かちこめ! 花子さん   作:ラミトン

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そのじゅうろく 恐怖!悲鳴飛び交う妖怪寺!

 

 

 

~~~

 

 

 太郎君へ

 

 

 お元気ですか? 花子は今日も元気です。

 

 私ね、久しぶりに、おトイレで驚かすことに成功しました!

 

 うん、成功……だったと思う。ちゃんと花子さんをやれたし、相手の子もすっごく驚いてくれたもの。

 

 その後すぐに、私もその子も気絶しちゃったのだけれど……。あ、怪我とかはありません。本当に元気だよ、心配しないでね。

 

 太郎くんも、声の大きい子供には注意してね。壁とかドアとか、壊れちゃうかもしれないから。相手が人間なら、大丈夫だと思うけどね。

 

 そういえば、さっき変な視線を感じたの。どこからか見られてるような気がしたんだ。手紙のお姉さんが来たら、消えちゃったのだけど。

 

 心配だから、今日は手紙のお姉さんと一晩中お話することにしました。今も一緒にいるんだよ。

 

 太郎くんに直接手紙を届けてみたいって言っているから、いつか太郎くんもお姉さんに会う日が来るかもね。

 

 それじゃ、またおたよりします。元気でね。

 

 

 花子より

 

 

~~~

 

 

 

 ぴたり、ぽたりと水滴が落ちる。肌を撫でる空気が冷たいのは、冬に近づきつつある季節のせいだけではないだろう。

 厠とは、そういうものなのだ。いつも寒く、暗く、どこか不気味。いつかは必ず訪れなければならない強制力もまた、その薄気味悪さに拍車を掛けている。

 自身の能力である固有空間に身を潜めつつ、花子はじっと獲物を待つ。トイレの中にだけ作れる自分だけの結界を作るのも久々だが、それ以上に厠で誰かを驚かすことに、懐かしさすら覚えていた。

 思えば、紅魔館でレミリアを驚かしてからというもの、トイレで誰かを襲った記憶がない。自分の特徴を忘れてしまう前に獲物にありつけたことは、幸運と言えるだろう。

 変化(へんげ)のために妖力を練りつつ、花子は結界から今いるトイレを見回した。とても丁寧に掃除されていて、夏の間もかび一つ生えていなかっただろうことは、想像に容易い。忍び込む際に掃除用具も拝見したが、こちらも使い込まれている割りに綺麗なものだった。

 学校のトイレとは手入れの質が違う。寺の厠とはかくも美しいものなのかと、花子は腕組みをしつつ唸った。

 

 ここは人里の近くにある、命蓮寺(みょうれんじ)なるお寺だ。霊夢のお仕置きから立ち直った後、主人である藍に手を引かれて帰る橙を見送り、花子は小傘についていく形でこの寺を訪れた。

 裏の墓地に向かう小傘から、最近この寺に臆病な山彦が入門したという話を聞いたのだ。花子はその山彦に狙いを絞っている。特徴は、垂れた犬の耳。妖怪のくせに、夜一人でトイレに行くのが怖いらしい。おかしな話ではあるが、花子にとっては最高の獲物だ。 

 空気を取り込む小窓があるだけの厠は、ただでさえ暗い。それが真夜中ともなれば、夜目が利く妖怪でなければ視界は闇に閉ざされてしまうだろう。

 

「……む」

 

 きしむ音を立てて、木製の扉が開いた。蝋燭の先端に灯る小さな火が、ぼうと厠を照らす。

 体を小さく縮こまらせて、怯えきった顔で厠の中を見回すのは、見た目は花子と同じか少し上の年齢に見える少女。緑青色の髪から覗く垂れた大きな犬耳は、彼女の感情に同調するかのように震えている。

 小傘が言っていた山彦だろう。花子にとってこれほど美味そうな標的は中々いない。レミリアよりも、ずっとやりやすそうだ。

 しばし躊躇した後、山彦の少女は厠の扉を閉めた。蝋燭を片時も放したくないらしく、片手でいそいそと寝巻きのズボンを下ろす。

 相手が服を脱いでいる時が、花子の準備時だ。相手は女の子なので、恥ずかしい場面を直視するのはさすがに申し訳ないという思いもある。

 

