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太郎くんへ
こんにちは。花子はまだ生きています。このお手紙、太郎くんに届くかな……。
今日は、なんだかおかしなことがいっぱい。こいしちゃんと一緒に歩いていたら、黒くて丸い不思議なモノが空を飛んでいたの。
それを追いかけているうちに、変な森に迷い込んじゃった。新しい友達ができたことが、ただ一つのいいことかな。人食い妖怪だけれど、そんな風にはまったく見えない子なの。
真っ暗な魔法の森は、とても怖いです。私は暗いのは平気なのだけれど、ここは、なんだかそういうのとは違う怖さがあるんだ。
早く、お日様の光を浴びたいな。無事に出ることができたら、手紙のお姉さんにお便りを渡せると思います。
お手紙が届いたら、花子が元気だという証拠です。だから、この手紙を読んでいる時は、太郎くんは安心してね。
それでは、また。
花子より
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こいしとの旅は、花子がそう思っていた以上にゆっくりとしたものだった。一人旅だった時に比べて、半分以下のペースになっている。
飛べば花子よりスピードが出るのに、こいしの歩みはとても遅い。かといって、景色を眺めるでもなく、しかしいつものように微笑を浮かべて、まるで空気を楽しんでいるかのようだ。
急ぐ理由もないので、花子は彼女に合わせて歩いている。時々すれ違う里の人間は、花子を見ることはあっても、こいしに気づく様子はなかった。
曰く、こいしの能力は意識外でもその力を発揮しているため、親しい者以外は目の前に立っても気づかないことが多いとか。こいし自身が隠れようとしていない限り、意識して探せばすぐに見つかるらしい。
「うぅん、すれ違っても気づいてもらえないのは、少し寂しいような気がするな」
花子が正直な感想を述べると、春風に持っていかれないよう帽子を押さえながら、こいしが小さく唸った。
「最初は寂しかったかなぁ。もうずっと前のことだから、忘れちゃった。でも、慣れるとそんなでもないよ。目の前でイタズラしても怒られないしぃ、友達には気づいてもらえるもん」
「そんなものなのかな。こいしちゃんの力って、人間を驚かすのに向いた能力だよね」
「気づかれないから、驚かし放題だよぉ。私は人間が嫌いだから、自分から関わることはないけどねぇー」
つい一年前まで人間と慣れ合っていたようなものである花子にとって、彼女の人間嫌いという言葉は突き刺さるものがある。しかし、嫌いなものは仕方ないので、極力気にしないことにした。
しかし、人との関わりを良しとしないとなると、この幻想郷では少しやり難い問題があるはずだ。
地底に篭っているならまだしも、幻想郷で生活するなら、金銭が必要になってくる。どうしているのかと訊ねると、こいしはどうしてか自慢げに胸を張って、
「お姉ちゃんに、お小遣いもらってるの」
「なるほど。お姉さんは、どうやってお金を手に入れているの?」
「んっとねぇ、旧地獄の管理報酬で、地底だけで使えるお金をもらってるんだぁ。それを、旧都で換金してもらうの。それができるようになったのは、最近だけどねぇ」
便利になったなと、こいしは嬉しそうに言った。換金所をやっている妖怪がどういうルートで幻想郷の通貨を手に入れているのか、気になるところではあったが、彼女に根掘り葉掘り訊ねても仕方がないので、よしておくことにする。
通貨を持っているとはいえ、こいしが人里でそれを使うことはない。使い道は大体がミスティアの夜店だったり、守矢神社の縁日だったりするそうだ。
「人間のお店で行くところはねぇ、前に花子と萃香さん達と一緒にいった、山の麓にあるお茶屋さんくらいかなぁ」
「あ、あそこに行っているんだ。お店のお婆ちゃん、元気だった?」
「元気だったよぉ。お客さんは、いなかったけどー」
子供以外にも、心を許せる人間はいるようだ。あの優しそうな老婆なら、心を読む妖怪を嫌わないかもしれないなと、花子もどうしてか納得できた。
飽きもせずにお喋りをして、時々足を止めて妖精の弾幕ごっこを眺めたり、街道の真ん中に咲いているタンポポを安全な場所に植え直したり、寄り道をたくさんしながら街道を進む。
