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太郎くんへ
こんにちは。今日の花子は、とてもご機嫌です。
えへ、太郎くん。今の私ね、お姫様みたいなの。想像できるかな? 膨らんだスカートの、綺麗なドレスを着ているんだよ。
久しぶりに来た紅魔館は、相変わらず真っ赤でした。改めて中を歩いてみると、本当に大きいお家なんだ。学校ほどじゃないけどね。
大きなお庭や、プールまであって、ここが日本だってことを忘れてしまいそうでした。なんだか、夢の中にいるみたい。
今日はとっても楽しかったけれど、お姫様みたいな日は、しばらく続きそうです。
私ばっかり素敵な思いをしてなんだか申し訳ないけれど、この気持ちが太郎くんにも伝わっているといいな。
それでは、またお手紙書くね。お元気で。
花子より
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レミリア・スカーレットは幸福だった。
冬の冷たい空気が幻想郷に満ち始めたこの季節、新調したばかりであるふかふかの毛布に包まれ、ベッドの中で素敵な夢の中を漂っている。
真っ赤な満月の夜、自分を崇めるたくさんの部下を見下ろしながら、テラスで血のワインを飲むのだ。咲夜が用意した料理はどれもレミリアの好物で、山のように詰まれた納豆巻きやふんわりオムレツが並んでいる。いつもは小食で食べたいのに食べられない思いをしていたが、夢の中ではいくらでもお腹に入ってくれた。
一緒に食卓を囲むフランドールも生意気を言わず、とてもいい子でレミリアを慕ってくれる。パチュリーや美鈴も、レミリアは素晴らしい悪魔だと賞賛するのだ。
「う……ん、くるしゅうない……」
口元をむにゃむにゃとさせながら、レミリアは小さな寝言を呟く。溢れんばかりの幸せが、ほんの少し零れたのだろう。
しかし悲しいかな、それらはどう足掻いても夢なのだ。いずれ目が覚め、現実がやってくる。どれほど抵抗しようとも、夢を操る力を持たないレミリアは、いつか覚醒しなければならないのだ。
何本目か分からない納豆巻きを頬張ったところで、肩を叩く感触に意識を引っ張られた。
「お嬢様。レミリアお嬢様」
「むぅん……」
薄っすら瞼を開けると、そこにはレミリアが誇る完璧で瀟洒なメイド、十六夜咲夜がいた。その手は優しく、レミリアの肩をぽんぽんと叩いている。
「おはようございます、お嬢様」
「うぅん、なによぅ。今、何時ぃ?」
「午後の三時ですわ」
眠りについたのは朝方だったが、まだまだ寝足りない。普段の咲夜ならば、レミリアが勝手に起きるまで待ってくれるのだが。
どうして起こしたのかを訊ねようとして、レミリアはその理由を思い出した。同時に眠気もあっという間に引いていく。
「そっか、今日か」
「はい。まだいらしてはおりませんけれど、もう少しおやすみになられますか?」
「もういいわ。お出迎えの準備をしないとね。お着替えとって」
寝巻きを脱ぎつつお行儀悪く言うと、咲夜はそれを注意するでもなく、いつものドレスをよこしてくれた。
慣れた手つきとはいえ、レミリアが気に入っている服を着るのは時間がかかる。結局咲夜の手も借りて、五分ほどで着替えを終えた。
豪華なドレッサーの丸いチェアに腰掛け、青みがかった銀髪に櫛を通す。咲夜にやってもらっていることがほとんどだが、今日は自分でしたい気分だった。
昨日、どこからともなく現れたスキマ妖怪から受け取った手紙。花子からのもので、今日には紅魔館へやってくるという旨が書かれていた。レミリアの気持ちを躍らせるには、十分すぎる内容だ。
「お嬢様、ご機嫌ですわね」
後ろから鏡を覗き込む咲夜が言った。鏡に映る自分の顔は、確かにとても嬉しそうだ。
「うん、そうね。とてもいい気分だわ。今日は素敵な夢を見たの」
「それは羨ましいですわ。どんな夢だったのですか?」
「うふふ、秘密」
