないことは、遠目に見ても分かった。しかし、あの波に飲まれてしまえば、中に混ざった妖弾には確実に当たってしまう。風の中を飛んで逃げても、追いつかれるに決まっている。

 木の葉は凄まじい速さで近づいてきている。あとどれくらいで花子に届いてしまうのか、考えている余裕すら惜しい。

 花子は焦った。このままでは被弾は免れない。

 

「どうしよ、どうしたら」

 

 慌てふためいたところで、現実は変わらない。葉の波が奏でる耳障りな波音は、一瞬ごとに大きくなっていく。

 時間がない。花子は咄嗟に文を見た。

 

 文の、挑戦的な笑みを見た。

 

「――ッ!」

 

 さぁ、どうする。文はそう言っているようだった。花子に戦いへの熱意が戻る。

 いくら冷静になれたとはいえ、木の葉の大波は着実に近づいている。花子の取れる選択肢は、ただ一つしかなかった。

 葉の妖弾に当たるより先に、文を被弾させるのだ。浮いている緑の妖弾全てに渾身の力を伝播させ、

 

「っいけぇぇぇぇぇ!」

 

 叫び、両腕を前に突き出す。同時に、風の抵抗を受けていた花子の妖弾が、グンと動き出した。今までの地道な攻防が嘘のように、文へ狙いを定めて進み出す。

 巻き取られている大量の葉が花子を食らうまで、あと数秒とないだろう。十分だと、花子は胸中で断言した。

 

 その場からまったく動かない文は、まるで花子の妖弾を受け止めようとしているかのようだった。

 葉のこすれ合う音が近づく。それでも目は動かさない。

 思考は止まっている。花子はただ、妖弾を操る。

 文が防御の姿勢を取る。妖弾は当たる寸前。

 あとわずか、ほんの一瞬。

 

 そして、その刹那。

 

「あうっ!」

 

 小さな叫びと共に、花子は大量の葉に巻き込まれた。ざらざらとした感触が肌を撫で、妖弾と思われる重い衝撃が花子の体を叩く。

 体を丸めて痛みに耐え、ようやく風と葉が過ぎ去った。ふらつきながらも、何とか意識を覚醒させる。セーラー服は左の袖がほとんど無くなり、あちこちが破けてしまっている。打ち身と擦り傷が体中にあるようで、少し動かすだけでも酷く痛んだ。

 

「あ、当たっちゃった……」

 

 言葉に出してみると、望まない現実感が花子を包んだ。被弾した事実は、どうあっても揺らいでくれそうにない。

 しかし、事実はもう一つあるらしい。視界に入った文が、痛みを掻き消そうと頭を振っている。花子は知らず、声を漏らしていた。

 

「も、もしかして」

 

 花子と文、同時に被弾。双方共に三点減点、二人の持ち点は揃って十一点となった。

 

 望んでいた結果とは違うが、それでも文にまたスペルを当てられた。荒れた呼吸を落ち着かせながら、花子は喜びが表情に出るのを止められなかった。

 ざわめく観衆を無視して、文がショットの妖弾を形成する。もう息を整えたらしい。もう少し休みたかったが、花子は本音を飲み込み、桃色の妖弾を召喚した。

 残るカードは二枚。十一点という持ち点を考えると、花子も文も、スペルは当分使えなくなった。

 ショットは、もうスペルへの布石ではない。文も本気で点を削りにくるだろう。撃ち合いはいっそう激しくなるはずだ。

 

「ここからよ、花子」

 

 自分に言い聞かせ、疲労に悲鳴を上げる体に鞭を打ち、花子は飛んだ。勝負はいよいよ、後半戦に突入する。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 こいしが思っていた以上に、花子は善戦している。

 勝負は拮抗しているが、スペルだけで考えれば、花子はもう二回も文に当てている。その様子を、こいしはまるで自分が戦っているかのような心地で見守っていた。

 最初は遊びに付き合う程度の気持ちで、彼女の練習に付き合っていた。それがいつしか、自分まで本気で文に勝つことを目指していたのだ。

 

「こいし、大丈夫かい」

 