途中、リスの耳と尻尾が生えた妖怪少女に弾幕ごっこを挑まれたが、こいしがコテンパンに叩きのめした。圧倒的な点差で敗北して、リスの妖獣は泣きべそをかいて逃げていった。
彼女の強さもそうだが、相変わらず手加減を知らない。仕掛けてきたのは向こうなのだが、それでも花子がリスの少女に同情してしまうほどだ。
しかし、当の本人はとても満足そうに、両手を大きく伸ばしてみせる。
「んーっ、楽しかったぁ」
「あっという間だったね。お疲れ様」
「ありがとぉー」
小春日和とはいえ、運動したことでこいしは少し汗を掻いてしまったようだ。ちょうどいい風も出ているので、花子達は少し歩いたところにある切り株で休憩することにした。
大きな切り株に、二人並んで腰掛ける。服の襟首をつまんでパタパタと空気を送り込んでいるこいしに、水筒の蓋に冷たいお茶を注いで渡すと、彼女は一息で飲み干してしまった。
空になった水筒の蓋をしばし見つめてから、こいしがおもむろに顔を上げ、やけに神妙な面持ちで、
「お腹減った」
「あは、私も。じゃあ、お昼にしよっか」
リュックを開けて、花子は笹の葉に包まれたおにぎりを二つ取り出した。命蓮寺で一輪に作ってもらったものだ。たくあんが少しだけついているのが嬉しい。
そこそこ大きめに握られていて、一個で十分満腹になりそうだ。二人一緒にいただきますとおにぎりに頭を下げてから、一口頬張る。塩気の加減が絶妙で、思わず頬を押さえた。
「おいしいなぁ。一輪さん、おにぎり作るの上手だね」
「うん。一輪は、お料理上手だからねぇー。ご飯作るのは当番で決めてるんだけど、一輪の日にはいつもお寺に行っているんだぁ」
「その気持ち、分かるなぁ」
昨日の当番が水蜜とこいしで、今朝いただいたご飯は響子が作ったものだったが、彼女らが作った料理でも、十分過ぎるほどおいしかった。それよりも上の味となると、もう想像もつかない。おにぎりをこんなに美味しく作れるのだから、他の料理はもっと素晴らしいに違いない。
そうなると、彼女の上に立つ白蓮や星は、どんな料理を作るのだろう。思い切って、こいしに聞いてみると、彼女はにこりと笑顔を浮かべて、即答した。
「普通だよぉ」
「あ、そうなんだ……」
悟りに近づくことと料理の腕とは、あまり関係がないようだ。
ほとんど同時に食べ終わり、花子とこいしは水筒の蓋を交代で使ってお茶を飲みつつ、食休みをした。すぐに歩いてもいいのだが、春の昼下がりに急ぎ足で行動するのは、もったいない気がする。
会話はあまりせずに、のんびりと青空を見上げる。しばらくは歩く日々だから、晴れが続いてくれたらいいなと、花子は空に祈った。
ふと隣を見ると、こいしがあさっての方向を見つめていた。何を見ているのだろうと視線を追いかけ、花子も怪訝そうに眉を寄せる。
「なにあれ?」
「なんだろうねぇー」
二人揃って凝視しているそれは、黒い球体だった。かなり遠くにあるのだが、大きさは花子の身長を直径としたくらいだろうか。フラフラと宙に漂い、草原の向こうに見える森へと近づいていく。
恐らく妖怪か何かだろうと、花子は見当をつけた。それにしても、危なっかしいふらつき方をしている。
蛇行する黒い球体を眺めていたこいしが、突然立ち上がった。緑の瞳はキラキラと、好奇心に輝いている。
「追いかけてみよぉ!」
言うが早いか、こいしは飛んでいってしまった。彼女の飛行はあまり速くはないが、それでも花子よりは速い。置いていかれてはたまらない。
「え、あ、待って!」
慌てて鞄を背負ってから、花子も飛び上がる。リュックは大して重くないとはいえ、それでもこいしを追いかけるのは大変だ。
黒い球が草原の先の森に入ってしまい、こいしはようやく止まってくれた。なんとか追いついて、息を整えてから、花子はその森を眺める。
妖怪の山を覆う森に比べ、なんともおどろおどろしい森だ。木はよそ者を拒むかのように茂っていて、草原との境目が怖いほどはっきりしている。お世辞にも、春の緑豊かな森とは言い難い。
「あれって、魔法の森だよね? あの中に入っちゃったなら、追いかけられないんじゃないかな」