唇に人差し指を当てて振り返ると、咲夜は「あらあら」と小さく笑った。
髪の手入れを終え、いつものナイトキャップを被り、
「よし、完璧。咲夜、今日のおゆはんは人の血を使っちゃダメよ。花子は食べられないと思うわ」
「承知致しました。人間向けのお食事を用意しますわ」
「そうしてちょうだい。それから、紅茶やワインも血を混ぜてないやつにしてね」
「かしこまりました」
一礼する咲夜に、レミリアは満足そうに頷いた。
咲夜が用意してくれた紅茶を飲みながら、花子が来たら何をして遊ぶかを考えていたレミリアだが、ふと感じた振動に、眉を寄せる。
振動は徐々に近づいてきて、やがてドタバタとやかましい音を従え、部屋の前までやってきた。
音は、レミリアの寝室前で止まった。レミリアは自然と、耳を手で塞ぐ。
「お姉さま、起きてる!?」
扉を壊さんばかりに――実際何度か壊されたこともある――勢いよく開けて飛び込んできたのは、やはりフランドールだった。ブロンドヘアーは結っておらず、寝起きから手入れもしていないようで、下ろされた長い髪はあちこちに寝癖が跳ねている。服も寝巻きのままだ。
ぜいぜいと息を荒げるフランドールの頬は、わずかに上気していた。ここまで全速力で駆けてきたのだろう。廊下もめちゃくちゃになっているに違いない。
レミリアの自室は、紅魔館の最上階にある。フランドールは逆に、最下層である地下二階に部屋を持っていた。上に来てもいいと言っているのに、住み慣れた地下から離れようとしないのだ。
姉が起きているのを確認するや、フランドールはレミリアに駆け寄ってきた。
「花子は? もう来ちゃった!?」
「まだ来てないわよ。落ち着きなさいな」
「そ、そっか……。よかったぁ」
どうやら、寝坊したと思ったらしい。レミリアも今起きたところだが、心から安堵する妹の姿をとても可愛く感じた。
時間を操った咲夜がフランドールの服を持って現れ、それに着替えさせてから、レミリアはフランドールをドレッサーの椅子に座らせた。髪をいつものサイドテールに結ってやりながら、
「もうすぐ夕方だから、そろそろ来ると思うけれどね」
「そうなんだ。天狗と弾幕してた時は全然話せなかったんだもん。早く会いたいなぁ」
「私もよ」
フランドールにナイトキャップを被せてから、レミリアは咲夜へと振り返る。
「さてと……。パーティの準備をしましょうか。今日は私も手伝うわ」
「あら、助かりますわ」
「えぇっ、お姉さまも準備するの? 珍しいねぇ」
「今日は機嫌がいいの。ね、咲夜」
目配せすると、咲夜はにっこりと頷いてくれた。
こんなに特別な日に、あんなに素敵な夢を見たのだ。今日はきっと、想像もできないくらい素晴らしい一日になるに違いない。
その揺らがぬ確信は、レミリアが浮かべる満面の笑みに、たっぷりと現れていた。
◇◆◇◆◇
今日は霧がだいぶ晴れているが、白いもやがなくとも、紅魔館の威容は相変わらずだった。
花子が巡った学校よりも小さいが、その造りは細部まで豪勢で、そして何よりも赤い。とにかく赤い。
「はぁー……」
感心なのか放心なのか、花子は紅魔館の全容を見上げ、なんともいえない声を出した。
妖怪の山での一件ですっかり親近感が沸いたレミリア一派だが、こうして住居を見ているだけで、住んでいる世界が違うのではないかと思ってしまう。
ともかく、立ち止まっていても仕方がない。花子は「よし」と気合をいれて、紅魔館の正門に向かう。
門の前には、長身の女性が立っていた。紅魔館が誇る門番、
「こんにちは、花子さん」
「美鈴さん。こんにちは、お久しぶりです。この間は挨拶できなくて、すみませんでした」
礼儀正しくお辞儀をすると、美鈴は泡を食ったように手を振り、
「いやいや、気にしないでください。私はほら、妹様の付き添いみたいなもんでしたし。いやもちろん、決闘はしっかり見届けましたけどね。ともかくまぁ、大したことじゃないです」
「そ、そうですか?」