「うぅ……怖いなぁ」

 

 呟きながら、少女がしゃがみこむ。彼女が用を足している間に、花子は空間ごと扉の上方に移動した。

 静まり返る厠で、山彦の少女はきょろきょろと何度も周囲を確認している。お化けか何かを警戒しているのだろう。

 暗闇で変化(へんげ)を終えた頃、事を片付けたらしい少女が立ち上がった。そそくさとパンツとズボンをはいて、蝋燭を手に厠の扉へと振り返る。

 恐怖からの解放を夢見る少女が、扉に手をかける。その瞬間、花子は動いた。

 空間から逆さ吊りになって、少女の目の前にぶら下がる。お互いの顔は息がかかるほど近い距離。変化(へんげ)の妖術で虚空となった眼窩を、山彦の少女に向ける。

 ずるりと天井から這い出た化け物に、少女が放心する。口を半開きにして、思考が停止しているようだ。

 蝋燭に照らされた今の自分の顔は、きっと花子自身も怖いと感じることだろう。内心でくすくすと笑いながら、花子はかすれて消え入りそうな声で、

 

「た――すけ――て――」

 

 一瞬呆けていた少女の目じりに、涙が浮かぶ。顔を恐怖に引きつらせ、理性が飛ぶまでもう数秒とないだろう。

 とどめの一撃。花子は変化(へんげ)で骨と皮だけになった細長い指で、少女の頬を撫でた。とても柔らかく、ずっと突いていたくなるような頬だ。

 赤黒い唇を大きく丸く開けて、冷たい息を吐き出す。死人が吐き出したような呼気を顔に受け、少女の感情は限界に達した。

 

「ひっ……いっ――」

 

 その後のことは、理解できなかった。

 少女が悲鳴を上げたことは間違いない。しかし、聞こえた声と花子の歓喜は一瞬、少女から――正確には少女の口から――放たれた衝撃波が、花子ごと厠の壁や扉を吹き飛ばし、外に躍り出た悲鳴は寺の雨戸をもぶち抜いて、真夜中の幻想郷に響き渡り――

 花子はその日、音の破壊力を知ったのだった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

「馬鹿か君は!」

 

 怒りのあまりひっくり返った怒鳴り声に、花子はびくりと体を震わせた。

 今の言葉は自分に向けられたものではないのだが、矛先がいつこちらに向くか分からない以上、黙って畳を見つめているしかない。

 

「こんな真夜中に、あんなわけの分からない悲鳴を上げるなんて! 人里から苦情がきているんだぞ、響子!」

「ご、ごめんなさい」

「ごめんなさいで済むもんか。(ひじり)とご主人を謝罪に出させて、恥ずかしいと思わないのかい!?」

 

 響子というらしい山彦の少女を頭ごなしに叱る声の主は、大きなネズミの耳と同じくネズミの尻尾を持つ妖怪少女だった。

 厠から一番近い部屋にいたらしい彼女は、響子の悲鳴とそれによって発生した破壊音の被害者といえるだろう。廊下と厠に転がる花子と響子を見つけたのも、彼女だ。

 

「うちに入門してきてから、どうにもみんな甘やかしすぎると思っていたんだ。全く、妖怪のくせに夜の便所が怖いなんて。笑えない冗談だよ」

「だって、私はナズーリンと違って、お昼に起きる妖怪だもん」

「そういう問題じゃない! いいかい、君が臆病者なのは知っていたけどね、だからといって聖やご主人や私に迷惑をかけていいわけじゃないんだよ。住み込みでがんばるって言うから、少しは根性があるのかと思っていたのに。でかいのは声だけじゃないか。

 一輪と村紗だって、今頃お詫びの菓子折りを準備しているんだ。ぬえとマミゾウは見事に寝てるらしいけど、あいつらは例外として――」

 

 自分の失態に涙を浮かべて反省する響子に、ネズミ妖怪のナズーリンは容赦なく言い放った。

 