 声に振り向けば、瓢箪を片手に胡坐をかく萃香だった。彼女はきっと、文がこいしに放った暴言のことを言っているのだろう。

 正直に言えば、とても傷ついている。胸が裂けそうな思いだったが、きっと花子がやり返してくれると信じ、頷く。

 

「うん、大丈夫。なんてことないよ」

 

 うまく笑えた自信はないが、萃香は納得したようだった。再び勝負の行方を目で追っている。習って見上げ、こいしは一心に花子を見つめた。

 二人とも疲れが表に出てきているらしく、ショットの撃ち合いが再開してから、お互いに何度も被弾している。

 今の持ち点は、花子が八点、文は九点。体力面では花子が劣り、もう限界を通り越していそうだが、戦いの行方はまだ分からなかった。

 

「すごいよね、花子ちゃん」

 

 淹れたてのお茶をこちらに差し出しながら、ミスティアが言った。

 

「私ならきっと、もうスペルを使っちゃってると思うな。文さん、弾幕ごっこになると目つき怖いから」

「うぅん、そうだねー。私とやった時も、最初はニコニコしてたのに、だんだん怖い顔になっていったよ」

「あの目で見られちゃうとさ、とにかくスペルで追っ払わなきゃって気持ちになるんだ。だから、あの文さんと真っ向から勝負できる花子ちゃんは、やっぱりすごいよね」

「うん、すごい」

 

 花子は強いのだ。こいしが思う強さとは違う、もっと別の力を持っている。

 その強さがあれば、こいしは覚の力から逃げなかったかもしれない。もう戻れない昔のことを悔やむつもりはなかったが、それでも花子の無邪気な強さが眩しかった。

 彼女と友達でいられれば、その強さをこいしも得られる気がしたのだ。その答えは、きっと間違っていない。

 

「花子――」

 

 ギリギリで妖弾を避けている花子は、いつ被弾するかもしれない危うさを感じさせた。

 怪我はしているのだろうか、無理が祟って具合が悪くなってないだろうか。心配は尽きない。

 それでも、駆けつけることは許されないのだ。これは、花子の戦いなのだから。

 こいしにできることは、たった一つ。祈ることだけだ。

 

「きっと、勝ってね」

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 ショットでの削り合いは熾烈を極めた。花子の持ち点はさらに減り、六点となっている。対する文は、八点だ。

 しかし、負けっぱなしというわけではない。

 

「ちぃッ!」

 

 叫んだのは、文だ。直後に、バチリと妖弾が破裂する音が響く。桃色の妖気が霧散して、空中に消えていった。

 文がショットに被弾したのだ。これで彼女の持ち点は、七点にまで減少した。

 体力的に言えば、文はまだまだ余裕だろう。しかし、とっくに限界を超えているはずの花子が今も立ち塞がっていることに、調子を崩されているのだ。

 視界は徐々に白ばみ、意識はすでに朦朧としている。それでもまだ戦えるとどうして思えるのか、花子自身にも分からなかった。

 文が体勢を整え、二人ともに妖弾を召喚した。ショットが再開される。

 点差は一点だが、この一点はとても大きかった。花子は六点、つまり、文に残っている二枚のスペルカードで削りきれてしまう点数なのだ。花子は最低でもあと一回はショットを当てなければならない。

 

「勝たなきゃ」

 

 なんとしても、文に勝ってみせる。その想いだけで、花子の二重螺旋はさらに勢いを増した。

 文に対する憤怒の思いは、だいぶ薄れていた。レミリアとこいしへの中傷は許せないし、謝ってほしいとも思うが、それでも嫌いにはなれないだろう。

 見ず知らずの土地で独りぼっちだった自分と友達になってくれた皆に、強くなった花子を見てほしい。皆と並んで立てる妖怪になったのだと知ってほしい。

 それだけのために、ただ、勝ちたかった。

 