「そうですそうです。私は、お嬢様たちに新しいご友人ができたことが何よりも嬉しいんですから。さ、館にご案内しますよ」
門を開けて、美鈴が館に向かって先行する。
紅魔館の庭園には、たくさんの花壇があった。そのどれもが綺麗に整備されていて、赤い壁に覆われた庭園は、花子が見たどの学校の花壇よりも美しい。
美鈴の後ろを歩きながら、花子は訊ねた。
「あのぅ、魔理沙とか霊夢は、遊びに来ないんですか? なんだか、レミィ達と友達なのが特別みたいに聞こえましたけど」
「霊夢はほとんど来ませんねぇ。魔理沙はまぁ、割りとよく来るんですが……」
庭園中央の噴水を迂回しつつ、美鈴が苦笑する。
「正門から遊びに来るだけなら、お嬢様に通すよう言われているんですけどね」
「無理矢理入ってくるんですね。あは、魔理沙らしいや」
「来るたびに紅魔館の備品がなくなるのも、困りものです」
悪魔の館に人間が平然と遊びに来るのもどうかと花子は思ったが、人里の者は近寄ろうともしないこの屋敷に飛び込み、吸血鬼と遊んだ挙句物品を強奪していく魔理沙も、やはり普通ではない。
魔理沙は嫌われているわけではないようだが、咲夜や美鈴にとって、フランドールやレミリアの教育的にあまり安心できる友人ではないようだ。保護者の悩みは、人も妖怪も変わらないらしい。
「花子さんなら、レミリアお嬢様もフランお嬢様も、グレたりする心配はありませんから」
「悪魔も、不良になっちゃうんですか?」
「少なくとも、魔理沙を見習えば手癖は悪くなりますよ」
美鈴が肩をすくめる。魔理沙は花子にとってもいい友人なのだが、話を聞く限りでは、確かに見習うべきところを選ぶ必要がありそうだ。
館の扉に施された装飾がよく見える距離まで近づくと、大きな二枚扉が突然開いた。
飛び出してきた小さな影を見て、花子は身構える。もっとも、どれだけ踏ん張っても耐えられる自信はない。
「花子ぉぉぉぉ!」
「のわぁぁぁっ!?」
日傘を差したまま器用に飛びつかれて、案の定ひっくり返る。起き上がろうにも、ブロンドのサイドテールを揺らしながら頬ずりしてくるフランドールを引き剥がす腕力を、花子は持ち合わせていない。
フランドールを離そうとしてくれる美鈴と一緒にしばらくもがいていると、フランドールを追ってきたらしいレミリアと咲夜もやってきた。
「フランドール! 花子が困っているじゃない」
「会いたかったよぉー、花子ぉ」
「フランちゃん、息ができないよぉ!」
必死に訴えて、ようやく伝わったらしい。フランドールは物足りなそうな顔をしつつも、花子から離れた。
息を整えてから、花子はフランドールと咲夜、そして彼女が差す日傘の下にいるレミリアへと振り返る。
「えへへ、遅くなってごめんね。レミィ、フランちゃん」
「いいの。よく来てくれたわ、花子」
花子の手を取って、レミリアが目を細める。こうして面と向かって話すのは、以前紅魔館を訪れた時以来だ。
実に、半年近くの時間が空いてしまった。だが不思議なことに、花子は吸血鬼姉妹との間に、それだけの長い時の流れがなかったかのように感じる。
「それじゃあ、私は仕事を続けさせてもらいます」
美鈴の声にそちらを向くと、彼女は咲夜の「お願いね」という一言に頷き、足早に門へと戻っていった。
ここまで連れてきてくれたお礼を言い損ね、花子は後を追おうとした。が、美鈴の歩幅は花子よりずっと大きく、追いつけそうにない。
小さな後悔を抱きながら美鈴の後姿を眺めていると、咲夜がくすりと笑った。
「花子さん、いいのよ。美鈴は真面目だから、お礼なんて言われるとかえって弱っちゃうと思うわ」
「あはは、花子と似てるもんねぇ、美鈴は」
フランドールに頬を突かれて、花子はそうだろうかと首を捻った。
もっとも花子がどれだけ疑問に思ったところで、この場にいる皆が三者三様に頷いているのだから、きっと似ているのだろう。
「さぁさぁ、こんなところで立ち話もなんですし、西日も強くなってきましたわ。お館に戻りましょう」
