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太郎くんへ
こんにちは。いつも手紙を読んでくれて、ありがとう。
私は、どうやら迷っていたようです。今日、ひょんなことからそれを知ることができました。
話してみると、自分がどんな気持ちでいたのかが分かって、ちょっとびっくりしました。
私はもう、トイレの花子さんじゃないんだね。最近は誰も驚かしてないから、今更かもしれないけれど。
でも、花子はまだ諦めません。トイレがダメでも、きっと立派な怪談になるよ!
私もがんばるから、太郎くんも、子供を驚かせることをやめないでね。
場所は遠くになっちゃったけど、これからも一緒に、がんばろうね!
花子より
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ぐらりと体が傾くのを感じ、直後に花子は完全に目を覚ました。
「わわっ」
窓のない部屋では自分がどういう体勢なのかは分からなかったが、ともかく花子は落下した。床の絨毯が多少クッションになってくれたらしく、思ったより痛くはない。
床にぺたんと座ったまま、寝癖がついているであろうおかっぱ頭を掻く。花子はふかふかのベッドで気持ちよく寝息を立てているフランドールを、半眼で見上げた。寝相が悪い彼女に押し出されてしまったのだ。フランドールの反対側にはレミリアも寝ているが、彼女に被害は及んでいないらしい。
窓がない部屋は真っ暗だが、夜目の利く花子はベッド近くの壁にかけてある時計を見上げ、今が早朝であることを知る。
昨晩はフランドールと弾幕ごっこに興じていたため、体にはまだ気だるさが残っている。フランドールの羽を思わせる七色の弾幕は、とても美しく可憐で、そして痛かった。三度やって、三回とも完敗を喫した。
「うぅん、弱ったな」
不慮の事故とはいえ、すっかり目が冴えてしまった。二度寝する気にもなれず、仕方なく寝巻きを脱ぐ。
借り物のドレスに手を伸ばしかけた花子だが、思いなおして、かばんと一緒に置いてあるもんぺとセーラー服を掴んだ。久々にお気に入りの服を着たいという気持ちもあったが、眠りから無理矢理覚まさせた友人へのささやかな仕返しである。
すっかり慣れていたと思っていたドレスだったが、こうしていつもの服を着てみると、やはり肌への馴染み方が違う。花子は暗がりで一人、にんまりと笑みを浮かべた。
ふと、花子は思い出した。以前紅魔館から出発した時、咲夜にサンドイッチをもらった。それが入っていた弁当箱を、まだ返していない。
リュックの中から竹編みの弁当箱を取り出し、吸血鬼姉妹を起こさないよう静かにドアを開け、レミリアの寝室を出る。二人がいたら遊びに夢中になってしまうし、今がいいタイミングだろう。
朝の紅魔館も、窓がないのでやはり暗い。しかし、暗がりの廊下でも早朝の空気はとてもさわやかだ。すれ違った妖精メイドも、晴れ晴れとした顔でバケツを引っくり返している。
花子はまず、キッチンに向かった。館の主が夜型なので、紅魔館には朝食という概念がないものだと思っていたのだが、咲夜を始めとするメイド連中や門番の美鈴は、しっかり朝食をいただいているらしい。ちょうど、食事の支度をする時間のはずだ。
キッチンを覗いてみると、確かに朝食の準備が進んでいたが、そこに咲夜の姿はなかった。花子は、並んだ皿にパンを載せている妖精メイドに声をかけた。
「おはようございます」
「あ、おはよーございますー。何かごよう?」
「咲夜さんを探してるの。どこにいるか、知らない?」
「んー、メイド長はねー」
考える素振りをしながら、妖精メイドは手に持っていたパンを当然のように頬張った。花子が止めなければと思う間もなく、齧られたパンは無残な姿となる。
「さっきねー、お洗濯班を見に行ったよー。すぐ戻ってくるよー」
「う、うん、ありがとう。あの、勝手にパンを食べるの、ダメなんじゃないかな」
「えへへ、おいしいよー」
花子の忠告をどう取ったかは知らないが、彼女は笑顔でそう答えた。すっかりパンを食べ終えてから、妖精メイドは作業に戻っていく。大きなこの館のことだから、つまみ食いの影響でパンが足りなくなることはないだろう。
大きなキッチンの隅っこで、花子は椅子に座って咲夜が戻ってくるのを待った。妖精メイドが仕事になっているのかいないのか分からない作業を見守る。
五分ほどしてから、咲夜は帰ってきた。怠け始めていた妖精メイドにテキパキと指示を出してから、花子のところへやってくる。
「おはよう、花子。早いお目覚めね」
「おはようございます。ちょっと、目が冴えちゃって」
「お嬢様か妹様に蹴られでもした? お二人とも、寝相悪いから」
「はは……ビンゴです」
空笑いで答えると、咲夜は「そうだと思った」と口元に手を当てた。