 五つの二重螺旋を密集させ、花子は無謀にも文へと突進していった。赤と青の妖弾が密集している文の付近は、今の花子が避けられる場所ではない。

 被弾もやむなし、それでもあと一点。花子の鬼気迫る突撃に、文がわずかに後退する。直後に、彼女は顔の前で両腕を交差させ、防御の姿勢を取った。一際激しい破裂音が周囲に木霊し、花子の全身を衝撃が襲う。

 

 双方、ショットによる被弾。持ち点は、花子が五点、文が六点。

 

 あまりの激痛に、花子は完全に意識を失った。落下するかに思われたが、セーラー服の襟を文につかまれ、目を覚ます。

 頭を振ってからなんとか自力で飛ぶと、呼吸が乱れている文が、わずかな安堵を顔に浮かべた。

 

「ここまできて、気絶負けなんてやめてよね」

「……ごめんなさい」

「謝らないでいいわよ、目は覚めたんでしょ?」

 

 わずかの沈黙。一分にも満たなかったが、その間で花子と文はある程度息を整えた。

 合図があったわけではないが、それぞれ同時に、カードを取り出す。

 

「あなたはよくやったわ、花子。でもね、私にも天狗としてのメンツがある。簡単に負けてやるわけにはいかない」

「分かってます。ここから先は、手加減なしですよね」

「手加減はするわ。負けない程度にね」

 

 文が笑い、後方に飛び退った。カードをしまい、その右手には、八手の葉のような天狗の団扇が握られている。

 

「さぁ、ちょっと強めにいくわよッ!」

 

 団扇を二振り、文の正面に二本の細い竜巻が出現する。

 旋風「鳥居つむじ風」。二つの竜巻は蠢きながら高速で花子へ近づき、赤い妖弾を無数に吐き出し始めた。妖弾は竜巻が起こす突風に飛ばされ操られ、空は瞬く間に弾幕地獄と化す。

 負けてはいられないと、花子はカードをポケットに入れて、両手を天に掲げた。

 この時のために、練習してきたのだ。ずぶ濡れになって、酷い時には川に流され、それでも諦めずに特訓を続けて手に入れた力を、解き放つ。

 

「いけぇぇぇっ!」

 

 叫びとともに、あたりが突然暗くなった。観衆と文が天を仰ぎ見て、絶句する。

 天空を覆う屋根のように、水が一面に広がっているのだ。立ち込める暗雲がそのまま水になったかのような、実に摩訶不思議な光景だった。

 誰もが呆然と見上げていた水の天井が、突如、崩れた。

 怪談「お化けプールの水面下」。花子の胴回り程度の直径を持つ大粒の雫が、文めがけて落下する。水弾は文の頭上で破裂し、細かい妖弾へ変化する。

 水の天井は広い。文がその下をどれだけ逃げ回っても、水弾は先回りして落下し、弾け、妖弾となって降り注ぐ。

 それでも、文に与えた驚愕は一瞬だけだった。すぐに冷静さを取り戻し、水の妖弾を的確に避けていく。花子も文の竜巻と妖弾を避けなければならず、水弾をうまく操れている自信はなかった。

 

 文の風に対抗するために身につけた水の力だが、いくら縁が近いとはいえ、それは花子の本質ではない。河童達ほどうまく操れず、長続きもしないだろう。 

 それでも花子は、文との決闘で何が何でもこのスペルを使いたかった。今も外に住む妖怪は、技術に溺れた人間の影響で、自然との繋がりが薄れてしまっている。花子もその一人だったが、それは妖怪としての力を非常に弱めると萃香が言っていた。 

 きっと、文もそれを見抜いていただろう。だからこそ、水を操り大自然の縁を取り戻したことを証明し、文に認めさせたかったのだ。

 二本の竜巻が空気を巻き取り轟音を鳴らし、花子へ近づく。引きずり込まれれば二度と出られないような威圧感を花子に与え、さらに真っ赤な妖弾までも撒き散らす。

 風に翻弄されているようにも見える文の赤い妖弾は、しかし確実に花子を狙っている。どこへ逃げても必ず追いかけ、また回り込んでくるのだ。かといって、後退しようものなら竜巻が待っている。