手を叩いて、咲夜が言った。
「はぁい」
皆が揃って返事をするものだから、花子はつい外の世界の小学校を思い出していた。人数こそ三人しかいないが、まるで咲夜の生徒にでもなったかのような気持ちになる。とはいえ、館の扉を開けて吸血鬼姉妹が入るのをじっと待つ姿は、やはり従順なメイドだ。
紅魔館に招き入れられ、改めて館の中を見回す。外見と同じく全体的に赤い装飾で彩られ、とても高いエントランスホールの天井には、おとぎ話でしか聞いたことのないような大きなシャンデリアが佇んでいる。
「ほぁー……、やっぱりすごいお家だなぁ」
「ふふ、ありがとう。咲夜が毎日丁寧に掃除をしてくれるから、とても綺麗なのよ」
「恐縮です。それでは、客間の方にどうぞ。紅茶と、モンブランケーキをご用意いたしますわ」
うやうやしく一礼すると、咲夜は突然、その場から消えた。まるでこいしが無意識の中に溶け込んだ時のようで、花子は何が起きたのか理解できなかった。
目を丸くしていると、フランドールがケラケラと笑い、
「花子、咲夜の力を見るの初めてだっけ? 驚くよねぇ、やっぱり」
「あの子はね、時間と空間を操れるの。きっともう、客間にはお茶とケーキの準備ができているわ」
自慢げに胸を張るレミリア。妖気も魔力も感じない咲夜は間違いなく人間だろうが、ただの人間というわけではないらしい。
「うぅん、吸血鬼さんのメイドなんだから普通じゃないだろうとは思っていたけれど、ここまでとは思わなかったよ」
「よく言われるわ。あの子だからこそ、この館の面倒を見れるのよね。さ、行きましょう」
レミリアの後ろを、花子はフランドールと並んで歩く。
館の廊下はとても広く、下手をすればそこらの街道くらいの大きさはありそうだ。咲夜の能力で、館の外見に比べて内部は大きくなっているらしい。窓はないが、魔力の照明があるおかげか、暗くはない。暗がりで躓く心配もなさそうだった。
妖精メイドが慌しく行き来する廊下を少し歩くと、客間はエントランスから大して離れていない場所にあった。扉はとても大きく、レミリアの背丈ではドアノブを握るために腕を上に伸ばさなければならないようだ。
重厚な音を立てて、高そうな木材の扉が開く。客間は、館全体から見たらとても小さかった。客人が少ない紅魔館に、広い客間は必要ないのだろう。
部屋の中心に鎮座する脚の短いテーブルには、レミリアが言ったとおりカップとケーキの準備がされており、咲夜が紅茶を淹れ始めたところだった。タイミングを見計らっていたようだ。
テーブルを挟むように置かれた二つのソファは、見るからに柔らかそうだ。フランドールと隣り合って腰掛けると、想像以上に座り心地がよかった。
対面のソファにレミリアが座ると、咲夜がカップに紅茶を注ぎ始めた。招かれた客人ということで、最初に花子のカップが紅茶で満たされる。鼻腔をくすぐる紅茶の香りに、花子は以前水筒に入れてもらった紅茶の味を思い出す。
「おいしそうー! お姉さま、もう食べていい?」
訊ねながら、フランドールは容赦なくケーキにフォークを突き刺した。レミリアが少し待てと止めたにも関わらず、フランドールのモンブランケーキは早々に削られていく。
客とはいえ、これだけの待遇を受けるのが初めてな花子は、どうにも萎縮してしまった。ケーキも紅茶もおいしそうなのに、手を伸ばせそうにない。
察してくれたのか、レミリアがケーキを一口頬張り、
「うん、おいしいわ。花子もどうぞ」
「あ、う、うん。いただきます」
勧められるがままにフォークを手に取り、花子はモンブランの隅っこを遠慮がちにすくった。
口に含むと、その甘露のなんとまろやかなことか。栗はもう旬を少し過ぎているというのに、それを全く感じさせない濃厚な味だったさ。
あまりの美味しさに、花子は思わず口元を綻ばせた。よほど美味そうな顔をしていたのか、空になったフランドールのカップに紅茶を注いでいた咲夜が微笑む。
「喜んでいただけたようで、なによりだわ」