朝食の時間までまだ余裕があるとはいえ、咲夜は忙しそうだ。あまり手間を取らせたくないので、花子はさっそく弁当箱を返すことにした。
「咲夜さん、これ。サンドイッチ、すごくおいしかったです」
「あら、ずっと持っていたの? 安物だから、捨ててもよかったのに」
口ではそう言うものの、咲夜の顔はどこか嬉しそうだ。彼女は物を大切に扱う人なのだろうなと、花子は感じた。
主が不在の朝食ではあるが、館の従者達ほぼ全員が食べるため、その準備は楽なものではない。弁当箱を受け取ると、咲夜は早々に仕事を始めてしまった。
困ったことに、やることがない。花子はその場で立ち尽くしてしまった。レミリアの部屋へ戻ったところで、あの姉妹が目覚めるのは夕方過ぎだ。かといって、メイド達が忙しく仕事をしているところを散歩するのも気が引ける。
結局、咲夜を手伝うことにした。
「あの、私にも手伝えることがあれば――」
「料理はできる?」
単刀直入に聞かれ、花子は一瞬口ごもった。給食の残りや学校の外から遊びに来る妖怪の買出しで食事を済ませていた花子は、食べ物を作るという経験はほとんどない。それこそ、幻想郷に来てから山で魚を焼いたくらいなものだ。
首を横に振ると、咲夜は落胆するでもなく、数秒キッチンを見回し、
「それじゃ、洗い物を片付けてくれる? 妖精達には、お皿を運んでもらうから」
「は、はい。……多いですね」
咲夜が指差す洗い場には、鍋やらフライパンやら、調理に使った洗い物が山のようになっている。わずかに
フライパンの表面をたわしで撫でると、どうやら誰かが焦がしたらしく、かなりの手応えがあった。水に浸けてあったおかげでだいぶ柔らかくなってはいるが、これは苦戦しそうだ。
外の世界にいた頃は、住処であるトイレを自ら掃除していたほど綺麗好きな花子である。フライパンや鍋の汚れが落ちていくのが楽しくて、つい夢中になってしまった。
どれほど洗い物をしていただろうか。全ての洗い物を片付け終えて振り返ると、咲夜が後ろから覗き込んでいた。
「ずいぶんと、仕事が丁寧ね」
「そ、そうかなぁ。お鍋が綺麗になるの、なんだか気持ちよくて」
「ふふ、メイドに向いてるわよ、あなた」
顔を赤くして、花子は頭を掻いた。咲夜の仕事っぷりがどれほどのものかは知っているので、彼女に褒められるのは、とても嬉しい。
朝食の支度が整うまで、あと少しだ。スープを皿に盛りつける咲夜を手伝いながら、花子は訊ねた。
「咲夜さんは、毎日こんなにたくさんの仕事をしているんですか?」
「そうね。ここ何年か、毎日よ」
「大変じゃないですか? 妖精メイドもいっぱいいるし……」
「お嬢様はワガママだし?」
「う、は、はい」
正直に頷くと、咲夜はしかし、楽しげに笑った。
「いいのよ、本当のことだし。お嬢様も妹様も、自覚してらっしゃるんだからね」
「うぅん、確かに。でも、咲夜さん、疲れちゃいませんか? 毎日こんなに働いて、人間なんだから、体力も私達妖怪より少ないだろうし」
妖精メイドが、それはそれは慎重に、スープの皿を運んでいく。危なっかしいその後姿を見送ってから、咲夜は皿を二枚、危なげなく持ち上げた。花子も一枚を手に取って運んだが、皿の底がとても熱く、一度に二つも運べる咲夜は、魔法でも使っているのかと本気で疑った。
食堂のテーブルに皿が並べられていく中、咲夜が先ほどの問いに答える。
「確かに、疲れるわ。眠る時なんか、もうくたくたよ」
「やっぱり、そうですよね」
「でも、嫌いな疲れじゃないの。お風呂に入って体を伸ばす時、今日も一日がんばってよかったと思えるわ。
仕事そのものだって、とても楽しいのよ。もちろん、辛いこともあるけれどね。お給金なんてもらったことないけど、お嬢様や妹様に喜んでもらえる。あの笑顔を誰よりもそばで見られる。それが最高の報酬だと思っているわ」
花子は、とある小学校で卒業式を覗いていた時の事を思い出した。初老の厳つい顔をした教頭は、卒業していく子供達の前で、『君たちの笑顔が、私に勇気と希望をくれた』と、瞳を潤ませて語った。児童にとても厳しいことで有名だった男の涙に、ついもらい泣きしてしまい、太郎に笑われたものだ。
誰かのために、自分を犠牲にして働く。レミリアのために文と戦った時の心境がそれに近いのかもしれないが、一時的な情熱と、一生涯を――特に、寿命の短い人間が――他人に捧げる覚悟とでは、まるで別物な気もする。
まったく他意を感じさせない咲夜の言葉に、花子は強い尊敬の念を覚えた。
「さてと。それじゃ、朝食にしましょうか」
手を叩いて咲夜が言うと、妖精メイド達がいっせいに元気良く返事をし、席についた。まさに、給食の時間そのままな光景だ。
椅子はメイド達で全部埋まってしまい、咲夜はじっと立ったままだった。
「咲夜さん、食べないんですか?」
「後でいただくわ。あの子達と一緒じゃ、落ち着いて味わえないから」