 巻き上げられたマグマのような文の妖弾は、第三者からはどう見えているのだろうか。目に入るところ全てが紅蓮地獄となっている花子からは、想像もできなかった。

 体を細かく動かして、四方八方からの弾幕を避ける。そんな状況であっても、花子は常に前進し方向転換をして、竜巻から距離を取る。

 攻撃に集中できないことが、とてももどかしかった。文に見せ付けるために手に入れた力なのに、彼女は花子の水弾を余裕を持って避けている。

 

「……ダメ」

 

 焦るなと、花子は自分に言い聞かせた。だが、一瞬浮かんだ切迫感は文の竜巻と妖弾に煽られ、胸中をかき乱す。

 左方から赤い弾が迫る。わずかな間だけその場に留まり、花子は体を大きく仰け反らせた。そのままくるりと回転し、水弾を操作しながら次に避けるべき妖弾を探す。

 背後で渦巻く風の音が聞こえる。ぞっとするその音を耳から搾り出し、花子は飛んだ。

 

 上空を見上げる。水の天井が小さくなっていく。時間切れが近づいているのだ。文は避けきれてしまうのだろうか。どうにかして被弾させなければと思考を巡らせるが、今の花子では水をこれ以上うまく操れない。

 花子にもっと妖力があれば、状況は変わっただろう。自然の力である水も、もっと長く操れたに違いない。だが、元のキャパシティだけはどうやっても超えられない壁だった。

 降り注ぐ水弾が増し、分裂もさらに細かくなる。最後のあがき、スペルの終盤だ。かなり避けにくい工夫をしたというのに、文は見た瞬間に全てを理解したかのように、細かく散った水弾を容易にかわしてくる。

 残り時間はもう二十秒程度しかない。このままでは回避が成立してしまい、文に加点されてしまう。よしんば花子が文のスペルを避けきったとしても、持久戦になってしまえばもう花子に勝ち目はないだろう。

 

「どうしたら――」

 

 呟きかけて、花子はふと自分の体勢に気がついた。

 被弾する気がまるでしない文に慌てすぎた結果か。それとも、集中力が底をついたのか。現状を理解した花子を襲ったのは、大きな後悔だった。

 時間で言えば、ほんの数秒程度のものだろう。しかし、弾幕ごっこにおいては致命的な時間といえる。

 花子は、その場に停止していた。迫る妖弾と竜巻を見もせずに、文を注視してしまっていたのだ。

 

「ッ――」

 

 焦りが膨れ上がる。もはや自分に冷静な判断など期待できず、花子は直感だけで自分を囲んでいた赤い妖弾を避けた。

 当然のことだが、動き続けていた時と違い、弾の密集率があまりに高い。よくも止まっている間に当たらなかったものだと、心のどこかで呟いた。

 もんぺが妖弾とかすり、破ける。その感触と音が、花子の意識をわずかに逸らした。

 

 そして、結果が訪れる。

 

 凄まじい衝撃。花子は背中を鈍器で殴打されたかのような感覚に襲われた。

 疲労困憊な状況で意識を保てたのは、奇跡に近い。痛みに縮こまっていると、竜巻と妖弾が消えた。水の天井も蒸発したかのように霧散して、青空が戻る。

 徐々に痛みが柔らいでも、花子は体を丸くしたまま動けなかった。全身が震える。

 

「あ、あ……」

 

 花子、スペルに被弾。減点三、残りの持ち点は二点。花子のスペル終了前に被弾したため、文は六点から持ち点の変動はない。

 

 互いのカードは残り一枚ずつ。一枚では、文の点数は削りきれない。対し、花子は二度のショットで敗北が決まってしまう。文はもう、スペルを使わなくても勝てるだろう。

 負けが決まったようなものだ。花子は悔しさでいっぱいになり、掌が真っ白になるほど、拳を握り締めていた。

 

「いやぁ、まさか水を操るとはね。さすがに驚いた――って」

 

 やれやれと汗を拭いながらやってきた文が、花子の顔を見て眉を寄せる。

 

「ちょっと、なんて顔してるの。あなたの勝ちたいって気持ちはよく伝わってくるけど、泣くほどのもんでもないでしょうに」

「私には、大切な戦いなんです……。文さんにとっては、この決闘、やっぱり遊びなんですか?」

 