「おいしいです、とっても」
「咲夜のお料理は、幻想郷で――いえ、世界で一番おいしいのよ。私専属のメイドなのだから、当たり前よね」
カップを片手に、レミリアがウィンクしてみせる。喜ぶでもなく隣に佇む咲夜との間に強い絆を感じ、花子はとても羨ましく感じた。花子にとってここまで信頼し合えていると思える相手は、双子同然に接していた太郎くらいなものだろうか。
モンブランを突きながら学校で過ごした日々を思い出していると、すでに自分のケーキを平らげたフランドールが、フォークをレミリアのモンブランに向けた。
「お姉さま、乗っかってる栗、食べないならちょうだい!」
「ダメ! 私は一番好きなものを最後にとっておく主義なの!」
「知ってるよ。知ってるうえでお願いしてるの」
「絶対ダメ!」
力技でレミリアのケーキを侵食せんと迫るフランドールを、レミリアはフォークを置いて両腕を掴むことで応戦した。テーブルの食器が音を立てて揺れ、咲夜の手にはすでに布巾が用意されている。
このままではケンカになってしまうだろう。花子はフランドールの服の裾を引っ張り、
「フランちゃん。私の、あげるよ」
「え?」
こちらを振り返り、フランドールは一瞬返答を躊躇したが、すぐにかぶりを振った。
「だ、ダメだよ。花子はお客さんなんだから」
「でも、食べたいんでしょ? 友達なんだから、遠慮しないで」
笑顔で告げるも、フランドールは頷かなかった。レミリアより精神的に幼くワガママでも、貴族としてのプライドがあるのだ。
少しの間を置いて、フランドールは花子の隣に腰を下ろし、紅茶を少しだけ飲んでから、呟いた。
「我慢する。おいしかったから、花子に食べてもらう」
「ご立派ですわ、妹様」
咲夜に褒められて、フランドールは機嫌を良くしたらしい。嬉しそうに頷いた。
一方、なんだか悪者のようになってしまったレミリアだが、彼女は特に気にする様子もなく、宣言通り最後まで栗を残して、これでもかとばかりに堪能した。
花子もほとんど同時にモンブランを食し終わり、フォークをお皿に置く。西洋の作法は分からなかったが、失礼にならないよう気をつけたつもりだ。
「さて、おやつも食べ終わったことだし、少し館をお散歩しましょう。花子もまだ行ってない場所があるものね」
レミリアが立ち上がり、スカートを翻して扉に向かう。フランドールも姉の後を追ったので、素早くテーブルを片付ける咲夜に会釈をして、花子は二人についていった。
長い廊下はあちこちで枝分かれしていて、紅魔館の内部はとても入り組んでいた。だが、我が家だけあってか、レミリアとフランドールの足取りに迷いはない。
途中途中でフランドールが妖精メイドをからかったりしながら、三人は館の中を練り歩く。
以前花子が滞在した時は、レミリアの部屋とフランドールの部屋、そしてトイレくらいにしか足を運んでいなかった。紅魔館に用意された設備に、花子は何度も驚くことになる。
この館には、百人分では収まらない量を作れるだろう広いキッチンや、海を模したプールがあった。最上階の渡り廊下を渡った先には、レミリア自慢の魔法仕掛けの時計台も存在するらしい。パチュリーが管理しているそうだ。
妖怪と悪魔とはいえ子供の歩幅の三人は、のんびり話しながらということもあり、二時間ほどかけてようやく紅魔館の中を散策し終えた。
日はすっかり暮れ、ケーキで満たした小腹も空っぽになるころだ。
「お姉さま、お腹空いたぁ」
甘え声で訴えるフランドールの頭を、振り返ったレミリアが優しく撫でる。こうして見ると、やはり彼女は姉なのだなと花子は感じた。
「そうね。それじゃそろそろ、パーティを始めましょうか」
「パーティ? レミィ、今日は何かお祝いなの?」
今日訪れたのは邪魔だっただろうかと、花子は若干不安になりつつ訊ねる。しかし、レミリアとフランドールは揃ってきょとんと花子の顔を見て、また同時に笑い出した。
何がおかしいのかと首を傾げる花子のおでこを、レミリアが突っついた。