花子が訊ねると、こいしは不思議そうに首を傾げて、
「なんでぇ?」
「だって、入って迷っちゃったら危ないし、なんだか気味が悪いもの」
「花子は妖怪なのに、気味が悪いところが嫌いなのぉ?」
「う、うーん。深夜のトイレも大概不気味だとは思うけれど……。こいしちゃん、行きたいの?」
こいしは正直に、うんと頷いた。あまり気は進まなかったが、魔法の森には花子も少し興味がある。怖いから行きたくないというのも、本心だが。
「じゃあ、行ってみようか。さっきの黒いの、気になるものね」
「うん!」
なんのためらいもなく、こいしが森に入っていく。その度胸を少し分けてほしいと思いつつ、またも追いかける形で、花子も魔法の森に飛び込んだ。
◇◆◇◆◇
森で飛ぶと木の枝にぶつかってしまうので、花子達は歩いて進むことにした。先ほどの黒い球体は、まだ見つからない。
魔法の森に自生している植物は、不思議な形をしているものが多かった。木の葉はどれも青や紫だし、星型のキノコや人の顔をした木の実など、見ていて気持ちのいいものではない。
時々、鳥がギャアギャアと嫌な鳴き声を発しながら飛んでいく。空気も妙に湿気っていて、居心地が悪い。花子はこいしとはぐれないよう、ぴったりとくっついて歩いた。
同じ女の子だというのに、こいしはまるで怖がらずに、先ほどの黒い物体を探している。あれにどんな魅力を感じたというのか、とても真剣だ。
「んー、いないねぇー」
「こいしちゃん、もういいんじゃないかな? きっと、森に住んでいる怖い化け物なんだよ。やめておこうよ」
「あっちの木、枝がたくさん折れてる。きっと黒いのがぶつかったんだよ、行ってみよぉ」
「聞いてくれないんだもんなぁ……」
駆け出したこいしを、渋々追いかける。彼女には、吸血鬼姉妹のワガママとは別のベクトルで、振り回されることになりそうだ。
見上げてみると、確かにこいしが言ったとおり、木々の間を何かが通過したように、枝が折れている。ぶつかっても構わず無理矢理通り抜けたのだろう。
枝の折れている木を目印に行くこと数分、こいしが突然立ち止まった。
「枝、もう折れてないやぁ」
「ありゃ。見失っちゃったね」
「もっと近くで見たかったのになぁー」
珍しく落胆するこいし。とても一生懸命探していたので、花子は少し気の毒に思ったが、これで不気味な森からおさらばできると思うと、安堵感も覚えた。
急く気持ちを抑えつつ、こいしの背中を押す。
「じゃあ、街道に戻ろう? お日様の下で歩く方が、きっと楽しいもの」
「ちぇー。つまんないなぁー」
渋々ながらこいしが歩き出した、その瞬間。花子の視界は真っ黒に染まった。
周りの風景はおろか、目の前に立っていたこいしの姿、その背を押していた自分の手すらも見えない。まったくの暗闇に、花子の思考が一瞬停止する。
「……え? あれ、こいしちゃん?」
「花子ぉ? なんにも見えないよー?」
どうやら、こいしも同じ状況らしい。動くべきなのか、止まるべきなのか、何もわからなくなった花子は、とりあえず右手を伸ばし、こいしの服を掴む。
その右腕に、誰かが手を置いた。背中を向けているこいしではない、他の誰かだ。背筋に感じた悪寒は一瞬、花子は次に、悲鳴を上げていた。
「痛ぁい!」
右腕を噛まれた。痛みと混乱とで、花子は右腕を振り回す。噛みついていた何かは、すぐに離れた。安心したのもつかの間、今度はこいしが叫んだ。
「あいたぁっ! 花子、私のおしり噛んだでしょ!」
「わ、私じゃないよ! そんなことする意味が分からないもの」
腕をさすりつつ、花子は頬を膨らませた。もっとも、こいしからもこちらが見えていない以上、訴えを顔に出すことに意味はないだろう。
とにかく暗闇から逃げ出さなければと、花子はこいしを引っ張って歩こうとした。すると、突然耳元で、
「あなた達、人間じゃないの?」
「うひゃあぁぁぁぁっ!」
自分でも驚くほどの声が出て、文字通り飛び上がる。驚かす側ではあるものの、驚かされることにも強いわけではなかった。
花子の絶叫と同時に、闇が一気に薄れる。消えはしないものの、こいしの姿を確認できるほどの明るさにはなった。彼女は耳を塞いで、迷惑そうに花子を見ている。