「後でみんなにちゃんと頭を下げて謝罪すること。厠と周りの修繕も君がやるんだよ。大工道具くらいは準備してあげるから、ありがたく思うんだね」

「で、でも私、大工仕事なんてやったこと……」

「ないからなんだっていうんだい。君が壊したんだから君が直す。当たり前じゃないか。あぁ、厠はみんなも使うんだ。できるだけ早く――朝までには直すんだ。いいね」

「そんな無茶な! 私一人じゃ無理だよ」

「二人いるじゃないか。そこの冴えないおかっぱ頭も使いなよ。元はといえば、彼女が原因なんだからね」

 

 ついにきた。花子は口をつぐんで、じっと身を固めた。それでも失礼にならないよう、一応顔を上げる努力はしてみせる。

 小刻みに震えている響子の犬耳とは対照的に、ナズーリンの丸い耳からは感情が読みにくい。しかし、赤い瞳を半眼にして、癖のあるチャコールグレイのセミロングを指でいじる彼女は、酷く不機嫌そうに見えた。

 

「君、名前は」

 

 見た目だけならば響子や花子と大差ない背丈のナズーリンだが、高圧的な口調がやけに似合う。すっかり威圧されて、花子は小さな声で答えた。

 

「御手洗花子……です」

「花子。はん、単純な名前だね。まぁいいや、分かっていると思うけどね、花子とやら。君にも便所の修理を手伝ってもらうよ。夜明けまでにだ。できるね? いや、できるかどうかはどうでもいい、やるんだ。やってもらわなくちゃ困る。ご主人達にこれ以上迷惑をかけられちゃ、たまらないからね」

「……ごめんなさい」

「謝るのは後でいいよ。私だけじゃなく、うちの住人みんなに謝罪してもらわなきゃならないしね。あぁ、そうじゃなきゃ私の気が済まないよ、まったく!」

 

 皆が寝静まる夜中こそが、夜行性のナズーリンにとって心休まる一人の時間なのだ。それを邪魔されたのだから、恐らく誰よりも腹を立てているのだろう。

 とはいえ、花子は機嫌良く微笑を浮かべているナズーリンを想像することが、とても難しく思えた。彼女はどんなに上機嫌であっても、決して顔には出さないような気がするのだ。

 大工道具を取ってくると、ナズーリンは畳を踏み鳴らしながら部屋を出て行った。静まり返る室内で、花子は今すぐ逃げ出したい気持ちに駆られる。

 妖怪としての仕事とはいえ、こんな大事になるとは。申し訳なさで一杯になり、まず響子へと頭を下げた。

 

「あの、ごめんね。私、ちょっと脅かすつもりだったのに、なんだか大変なことになっちゃって……」

「ううん。あなたも妖怪だもんね、ちゃんとやることはやらないといけないんでしょ?」

「ま、まぁ……。怒ってないの? あなたをびっくりさせたし、こんなことにもなっちゃっているのに」

 

 上目遣いに恐る恐る見上げると、響子はわずかに苦笑を浮かべながら首を横に振り、

 

「気にしないで。すっごい怖かったけど、あんなみっともない大声出しちゃった私も悪いし。それに、妖怪が妖怪らしいことをするのは、悪いことじゃないよ」

「あう、優しくされると辛いなぁ……」

 

 いっそ叱ってくれたほうが、気が楽だ。それはそれで、辛いことに変わりはないのだが。

 少し立ち直ったらしい響子は、肩の力を抜いて溜息をついた。

 

「私もね、人の大声に叫び返す山彦の仕事をしてたんだけど、だんだん『山彦は音が反響しているだけ』なんて言われるようになっちゃって、なんだか空しくなって……。それで仏門に入ることにしたんだ。だから、妖怪の仕事をちゃんとしたいっていう、あなたの気持ちは分かるよ」

「そっか。うん、そう言ってもらえると助かるかな」

 

 ようやく緊張がほぐれて、花子は強張っていた表情を緩めた。

 改めて響子の顔を見ると、緑色の瞳はくりくりと、普段は活発な少女なのだろうと花子に思わせる。

 正座は崩さず、それでもいくらか楽な姿勢で、響子がにっこりと笑みを浮かべた。

 

