かちこめ! 花子さん   作:ラミトン

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そのにじゅうに  恐怖?酒と涙と妖怪少女!

 

 

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 太郎くんへ

 

 

 こんにちは。今日の花子は、ちょっと辛いです。

 

 うぅん、がんばって手紙を書こうと思ったのだけれど、やっぱりきついかな……。

 

 手紙のお姉さんにも無理するなって言われちゃったので、今日はあんまり書けません。許してね。

 

 心配かけちゃってるかもしれないけれど、一日寝ていれば大丈夫だと思います。

 

 太郎くんも、お酒の呑みすぎには注意してね。

 

 それでは、またおたよりします。

 

 

 花子より

 

 

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 レミリアの寝室は、空気が見事に変質していた。

 不快、と言ってしまうと友人に申し訳がないのだが、ただでさえ照明が暗めだというのに、さらに湿っぽく鬱々とした雰囲気が追加されている。少なくとも、いい気分になれるような居心地ではない。

 フランドールの家出から三日が経ち、紅魔館はあるべきものが欠けてしまった不自然な静けさに包まれている。おてんばがすぎる妹だが、いなくなると寂しく感じるのだから、不思議なものだ。

 そう、レミリアも寂しい。いつものような元気はない。フランドールがうまくやっているかどうか、心配でもある。

 しかし、それにしたって。レミリアは頬を掻いた。

 

「……参ったわ」

 

 思わず口から発してしまった声に、自分で驚く。もしも聞かれたりしたら、この空気がいっそう重くなるに違いないからだ。

 しかし、気付かれていないようだ。ほっと胸をなでおろす。しかし、根本的なことは何一つ解決していない。

 突然の家出騒動直後から、花子が完全に意気消沈してしまったのだ。全て自分の責任だと思い込んでしまっていて、何を言っても慰めとしか受け取ってくれない。

 

「花子、お茶にしましょう。おいしい紅茶を飲めば、気分もよくなるわ」

 

 ベッドの上で膝を抱えてうずくまっている花子に声をかけて、レミリアはテーブルを指差す。

 膝の間から、まるで亀のようにゆっくりと顔を上げて、花子が笑う。文字通り、死にそうな笑顔だった。

 

「うん……。ありがとう」

「い、いいのよ。友達でしょう?」

 

 応えつつ、自分がうまく笑えているかどうか不安になる。最初こそ心配していたが、ここまで来ると少し面倒くさいとも感じてしまう。

 花子の影響を受けてか、面倒見のいい姉が板につきつつあったレミリアだが、付け焼刃の世話好きは、長続きしそうになかった。

 それを自分で感じてしまっているからこそ、花子には早く立ち直ってほしい。でなければ、今度はレミリアと花子がケンカをしてしまいかねない。

 のそのそとベッドから這い出して、花子はテーブルについた。咲夜が用意してくれた紅茶と茶菓子を見ても、まるで嬉しそうな顔をしない。

 香りのいいダージリンを口に含み、花子が息をつく。吐き出される吐息はやたらと長く、誰がどう見ても溜息だ。

 

「……ごめんね、レミィ」

 

 引きつりかけた頬を、なんとか止める。二日も前から、もう謝るなと何度も言っているのだ。

 花子は、自分がレミリアとフランドールの仲を引き裂いたと思っている。見方によっては正しいのだが、レミリアからすれば久しぶりに大きな姉妹ゲンカをしたな、といった程度だ。はっきりと言ってしまえば、妹との衝突に対する後悔やら悲しみは、この三日間で消滅していた。

 仲直りまで多少時間はかかるだろうが、少しすれば、またいつものように過ごせるはずだ。フランドールも今頃は、レミリアとケンカしたことなど忘れて、寺生活を楽しんでいるだろう。花子のことは気にかけているかもしれないが、姉妹ゲンカなど、その程度のものだ。

 だからこそ、花子にここまでウジウジされてしまうと、レミリアとしては非常にやりにくい。

 

「もう、いいってば。フランもそんなに怒ってないわよ」

「怒っているよ。私はフランちゃんを、裏切ってしまったんだもの」

「……いや、ホントに大丈夫だからね。どう見積もっても、あなたがフランを裏切ったことにはならないから。気にしすぎよ」

「でも、フランちゃんは……私のこと――」

 

 大嫌い、というフランドールの台詞が、かなり効いているらしい。レミリアからすれば、何度言われたかも分からない言葉だった。かつては思うままに人の命を奪う悪魔だったのだから、憎悪を向けられることに慣れているのは当然だ。

 妖怪である以上、花子だって忌み嫌われる存在のはずだと思っていたのだが、直接人を殺したこともない彼女は、「学校の怖いマスコット」程度の扱いだったのだろう。

 気が合う親友だと思っていた花子との間に、思わぬすれ違いがあった。何をしてやればいいのか、皆目見当もつかない。

 隣に座っているだけで気が楽になる、などという歯の浮くような台詞があるが、隣にいるだけで疲れることもあるのだなと、レミリアは痛感していた。

 

「そうだ、いいこと思いついたわ。花子、お庭に行きましょう。もう夜だし、日傘もいらないわ」

「……なんで?」

「前に話したじゃない。美鈴が育てているお花、とっても綺麗に咲いているそうよ。枯れちゃう前に見ないと、損じゃない」

 

 レミリアとフランドールが夜まで起きてこないとき、花子はよく庭園の花を見て回っていることを思い出したのだ。門番をしている美鈴とも、暇つぶしに話をしていることが多いと聞く。

 花子を美鈴に押し付けてしまおうという考えがほんの少しだけ芽生えていたが、誘い自体は善意からのものだ。

 が、花子は頷かない。紅茶の水面に視線を落とし、

 

「フランちゃんとも、一緒に見たいな。三人で一緒がいいよ」

 

 なんとか顔には出さなかったが、膝の上に置いてあった左手は、血管が浮きでるほど握り拳を固めていた。

 もしかしたら、今は吸血鬼姉妹よりも花子のほうがワガママなのではないか。何を言っても耳を貸してくれないし、二言目には「フランちゃん」だ。

 

「まったく……」

 

 なんともなしに、それこそまるで呼吸でもするかのように呟いて、直後にレミリアは後悔した。

 慌てて花子を見れば、彼女の顔はみるみるうちに泣きそうな表情へと変わっていく。

 