そちらに構う余裕もなく、花子はいきなり声をかけられた方へ振り向く。花子と同じ程度の背丈の、金髪をショートボブにした少女がいた。こいしと同じように耳を塞ぎながら、赤い瞳をまんまるにしている。
「び、びっくりした」
「それはこっちの台詞だよ!」
心臓がまだドキドキしているせいか、大声で怒鳴ってしまった。すると、金髪の少女はムッと唇を尖らせ、
「声かけたくらいで、普通あんなに驚く?」
「驚くよ。だって真っ暗だし、何も見えなかったし、突然噛みつかれるし……。あ、噛みついてきたの、もしかしてあなた?」
「うん。食べられる人間かと思って」
人間と間違われることは多いが、食べられると思われたのは初めてだった。そもそも、人間を食用かどうか見極める線引が分からない。
ともかく、花子とこいしは自分達が妖怪であることを説明した。少女は非常に残念がっていたが、噛みついてしまったことは申し訳ないと思っているらしく、素直に頭を下げてくれた。
「痛い思いさせて、ごめんね。あたしはルーミア。人食いで、闇を操る妖怪なの」
「御手洗花子。子供を驚かす妖怪だよ。予定だけれど」
「私は古明地こいしっていうの、よろしくねぇ。さっきの黒くて丸いの、もしかしてルーミアなのぉ?」
こいしの問いに、ルーミアは「たぶん」と頷いた。先ほどの暗闇は、あの球体の中にいたせいらしい。
なんでも、彼女は昼間の光が眩しすぎて、日中はあの球体に包まれているそうだ。前が見えないので、木や壁によくぶつかるらしい。木の枝が折れていたのも、そういうことなのだろう。
前が見えなくて不便じゃないかとルーミアに訊ねると、眩しいほうがよっぽど不便だと返されてしまった。地底から出てくると眩しいから、こいしにはその気持がよく分かると頷いていた。
ルーミアの光嫌いはなかなかのもので、暗い森の中にいて、しかも薄いとはいえ彼女の闇に覆われているのに、眩しそうに目を
「うーん、眩しいなぁ」
「あ、ごめんね。私達に気を使って、闇を薄くしてくれているんだものね」
「このくらいなら、まだ大丈夫。それにしても、いつの間にか森の中に迷い込んでたなんて」
前が見えない状態で彷徨っているのだから当たり前だが、森を目指して飛んでいたわけではないようだ。
ともかく、怖い化け物でなくてよかったと、花子は安心した。妖怪の中でも群を抜いて人間に恐れられる人食いだが、花子は食べられる心配がないので、そこはまるで気にならない。
薄い闇の中から不気味な森を見回して、ルーミアは今になって震えている。
「うぅ、怖いところに来ちゃったなぁ。見なきゃよかったよ」
「知らぬが仏って言うものね。でも、三人いれば怖くないよ」
「そうだね。いきなり噛みついたのにアレだけど、一緒に行っていい?」
「もちろん」
笑顔で頷くと、ルーミアは安心したらしく、頬を緩めて胸を撫で下ろした。
さっそく出発しようと、花子は歩いてきた道を振り返ろうとした。しかし、どちらを向いても木が生い茂っていて、方向が分からない。暗闇の中で悶着をしている間に移動してしまったらしく、ルーミアが折った枝がある木も見当たらなかった。
自分の顔が青ざめるのを感じた。思わずこいしを振り返り、
「こいしちゃん、道、分かる?」
「分かんなぁい」
爽やかに返され、狼狽しかける。しかし、すぐに飛べばいいということを思い出した。一度木の上に出てしまえば、あとは簡単ではないか。
自分の間抜けさに呆れながら、花子はこいしとルーミアに振り返る。
「飛んで行こっか。その方が早いし――」
言いかけて、飛び上がろうと妖力を練った。しかし、体から力が抜けていく感覚とともに、飛行の妖力は霧散していく。
「あれ、飛べない?」
「あたしの闇も、なくなっちゃった」
見れば、ルーミアの闇はすっかり消え失せている。こいしもまた、飛ぼうとしては失敗して、尻もちをついている。
どういうわけか、三人揃って妖力が使えなくなっていた。森に漂う霧が薄緑になっているのが原因なのか、それとも、そこら中のキノコが赤黒い胞子を放出しているせいか。原因を突き止められたとしても、妖術を取り戻せる保証はない。
「ど、どうするの?」
怯えた様子で、ルーミアが顔を覗きこんでくる。どうしたらいいのか聞きたいのは、花子も同じだ。こんな怖い森の中を、日が暮れ始めるこの時間に歩きたくはない。