「何言ってるの。今日は花子が遊びに来たじゃない」
「え、えぇっ!? 私のために?」
花子の胸に、とても大きな歓喜が生まれた。しかしすぐに申し訳なくなり、眉をハの字に歪める。
「でも、やっぱり悪いよ。他のお友達が来るたびにパーティしてるわけじゃないんでしょ? 私はレミィとフランちゃんと遊べれば、それでいいよ」
「だぁめ。あなたは私のために戦ってくれたのよ? 友人の勇気を称えなかったなんて、末代までの恥になってしまうわ」
「そうそう、感謝はもらうのも礼儀だよ。お姉さまったら、感動しておいおい泣いてたんだから」
「フランドール!」
顔を赤くして怒鳴るレミリアに、フランドールは舌を出しておどけてみせる。
仲の良い姉妹に思わず笑みを漏らしつつ、花子はレミリアに告げた。
「それじゃ、遠慮なく楽しませてもらうね」
「うん、そうしてくれると嬉しいわ。でも、その服じゃちょっと格好つかないかしら」
いつものもんぺとセーラー服は、確かに紅魔館のパーティには不釣合いと言えるだろう。しかし、花子が持っている服となると、季節はずれの赤いワンピースくらいなものだ。洋服ではあるが、それでもレミリア達のドレスとは比べられる代物ではない。
花子の身長を手で測っていたフランドールが、両手を合わせて目を輝かせた。
「私のクローゼットに、少しおっきくて着れないドレスがあるよ! 花子は私より背が高いから、ちょうどいいと思うの」
「ホント? じゃあそれを借りましょうか」
レミリアも嬉しそうに頷いて、花子の手を引く。二人はすっかり花子を着飾らせるつもりでいるようだ。
「で、でも私、ドレスなんて着たことないし――」
言いかけた言葉を遮って、レミリアが左手を花子の口に当てる。
「大丈夫、着ちゃえばどうってことないわよ」
「うんうん。色も赤いから、花子のワンピースみたいなもんだと思えばいいよ」
フランドールまでもが、花子の空いている腕をしっかりと掴む。
笑顔でぐいぐいと、レミリアとフランドールは花子の腕を引っ張った。吸血鬼の腕力に逆らえず、花子は半ば運ばれるようにフランドールの部屋へと連れていかれる。
そうなるだろうと思っていたが、やはり二人に振り回されることになるらしい。
「待って! ちゃんと付いていくし、ドレスも着るから、引っ張らないでよぉ!」
「ダメダメ。もうパーティ始まっちゃうんだから」
「急がないと、妖精メイドが全部食べちゃうよ!」
まったくもうと呟きながらも、花子は頬が緩むのを抑えることができずにいる。
レミリアとフランドールのワガママは、花子にとって、とても心地がいいものになっていた。
◇◆◇◆◇
レミリアが用意してくれたパーティは、とても楽しかった。料理はどれもおいしかったし、最初こそ食器を片付けたりしていた妖精メイド達が勝手に参加しだしてからは、賑やかさも一気に増した。フランドールに幻想郷で出会った者や出来事をたくさん話して、レミリアにはダンスも教えてもらった。
これでもかというほどお喋りをし、笑い、宴がお開きになってもまだ、その余韻は抜けずにいる。妖精メイド達がせわしなく後片付けをしている様子を、花子は食堂の端っこにある椅子に腰掛け、ぼうっと眺めていた。
紅魔館秘蔵のワインを味わいながら、うっとりと溜息をつく。グラスに踊る美酒と同じワインレッドのティアードドレスに身を包み、髪型は変えていないが、頭には静葉がくれた楓の髪飾りを、胸には穣子にもらったブドウのブローチをつけている。そんな自分がまるでおとぎ話のお姫様にでもなったかのようで、酔いもあってか、すっかり夢心地だ。
雰囲気に酔って瞼をとろんとさせていると、隣にレミリアが座った。
「花子、楽しんでもらえた?」
「……うん。すっごい楽しかった。ホントに、すごく」
「そっか、よかった。嬉しいわ」
にっこりと破顔してから、レミリアはなにやらそわそわと、視線をあちこちに移し始めた。