なるほど、確かに妖精達はマナーなど無視していて、皿を引っくり返す者も一人や二人ではない。この状況で食事に参加したいとは、花子も思わなかった。
お祭り騒ぎのような朝食風景を眺めていると、咲夜が言った。
「花子、お願いがあるんだけど、いいかしら」
「私にですか?」
「えぇ。美鈴に、朝ごはんを持っていってほしいの。ついでにあなたの分も用意するから、一緒に食べてあげて。あの子、ほとんど一人でご飯食べてるから」
「いいんですか? ありがとうございます!」
お辞儀をすると、咲夜は軽く笑って、キッチンに入っていった。その後姿を、知らず踊るような足取りで追いかける。
どんな朝食を作ってくれるのだろうか。すっかり咲夜が作る手料理の虜になってしまった花子は、今から胸の高鳴りを抑えることができなかった。
◇◆◇◆◇
紅魔館の庭に出ると、ひゅるりと木枯らしが駆け抜けた。生まれつき寒さに強い花子は、風が冷たいなと感じる程度で、薄着でも苦痛は感じない。
朝日に照らされた館の庭は、ここが悪魔の住まいであることを忘れてしまうほど明るく、清清しい。館の門に向かう花子の歩調も、とても軽やかだ。
咲夜から受け取ったバスケットには、以前いただいて凄まじい感動を覚えた、あのベーコンエッグサンドが入っている。作りたてで、まだ温かい。水筒には、前回とは違う茶葉の紅茶が入っているそうだ。
大きな鉄門を少しだけ開けて、花子は紅魔館の敷地外に出た。すぐに美鈴の姿を見つけたが、声をかけるのを戸惑ってしまう。
美鈴は、紅魔館の外壁を背もたれに、朝の陽光を浴びながら、気持ちよさそうに眠っていた。赤い長髪が風に揺れ、まるで彼女の周りだけが春になったような印象を、花子に与える。
「……」
レミリアの話では、彼女は一日のほとんどをこの門前で過ごしているという。疲れているのかもしれないと思うと、起こすことはためらわれた。
一緒に食べたかったが、朝食だけを置いて帰ろうと、花子は美鈴の傍にそっとバスケットを下ろした。その時だ。
「ありがとうございます」
「っ!」
突然聞こえた声に、花子の体は文字通り跳ね上がった。何とか叫ばずに済んだのは、まだ美鈴が寝ていると思っていたからだろう。
まさか起きているとは思わず目を丸くしていると、美鈴が後頭部を掻いて苦笑した。
「驚かせちゃいましたか、すみません」
「い、いえ。私こそ、起こしちゃってごめんなさい」
「いやいや。花子さんが館を出られた辺りから、気配には気付いていましたから」
当然のように言ってのける美鈴だが、花子は首をかしげた。館の扉も静かに閉めたし、ここに来るまであまり大きな音を立てていない。紅魔館から出ただけで、美鈴が気付くとは思えなかった。
ちょうど空腹だったらしい美鈴は、バスケットから漂う香りに目を輝かせ、ふた代わりにかけられたハンカチを取った。
「やぁ、おいしそうなサンドイッチ! 二人分の量ですね。花子さんもご一緒に?」
「あ、はい。良ければ一緒に食べたいなって」
「喜んで。地べたに直接座ることになりますが」
「大丈夫です」
バスケットを挟んで美鈴の対面に座り、花子は陶器製のカップに紅茶を二杯注いで、一つを美鈴に渡した。
カップを受け取り、せめてものテーブル代わりとして草の上に敷いたハンカチに一度置いて、美鈴がバスケットへ両手を合わせる。
「大自然の恵みに感謝して、いただきます」
「いただきます」
花子も美鈴を真似て合掌し、二人揃ってサンドイッチを手に取った。一緒になって頬張り、口いっぱいに広がる味に舌鼓を打つ。
今日の紅茶は以前飲んだそれよりも味が柔らかく、春の花を感じさせる香りがした。朝からとても贅沢をしている気分だ。
一つ目のサンドイッチをすっかり食べ終えてから、花子は気になっていたことを美鈴に訊ねた。
「あのぅ、さっき、私が館を出た時に気付いてたって言ってましたよね」
「えぇ、そうですね。館周り程度の範囲なら、気配で分かります」
「じゃあ、もしかして、その……。前に私が忍び込んだ時も」
ようやく質問の意図が分かったらしく、美鈴は紅茶で口の中を潤してから、
「気付いてましたよ。可愛らしい気の持ち主が、お館に忍び込んでいくの」
「あう……。でも、なんで止めなかったんですか? あの頃の私なら……って、今でもですけど。美鈴さんに勝てっこないもの」
地べたに正座していた美鈴は、痛んだわけではないだろうが、足をあぐらに組みなおした。花子も、正座を女座りに崩す。
「まぁ、邪気がなかったですから。何か企んでるなとは思ってましたけど」
「そんなことまで分かるんですか?」
「分かりますよ。気は、体の流れであり心の流れです。その人が持つ力や病気、怪我、迷いや思いも、大雑把に分かります。もっと修行を積めば、覚妖怪もびっくりな境地に辿り着けるらしいんですけど、私は未熟ですから」
感嘆の吐息を漏らす花子に、美鈴は照れくさそうに頬を染めた。
「いや、本当に大したことじゃないんですよ。私の師匠は、それはもうとんでもない人でしたし。