「ごめんね、レミィ。迷惑だよね、私こんな、レミィもいるのに、こんなっ……」

「あぁ、いいのよ花子。大丈夫、私なら大丈夫だから。ねぇ、そんな顔しないで、後生だからもう泣くのやめて」

 

 どうしろというのだ。一切喋らずに機嫌を取れとでも言うのか。様々な文句が脳裏を過ぎったが、今の花子にはとてもぶつける気にならないものばかりだ。

 努力もむなしく、花子はテーブルに突っ伏し、声を上げて泣き始めてしまった。こうなると、もう手に負えない。

 

「は、花子? ねぇ、泣かないでよ、私なら大丈夫よ。ほら、全然気にしてないわ」

 

 肩をぽんぽんと叩きながら必死に慰めるが、花子が泣き止む気配はない。むしろ、だんだん酷くなっていく。

 レミリアが一生懸命になればなるほど、花子は友達を気遣わせてしまっている罪悪感に襲われるのだから、悪化はすれど、状況が好転することはなかった。

 いっそ部屋に閉じ込めて、しばらく放っておくのが一番いいのだが、混乱し始めたレミリアがその答えを得ることはなかった。

 

「うぅ、なんでよぅ。なんで泣くのよぅ」

 

 いい加減、レミリアの限界も近い。

 花子が来てから数ヶ月、レミリアは彼女を見習ってみようと、他人を気遣う努力をしていた。最初は感謝されることに喜びを感じたりもしていたのだが、彼女の本質は悪魔である。本人が気付かないところで、かなりのストレスとなっていた。

 徐々に溜まっていた憤懣は、ここに来てはっきりと知覚できるものになった。そしてそれは、もう取り返しがつかないほど大きなものになっている。

 頭の中が混乱していき、とても気持ちが悪い。自分ほどの悪魔が慰めてやっているというのに、なぜ受け入れようとしないのかという傲慢な気持ちもあれば、友達の役に立てない悔しさも混在していた。全部が本音であるため、切って捨てることもできない。

 

 複雑な感情は、涙腺を一気に緩ませる。

 腹の底からこみ上げてくるものに、レミリアの小さな体が小刻みに上下する。目じりには涙が溜まり、最後の足掻きと歯を食いしばるも、唇の震えは止まらない。

 

「私だって、私だって、がんばって慰めたのにぃ……」

「ごめんねぇ、レミィごめんねぇ」

「謝らないでよぅ、泣かないでよぅ! もう、もうヤだぁ――」

 

 必死に抑えていた心の堰が、切られた。

 泣き始めたレミリアに反応して、罪悪感を増した花子が謝りながらいっそう号泣し、そのせいでさらにレミリアが泣き喚く。終わりの見えない悪循環が始まる。

 

「私のせいで、ごめんね、ごめんね、うわぁぁぁぁん!」

「謝るの、やめてってばぁっ! もう助けてよぅ、しゃくやぁぁぁぁぁ!」

 

 久方ぶりに泣き喚いたせいか、レミリアは力の制御に失敗した。

 背後に向けて放出された魔力は家具を根こそぎなぎ倒し、頑丈な壁やドアすらもぶち抜いて廊下を蹂躙し、館の外壁に大きなヒビを走らせる。

 魔力の暴走は止まらず、地震が来たかのように館を揺らし、あちらこちらで備品が落下しては砕け散った。時計台の鐘が、なんとも情けない中途半端な音を奏でる。

 部屋と廊下を隔てる壁がなくなり、レミリアと花子の泣き叫ぶ声が、紅魔館に響き渡る。二人分の泣き声は、驚いた妖精メイド達が一斉に壺やら皿やらを手から落とし、いつも冷静な咲夜が時間を止めることも忘れて主のもとへ全力疾走するほど、酷いものだった。

 

 後にこの出来事は、妖精メイド達の間で「カリスマ・ハザード」と呼ばれるようになったという。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 結果として、花子はレミリアと離されることになった。魔力の暴走が治まったレミリアは、咲夜に引っ張られていった。

 一方の花子は美鈴に預けられ、今は紅魔館の敷地外を歩いている。なんでも、気晴らしに行きつけの店へ連れて行ってくれるとか。

 ひとしきり泣いた後だからか、気持ちはだいぶ落ち着いていた。しかしそうすると、今度は今までレミリアに晒していた醜態を思い出し、恥ずかしいやら申し訳ないやらで、穴があったら入りたい心地だ。

 

「誰にでもありますよ。一回落ち込んじゃうと、周りが見えにくくなりますからね」

 

 よほど顔に出ていたのか、美鈴は花子の心を読んだかのように言った。

 

「お嬢様も、たまにはあんな風に泣いたほうがいいんです。ワガママなのに、苦しい時は我慢したがりますからね」

「うぅ。我慢、させちゃったんだなぁ」

 

 この三日間、花子は世界で一番不幸になったような心地で、気晴らしに誘ってくれるレミリアの言葉もことごとく耳に入らなかった。冷静になって考えれば、なんと自己中心的なことか。

 思い出せば思い出すほど、気落ちしてしまう。がっくりと肩を落とす花子を見て、美鈴が苦笑した。

 

「まぁまぁ、いいじゃないですか。これも経験ですよ」

「そうですかぁ? レミィに嫌われちゃったんじゃないかなぁ」

 

 フランドールに続いて、レミリアにまでも。これはいよいよ、二人に黙って旅立たなければならないかと、花子は妙な覚悟を決めていた。

 夜闇が落ちた林道を歩きながら、美鈴が空を見上げる。釣られて顔を上げれば、散りばめられた星が花子を待っていた。

 

「お嬢様はあんな性格ですけど、誰かを嫌うことはほとんどありませんよ。見下すことは、多々ありますけど」

「でも私、レミィをあんなに困らせちゃったんだもの。それに」

「あぁ、ストップです。その先は、一杯やりながらにしましょう」

 

 花子の言葉を制して、美鈴が一点を指差した。湖に続く林道と街道を繋ぐ分岐路に、赤提灯が見えている。

 その屋台には、見覚えがある。というより、花子にとって馴染み深い店だ。のれんに書かれた『八目鰻』の文字と聞こえてくる楽しげな歌声が、夏の山を思い出させる。

 賑わいは上々で、屋台の近くに設けられた三つのテーブル席は、満席になっていた。

 

「ミスティアさんの屋台……。なんでここに?」 

「毎週金曜日になると、彼女はここに出張してくれるんですよ。ちなみに、土日は人里近くにも行ってます」

 