妖力が使えないとなれば、三人は頑丈なだけの子供である。特に花子はそのことをよく知っているため、なおのこと不安だった。
唯一怖がっていないこいしが、怯える花子とルーミアを見かねて、両手に腰を当てた。すっかり年上気分の様子で、
「仕方ないなぁ。私が前を歩いてあげるから、二人はついてきてくれればいいよぉ」
「でも、道、分からないんじゃないの?」
ルーミアに聞かれて、こいしは元気いっぱいに「うん」と首肯した。花子は軽いめまいを覚えた。
「大丈夫! 歩いていればなんとかなるよぉ」
気楽に断言して、こいしは歩き出してしまった。軽やかな足取りでどこへともなく向かっていく、その自信が怖い。
振り返れば、ルーミアも覚悟を決めたようだ。自分の黒いスカートの裾をぎゅっと掴んで、
「花子、行こう? はぐれちゃったら、もっと大変になるよ」
「うぅ、そうだね。行くしかないよね……」
花子とルーミアは、怯える自分の足に鞭を打って、こいしを追いかけた。
三人いれば怖くないと言ったのは自分だというのに、花子の中にはもう、不安しかなかった。
◇◆◇◆◇
迷いのないこいしの歩みは、花子とルーミアを森の奥深くに誘った。
「あれぇー?」
首を傾げるこいし。ルーミアと出会った場所に比べて、不気味な霧も濃くなり見たこともないキノコの量も増えている。もっと早くに気づくべきだったと、花子は頭を抱えた。
日も暮れかけて、さらに暗くなった森の真ん中である。あと数時間――あるいは数十分かすれば、鬱蒼と茂る木々が陽の光を完全に遮断してしまうだろう。
周囲を伺い道を選んでいたこいしが、花子達を振り返った。こんな状況でもいつもの笑顔を浮かべて、
「迷っちゃった」
「うん……」
帽子を取って後頭部を掻く仕草でごまかしているあたり、まずいことをしたという自覚はあるようだ。花子とルーミアの様子を見て、こいしの笑みは苦笑へと変わっていった。
「ごめんねぇ、こんなに深いとは思わなくて。魔法の森って、来るの初めてなんだぁ」
「あたしも、普段は近づかないようにしてたんだ。今日は本当にたまたま迷い込んじゃっただけなの。ここの雰囲気、ちょっと嫌だから」
縮こまって、物音のたびに怯えているルーミアを見ると、ちょっとどころではないようだ。花子も似たようなもので、風が木の葉を揺らすたびにこいしの袖を掴んでいる。
今から歩いても日暮れまでに脱出はできないだろうし、かといってこの場に留まるのが正しいとも思えない。花子達は、この先どうするべきかを話し合った。
しかし、こいしはまだなんとかなると思っているし、怯えている花子とルーミアは同じ程度の知恵しか持っていないせいで、ろくな答えが出ない。そうこうしているうちに、森の中は宵闇に包まれてしまった。
いっそ真っ暗でなにも見えなくなった方が、暗がりが住処だった花子と闇を操るルーミアにとっては都合がいい。しかし、森のキノコはありえない色で発光したりしているため、中途半端に森の中が見えるという、お化け屋敷のような状態になっていた。
「わぁー、綺麗だねぇー」
手を合わせてはしゃぐこいしが、本当に羨ましい。ルーミアと隣り合わせに三角座りで座り込み、膝をぎゅっと抱えて、花子は神様かなにかにひたすら祈る。
「うぅ、どうか、怖い化け物が出ませんように」
「出たとしても、私が食べられる人間でありますように。できれば塩味強めで、おいしい人間でありますように」
「……」
目をぎゅっと閉じて一生懸命祈っているが、もしかしたらルーミアは、花子ほど危険を感じていないのかもしれない。それとも、ただ単におつむが弱いだけなのか。
そうしてしばらく震えていると、こいしが光るキノコを大量に持って戻ってきた。できれば捨ててきてほしいが、明かりがあれば怖くないだろうという、彼女なりの心遣いらしい。
「これ置いておけば、明るいよぉ」
「ありがとう、こいしちゃん」
「ま、眩しい」
光が苦手なルーミアにはきついかもしれないが、キノコが放つ謎の光は、思った以上に強い。花子にとってはなかなか心強かった。
森の中を見ないように、キノコの光をぼんやりと眺める。混ざりすぎて形容できない色になっているところ以外は、ホタルが放つ輝きにどことなく似ている。