まぁともかく、花子さんの侵入は、魔理沙なんかより実害が少なそうなので手を出さなかったんです。お嬢様と咲夜さんには後でたっぷり怒られましたけど、たまには私だってサボりたくなるんですよ」
舌など出しておどけて見せる美鈴だが、本気で言っているというわけではなさそうだ。侵入する全ての存在を排除しなければならないほど、幻想郷は殺伐とした世界ではないのだろう。
しかし、それでも年がら年中ほとんどの時間を門前で過ごす美鈴だ。そんなに平和ならば門番はいらないのではと、花子は首を傾げた。
「美鈴さん、あまり危ない人が来ないなら、お休みしてもいいんじゃないですか?」
「そういうわけにも。危険があってから門番をしても遅いですし、平和ならば和を守るのも、門番の務めですから」
二つ目のサンドイッチを頬張りながら語る美鈴の口調は、割りと軽いものだった。しかし、言葉の切れ端からは、彼女の並々ならぬ誇りを感じる。
なんとなく背筋を伸ばして、花子は美鈴の話に聞き入っていた。
「以前お話したように、私は紅魔館の挨拶係――いわゆる顔でもあります。悪魔の館として恐れられていますが、人間に恐怖を振り撒くのはお嬢様と妹様のお役目。私は門番として館を守り、紅魔館の顔として人や妖怪との縁を守る。
それが私の、存在意義です。だから私は門の前に立ち続ける、と」
たまには居眠りもしますけど、と冗談を付け足し、美鈴は紅茶を啜った。
彼女もまた、レミリアに忠誠を誓って働く一人だ。人のために命を賭すことがどれほどの意味を持つのか、幼い思考回路の花子には分かりかね、知らず口をついていた。
「咲夜さんも美鈴さんも、レミィとフランちゃんのために一生懸命ですよね。それ、すごいことだと思います。私には、とてもできそうにないや」
「そんなことありませんよ。花子さんは、レミリアお嬢様のために戦えたじゃないですか」
「でもそれは、あの時だけというか。友達だし、そりゃレミィ達のためにって思ってたけれど、うぅん。そういうのとは、違うんです」
「はは、なるほど」
何かを感じ取ってくれたらしく、美鈴が笑う。花子としては真剣に話しているのだから、できれば笑わないでほしかったのだが。
それでも、美鈴は笑みを消さなかった。ただ、おかしいからではなく、嬉しそうな笑顔だ。
「花子さんはつまり、特定個人との関わりではなく、最終的には世のために繋がる、そういうことをしたいわけですね」
「えぇっ! そんな大げさなことじゃ――」
「そうですね、大げさなことじゃないです。『働く』ことの究極は、誰でもそこに辿りつくんですよ。人も妖怪も、あるいは神も、きっと。
例えば私の場合なんかは、紅魔館を守り、お嬢様を守る。そうすると、お嬢様や妹様のお世話をする咲夜さんや、紅魔館の頭脳役であるパチュリー様をお守りすることにもなります。パチュリー様はお嬢様と妹様が悪魔として大成するための知識を授け、お二人は恐怖の吸血鬼として、人を襲い恐れさせる。
一見すればそこで終わりのように見えますが、恐怖の裏には安堵があり、安堵の裏には温もりがあります。温もりは人の輪となり、やがて世の和を為す。全ては世のために繋がっているのです。だからこそ、人に悪と決め付けられた昔でも、私達妖怪は己の存在意義を見失わずに生きてこれた――と。これは、師匠の受け売りなんですけどね」
途方もない話に、花子はカップを持ったまま俯いてしまった。長年子供を怖がらせてきたが、そんな大義を感じたことはなかったし、考えたこともない。
紅茶が冷めてしまっても、花子の頭にはぐるぐると、螺旋の思考が渦巻いている。そんな花子の悩みを察した美鈴が、おかっぱ頭に温かな手を置いた。
「花子さんも、学校の怪談――トイレの妖怪として、子供を驚かしてきたんですよね」
「はい……でも……」
「それは立派なことです。学校と言う学び舎は、読み書き算盤だけを教えてもらう所ではないのでしょう? 人間としての行き方、道徳、友達付き合い、様々なことを学べる場所なのでは?」
軽い調子で紡がれる美鈴の言葉は、とても正しい。しかし、花子はどうしてか、頷くこともできなかった。
「だとしたら、ですよ。花子さんが学校で子供を怖がらせることも、重要な役割だと私は思うんです。子供は無鉄砲ですから、危険を危険と思わず飛び込んでしまいがちです。そんな子供達に『怖い』という認識を与えるお化けは、彼らに警戒心と危険回避を教える大切な存在です。
妖怪の私がこんなことを言うのもおかしな話ですけど、子供に生きるうえで大切な知識を授ける花子さんが学校のお化けだったことは、私には必然であったように感じるんですよね」
「そう、ですか? でも、だとしたら……。私は幻想郷で、どんな役割になればいいのかな」
幼くワガママなレミリアやフランドールにさえ、ここで生きるための役目がある。そのことが、花子に焦りとなって襲い掛かっていた。