 ミスティアは、妖怪にしてはかなり精力的に働いている。焼き鳥を撲滅させる運動と、ついでにお小遣い稼ぎということらしいが、最近はどちらがついでなのか分からないほど繁盛している。

 今の情けない自分をミスティアに見られるのが恥ずかしくて、花子は屋台に足を進められなかった。しかし、美鈴に手を引かれてしまっては、逆らいようがない。

 

「さぁ、行きましょう。今日のこれは経費で落としていいって咲夜さんに言われてますから、気兼ねなく呑めますよ」

「で、でもいいんですか? 私のために、その、紅魔館のお金を……」

「大丈夫ですって! 花子さんを元気にしてこいってお金渡してくれたの、咲夜さんなんですし」

 

 使いすぎて怒られるパターンだなと花子は思ったが、美鈴は仕事だからという理由だけでなく、真心から花子をはげまそうとしてくれている。断るのは、野暮というものだろう。

 のれんをくぐって、二人はカウンター席に座った。秘伝のたれが焦げる匂いは、それだけで食欲をそそる。先客らしい妖怪の男は、すでに出来上がっていた。

 

「こんばんはー、二人、お願いします」

 

 男共の喧騒に負けないよう、美鈴が大声を出す。すると、奥から「はーい」と懐かしい声が返ってきた。

 カウンターの向こうにしゃがんで火の調整をしていたらしいミスティアが、立ち上がった。袖をたすきがけにした蘇芳(すおう)の和服が、相変わらずよく似合っている。

 

「いらっしゃいませー……って、花子ちゃんじゃない。うわぁ、久しぶり! 元気にしてた?」

「あはは、まぁ、ぼちぼちです。ミスティアさんも、お元気そうで」

「私はいつも元気だよ。今日は美鈴さんと一緒なんだね。レミリアさん達は?」

 

 ミスティアに悪気はない。美鈴がいるのなら、主のレミリア達がいてもいいはずだと、紅魔館の住人を知る者なら誰しもが思うことだ。

 返事をしかねて曖昧な空笑いをすると、首をかしげているミスティアに、美鈴がおしぼりで手を拭いながら容赦なく告げた。

 

「ケンカしちゃったんですよぉ。お嬢様だけじゃなくて、妹様とまで」

「ちょちょ、美鈴さん!」

 

 慌てて止めようとするが、もう遅い。ミスティアに振り返ると、彼女は八目鰻を焼く手を動かしたまま、

 

「あらら。花子ちゃんのことだから、すっごく落ち込んだんじゃない?」

「うっ……」

 

 図星を指され、花子は呻いて目を逸らすくらいしかできなかった。

 美鈴の注文を受けて、ミスティアは一番オーソドックスであるらしい焼酎を二杯、カウンターに置いた。久々に呑む屋台の酒は、故郷に戻ってきたかのような不思議な気持ちにさせる味だった。

 カウンターの酔っ払いが勘定を済ませて、去っていく。焼けた鰻を花子と美鈴に差し出しながら、ミスティアはにやりと笑った。

 

「さて、じゃあ今日は、たっぷりと愚痴を聞かせてもらおうかな」

「そんな、私はそんなつもりじゃあ……」

「遠慮かな? 無駄だと思うなぁ。花子ちゃんは抱え込むタイプだけど、お酒呑むと全部吐き出す人でもあるから、ここに来た以上諦めたほうがいいよ」

 

 さすがに屋台を切り盛りしているだけあって、常連が酔っ払うとどう豹変するかもよく分かっている。思えば山で修行をしていた頃も、ミスティアにはよく愚痴を零していた。

 助けを求めるように、美鈴の顔を見上げる。彼女は焼酎を一息に飲み干し、目じりに涙を溜めて歓喜に震えた。

 

「くぅーっ! 仕事を終えたあとの一杯は、たまりませんね。あれ? 花子さん、全然進んでないじゃないですか。もっと飲みましょうよー」

 

 どうやら、花子を助けるつもりはないらしい。

 参ったなと思いながらも、花子は自分が徐々に解放的になっていると感じていた。紅魔館は美しく豪華な館だが、花子にはこういった、庶民的な場所の方が肌に合っているのかもしれない。

 八目鰻を一口食べて、焼酎を口に流し込む。熱が喉を下っていき、胸元で留まる熱さは、すぐに言葉へと変わっていった。

 

「美味しい。やっぱり私、ワインよりこっちの方が好きだなぁ」

「あは、紅魔館じゃ焼酎は出ない?」

「出ませんよぉ。お茶だって紅茶ばかりだし、お菓子もケーキとか、そんなのばっかり」

「普段食べられるものじゃないから、いいじゃない」

「毎日毎日じゃ、飽きちゃいます。そのくせご飯になると、納豆とかが出るんですよ。納豆ご飯食べた後にケーキが出るもんだから、口の中が粘っこくて。よく普通な顔して食べられるなって思いますよ」

 

 あっという間に饒舌になってしまい、美鈴がくつくつと笑っている。乗せられてしまったことが癪だったが、こうなってしまうと、花子自身も止められない。

 

「大体、レミィはおかしいんだよ。流れ水がダメだからシャワーは浴びれないくせに、お風呂は好きなんだもん。コツがあるからなんて言って、いつも二時間近く私を巻き込むんですよ? フランちゃんは逆に、十分くらいで出ちゃうのに。姉妹なのにあべこべなんだから、あの二人は。

 そうだよ、フランちゃんもフランちゃんだよ。私は春になったらまた旅をするって、ずぅっと前から言っていたのに、今になってなんであんなこと言うの? そりゃ私だって、ずっと遊んでいられたらって思うけど、私には大きな家もお世話してくれる人もいないんだから、自分で努力しなきゃいけないんだもの。

 幻想郷に来る前だってさ、外の世界じゃもうどうしようもなくなって、死ぬまで惨めな妖怪でいなきゃいけないのが嫌で、いっぱいがんばってきたんですよ。それなのにフランちゃんったら、私が暇をもてあましてるから旅をしてるんだと思ってるんだから」

 

 喋っているうちに、コップは空になっていた。美鈴の合図を受け、ミスティアが再び焼酎を注ぐ。

 

「今日のことは、私だって悪いと思ってますよ。人の家でお世話になってるのに、レミィの前であんなにいじけちゃったんだもの。だから何度も謝ったのに、謝らないでよって泣き出して。おまけにお部屋や館はボロボロになっちゃうし、あれ私のせいじゃないですよね?」