「花子、だっけ? 私、幽谷響子(かそだにきょうこ)。よろしくね」

「こちらこそ。でも、本当にごめんね。おトイレの修理、本当は私一人でやるべきなのに」

「壊したのは私だもん、花子が手伝ってくれるだけでもありがたいよ。それに、ナズーリンに目をつけられたのが運の尽きってね」

 

 肩をすくめ、響子がおどけて見せる。

 

「普段は興味ない振りしてるけど、いっつも私に説教するタイミングを見計らってるんだよ。横目でチラチラこっち見ながら、(しょう)様や(ひじり)様の目を盗んでは、私にグチグチグチグチ言ってくるの」

「あは、そうなんだ。たまにいるよねぇ、そういう人。言っていることは正しいんだけれど、なんていうか、今言わなくてもいいのにーって思うよ」

「そうそう。自分のことは棚に上げて、あれがなってない、これができてないってさ。がんばって直そうとしてるのに、根性が足りないなんて。大きいのは声だけだなんて、私は山彦なんだから、声が大きいのは当たり前なのにね」

 

 日頃から鬱憤が溜まっていたのだろうか。響子はやれやれと眉を寄せて、次から次へと愚痴をこぼし始めた。

 

「今回だって、私と花子が悪いのは分かるけど、二人で朝までに全部直せなんて、無理に決まってるよ」

「う、うん、まぁそうだけど……」

「でしょ? 自分がやれって言われてたら、適当な言い訳して逃げるに決まってるのに。自分が悪くてもそうするんだよ、ナズーリンは。星様か聖様に言われたらやるけど、それが一輪さん達だったら、大体私に押し付けるんだから。酷いと思わない?」

「そうだね、でも、あのね響子」

「それだけじゃないんだ、聞いてよ花子。今は住み込みだけど、通いでここに来てた時なんて、ナズーリンは『君は掃除の仕方がまるでなってない、きっと家もゴミ屋敷なんだろうな』って笑ったんだよ! 私綺麗好きなのに、あれは本当に頭にきたんだ。だから、小傘と一緒にこっそりナズーリンのチーズをくすねてやったの。真っ赤な顔して探してる姿は、おかしいったら」

「ねぇ響子、その、そろそろ――」

 

 冷や汗をかいている花子の制止を、響子は聞き入れなかった。人差し指を立てて、さも楽しそうに、

 

「いっつも『響子の声は大きすぎる』だなんて言ってるけど、ナズーリンの耳が大きいだけなんだよね。他の人には怒られないもん。無駄に地獄耳なんだから、あのネズミ」

「きょ、響子……あの……」

「私にだけしか八つ当たりできないんだよ、あの人。いっつも私にばっかり偉そうにしてるんだから」

「ふぅん、そうかい。それは大変な日々を送っているんだね」

 

 人差し指を立てた姿勢のまま、響子が固まる。最後の声は、彼女の背後――つまり、花子にとって視線の延長線上から聞こえてきたのだ。

 そちらを直視することはできなかったが、花子はだいぶ前から、そこに悪口の中心人物であるナズーリンが立っていることに気がついていた。ちょうど、面倒ごとを響子に押し付けるといった話の辺りからだろうか。

 畳の上に音を立てて大工道具を置き、ナズーリンは響子の肩にかなり強めに手を置いた。叩いたと表現したほうがいいかもしれない。

 

「ひっ」

 

 響子の体が文字通り飛び上がる。しかし、ナズーリンの顔はぴくりとも動かない。見事なまでの真顔が、花子には阿修羅も裸足で逃げ出すような恐ろしい顔に思えた。

 肩を掴む小さな手には、青筋が浮かんでいる。痛みと恐怖で響子の顔が真っ青になっていくが、花子には彼女に助け舟を出す勇気などなかった。

 

「響子」

 

 淡々とした、温度をまるで感じさせない声。そのくせ怒りだけはしっかり篭っている。花子はもう、そちらを見ていられなかった。

 