友達と仲良く過ごす、ただそれだけの毎日ではいけない。自分が楽しいだけじゃダメだという、いつかこいしに言われた言葉を思い出す。
花子の焦燥を、美鈴は優しく受け止めてくれた。気楽な口調が一転、穏やかなものに変わる。
「急がなくても、いいじゃないですか。幻想郷は逃げません。花子さんが思うまま、やるべきだと思うことを、じっくり見つければいいのです。探し出そうとするその瞬間が、すでに第一歩なのですから」
「……そう、ですか」
焦るなと言われても、無理な話であった。身近に感じていた紅魔館の皆が、とても遠く大きな存在に感じられてしまう。
水筒の紅茶を花子のカップに注ぎながら、美鈴が言った。
「きっと、これ以上私がお話しても、花子さんを迷わせてしまうだけでしょう。そこで、提案というほどのものでもないのですが、図書館の小悪魔さんと話してみたらどうでしょう?」
「小悪魔さんと?」
「はい。彼女は花子さんと同じくらいの年齢ですし、パチュリー様の使い魔になってから、悪魔として扱われることが少なかったと聞いています。きっと、同じような悩みを抱えていたと思いますよ」
花子は、紅魔館の時計台を見上げた。レミリアとフランドールが起きるまで、まだまだ時間がある。
残ったサンドイッチをいただいてから、紅茶を飲み干し、バスケットを片付ける。美鈴と一緒に立ち上がり、
「なんだか、色々勉強になりました。朝から、ありがとうございました」
「いえいえ。朝だからこそ、なんでも話せる開放感があったのかもしれないですし。また一緒に、朝ご飯食べましょうね」
「はい!」
手を振る美鈴に、精一杯の感謝をこめて、花子は笑顔で礼をした。
◇◆◇◆◇
キッチンで咲夜に弁当箱を返し、花子は意気揚々と図書館を目指した。
しかし、乗り気だったはずの気持ちはだんだんと穏やかになり、やがて冷静さを取り戻した時、花子は小悪魔とほとんど面識がないことを思い出す。
突然お邪魔して、人生論について語り合うなど、厚かましいのではないか。考えながらも歩みは止めず、とうとう図書館の前にやってきてしまう。
扉を開けるべきか否か。ここまで来て尻込みしてしまい、花子は腕組みをしてうんうんと唸った。
その背後から、声がかかる。
「花子さん?」
振り返ると、小悪魔がいた。小首を傾げて、赤い長髪が揺れる。
彼女の持つ盆には、透明なティーポットのカップが載っている。パチュリーのために用意したハーブティーだろう。
仕事の邪魔をしてはいけないと、花子は誤魔化すように、道を譲った。
「あはは、おはようございます。えぇと、どうぞ」
「……? 図書館にご用ですか? それとも、パチュリー様でしょうか」
「えぇと、んと、実は小悪魔さんに、ちょっと」
もじもじしながら小悪魔を見上げると、彼女はきょとんとした顔をしていた。ポットに浮かんでいたハーブが、底に沈んでいく。
しばらく沈黙が続いたが、数秒して、小悪魔が我に返る。
「ごめんなさい、私に用事なんて、あんまりないものだから。えぇっと……」
「あの、忙しいなら、私は別に」
「ううん、お茶をパチュリー様にお渡ししたら、しばらく手が空きますから。ちょっとだけ、ここでお待ちになっててください」
にこりと微笑まれ、花子はどうしてか、どぎまぎとしてしまった。小悪魔の笑顔には、同性すら魅了する不思議な力がある。
図書館の扉前で待つこと数分、小悪魔はお盆も置いてきたらしく、何も持たずに戻ってきた。
「お待たせしました。それじゃ、行きましょう」
「えっと、どこへ?」
「私の部屋ですよ。誰かを招くなんて初めてだから、ドキドキしちゃいます」
嬉しそうに歩く小悪魔に案内されたのは、フランドールの私室がある最下層へ続く階段の手前にある部屋だった。一人だけが生活できる程度の小さなスペースだが、花子は部屋中を飾り付けている装飾に目を見開く。
窓がないのでカーテンこそないが、薄桃色の壁紙と可愛らしいガラス細工のランプ。一対のソファと足の短いテーブルにかけられているカバーは、壁紙と合わせているのだろう、ピンクのチェック柄だ。ベッドも庶民的な大きさながら、シーツや枕に可憐さが見られる。
レミリアやフランドールの部屋とは違う、飾らない少女らしさが散りばめられた寝室だった。小悪魔の真面目そうな雰囲気とは多少かけ離れているが、彼女が暮らしていると言われても違和感はまったく感じない。
無遠慮に眺め回していると、小悪魔が花子をソファーに促した。誘われるままに腰掛けて、
「なんだか……女の子って部屋ですねぇ」
「そうですか? ほとんどレミリア様やフランドール様のお下がりを手直ししたものばかりですけど」
「これ、手作りなんですか?」
テーブルクロスをつまんで聞くと、小悪魔は自分達のハーブティーを淹れながら、
「そうですね、大体は。使えるものを捨てちゃうの、なんだかもったいなくて。パチュリー様は卑しい真似だって仰るんですけど、咲夜さんにお願いして、お嬢様が飽きてしまったものをこっそり頂いているんです」