 

 熱くなってきた顔を、美鈴に向ける。突然話を振られても、彼女は冷静だった。

 

「魔力の制御に失敗するのは珍しいことですけど、まぁ花子さんだけのせいだとは、言えませんねぇ」

 

 言外に、花子にも責任はあると告げたのだろうが、すでに酔い始めている花子には、理解できなかった。

 テーブル席の客に呼ばれてミスティアが行ってしまったが、気にせず思いつく言葉を片っ端から発していく。

 

「そうでしょ? あれで吸血鬼だー紅魔館の主だーなんていばっちゃってるんだから、おかしいったら。そりゃ、レミィは力も強いし魔法も使えるし、弾幕だって強いし綺麗だもの。すごい悪魔なんだなぁってのは分かるけれど」

「西洋の悪魔は、日本の妖怪よりずっと実力主義ですからねぇ」

「でも、ここは幻想郷ですよ? こっちでもずっといばりんぼでいるのは、間違ってます」

 

 本音は、小さな体でふんぞり返るレミリアを少し可愛いと思っている。咲夜がレミリアのワガママを聞き続けている理由も、なんとなく分かるのだ。

 もしも酒が入っていなければ、そんなところも嫌いじゃないと言ってやれたのだろう。すっかり酔ってしまっているせいで、花子の口からフォローの言葉は出なかった。

 ワインではほとんど酔うことがなかったというのに、焼酎は花子をあっという間に変えてしまった。泣き疲れていたせいで、酒の回りが速かったのかもしれない。初めて酒を酌み交わす美鈴は、花子が想像以上の愚痴上戸で驚いているようだ。

 カウンターに頬杖をついて、行儀悪く箸で八目鰻を突っつく。美鈴も戻ってきたミスティアも、それについて注意するようなことはしなかった。

 

「そりゃ、妖怪なんだから強くて怖くなくちゃってのは、分かりますよ。私は力もないし、見た目もこんなだから、レミィより立派な妖怪じゃないかもしれないけれど。それでも友達だって、レミィだって言ってくれたのに」

「確かにお嬢様は偉ぶる癖がありますけど、花子さんのことは本当に大切に思っていらっしゃいますよ」

「うん、それくらい分かってますよ。分かってますけどぉ」

 

 肘を突いていた腕を倒し、とうとう花子はカウンターに突っ伏した。コップが倒れかけ、溢れた焼酎をミスティアが布巾で拭く。

 酒をくいと喉に押し込んで、熱い溜息を吐き出す。

 レミリアが泣いたのは自分のためだろうし、フランドールだって花子と離れたくないという気持ちからの家出だ。責任を感じる一方で、嬉しくも思っていた。

 とはいえ、そもそもはレミリアが「紅魔館にいてくれ」と頼んできたのだ。それも、他でもないフランドールのために。

 期待に応えようと、がんばったつもりだ。ワガママをほどよく聞いて、朝方だった生活を二人に合わせたりもした。もっとも、生活リズムに関しては、レミリアとフランドールが花子に合わせてくれることもあったのだが。

 努力くらいは認めてくれと思う反面、何ヶ月も世話になっておきながら、最後の最後でこんな迷惑をかけてしまっていることへの罪悪感もある。特に、隣で涼しい顔をしながら八目鰻を食べている美鈴。彼女には、大きな貸しができてしまった。

 どうしてこんなことになったのだろう。何がいけなかったのだろう。花子は一生懸命考えたが、アルコールに支配され始めた脳みそでは、答えに辿り着けるはずもない。

 

 もんもんとした思考は酒の力でさらにかき回され、花子の話は次第に支離滅裂になっていった。仕舞いには、自分が何を言っているのかも理解できなくなってしまう。

 吸血鬼姉妹の文句を垂れているくせに、気付けば二人がいかに素晴らしい友人であるかという話をしていたり、なぜか全ての責任をまったく関係のない射命丸文に被せてみたりと、聞いている二人が苦笑しかできないような話題を次々に量産していく。

 紅魔館での暮らしは豊かで楽しかったが、やはり馴染めなかったようだ。無意識のうちに溜まった鬱憤を晴らすべく、花子はひたすら酒を呷り続ける。

 体に毒かもしれないが、一応は彼女も妖怪なので、命に関わる事態にはならない。美鈴もミスティアも、分かっているから止めないのだろう。

 

 延々と愚痴を垂れ流し続けているうちに、花子と美鈴以外の客はいなくなってしまったようだ。賑やかだった屋台には、もう三人の声しかない。

 何杯目かはとっくに分からなくなっていたが、コップに酒が注がれるのを横目に、花子はろれつの回っていない声を出す。

 

「それで、うぅん……なんだっけ。どこまで話しましたっけぇ?」

「花子ちゃんが、本当はレミリアさんとフランドールさんのことが好きだってところまで」

 

 これは、ミスティアの嘘である。本当は、寝る時に姉妹の羽が邪魔だという文句だった。

 もう思考回路がまともに働いていない花子は、突っ伏していた顔を挙げ、緩みきった笑みを浮かべた。

 

「あはぁ、そうなんですよぅ。私ぃ、レミィもフランちゃんも、大好きぃ」

「いつも仲良しですもんね。お二人とケンカしてしまったとしても、すぐに仲直りできますよね」

「うぅん? ……私は悪くなぁい、ですもん」

 

 ここに来て、花子はまだ粘った。さすがに予想外だったのか、美鈴が一瞬眉を寄せる。

 しかし、酒でふやけきっていた意地は、突っ伏した花子の(まぶた)が閉じかけると同時に、もろくも崩れ去った。

 

「悪く、ないけどぉ。でも、レミィ……困らせて、ごめんねぇ」

 

 ぐるぐる回る視界の中で、レミリアとフランドールが笑っている。二人と遊んだ時間は、涙が出るほど幸せだった。

 

「ごめんねぇ……フランちゃん、会いたいよぅ……」

 

 視界が潤むと、途端に睡魔が襲ってきた。まったく抵抗できず、目を閉じる。

 一つ、二つと呼吸をするたびに、眠りが花子を包んでいく。赤い提灯に照らされて、なんとも心地よい。

 

「ミスティアさん、そろそろ」

「はい。えぇと、お勘定は――」

 

 美鈴とミスティアの声は、もう耳に入ってこなかった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

「なのに、花子は自分に酔っちゃってさぁ。『私のせいで、ごめんね』なんてしおらしく言っちゃって。似合わないってぇのよ。そう思うでしょ? パチェ」

 