「ご……ごめんなさい、ごめんねナズーリン」

「君が私をどう思っているのか、よぉーく分かった。私はいい先輩になろうなんて思っちゃいないが、それでも君のためを思って、したくもない説教を垂れてきたんだ」

「う、うん、分かってるの。ただね、ちょっとだけ愚痴りたかったというか」

「あぁ、分かる。よく分かるさ。私だってご主人や聖と過ごしていて鬱憤が溜まることもあった。誰かに話したい気持ちも理解できるよ。だけどね」

 

 肩から服の襟に手を伸ばし、ぐいと掴んで、ナズーリンは妖怪の腕力で響子を無理矢理立ち上がらせた。

 チーズだ。花子はどうしてか、悟ってしまった。彼女はチーズを盗られたことを、とても怒っているのだ。

 

「そういう愚痴は、私の耳に届かないところで言うんだよ!」

 

 開かれた廊下への襖に向かって、ナズーリンが響子のお尻を蹴り飛ばす。これ幸いとばかりに厠の方へと逃げる響子。

 今も正座したまま固まっている花子へと、ナズーリンの赤い瞳が向けられた。工具箱を押し付けられて、

 

「君も、さっさと行く! 夜明けまで、時間があると思うな!」

「は、はいぃっ!」

 

 転びそうになりながらも、花子は大慌てで廊下へと駆け出した。

 厠の前に辿りつくと、響子が壁の向こうのナズーリンに向かってあかんべいをしていた。反省はしているのだろうが、彼女も中々懲りない性分らしい。

 崩壊した壁や厠は、何から手をつければいいのか分からない有様だった。とりあえず使用頻度の高い厠の壁から直そうと、二人で修理の手順を決める。

 工具箱から金槌を取り出し、壊れた板を拾い上げたところで――

 

「あぁ不愉快だ、何もかも! まったくもぉぉぉ!」

 

 甲高いネズミ少女の叫びを、花子と響子は聞かなかったことにした。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 結局、厠付近の修理は昼過ぎまでかかってしまった。ところどころ雑なのは否めないので、最終的には業者に頼むことになるのだろう。

 花子は今、響子と一緒に参道を掃除している。響子が毎朝行っている日課らしい。もう昼をだいぶ過ぎているが、それでも中止はしないようだ。

 

「ぜーむー」

「ぜーむー」

「とーどーしゅー」

「とーどーしゃー?」

「しゅー」

「しゅー」

 

 毎日読経しているらしい響子に続く形で般若心経とやらを初めて唱えている花子だが、仏教どころか宗教とも程遠い小学校暮らしだった彼女には、不思議な呪文としか感じなかった。

 そもそも、花子は仏教とはどういったものを教えているのかすら分からない。なにやら仏様がありがたいことをしてくれる、という非常にアバウトな認識だった。

 お寺の参道は、掃除をしたからというだけではない清潔感に包まれている。ただ立っているだけで、不思議な解放感に満たされるのだ。響子が仏門に入った理由が、花子にもなんとなく分かった気がした。

 一通り落ち葉を集め終え、二人がかりで袋に集めたところで、響子が大きく伸びをした。

 

「ふぅー、綺麗になった」

「葉っぱ、いっぱい集めたものね」

 

 満足そうに、落ち葉の消えた参道を眺める二人。花子も手伝ったとはいえ、毎日やっているだけあって、響子の箒がけはとても上手だった。花子の倍以上の速度で、あっという間に落ち葉を片付けてしまったのだ。

 綺麗好きとはいえ、花子のテリトリーはトイレだ。モップがけには自信があるが、箒にはあまり縁がない。これからは落ち葉集めをやることも増えそうなので、響子の動きはしっかり見習おうと心に決めた。

 

「……さて」

 

 一息ついて、響子はわずかに目を伏せた。できればこの時間には来てほしくなかった、とでも言いたげな顔だ。

 その理由は、花子にも分かる。参道を掃除している途中で、セーラー服を着た黒髪の活発そうな少女に、「掃除が終わったら聖のところに行くんだよ」と言われていたのだ。

 聖なる人物が誰なのか、花子は知らない。だが、その時に浮かべた響子の表情で、とても偉い人なのだろうことは分かった。

 昨晩のことを、怒られるのだろうか。悪いのは自分達なので、花子も響子も掃除をしながら覚悟を決めてはいたが、やはり怖いものは怖い。

 