もったいないという精神は、どうやら人間だけの専売特許ではないらしい。もっとも、妖怪の花子も、物を大事にしすぎて捨てられない癖があるのだが。
ハーブティーを花子のカップに注いでから、小悪魔はソファに腰を下ろした。自分のカップを淡いグリーンの液体で満たしながら、ちらりと視線だけで花子を覗く。
「それで、私にご用というのは、なんでしょう」
「あ、はい。その……何から話せばいいのかな……」
言葉に詰まりながらも、花子は先ほどあったことを話した。
咲夜の仕事ぶりとその姿勢、美鈴が持つ門番にかける誇りや、自分自身のやるべきことをしっかりと見据えていたこと。対して、自分は好き勝手のうのうと生きてきて、外で人間に忘れられるという苦労こそすれど、今は幻想郷で遊んで暮らす毎日だということ。そして、花子自身が何をすべきなのか、妖怪としてあるべき自分の姿が見えないことを、ゆっくりと時間をかけて話した。
花子の話は時計の長針が半回転するほど続いたが、小悪魔は嫌がる顔一つせず、真剣に聞いてくれた。余計な質問をせず、ただ相槌だけを打って、花子の声に耳を傾ける。
同じ悪魔なのに、彼女からはレミリアやフランドールのようなワガママさが微塵も感じられない。あの姉妹は小悪魔の爪の垢を煎じて、一日三回毎食後に飲むべきだと、花子は心から思った。
ようやく話し終えて一息つく頃には、二人のカップもティーポットも空っぽになっていた。小悪魔は「ちょっと待ってくださいね」と立ち上がり、次のお茶を淹れてくれる。
「こないだ、山の上にある神社の人が来て、緑茶を頂いたんですよ」
「山の上……早苗さんかな」
「そんな名前でした。さぁ、どうぞ」
湯気立つ緑茶を受け取り、花子は息を吹きかけてから、少しだけ啜る。緑茶の味は、久しぶりに飲むからか、とても懐かしく感じた。
花子がカップを置くのを見計らって、小悪魔は柔らかく静かな声音で、語り出した。
「美鈴さんは、立派な人ですよね。私は立場上、あまりお話はしませんけれど、何度か門の前で顔を合わせただけで、それが分かるくらいです。お館の門を守ることに全身全霊を注いでいて、自分の力をどう使うべきかもよく理解している人でした。紅魔館って、好き放題やる人ばかりだから、初めて会った時はびっくりしたくらい。
それから咲夜さんも、垢抜けた人ですけど、花子さんが仰るとおり、仕事にはとても真摯に向き合っていますよね。まだお若いのに、死ぬまでお嬢様に尽くすと明言しています。短命な人間にしておくのは、本当にもったいない人だわ」
「うん、そう思います。でも小悪魔さんだって、図書館のお仕事がんばってるじゃないですか」
「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいです。パチュリー様は、あまり褒めてくださらないから。でも、私はあのお二人とは、ちょっと違うんですよ」
緑茶を一口飲んでから、小悪魔は続ける。
「私は……自分から進んでこの仕事をしているわけじゃありません。パチュリー様の使い魔で、召喚されて契約した時に、図書館の司書となるように命令されました。あのお方に言われたことをやっているだけで、私が選んだことではないんです」
「じゃあ、本当はやめたかったり、するんですか?」
失礼になるかとも思ったが、花子は聞かずにはいられなかった。強制的にやらされているのだとしたら、彼女はどれほど辛い目にあっているのだろうか。
しかし、花子の心配は杞憂だったようだ。小悪魔は、小さく首を横に振った。
「やれと言われたことですけど、私はこの仕事が楽しいんです。本を読むのは好きだったし、パチュリー様はちょっとクールすぎるところがあるけど、とても優しいお方です。レミリア様や咲夜さんもよくしてくれますし、妹様なんて、何度か私を間違えて『お姉さま』と呼んだくらいですから」
「あは、懐いているんですね」
「えぇ、とても。まぁ、そんなわけで、私は自分の為すべきことが分かっているから司書をやっている、というわけではありません。パチュリー様にお仕えすることは幸せですけど、美鈴さんや咲夜さんのように、人生を賭けて打ち込めるかと言われると……頷く自信はありません。
つまり、私は花子さんと同じです。今の生活は楽しいけれど、本当の意味でパチュリー様にお仕えするとはどういうことなのか、見出せずにいるんです」
意外な言葉だった。花子は小悪魔も、咲夜や美鈴と同じほど大人の女だと思っていたのだ。
小悪魔が天井を見上げ、「難しいですね」と呟く。彼女もまた同じ悩みを持っているのだと思うと、花子は少しだけ安堵することができた。
その安堵に押されたせいなのか、花子の口からつい無意識に、言葉が零れ落ちる。
「でも……小悪魔さんは、いいですよね。パチュリーさんのためにがんばるっていうことは、見えているんだもの」