 四度目だ。正確には、四週目か。パチュリーはワイングラスを片手に親友を半眼で見つめた。

 紅魔館を謎の地震が襲ってから、数十分後のことだった。また天人がなにかやらかしたのかと調査の準備を始めていたパチュリーの下に、異変の原因である偉大な吸血鬼が、従者を引き連れて半べそで現れたのだ。この時点で、面倒ごとに巻き込まれることは覚悟していた。

 レミリアにしては珍しく、力の制御を誤ったらしい。紅魔館を揺るがし外壁にまで亀裂を走らせるとは、さすがに吸血鬼は凄まじい力を持っていると感心した。咲夜からすれば、たまったものではないだろうが。

 

 あれだけ泣き喚いたというのに、レミリアは誰かに聞いてもらわなければ気がすまなかったらしい。白羽の矢が立ったパチュリーを図書館から引きずり出し、こうしてテラスで二人だけの酒宴を開いている。

 いつもはそばに控えている咲夜も、今はいない。館の修繕を急いでいるのだろう。たっぷり用意されたワインと妖精メイドが運んでくる料理を楽しみつつ、もう何時間も話し込んでいる。

 

「私がさぁ、このレミリア様がよ? 必死こいて慰めてあげてるというのに、あのちんちくりんのおかっぱときたらさぁ」

「……レミィ、あなたちょっと飲みすぎよ」

 

 喘息持ちのパチュリーは、酒を大量に呑めない。テラスに散らかった酒瓶のほとんどは、レミリアが空けたものだ。

 真紅のテーブルクロスに、レミリアが頬杖をつく。目は据わっていて、白い素肌も朱色を帯びている。

 レミリアは酔いで性格が変わることがない。暴言を吐き連ねているが、これが本来の彼女なのだ。

 

「飲みすぎぃ? 何言ってんのよ、飲まなきゃやってらんないわ! プライドまで投げ捨ててやったってのに」

「ずいぶんがんばったのね。私が花子と同じ状態になっても、そこまで献身的になってくれないんじゃないかしら?」

 

 目を細めて、意地悪く呟いてみる。しかし、レミリアは動じた様子を一切見せず、しゃあしゃあと言ってのけた。

 

「当たり前じゃないの。むしろ殴ってでも正常に戻すわ」

「そうね、そうしてちょうだい。自分で想像して、ゾッとしたから」

 

 望んだ答えとは違ったが、二人の間柄を考えれば、彼女の反応は当たり前か。生温い馴れ合いを必要とするほど、二人の仲は浅くないのだから。

 レミリアは、まだ鬱憤を吐き出しきれていないらしい。チーズが乗ったクラッカーを齧りながら、不機嫌を隠そうともしない。

 この数ヶ月間、花子がいるおかげでパチュリーはレミリアと話す機会が減っていた。親友をお役御免になったかとも思ったが、いらぬ心配だったらしい。

 腹の底から遠慮せずに本音を言える、その相手に選んでもらえることは、素直に嬉しかった。

 赤く揺れるワインを眺めながら、レミリアが言った。

 

「夜の帝王とか恐怖の吸血鬼とか、悪魔としての面子を保つのも大変なのに。なんだか、らしくなかったわ。最近の私ったら、人間みたいじゃなかった?」

 

 質問というよりは、同意を求められている。パチュリーは考えるまでもなく、首肯した。

 

「そうね。花子が人間に近いのは仕方ないとして、あなたが花子みたいになっていくのを見ていると、なんだか背中がむずむずしたわ」

「あはは、でしょうね。やっぱり私には向いてないのよ。なんで真似しようとしたのかしら」

 

 首を傾げてから、レミリアはワイングラスを空けた。すぐに赤い酒を注ぎ足す。

 花子を真似るようなことをした理由は、パチュリーにはすぐに分かった。が、親友のためにも教えないことにした。

 ともすれば八方美人と呼ばれてしまうほど、花子は人がよく誰にでも好かれる。強すぎることとワガママな性格で嫌われがちなレミリアは、花子のそんな部分に憧れていたのだろう。無自覚なのは、プライドのなせる業か。

 

「人付き合いの勉強という意味では、いい経験になったのではないかしら?」

「うぅん、そうかもね。他人を気遣うのはどうしても向いてないってことは、よく分かったわ」

「……成長しないで元に戻った、ってこと?」

「そういうこと」

 

 ウィンクなどしてみせるレミリア。パチュリーは何も言わず、口元に笑みを浮かべるだけだ。

 本人は気付いていないようだが、レミリアは成長している。それは、誰の目から見ても明らかなのだ。

 ふと、レミリアが時計台を見上げる。このテラスからだと少し見にくいが、時間は確認できた。

 

「それにしても、美鈴と花子はどこまで行っているのかしら。そろそろ花子が目をこすり始める時間じゃない」

「あら、花子のことが心配?」

 

 訊ねると、レミリアはわずかにそっぽを向いて、

 

「そりゃ、ちょっとはね」

「あれだけ文句を言っていたから、嫌いになったのかと思ったわ」

 

 からかうような口調で、パチュリーはレミリアの顔を覗きこむ。頬の赤みは、酔いだけが原因ではなさそうだ。

 ワインを飲みつつ、レミリアが小さな声で「分かっているくせに」と呟いた。

 彼女が花子のことを嫌う可能性は、ないわけではないだろうが、ほぼゼロと言っていい。よほど酷いこと――それこそ身内を殺されでもしない限り、絶交ということにはならないだろうとパチュリーは踏んでいた。

 レミリアは友達が少ない。まして、力の差を気にせず接するパチュリーや花子のような者には、なかなかめぐり合えないのだ。故に、彼女は友と呼べる者をとても大事にする。紅魔館の外では決して見せない一面だ。

 

「レミィと花子、相性はいいものね。ただ、ちょっと花子に流されていたんじゃない?」

「不覚にも、その通りね。我ながら恥ずかしいわ。もしかしたら、花子があんなに落ち込んだのも、私がらしくなかったからかしら」

「あり得るわね。妹様の暴走も、それが理由かも。あなたは三人の中心にいたんだから、軸がぶれて色々調子が狂った、とも考えられるわ」

 