何か言いたいことがあるのだろう。しかし、言い出せないのか、レミリアはこちらを何度か覗き見るようにしている。遠慮がちなその姿は、どうにも彼女には似合わない。
首を少しだけ傾げて待つと、レミリアが咳払いをしてから、意を決したようにこちらを見つめた。
「あのね、花子。これから先、どこかに行く予定とか、あるかしら」
「え? うーん、考えてなかったよ。レミィのお家に来るのが目的で歩いてたから、次は何も」
「そ、そう。……あのね、その、もう冬になっちゃうじゃない。外は寒いのよ、歩くとなると特に」
椅子が少し高かったようで、レミリアの足はぶらぶらと空中を彷徨っている。
「それで、その。春先くらいまで、うちにいない? 暖かいし、ご飯も食べれるし。どうかしら?」
横目でちらりと花子の顔色を伺うレミリアは、期待と不安が入り混じった表情をしている。
花子はしばし下を向いてから、少しだけ唸る。
「うぅん。でも、迷惑じゃない? 春までって、まだずっと長いし」
「迷惑なんかじゃないわ。花子は妖精メイドよりもしっかりしているし、咲夜だってそんなに困らないって言ってたのよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど……」
遠慮がちに答えると、レミリアはわずかに俯き、揺れていた足を止め、
「以前、あなたに――言われたわよね。フランドールを、館の外に出してあげてって」
突然の話題に、花子は慌てた。あの時はレミリアの事情も知らず、勝手なことを言ってしまったのだ。
謝ろうとしたが、それより先にレミリアが続けたので、花子は口を閉ざすしかなかった。
「本当は、無理だと思ってたわ。あの子は自制ができないと、ずっと信じていたから。暴れ出したら、私かパチェ以外には――今では、魔理沙や霊夢も止められるか。でも、簡単には抑えられないの。外に出したら、幻想郷もフランも壊れてしまう。だから、館にいさせたほうがいいって。
でも、花子と出会ってから……あの子はきっと、外の世界の話を聞いたのね。館だけじゃない、幻想郷の外にも広い世界が広がっていると知って、フランは外への憧れをもっと強くしたわ。どうしても出たいって聞かなくて」
「それは、ごめんなさい」
余計なことをフランドールに吹き込んでしまったのかと、花子は思わず頭を下げた。だが、レミリアはそれに、首を横に振る。
「ううん、とんでもないわ。今までずっと頑固に『私は悪くない』って言い張っていたのに、あの日からフランドールは、自分の制御が足りていないってことを認めたの。毎日パチェのところに行って、力を抑える方法を勉強して。
まだまだ感情に左右されやすいけれど、少しだけなら外にも出られた。あの子はとても喜んでいたわ。外に出られたことも、花子の応援に行けることもね。私だって、すっごく……」
何かがつっかえたように、レミリアは一度言葉を止め、ゆっくりと吐き出した。
「花子、あなたは魔理沙や霊夢でもできなかったことをやってくれた。フランはきっと、あなたをとても近くに感じているのね。素敵なことよ、きっと」
「私はレミィも、フランちゃんと同じくらい好きだよ」
「うふふ、分かっているわ。ちゃんとね」
妖精メイドが運んできたワインを受け取って、レミリアが唇を濡らす。真似て、花子もワインを一口飲み込んだ。
一息ついてから続けるレミリアの声は、どこか湿っているような気がした。
「フランはね、あなたのおかげで変わったの」
「そんな……」
「本当よ。どうしてかなんて分からないわ。でも、あの子は間違いなく優しくなった。生意気なところは相変わらずだけど、姉の私が言うんだから、絶対そうなのよ。フランを外に出してあげてと私に頼んできたのも、あなただけなの。だからきっと、フランも変わろうと思えたのよ」
友達なのだから、当たり前の心配だと思っていた。その当たり前が、フランドールの心にはとても強く響いたようだ。