「そう、かもしれませんね。一からやることを探そうとしている花子さんよりは、きっと気楽でしょう」
返事を聞いてから、花子はハッと顔を上げた。相手の感情を気遣う前に本音を言ってしまう、油断すると出てくる悪い癖だ。これではまるで、小悪魔の悩みは大したことがないと言っているようではないか。
慌てて弁解の言葉を探したが、小悪魔は怒りも悲しみもしなかった。
「仰るとおり、私はパチュリー様に一生を捧ぐ。契約した悪魔として、それは当然のことです。あとは心の問題ですから」
「ご、ごめんなさい」
「いいえ。それより花子さん。あなたは――」
カップを置いて、小悪魔が真剣な面持ちをこちらに向ける。赤茶の瞳に覗き込まれて、花子は息を呑んだ。
「あなたは、何をしたいのですか?」
「何を、ですか……?」
「はい。お手洗いで子供を驚かすという妖怪だったとは、パチュリー様から聞いています。花子さんはきっと、そこに囚われすぎているんだと思うのです。産まれついた妖怪としてのアイデンティティを守りたい、その気持ちは分かります。けれど、トイレの妖怪でいることが美鈴さんの言う『役割』ならば、あなたが迷うことなんてないはず」
もんぺの裾を、きゅっと握る。認めたくないという気持ちが強かった。昔の自分に縛られるなとは、以前秋姉妹にも言われたことがある。分かっていたのだ。花子はもう『トイレの花子さん』ではない。幻想郷の妖怪、御手洗花子なのだ。
妖怪であろうとするだけならば、人を襲えればそれでいい。対象が子供である必要も、場所が厠である必要もない。それでも、捨てたくなかったのだ。
培ったプライドや崩れかけた地位にしがみついていたのではない。外の世界にいる、同じトイレの妖怪だった太郎との接点であり、絆だったから。
「私は……でも、トイレの花子さん、だったのに……」
だが、それでも、花子は迷ってしまった。『トイレの花子さん』こそが自分の役割だと、胸を張って言えなかった。
大切なものを失ってしまったような、大好きな人を裏切ってしまったような、そんな悔しさが心を満たしていく。
「……」
言葉が出てこなかった。すがっていたものが手から放れてしまったようで、途方にくれる。
俯いてしまった花子に、小悪魔は何も言わない。ただじっと花子を見つめ、答えを待ってくれていた。
ずっと、花子は厠の妖怪として誇りを持っていると思っていた。しかし、ここ何ヶ月かほとんど誰かを驚かさなくても、なんとも思わなくなっていた自分もいた。
結局は、捨てられる程度のものだったのか。自分が積み上げてきたものは、そんな価値しかないものだったのか。否定したかったが、考えれば考えるほど、胸が締め付けられていく。
「捨てなくても、いいんですよ」
ぽつりと呟いた小悪魔の声は、あまりにも優しかった。フランドールが姉と間違えたのも分かるほど、甘えたくなる声音だ。
「花子さんが歩いてきた道は、花子さんだけのものです。あなたの過去は、あなただけの養分となって、花子さんの経験は、花子さんだけに水を与えてくれます。あなたは、どんな花を咲かせるか、そこに迷っているだけ。
ねぇ、花子さん。トイレで子供を驚かしていて、一番楽しかったこと――嬉しかったことはありますか?」
花子の脳裏に、小学校で過ごした日々が蘇る。確認するかのようにゆっくりと、花子は話した。
「子供達が、私に驚かされて、怖がって逃げて。でも、また挑戦しにくるんです。みんな、私に会うまでは、怖がりながらも楽しそうで、逃げていった後も、校庭で『怖かったね』って、笑ってて――。
それが、嬉しかったんです。学校のみんなと一緒に遊んでるような気がして、楽しかった」
「お化けとして嫌われても?」
「だって、私は妖怪だもの。人間と仲良くなんて、外の世界じゃできません」
落ち着きかけていた花子だが、それでも小悪魔にすがるような視線を向ける。誰かに甘えたかったのだろうか。自分でも分からなかった。
「だから――悲しかったんです。だんだん子供に忘れられていって、私の力じゃ、子供達のお化けになってあげられなくなったのが、悲しかった」
「そうだったんですか……」
その後しばらく、会話はなかった。数分か、数十分か。花子はただじっと俯き、小悪魔も時々カップを口に運ぶだけで、ただ優しい瞳だけは、しっかりと花子を見つめてくれていた。
ようやく感情の高ぶりが引いていき、花子は頬を赤くして小悪魔に頭を下げた。
「ごめんなさい、すっかり甘えちゃって。えへ、同い年くらいだって美鈴さん言ってたのに」
「いえいえ。私もちょっとお姉さんになったみたいで、嬉しかったです」
微笑んでくれる小悪魔。花子は照れ隠しに頭を掻く。腹を割って話すつもりだったのに、これではただ甘えに来ただけだ。
しかし、心の中はすっきりしていた。何をどうするか、はっきりと見えたわけではない。それでも花子には、ある筋道が見え始めていた。