 半分涙声になって、花子が上目遣いに文を見上げる。その視線にたじろいで、彼女は頬を掻いた。

 

「まぁ、最初はそう思ってたわ。一枚目のスペルあたりまでかしら。でも花子があんまり真剣なもんだから、ちょっと本気になっちゃった部分はあるかな」

「そうですか……」

「そんなことより、私が言いたいのは、あなたのその態度よ。なに、もう降参するの? まだ点数もカードも残ってるじゃない」

 

 花子の心は挫けていた。もう体力もない。気力も尽きた。こんな有様で、どうやって戦えというのか、教えてほしい気持ちだった。

 もし文も同時に被弾していたり、花子がスペルを避けられていれば、まだやる気も出ただろう。圧倒的不利な状況が、花子に敗北感を植え付けてくる。

 

「……」

 

 声が出なかった。まだ自分のどこかで、負けを認めたくない気持ちがあるのだ。目を伏せ、どうしたものかとぼんやり考える。

 文は、じっと花子の言葉を待っているようだった。このまま黙っていても仕方ないことは分かっているのだが、答えが見つけ出せない。

 

 数分が過ぎたころ、深々と溜息を吐き出した文は、短く告げた。

 

「花子。あなたに最後のチャンスを上げるわ」

 

 凛とした声と共に、文がスペルカードを取り出す。

 最後の一枚だ。彼女の意図を理解すると共に、花子の心臓が大きく脈打つ。

 文の口元に浮かんだ微笑は、とても力強く、大妖怪の貫禄を漂わせるものだった。花子に緊張が走る。

 目に見えて分かるほど、文が妖力を高める。天と地ほどの実力差を見せ付けられ、それでも花子の体には、不思議と力がみなぎってきた。

 

 敵に情けをかけられたが、これを逃せば勝機はない。

 他の選択肢など、あるはずがなかった。

 

「決着をつけましょう」

 

 鋭く重い文の言葉に、弱気な心を投げ捨てた花子は、はっきりと頷いた。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 まだ秋とはいえ、山頂は冷える。普段外出をしないパチュリーは、寒さを少しでも凌ぐため肩から毛布を被っていた。

 新たな友人の戦いを観戦しているレミリアとフランドールは、いつになく真剣だ。時折悲鳴じみた声を上げながら、一生懸命に応援している。

 外出という人生初の大イベントに浮かれていたフランドールだが、憧れていた館の外への好奇心もすっかり失せてしまったようだ。彼女があんなに友人思いであるとは、紅魔館の住人は誰も知らなかったのではないだろうか。

 普段他人の前では冷徹な吸血鬼を装っているレミリアも、今ばかりは感情を惜しみなく表している。彼女と長年親友をやってきたパチュリーは、素直なレミリアを見れるのは自分と咲夜だけの特権だと思っていただけに、少し寂しくもあった。

 

「……ま、レミィも妹様も、これで少しは垢抜けるでしょう」

「パチュリー様もね。ご自身から進んで外出されるくらいですもん」

 

 イタズラっぽく舌など出して言ったのは、パチュリーの使い魔であり大図書館の司書でもある、名もない小悪魔だ。

 紅茶の入ったカップを差し出してくれた小悪魔に、パチュリーは「そうかもね」と、小さく微笑を浮かべた。

 パラソルの下に敷かれた真紅のシートには、弁当箱がいくつも開けられていた。もうだいぶ減っているが、咲夜と美鈴が残りを少しずつ箸で突いている。パチュリーも少し食べたのだが、元々小食のため、ほとんど手をつけていない。

 吸血鬼姉妹も最初は喜んで箸を伸ばしていたのだが、決闘が盛り上がるにつれてそちらに夢中になってしまい、早々にごちそうさまと宣言していた。とはいえ、レミリアの好物である納豆巻きとフランドールがリクエストしたミートボールは、ことごとく無くなっているのだが。

 上空の戦いは、どうやら滞っているようだ。弾幕ごっこで睨みあいとは珍しいが、恐らく文が花子の体力回復を待ってやっているのだろう。 

 