椅子から降りて、レミリアはあろうことか、花子の前に跪いた。驚く花子の手を取って、彼女は懇願する。
「お願い花子。しばらく館にいてちょうだい。そうすれば、フランドールはもっと変われるわ。変わることができたら、あの子は本当の意味で外を知ることができるの。フランは人懐っこいから、きっと私よりたくさん友達を作れるわ」
「レミィ……」
「自分勝手だって分かってる。困らせちゃってるわよね、ごめんね。でも、お願い。花子じゃないとダメなの。あの子のそばにいて。フランに、フランを――」
本当は、レミリア自身が教えてやりたかったのだろう。不器用な彼女は、妹を大切にしすぎただけなのだ。
驚いてこちらを見ていた妖精メイドにグラスを渡し、花子は椅子から降りてレミリアの肩を抱いた。
「私は、そんなにすごい妖怪じゃないよ。レミィが思ってるほど特別なこともしてない。ただ、フランちゃんの友達でいただけだよ」
「それが特別なの。フランにとって、普通であることはとても特別なの」
「うん、うん。大丈夫、私はずっと友達でいるよ。レミィとも、フランちゃんとも。だから、二人の力になれるなら――」
レミリアが顔を上げる。それ以上の言葉はいらなかった。花子は笑顔で頷き、レミリアの手を取って立ち上がらせる。
「……ありがと」
小さく、唇の動きだけでしか分からないような声で、レミリアが呟いた。同時に、元気な足音が近づいてくる。
口の周りにミートソースをつけた、フランドールだ。
「お姉さまと花子、こんなところにいたの?」
「フラン、口を拭きなさいな」
ハンカチで妹の口を拭いながら、レミリアは花子に訊ねた。
「でも、本当にいいの? 旅の途中だったんでしょう?」
「目的があるわけじゃないもの。それにレミィの言うとおり、これからは寒いしね。春までお世話になるよ」
「えぇっ、花子、うちにいてくれるの!?」
これ以上にないほど嬉しそうに、フランドールがレミリアの腕から乗り出す。
花子がフランドールに首肯すると、彼女は心から喜び、抱きついてきた。椅子に押し倒されたものの、背もたれのおかげでなんとか支えることができた。
「やったぁ! じゃあじゃあ、花子は私の部屋で寝ようよ。ベッドでいっぱいお話しよ!」
「ダメよフラン。花子はお客様なのだから、私の寝室に泊まってもらうわ。主の私と一緒に寝るのが一番よね」
「えぇっ、そんなのずるい!」
「私は紅魔館の主よ。私が絶対なの」
「お姉さまのいばりんぼ!」
客室という選択肢は、ないらしい。文字通り牙――八重歯にしか見えないが――を剥いて睨み合う二人に、花子は苦笑する。
フランドールのそばにいてほしいと言っていたのに、レミリアは花子を放すつもりもないようだ。嬉しいことだが、自分のためにケンカをされてもらっては困ると、花子は頬を掻きながら提案した。
「あのさ、レミィの部屋で三人でってのは、ダメなのかな」
「……」
「……あ、そっか」
手を叩いて、フランドールは納得したようだった。レミリアもその手があったかと言わんばかりに、神妙に頷いている。
そんなに深く考えずともたどり着けそうな答えだったが、それぞれ最上階と最下階に寝室を構えていると、こんなものなのだろうか。
「私は、みんなと一緒がいいよ」
付け加えて言うと、レミリアは腰に手を当てて、
「花子がそう言うなら、仕方ないわね。フラン、私の寝室に来ていいわ」
「やったぁ! じゃあすぐ用意するね。お手玉も持っていくね!」
楽しげな声を上げながら、フランドールは食堂から飛び出していった。駆け抜けていく途中、妖精メイドが何匹か吹き飛ばされたが、慣れたものらしく、何事もなかったかのように片づけを再開している。
慌しい妹を見送ってから、レミリアはやれやれと肩をすくめた。
「それじゃ、あの子が来る前にお部屋へ行っていましょうか、花子」
「うん」
差し出された手を取って、花子はこれから始まる騒がしくも楽しいだろう毎日に、胸を躍らせる。
「お世話になりますっ」
弾んだ声音に、レミリアも微笑んだ。