「やりたいこと、決まりました?」
まだ残っているもやもやを吐き出すように深く息を吐いてから、花子は頷く。
自分が学校の怪異として産まれた理由。過去にトイレの怪談として得た喜びが、花子に未来を見せてくれた。
高らかに、とまではいかなかったが、しっかりとした口調で、花子は誓う。
「私は、子供達のお化けでいます。大人は怖がれない、子供だけの妖怪――。幻想郷じゃ、難しいかもしれないけれど」
「素敵だと思います。花子さんなら、きっとなれますよ」
「ありがとうございます」
悩みが消えたわけではないが、花子はそれでも心から安心しきっていた。
問題を先送りしただけかもしれない。だが、今はそれでもいいと思えた。
もしまた迷ってしまっても、この幻想郷には、迷いを打ち明けられる人がいるのだから。
「私も、自分があるべき姿を探します。一緒に、がんばりましょう」
小悪魔の言葉に、花子はしっかりと首肯した。
独りじゃない。そんな分かりきっていたはずの事実が、胸の中に幸せな安心感を満たしてくれる。
知らず浮かべた花子の笑顔は、小悪魔のそれと同じほど、優しく柔らかなものだった。
◇◆◇◆◇
レミリアは宙を舞った。ベッドで気持ちよく寝ていたはずなのに、体が突然空中に放り出される。
あまりに唐突な出来事に、飛行で姿勢を制御することも叶わず、レミリアの小さな体は床に激突した。
「いったぁ……」
もろに顔面から突っ込んで、鼻の頭を押さえて立ち上がると、シーツを引っつかんで仁王立ちしている花子と目があった。フランドールは、床に転がってもまだ寝ている。あのタフさは、正直羨ましい。
眉を吊り上げてこちらを見据える花子だが、レミリアには彼女の顔がどこかすっきりしているようにも見えた。
「おはよう、レミィ」
「おはよ……。って、なに? どうしたの?」
花子はそそくさとシーツをたたんで、普段咲夜がよく使っている洗いかごに放り込んだ。
いつもの彼女なら、こんな手荒なことはしないはずだ。一体何が友を変えてしまったのか、レミリアは寝起きからうろたえた。
「は、花子? どうしたのよ、いきなりこんなことして」
「もうお昼の三時だよ? そろそろ起きようよ」
「……私、吸血鬼よ? 夜型なの。人間やあなたからしたら、まだ早朝なんだけれど」
昨晩の就寝時間は、朝の六時だった。花子はその四時間ほど前に寝てしまったが、その後、レミリアとフランドールは二人でオセロを楽しんでいたのだ。
寝るのが遅かったとはいえ、もう九時間は寝ている。早朝は無理がある計算だ。
そのことに気付いているのかいないのか――きっとどうでもいいのだろう――花子は腰に両手を当てて、まるで母か姉のように厳しい口調で言った。
「だめ! 咲夜さんや美鈴さんは朝からがんばっているというのに、一番えらいレミィがそんなことでどうするの」
「え? そうよ、一番えらいのよ。だったら私がゆっくり寝れるのは当然じゃない」
「そんな考えじゃ、いつか咲夜さんにも愛想尽かされちゃうんだから! そもそもレミィは――」
どうしてか、レミリアは花子の勢いに呑まれてしまった。なぜか正座をし、誰かから吹き込まれたのだろう言葉で続く説教に、嫌々耳を傾ける。
妹が掛け布団を抱き枕に床で安眠する様を見て、たくましく育ってくれたなと胸中で呟いた。頬を伝った涙は、うれし涙か、それとも別のものか。
「だから、ね、いい? レミィもたまには、紅魔館のみんなに恩返ししなきゃ。私はみんなに感謝してるんだよってところ、見せなくっちゃ」
「うぅん、そんなこと言ったって、どうしろってのよ」
唇を尖らせて訊ねると、花子は待ってましたとばかりに手を叩き、
「今日はね、一日中咲夜さんのお手伝いをするの。もう咲夜さんにはお話してあるし、喜んでくれてたよ」
「えぇっ! 咲夜の仕事って、すっごく大変じゃない。嫌よ私、今日こそフランとオセロの決着をつけなきゃならないんだから」
「どうせレミィが負けるでしょ。ほら、早く着替えて!」
「う……。さりげなくえげつないことを言うのね、あなた」
ぼやきながらも、言われたとおり寝巻きを脱いで、いつものドレスに着替えた。
靴紐を結んでいると、ようやくフランドールが目を覚ました。花子は彼女にも着替えを促し、
「もう、咲夜さん待ってるよ。私は先に行ってるから、早く来てね!」
とだけ言い残して、寝室を出て行ってしまった。
室内が、妙に静かになる。今も少し寝ぼけているフランドールが、ナイトキャップを被ってから目をこすった。
「お姉さま。花子、なんであんなに張り切ってるの?」
「……さぁ、知らない」
知らないが、花子はとても楽しそうだった。
「なら、まぁいっか」
花子が楽しいならば、自分も楽しくなれる。楽しければ、大体のことはどうでもよくなってしまうのだ。
今日もきっと、面白いことがあるに違いない。そんな確信を胸に、レミリアはフランドールの手を引き、花子の後を追いかけるのだった。