「お姉さま、花子はあと何点持っているの?」

 

 妖弾は一つも飛んでいないというのに、フランドールの声は緊張で強張っていた。すると、レミリアも似たような声音で、

 

「二点よ。フラン、自分で数えてよね」

「数えてたよ。ただ、信じたくなかっただけ」

「私だってそうなんだから、言わせないでちょうだいよ」

 

 パラソルの影が途切れる寸前の場所から、四つんばいになって覗き込むように空を見上げている姉妹を後ろから眺め、パチュリーは目を細めた。

 フランドールを外に出すと言った時、どんな問題が待ち受けているのかと皆が冷や汗をかいたものだが、レミリアと仲良くしている姿を見ると、自分達が抱えていた不安が全て杞憂だったように思える。

 無論、フランドールはまだまだ加減が下手なので、少しずつ慣らしていく必要はあるだろう。それでも、彼女は外に出られたのだ。五百年という時の壁を乗り越えたレミリアの決断が、何よりも大きな意味を持っていた。

 そのきっかけとなったのが、あの小さな御手洗花子なのだから、世の中は分からない。紅茶を一口飲み込んで、パチュリーは思案に耽る。

 

「あの子の能力――トイレで子供を驚かす以外に、何かがあるのかしら。例えば、そう。花子は子供がたくさん集まる場所に住んでいたのだから、精神的に未成熟な者の心を操ることができるとか。そう仮定すると、レミィや妹様があんなに必死になるのにも、鬼や覚の妹と行動していることもつじつまが合うのよね」

「うーん、それは能力じゃないと思いますけどねぇ」

 

 体が温まるようにと紅茶のポットにジンジャーを入れながら、小悪魔が苦笑した。

 

「きっと花子さんは、純粋なんですよ。子供を驚かすってことは、子供の気持ちを理解しなきゃいけないってことです。だからあの子はきっと、誰よりも子供で、真っ白なんじゃないですか?」

「なるほどね。つまりレミィ達は、花子の純粋さに当てられたってことかしら」

「素直って、伝染するんですよ。次はパチュリー様かもしれませんね」

「それは大変。予防しておかなければね」

 

 冗談めかして返事をしつつ、パチュリーはカップをソーサーに置いた。

 空にいる文の妖力が、パラソルに遮られて見えないパチュリーにも分かるほど大きくなる。レミリアとフランドールも当然気付いているようだ。

 

「スペルかしら」

 

 レミリアが呟く。フランドールはそれに、可憐な顔にはいまいち似合わない神妙な顔で頷いた。

 

「おっきいのがくるよ。ショットでも勝てるのに、大人げないなぁ、天狗は」

「でも、これを花子が避けきれたら、花子の勝ちよ」

「あ、そっか!」

「まだチャンスはあるわ、まだ」

 

 希望は捨てていないらしいが、花子の妖力はもうかなり小さくなっている。レミリアへの侮辱を取り消させるために、文字通り死力を尽くしていると言えた。

 もしも花子の立場が自分だったら、彼女と同じように死ぬ気で決闘を挑むことができるだろうか。パチュリーはその自問に、ほんのわずかにかぶりを振る。

 きっと、悪口の内容をレミリアに告げ、彼女自身に叩きのめしに行かせるだろう。お互いの力を信じていると言えば聞こえはいいが、どこか冷たく感じなくもない。それでも、レミリアとの友情はそうあるべきだと思うのだ。

 

「私達は、これでいいのよ」

「? なんですか?」

 

 首を傾げる小悪魔に小さく肩をすくめ、

 

「なんでもないわ。さて、私もそろそろ――」

 

 レミリア達と決闘を見守ろう。そう言いかけて立ち上がり、全身を冷たい風に打たれて、再びおずおずとその場に座り込む。

 毛布を肩からすっぽり被って、小悪魔に告げた。

 

「……紅茶のおかわりをくれるかしら」

「はい、すぐご用意しますね」

 