「いこっか、花子」

「うん」

 

 掃除用具を倉庫にしまい、二人は幾分重い足取りで、寺の中に向かった。

 改めて歩いてみると、木目張りの床はとても綺麗に磨かれていた。柱や壁も丁寧に掃除されていて、この寺の住人はとても綺麗好きなのだということが伺える。

 もしかしたら全部響子がやらされているのではと思ったが、本人に尋ねたところ、

 

「私一人で? それはさすがに無理だよー」

 

 と笑われてしまった。新人だからと、こき使われるようなことは――ある先輩を除き――ないらしい。

 襖に区切られた屋内は意外と広く、見た目も似たような部屋ばかりなので、花子だけで歩いていたら迷ってしまうだろう。

 しばらく歩いたところで、響子が足を止めた。ふぅ、と小さく深呼吸して、彼女は襖越しに中へと声をかける。

 

「聖様、響子です」

「お入りなさい」

 

 ちらりと、響子がこちらを見てきた。花子も意を決して頷き、襖を開ける。

 その部屋は、他の部屋と変わらない広さだった。それでも花子が息を呑んだのは、そこにいた人物が原因だろう。

 

「どうぞ」

 

 微笑みながら入室を促す、その女性。

 紫のグラデーションが入った長い金髪は、緩やかにウェーブがかかっていて、まるで月光に照らされた海辺のよう。黄金の瞳は慈愛に満ちていて、見つめられるだけで心が溶けてしまいそうだ。

 白と黒の色調でまとめた服装は、一瞬魔理沙を彷彿とさせたが、彼女に比べると遥かに落ち着いたドレスだった。

 人も妖怪も等しく救う、絶対平等主義者の大魔法使い。彼女の名を、聖白蓮(ひじりびゃくれん)という。

 

「失礼します」

 

 一礼して、響子が部屋に入る。慌てて頭を下げ、花子もそれに続いた。

 どうやら自分達のために用意されたらしい二枚の座布団に、それぞれ正座する。妙に畏まってしまい、花子は後ろに倒れてしまいそうなほど背筋を伸ばしていた。

 心配そうにこちらを見やる響子の視線にも気付かないでいると、白蓮は手を口元に当てて失笑し、

 

「花子さん、といったかしら。楽にしていいのよ」

「は、はい」

「ふふ、うちに来たばかりの頃の響子にそっくりね」

 

 恥ずかしげに頭を掻く響子。柔らかな雰囲気に、花子もいくらか肩の力を抜くことができた。

 尼のような格好をした少女――後に、雲居一輪(くもいいちりん)という名前だと聞いた――がお茶を運んできてくれてから、白蓮はようやく本題を切り出した。

 

「さて、昨晩の話、ナズーリンから聞きました」

 

 よりにもよって、ナズーリンか。花子と響子はそろって下を向いて、ばれないように舌打ちをした。

 すぐに顔を上げると、白蓮の瞳は真っ直ぐ花子に向けられていた。主な原因は響子ではなくこちらにあるのだから、花子も萎縮してしまう。

 

「花子さんは、どうしてお手洗いで響子を襲ったのかしら」

「えっと、その……。私は外の世界で、『トイレの花子さん』という妖怪――お化けだったんです。学校のトイレで子供を驚かす妖怪だったんですけど、幻想郷には学校がないから、もうトイレだったらどこでもいいやって……」

「この寺を選んだ理由、聞いてもいい?」

 

 白蓮の口調に棘はないが、それでもぶれない真面目さが感じられ、花子はますます肩を縮こまらせた。

 

「こ、小傘に、教えてもらいました。唐傘のお化けで――」

「小傘ねぇ。あの子のことだから、悪気はないのでしょうけど」

 

 苦笑と共に、白蓮が溜息をつく。どうやら面識があるようで、小傘の天然ボケっぷりも知っているようだ。

 