 はっきり告げると、レミリアは小さく唸って眉を寄せた。

 花子から受けた影響が悪いものだったなどと、パチュリーは思っていない。むしろ、幻想郷で生きていく上では間違いなくプラスになるだろう。

 ただ、それとレミリア・スカーレットという人格が崩れてしまうこととは、また違う。フランドールもしかりである。

 吸血鬼の姉妹はあくまで彼女達らしく、永遠に幼いワガママな吸血鬼であるべきだ。

 難しいバランスだろう。綻びも出てくるに違いない。そのフォローをするために、咲夜や美鈴が、そしてパチュリーがいるのだ。

 だから、パチュリーはいつもと変わらない調子で、さらりと告げた。

 

「まぁレミィのことだし、明日からはうまくやれるわよ。もう調子は戻ったんでしょう?」

「うん、そうね。花子が出て行くまで、今度は私が振り回す番よ。私に恥をかかせたんだから、友達でも責任は取ってもらわなくっちゃね」

「ケンカにならない程度にしなさいよ」

「分かってるって」

 

 答えながらも、レミリアの顔にはイタズラを企むいつもの笑みが浮かんでいる。本当に分かっているのやらと、呆れるしかない。

 二人のグラスが同時に空になり、新たなワインを注いでいると、鉄門を押し開く音が聞こえた。この時間に侵入してくる者は、さすがにいない。とすれば、答えは一つだ。

 テラスから一望できる紅魔館の庭に、人影が見えた。美鈴だ。その背中には、熟睡している花子も見える。

 

「……あっちも、憂さ晴らしはできたみたいね」

 

 パチュリーが呟くと、レミリアは優しい微笑を口元に湛えた。素の彼女でもこんな顔ができるのかと、わずかに驚く。

 

「よかった。花子、紅魔館では窮屈そうだったから」

「そうかしら? 楽しんでいるように見えたけれど」

 

 思ったままを訊ねるが、パチュリーは花子との付き合いが浅い。きっと、レミリアにしか分からないこともあるのだろう。

 案の定と言うべきか、レミリアは答えなかった。聞いたところで理解できないかもしれないし、知らなくていいとレミリアが判断したのなら、パチュリーも無闇に聞き出す真似はしない。

 妖精メイドが、新たな料理を持ってきた。野菜スティックとカットチーズの盛り合わせだ。

 パチュリーが棒状のニンジンをポリポリやっていると、レミリアが言った。

 

「あぁ、そうそう。さっきパチェは『あっちも憂さ晴らしはできたみたい』と言ったわよね」

「えぇ、言ったけれど」

「ちょっとだけ、訂正させてくれないかしら」

 

 ワイングラスを持ち上げ、こちらに向かって突き出してくる。意図は嫌というほど伝わってきた。

 

「私はまだ、鬱憤を晴らしきれてないの。今日はとことん飲みたいわ、付き合ってちょうだい」

 

 真っ直ぐ見つめてくるレミリアの瞳は期待にキラキラ輝いていて、拒もうとすることすら許してくれない。

 いつもの彼女に戻ったのだなと、パチュリーはいよいよもって確信した。

 観念して、ワイングラスを持ち上げる。レミリアが嬉しそうに目を細めた。この顔をされると、負けを認めざるを得ない。

 

「ありがと。我が最愛の友パチュリーと、今宵の美しい月に、乾杯」

「私の困った腹心の友レミリアと、明日の苦しい喘息に、乾杯」

 

 グラスがぶつかり、紅いワインが揺れる。レミリアの笑顔に、よく似合う色だった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 寺での生活は、今まで自由気ままに暮らしてきたフランドールにとって、はっきりと窮屈なものだった。

 時間には厳しいし、食事は自分達で用意しなければいけない。その料理には肉が一切なく質素で、片付けは自分でやれと言われる。

 食事が終わると、寺中の掃除。フランドールは太陽光に当たれないので、もっぱら廊下の雑巾がけをやらされた。泊めてもらっているぬえの部屋を掃除するのも、フランドールの仕事になっている。

 どれもこれも、咲夜や妖精メイドがやるようなことばかりだ。命蓮寺は修行僧が妖怪だからか、人間の寺と比べて自由時間がとても多いのだが、それでもフランドールにとっては酷い束縛感を感じさせられていた。

 世話になっている以上文句を言うつもりはなかったが、自分にあった暮らしだとは、口が裂けても絶対に言えない。

 

 夕食を終え、夜中が近づいた頃。フランドールは一人、部屋の隅っこに座っていた。

 命蓮寺で経験したことは全てが新鮮だし、寺の住人とも仲良くなれた。それでも彼女の心には、抜け出せないもやもやがかかってしまっている。

 ここでの生活が嫌になったわけではない。好き勝手に暮らしてきた日々に比べて息がつまるのは確かだが、そういう感覚とは違う。

 理由は分かっていた。目に入る和室の情景、鼻腔をくすぐる畳の匂い、その感触。何もかもが、紅魔館と違う。

 住人の談笑からは、レミリア達の声が聞こえない。探せど歩けど、寺の中にはフランドールの家族がいない。ここは命蓮寺で、紅魔館ではないのだから、当たり前だ。

 当たり前であることが、それを理解してしまっている自分自身が、苦しくて寂しくて仕方がない。

 フランドールは、ホームシックになっていた。

 

「……」

 

 それでも、飛び出した理由が理由だけに、帰りづらい。もし帰宅してレミリア達に怒られてしまったらと思うと、怖くなってしまう。

 命蓮寺で世話になってから、三日がたった。勝手気ままに帰ると言い出せば、ここの人達もフランドールを嫌いになってしまうかもしれない。

 長い吐息をつくと、それだけで視界が涙で歪んだ。こんなに弱虫じゃなかったのにと、唇を噛む。

 と、その時だった。部屋の襖が開き、ぬえが入ってきたのだ。フランドールは慌てて目を袖で拭った。

 隠せたかと思ったが、ぬえは怪訝な顔をしてこちらを見ている。気付かれたようだ。

 

「フラン、どしたの?」

「なんでもないよ。なんでもないの」

 

 ぬえはフランドールに負けないほどおてんばで、イタズラが好きな少女だ。吹聴されては、たまったものではない。

 あわやからかわれるかと思われたが、ぬえは襖を閉めて、フランドールの前に座った。

 

「なんでもないって、そんな鼻まで赤くしてちゃ、信じられるわけないでしょ」

「ち、違うもん。泣いてなんかないもん」

「……ふぅん」

 