 笑いを堪えながら紅茶を淹れる小悪魔に、何も言えない自分が少し恥ずかしかった。しかし、生まれつき病弱なのだから仕方がないと、開き直る。

 酒宴に参加している妖怪達が、喚声を上げた。レミリアとフランドールも、日差しに当たってしまうのではと思うほど騒ぎ出している。決闘が再開したらしい。

 戦いが見えなくとも、状況の把握はできる。誰にも伝わらなくとも、心の中ではそれなりに花子を応援してもいるのだ。

 小悪魔から紅茶を受け取り、まだ温まらない体を毛布の中で震わせながら、

 

「私は、これでいいのよ」

 

 呟きは、吸血鬼姉妹のやかましい応援に包まれ、消えてなくなった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 あまりにも強大な妖力。見ているだけで食われてしまいそうな気迫。花子は怖気づきそうな自分を必死に奮い立たせる。

 文がカードをしまう。溢れ出る妖力をそのままに、彼女は鋭く花子を睨みつけた。

 

「天狗の本気――その断片を、あなたに見せてあげるわ」

「っ……光栄です、と言ってあげればいいんですか?」

 

 なんとか余裕を見せようと吐いた言葉だが、文には花子が怯えていることくらい分かっているだろう。

 それでも、逃げるつもりはないとだけ表明できればいいのだ。震える手を無理矢理拳に変えて、花子は文を見据える。

 覚悟が伝わったのだろう。文が頷き、その身を風が包み込む。

 

「勝っても負けても、恨みっこなし。さぁ、いくわよ!」

 

 声が耳に届いた瞬間、文が消えた。直後に莫大な妖気を感じ、花子は振り返る。

 妖力の塊が、風を従え巨大な弾丸となって迫っている。それを目にするや、驚く暇もなく、左半身を全力で反らす。何とか避けれたものの、空気を引き裂き通り抜けていく妖力が、花子の全身をちりちりと刺激する。

 

「妖弾……、じゃない」

 

 速さのあまり分からなかったが、あれは妖弾などではない。妖力を纏い風の化身となった、文自身だ。

 風を支配する天狗の力、「幻想風靡」。圧倒的な妖力の前では、手の込んだ小細工など全て無に帰すだろう。

 瞬く間に遠くまで移動してしまった文が、急激に方向転換をし、再びこちらを向く。花子が身構える暇もなく、距離は一瞬でなくなった。

 無理な姿勢での回避が、脇腹に痛みを生む。しかし、無視するしかない。文はもう、体勢を崩した花子を捉えんと迫っているのだ。

 通り過ぎ、振り返り、再び迫る。その間はほんのわずかしかなく、花子は考える余裕もなく勘でかわすしかなかった。

 大きく体を仰け反らせ、その背中すれすれを文が通過する。刹那に吹き荒れる風が、花子を吹き飛ばした。

 

「まっ――ずい!」

 

 思わず叫んでしまいながら無理矢理体勢を固定し、すぐに宙返り。さきほどまで足があった部分を、射命丸文という暴風が通り抜ける。文の姿はわずか一瞬しか目視できず、表情など分かるはずもない。

 回復したと思った体力は、あっという間に奪われていく。息をつく暇もなく襲ってくる文から視線を外せず、集中力も今までで一番求められた。

 時間が長く感じられる。もうとっくに数分が過ぎているようにすら感じられたが、実際は五秒と過ぎていなかった。

 

 真下から文が接近する。後退してやり過ごし、突風にも負けずに瞼を開け、文から目を離さない。

 上空に飛んだ文を見上げ、花子は小さい舌打ちをした。昼の太陽は天高く、文が逆光となってよく見えないのだ。文の妖力と風の音、そして花子の勘で避けるしかない。思考を止め、その場から急いで移動する。

 一瞬だけ文に背を向ける形となり、すぐに振り返る。反応の遅れは刹那とはいえ、文のスピードの前では致命的といえた。

 落下の慣性を殺し、急激な方向転換をした文が、一瞬で間合いを詰めてくる。花子は咄嗟に、下方へ移動した。文はひたすら真っ直ぐ進み、やがてまたこちらへ振り返る。

 