「妖怪が誰かを驚かすなとは、言えません。それがあなたの存在意義ならば、厠での一件も致し方ないことなのでしょう。ただ、うちのように壁が薄い家屋では、近くの部屋に迷惑がかかるだろうことも考えなければいけませんよ。ナズーリンはカンカンで、なだめるのに苦労しました」

「す、すみませんでした……」

「あの子の癇癪にも困ったものですけど、次は極力、襲う人だけを驚かすようにしてくださいね」

 

 穏やかに、しかしはっきりと釘を刺してから、白蓮は響子に向き直る。

 

「さて、響子」

「はい……」

 

 何度も話をしたり食卓を囲んだ仲であっても、命蓮寺の頂点に立つ白蓮のお叱りだ。名前を呼ばれただけで、参ってしまっているらしい。

 花子には、ただでさえ小さい響子の体が、さらに小さくなっているように見えた。

 

「あなたの大きな声、私はとても好きですよ。元気な挨拶は、心が洗われる気持ちです」

「あ、ありがとうございます」

「ですが、昨晩の悲鳴。怖がりなあなたのことだから、花子さんに驚かされてびっくりするのは仕方ないと思っています。でもね、それでももう少しだけ、抑えられたんじゃないかしら。もう五十年も生きているんだから、夜中のお手洗いは克服しないといけませんよ」

「うぅ、返す言葉もありません……」

 

 臆病な性格は、誰よりも響子自身が直したいと思っているのだろう。申し訳なさそうに、白蓮に頭を下げている。

 

「お手洗いの修理は、とりあえずあれで良しとします。謝罪のついでに、人里の大工さんに綺麗に直していただけるよう頼んでおきました」

 

 自分達のせいで、とんでもない手間をかけてしまった。花子と響子はそろって俯き、しゅんと静まり返ってしまう。

 二人の様子があまりにもそっくりため、白蓮が思わず笑みを零す。はっきりと反省の色を浮かべる少女達に、白蓮は両の掌を軽く打ち鳴らした。

 

「さて、お説教はお終いにしましょう」

「え、もうですか?」

 

 あまりに短いものだから、花子は思わずそう訊ねてしまった。まるでもっと説教してくれと言わんばかりの物言いだ。響子の「何を余計なことを」という非難の視線に気付き、慌てて口を押さえる。

 しかし白蓮は、とうとう堪えられなくなったのか、わずかに声を上げて短く笑い、

 

「私は、星ほど説教好きじゃありませんからね。あ、今の話、星には内緒ですよ」

 

 唇に人差し指を当てて、白蓮が悪戯っぽく呟く。釣られて笑ってしまい、花子と響子はようやく説教から抜け出したのだという安堵感を味わった。

 ふと見れば、障子から差し込む光が赤くなっていた。つい先ほどまで昼下がりだったというのに、冬が近づく太陽は、早々に身を隠し始めている。

 さすがに迷惑をかけたその日に、宿を借りるような真似はできない。花子はお茶をきちんと飲み干してから、いそいそと立ち上がった。

 

「あの、私、そろそろお暇します。今日は本当にすみませんでした。他の皆さんにも謝りたかったんですけど……」

「いいんですよ。皆には、私からあなたの言葉を伝えておきます」

「もう行っちゃうの? もっとゆっくりしていけばいいじゃない。なんなら、私の部屋に泊まっていきなよ」

 

 白蓮はこちらの心中を察してくれたが、響子には伝わらなかったようだ。命蓮寺の面子で一番後輩となる彼女にとって、同じ目線で会話をできる相手は貴重なのかもしれない。

 しかし、今日は無理だ。響子の誘いは素直に嬉しかったが、花子は苦笑しつつ、頬を掻いた。

 

「また、今度来るね。次は、ちゃんと玄関から挨拶して入るよ」

「そうしてくれるなら、私達もきちんとおもてなしするわ。お手洗いも綺麗にしてね」

「楽しみにしてます」

 

 白蓮と冗談など交わしながら、リュックを背負う。

 響子は今も残念そうな顔をしているが、花子の出立は白蓮も納得しているので、それ以上引きとめようとはしなかった。

 

「私はまだ少し私用が残っているから、ここで失礼するわ。響子、花子さんをお見送りしてちょうだいね」

「はぁい、聖様」

 