 それ以上、ぬえが何かを言うことはなかった。畳にだらしなく寝転がって、尻を掻きながら人間向けの雑誌をめくり始める。

 本音を聞いてもらえば楽になったかもしれないと、フランドールは悔いた。今更になってやはり聞いてくれとは言い出せず、膝を抱えて小さくうずくまる。

 雑誌に目を落としていたぬえが、突然振り返った。ちょうど、フランドールの足元に顔がある。

 

「ねぇフラン」

「な、なに?」

 

 気付いてくれたのかと、フランドールは目を輝かせた。しかし、

 

「パンツ丸見え」

「……」

 

 黙って抱えていた膝を崩し、女座りに切り替える。ぬえはもう雑誌の方を向いてしまった。

 静まり返った室内は、時々雑誌をめくる音が聞こえるだけで、他の音は一切しなかった。普通に話していても大きな響子の声が、どこかの部屋から少しだけ聞こえてくる。

 十分が過ぎた頃、またぬえが振り返り、雑誌をこちらに差し出してきた。読むか、とジェスチャーで聞いてきたのだ。そんな気になれず、首を横に振る。

 

「あ、そ」

 

 実にそっけない返事と共に、ぬえは雑誌をそこいらに放り投げて立ち上がった。

 出て行ってしまうのかと思い、咄嗟に呼び止めようとして、その理由が見つからず、フランドールはぬえの背中に伸ばした手を引っ込める。

 また独りになることが怖くて、響子の部屋にでも遊びに行こうかと考えていたが、しかしぬえは部屋から出なかった。布団がしまってある箪笥を開けて、物置となっている下段をゴソゴソとやりだす。

 レミリアが使っているベッドの下がまさしくおもちゃ箱になっていたので、それと同じようなものだとフランドールは踏んだ。実際似たようなものらしく、出てくる物はガラクタばかりだ。

 ぬえのお尻だけが突き出ている押入れから、くぐもった声が聞こえてくる。

 

「どこにしまったっけかなぁ」

「何を探してるの?」

 

 好奇心に負けて、訊ねた。押入れから出てきたぬえは、引っ張り出した物を無理矢理元の場所に押し込んでから、反対側を開けつつ答える。

 

「命の源」

 

 またも押入れに上半身を突っ込んで、ぬえが再び物色を始めた。

 どうやら押入れ内部はフランドールが予想している以上の魔境らしく、時々何かが割れたのではないかという音が鳴り響いた。しかし、部屋の主に動じる様子はない。

 やがて、ぬえは生還した。達成感に溢れた顔をしていて、腕には木箱を抱えている。

 

「やっと見つけた。これよこれ」

 

 舌なめずりをしつつ振り返り、ぬえは自慢げに箱を置いた。覗き込むフランドールの前で木箱の蓋を開ける。

 入っていたのは、一升瓶だった。上物の酒なようで、豪華な装飾がされている。

 フランドールは驚いた。ここは寺で、ぬえは一応修行僧なのだ。

 

「お酒、だよね。お坊さんはお酒飲んじゃダメって、本で読んだことがあるわ」

 

 仏教の戒律に、不飲酒戒(ふおんじゅかい)というものがある。仏教徒が守るべき戒律の一つだ。フランドールは知識として知っているだけだが、当事者のぬえが知らないはずはないだろう。

 何も真面目ぶって言ったわけでもないのだが、ぬえは一瞬面倒くさそうな顔をした。同じ木箱に入っていた二つのコップを取り出し、一つをこちらに押し付けてくる。

 

「いいのいいの。般若湯ってやつよ」

「はんにゃとー?」

「そうそう。知恵が湧き出る素敵な水よ。ちょっとおいしいだけ」

 

 よく分からなかったが、宗教上の隠語だろうということで、フランドールは納得した。

 お互いのコップに一升瓶の中身を注ぎ、ぬえと同じタイミングで口に流し込む。

 やはり、アルコールだ。いつも呑んでいるジュースなどとは、だいぶ味が違う。初めて飲む日本酒の味は、フランドールの口には合わなかった。

 

「……あんまり美味しくない」

「うわ、ひっど。せっかく苦労してばれないように調達してきたってのに」

「そんなこと言ったって」

「慣れればうまいって思うようになるわよ。あ、もう口つけたんだし、フランも共犯だからね」

 

 頬が引きつる。流されるままに酒を呑んでしまったが、もし誰かにばれたら、星の長い長い説教が待っているに違いない。

 ぬえに罪悪感は一切なさそうなので、責めても無駄だろう。フランドールもレミリアや花子にイタズラを仕掛けることがよくあるので、彼女の気持ちは分からなくもなかった。

 せっかくもらったのだからと、日本酒をもう一口、含む。やはり美味しいとは思えない。

 もうすっかり一杯目を飲み干してしまったぬえが、コップに酒を注ぎ足しながら、唐突に言った。

 

「フラン、あんた帰りたいんでしょ?」

 

 飲み込むのに苦労していた酒を、全て吹き出してしまった。ぬえの顔面にかかり、慌ててハンカチを取り出す。

 

「うわ、ご、ごめん!」

「あー、うん。図星だってことがよく分かったわ」

 

 受け取ったハンカチで顔を拭きながら、ぬえが半眼を向けてくる。

 世間話でもするかのような口ぶりで真意をついてくるものだから、驚きを隠せなかったのだ。

 酒で濡れたハンカチを部屋の洗濯物入れに放り込み、ぬえは再びフランドールの前に座った。

 

「で、なんで帰らないの?」

 

 あまりにも真っ直ぐな質問に、フランドールは答えられなかった。

 命蓮寺滞在が許されたと教えてくれた一輪は、帰りたくなったらいつでも帰っていいと言ってくれた。

 しかし、簡単には帰れない。フランドールにとって、複雑な問題なのだ。

 だがそれは、第三者から見たら至極単純な悩みだった。ただ、フランドールが意地を張っているだけなのだ。

 現に、本音は帰りたいと叫んでいるではないか。だというのに、それに従いたくないという葛藤が、本心をがんじがらめにしてしまっている。

 言葉に出せず沈黙していると、ぬえはコップを傾けながら、

 

「ふぅん」

 

 と、彼女らしい適当な相槌を打った。興味がなさそうな態度だが、その視線はしっかりフランドールに向けられている。

 この目は、何度か見たことがある。美鈴や咲夜、レミリアとパチュリーにも、同じ目で見られたことがあった。

 見透かされているのだ。その上で、余計なことを言ったり聞いたりしてこない。フランドールの知らない人付き合いのうまさを、ぬえもまた持っていた。

 