「やっぱり、そうなんだ」

 

 花子は見抜いていた。このスペルでは、文は真っ直ぐしか飛べない。花子の背中を追いかけることができないのだ。

 文が使った二枚目のスペルの強化タイプか。そんな考えが脳裏をよぎったが、それとはまったくレベルが違うことを、花子はすぐに思い知る。

 ただでさえ速い文の速度が、さらに上がった。もはや目で追える代物ではない。彼女は花子への狙いを一旦逸らし、自ら山の木々に飛び込んでいった。木がなぎ倒されるような轟音が聞こえ、文はすぐに空へと現れる。

 大量の、木の葉を引っさげて。森の木々から奪い取った葉が妖弾となり、文が飛ぶ軌跡に沿って巻き上げられる。

 視界が不明瞭になるばかりか、葉そのものに当たってもいけないのだ。回避する対象が増え、花子はどこを見たらいいのか、いよいよ分からなくなった。

 

 葉の妖弾に注意を払いつつ、風の音に耳を澄ます。真横、右側面だ。舞い落ちる葉のことも考えると、前進以外に避ける道がない。

 前に進み、同時に花子がいた場所を凄まじい風が通り抜ける。落下する葉が再び舞い上げられ、それらを回避しながら、すぐに文を目で追った。

 最初とは明らかに速度が違う。こちらに戻ってくるまで、一瞬しかない。文が通るたびに葉が上空へ運ばれるため、葉の妖弾は一向に減らなかった。花子の精神力は一気に削れていく。

 

 呼気が漏れる。文は目前。さらに、頭上と四方を囲むように葉の妖弾が舞っている。

 文の下を潜るように避け、その先にあった葉に当たらないよう注意しながら、さらに体を右に捻る。もう接近していた文の妖力が体をかすり、セーラー服の脇腹が破れた。

 危なかったが、まだ被弾ではない。安心している暇もない。

 上からの轟音。抉るような角度での体当たりだ。風に葉が吹き飛ばされ、文のために道を開けているかのようだった。

 

 花子の周りに浮いている葉の数は、相変わらず多い。下手に回避行動を取れば当たってしまう。

 文が落下に入った。考えている時間はない。花子は迷わず、文へ向かって飛び上がった。

 ほぼ博打であったが、なんとか間に合う。葉の囲いから脱出し、激突寸前でわずかに身をそらし、文だけを回避した。

 

 スペルの残り時間、あと五秒。

 頬を汗が伝う。葉を避けることには慣れたが、迫る文の気配が恐ろしい威圧感を持っていた。

 

 四秒。

 高速で接近する文が纏う妖力は、さらに大きくなる。かなりの距離を取って回避したというのに、花子の背筋を悪寒が走る。

 

 三秒。

 落ちてくる葉に遮られ、文の姿が見えない。音と気配を頼りに、体を右に傾ける。怒涛の風が、空を切る。

 

 二秒。

 攻撃が止んだ。スペルが終わったのかと錯覚したが、葉の妖弾は健在だ。不気味な静寂が花子を包む。

 

 一秒。

 膨れ上がる妖力。真後ろ、それもすぐそばだ。花子はこの時になってようやく、最後の最後で油断したことを知った。

 振り返る暇もなく、背中にとてつもなく強い衝撃が襲う。文の妖力が爆散し、木の葉が連鎖的に砕け散っていく。

 

「かはっ――」

 

 花子、スペルに被弾。三点減点し、持ち点は、〇点。

 

 修行の果てに挑んだ決闘は、花子の敗北に終わった。

 しかし、花子はそれを理解することすらできなかった。息ができないほどの鈍痛は、花子に残っていた最後の力を完全に奪い去ってしまったのだ。

 落下しかけていた花子は、文に横抱きにして受け止められた。痛みがわずかに和らぎ、途端に気が遠くなる。

 体力も、妖力も、気力までもを使い果たした花子の視界は、徐々に黒く染まっていく。

 

「訂正するわ、花子。あなたは――とても強かった」

 

 文が零した称賛は、闇に塗られる花子の意識に溶けていった。

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