 座布団から立ちあがった響子は、花子より先に廊下へと出ていってしまった。

 響子を追いかけようとしたが、もう一度白蓮に詫びたほうがいい気がして、花子は立ち止まった。しかし、これ以上言葉のやり取りを繰り返すのも、無駄な時間になってしまうだろうか。

 結局、白蓮へと向き直り、数秒間、深々と一礼した。白蓮も軽く礼をして返事としてくれたので、花子は顔を上げてから、

 

「それでは、さようなら」

「またいつでも、いらしてね」

「はい!」

 

 元気に返事をして、花子は廊下に出た。待ってくれていた響子と共に、寺の玄関へ向かう。

 参道に出てみれば、ちらほらと人間の姿も見える。妖怪だらけの寺だというのに、なんとも不思議な光景だ。もっとも、人里にも妖怪が当たり前のように出入りするのだから、珍しくないといえばそうなのだが。

 寺の門を通り抜け、街道に出たところで、響子と別れる時間となった。しつこいかとも思ったが、花子はそれでも響子に向かって、小さく頭を下げ、

 

「響子、ごめんね。あんな驚かし方して」

「いいよいいよ、もう謝らないで。それより、きっとまた遊びに来てね。今度はみんなにも、花子を紹介するからさ」

「うん。また般若心経、教えてね」

「もちろん!」

 

 またねと挨拶を交わしてから、花子は歩き出した。

 夕日はさらに深く体を隠し、空はもう夜の色が濃くなっている。

 今から泊まる場所を探すのは難しいだろうが、まだ冬ほど寒くはない。適当な岩か木で風を凌げれば、一晩くらいの野宿は大したことないだろう。

 夕暮れの街道で、花子は何度も命蓮寺を振り返り、大きく手を振った。響子の大きな声が、ずっと花子の背中を追いかけてきたからだ。彼女の元気いっぱいな声は、花子にまでエネルギーを与えてくれる。

 響子に会うために、彼女の声を聞くために、また必ず命蓮寺を訪れよう。花子の旅の目的地に、新たな名前が刻まれた。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 日が暮れかけた街道に、響子の声が響いている。またねだとか、ばいばいだとか、似たような言葉を何度も繰り返していた。

 響子の声がやかましいのは、今に始まったことではない。彼女の大きな声は、もう大して気にならない。

 ただ、彼女が叫んでいるその対象。ようやく見つけたその妖怪に、封獣(ほうじゅう)ぬえは命蓮寺の屋根の上から、真紅の瞳をきらりと輝かせた。

 黒のショートボブと、歪な形をした赤と青の翼。黒いワンピースを纏い、足を覆うニーソックスもまた黒だ。靴だけは赤く、彼女にとって一番のおしゃれでもあった。

 正体不明を司る、千年を生きる太古の妖怪。長らく封印されていたが、彼女こそが正真正銘伝説の、(ぬえ)である。

 

「あいつが……花子ね」

「ずっと探しとったが、まさか向こうから来るとはのう。しかしおぬし、ずいぶんとあの(わっぱ)に固執しとるようじゃが、なんぞ恨みでもあるのかえ?」

 

 傍から聞こえたその声は、喋り方こそ年寄りのようだが、まだ若い女のものだ。そちらを横目で見やり、ぬえは口元を笑いに歪める。

 

「ちょっと違うかな、マミゾウ。恨みっていうより――」

「存在が気に食わん、じゃったか?」

 

 頭に乗せた葉っぱに触れる、相棒の化け狸――二ッ岩マミゾウが、物騒なことを軽く言ってのけた。

 しかし、その通りなのだ。マミゾウには何度となく話してきたその感情に、嘘はない。

 意気揚々と街道を行く御手洗花子なる少女の背中を、ぬえはじっと睨みつける。

 

「そうそう。あのチビに何かされたわけじゃないけど、私にとって、あいつは邪魔なのよ」

 

 瞳を鋭くさせて、冷たい声音で、呟いた。

 

「あいつの……『トイレの花子さん』という存在は、邪魔でしょうがないの」

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