「だったらしばらく寺にいたら? 別に誰も困りゃしないし、私は部屋の片づけが楽になっていいし」

「でも……」

 

 出かけた言葉を、一瞬飲み込む。コップを傾けながら、ぬえは相変わらず表情を変えずにこちらを見つめている。

 ぬえに言っても何一つ解決しないだろう。だが、彼女がどういうつもりでフランドールに酒を勧めたのかを考えると、吐き出してしまってもいい気がする。

 自然に、口は開いていた。

 

「お姉さまに、会いたいの」

「じゃあ帰れば?」

「……だって」

 

 呟いた言葉は、無意味なものだった。

 どうしたいのか、どうすべきなのか、考えれば考えるほど、分からなくなってしまう。

 唇を尖らせ拗ねてみせても、ぬえの態度は一向に変わる気配を見せなかった。良くも悪くも、彼女はフランドールに優しくしない。

 

「優柔不断ね。吸血鬼ってもっとこう、ズババーっていってゴゴゴゴゴってなってドカーンってするのかと思ってたわ」

「なにそれ。意味分かんない」

「ん、私にもよく分からん」

 

 そう言うと、ぬえはようやく笑った。屈託がなく、実に朗らかだ。フランドールも釣られてしまう。

 三杯目の酒を注ぎ足して、ぬえがコップを畳に置いた。

 

「でもまぁ、悩んでるんなら帰らないほうがいいわね」

「……どうして?」

「だってそうでしょうが。半端な気持ちで帰っても、同じことを繰り返すだけよ。誰のためにもならないし、他でもないフラン、あんたが不幸になるよ」

 

 言葉に詰まった。もう同じ過ちを繰り返したくはないが、どうすれば心にかかったもやが晴れるのかも分からない。このまま寺に居座り続けて、本当に解決へと向かうのだろうか。

 すっかり思い悩んでいると、とうとう一升瓶をラッパ飲みしだしたぬえが、口元を腕で拭い、

 

「私がこういうこと言うの、らしくないんだけどさぁ。元気だしなよ。あんたは他人って気がしないから、凹まれてると妙に落ち着かないんだよね」

「そ、そう?」

 

 そっけない態度が多いぬえが、まさか自分に親近感を抱いてくれていたとは。思ってもみなかったが、妙に嬉しかった。

 

「うん、なんとなくだけどね。いい友達になれると思うよ、私ら」

 

 まるでただの感想を述べるような言い方だったが、その言葉がどれだけフランドールを元気付けたことか。

 家に帰りたいという葛藤は今も残っているし、心のもやも取れていない。しかし、素直な気持ちで笑うことができた。

 

「そっか。そうだね、私もそう思う」

「よしよし。苦しゅうない、ちこうよれ」

 

 ぬえは楽しげに、少しだけ減ったフランドールのコップに日本酒を注いだ。

 一口飲んでみたが、やはり独特な風味がして、一気には飲めそうにない。だけれど、なぜか好きになれそうな気がした。

 

「まぁさ、焦ってもいいことなんてないんだし、適当でいいじゃん。あんたも花子も妖怪なんだし、時間なんて腐るほどあるでしょ」

「うん……。でも、花子はとっても傷ついたと思うわ」

「大丈夫だって。もうちょっとすれば、みんな丸く治まると思うよ。姉妹ゲンカも友達とのケンカも、そんなもんよ」

 

 軽く言ってのけるぬえだが、不思議な説得力がある。

 もしも彼女の言っていることが本当なら、もう少し命蓮寺に留まるべきだろう。

 フランドールには、もうぬえの言葉にすがる意外の道がなかった。新しくできた友達の言うことなのだから、信じてもいいはずだ。

 

「……じゃあ、もう少しここにいる。そうしたら、みんなとまた仲良くできるんだよね?」

「たぶんね」

 

 確証はない、ということだろう。それでも十分だった。

 

「さて、と。そろそろ寝ようかな。フラン、それ飲んじゃってよ」

「うん」

 

 一升瓶に蓋をして木箱にしまい、ぬえが立ち上がって木箱を押入れにしまう。

 慌ててコップの中身を飲み干し、喉を通る熱さをこらえる。

 立ち上がろうとして、フランドールはふらついた。慣れない酒を一気飲みしたせいだろうか。

 

「っとと……」

「やだ、あんた酔っ払ったの? 一杯しか飲んでないのに」

「そんなこと言われても」

 

 腰に手を当て、ぬえは溜息をついた。

 

「仕方ないわね。布団敷いてあげるから、そこに座ってなさいよ」

「う、うん」

 

 言われたとおり、その場にぺたんと座り込む。

 やれやれと呟きながら布団を敷くぬえを眺めていると、フランドールはなんともいえない感情を覚えた。

 魔理沙や花子と友達になった時とは違う。しかし、この感覚は何かに似ている。

 布団を敷き終えたぬえが、両手を払った。

 

「これでよし。ほらフラン、寝巻きに着替えちゃいな」

 

 外見は――実年齢もだが――フランドールより年上に見えるぬえが、腰に手を当てて振り返る。その姿を見て、気付いた。

 

「……そっか、お姉さまだ」

 

 面倒そうな顔をしながら、いつもフランドールを心配してくれる。レミリアの影が、ぬえに重なった。

 性格も顔も身長も、似ているところなんて一つもない。だというのに、なぜ――

 

「あんた、私が吸血鬼に見えるの? どんだけ酔ってんのよ」

 

 ぬえに言われて、ハッとする。慌てて、胸の前で手を振った。

 

「ううん、なんでもないの」

「またそれぇ? まぁいいんだけどさ」

 

 そそくさと服を脱いで、フランドールは寝巻きに着替える。

 布団にもぐりこむと、ぬえが部屋の照明を消した。妖力の光源に照らされていた部屋は、すぐ暗闇に包まれる。

 目を閉じた。ぬえが布団に入る音が聞こえる。

 

「そんじゃ、おやすみ」

「うん。おやすみ」

 

 いつもならこれから遊ぼうという時間だが、眠気は自然にフランドールを包み込んだ。今朝も早かったからか、はたまた、他の理由か。

 その晩、フランドールは、寺に来てから初めて熟睡することができた。

 

 翌日、しまい忘れたフランドールのコップがナズーリンに見つかり、飲酒がばれた二人は、揃って星の長い説教を頂戴することとなった。

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