なんとなく、こいしが綺麗だと言った理由が分かる気がしてきた。ルーミアは目をしぱしぱさせているが、このまま眺めていれば、朝まで怖い思いをしなくてすむかもしれない。
そんな希望が芽生えた時だった。辺りをふらふら歩いていたこいしが戻ってきて、花子達の後方を見るや、首を傾げる。
「あれぇ? 花子、その人だぁれ?」
「え?」
釣られて振り向いても、相変わらず容赦なく不気味な森が広がるばかりで、人影はない。少し見回してみたが、やはり誰もいなかった。
見間違いだろうかと思ったが、こいしはなおも、花子とルーミアの背後を指さし、
「だって、ほらぁ。そこにいるじゃない」
「だ、誰もいないよ。真後ろにいたら、さすがに気づくもの」
「こいし、やめてよ。怖いこと言わないでよ」
二人で訴えるも、こいしは花子達に見えない何者かを、視線で追い続けている。どうやら、花子達の周りをウロウロしているようだ。あまりに怖くて、花子とルーミアは抱き合って震えた。
見えない影に怯える妖怪というのも滑稽だが、だからといって恐怖に嘘をつけるわけもない。頼むからやめてくれと言っても、こいしは「だって、そこにいるんだもん」と言って聞かない。
キノコの光はもはや慰めにもならず、花子は目を閉じることも忘れて、こいしの目線を追い続けることしかできなかった。
ふと、こいしの背後を見た。なんとなくとか、気まぐれとか、そういった類ではない。視線を吸い寄せる何かが見えたのだ。
「ひ、ひぇぇぇっ!」
「花子? 花子、どうしたの!?」
ルーミアが肩を揺さぶって聞いてくるが、答えられない。こいしの後ろに、森の霧がそのまま顔になったような化け物が現れたのだ。目と口だけがぽっかり開いて、今まさに、こいしを食べようとしている。
怖さもあったが、友達の危機を感じて、花子は叫んだ。
「こいしちゃん逃げて!」
「えー?」
こいしが振り返る。しかし彼女には見えていないのか、何もいないよと笑いながら、また花子達の周りにいるらしい何かを眺めた。
霧のお化けは動かず、こいしを品定めするかのように眺めている。花子にはしっかり見えるのだ。しかし、同じ方向を見ているはずのルーミアまでもが、困惑している。
「花子、大丈夫? あっちには何もいないよ」
「いるよ、いるもの、でっかい霧のお化けが!」
「でも、私には見えない――」
最後まで言えずに、ルーミアが固まった。顔色が真っ青になり、目には涙が溜まってきている。彼女の視線を追いかけ、花子もすぐに、ルーミアと同じ顔をする運びとなった。
木々の向こうから現れたのは、魔女だった。かぎ鼻によれた黒い服、帽子。片手に杖を持ち、もう片方にはキノコが入ったバスケット。花子達を見て、ニヤニヤと笑っている。
悪い魔女だ。花子は直感した。ルーミアも同じだろう。こいしだけが、爽やかに「こんばんは」と挨拶をしている。
「た、食べられるぅ……」
ルーミアが呟く。どちらかというと食べる側の彼女だが、森の雰囲気にやられてすっかり参っているらしい。
霧の化け物もまだ見えているし、こいしも花子の周りを歩く謎の人影を気にしている。八方塞がりの状況で、花子はルーミアを抱きしめて少しでも恐怖を紛らわした。
シワだらけの口元が、くちゃりと嫌な音を立てて開く。魔女の黄金色の眼球が、ぎょろりと花子達を見回した。
「お前ら、なにしてるんだ? こんなとこで」
「ぎょえぇぇぇぇぇっ! 魔女が喋ったぁぁぁぁぁっ!」
「いやぁぁぁぁ! 食べないでぇぇぇぇっ!」
聞き覚えのある口調であることを、花子が思い出せるはずもなかった。パニックに陥り、ルーミアとお互いの服を掴んだまま逃げようとしては転び、光るキノコが散乱し、それでまたわけが分からなくなる。
魔女が歩み寄ってくる。極力離れようと務めたが、霧のお化けが近づいてきて、花子は腰を抜かした。もつれるようにルーミアも倒れる。花子達やこいしには目もくれず、魔女はキノコを拾い上げ、バスケットに入れた。
「マボロシダケをこんなに集めやがって。探すの大変なんだぜ、これ」
「ごごごごめんなさい全部あげるから許してください!」
「あたし、人間食べてるから灰汁が強いよ。食べてもおいしくないし、キノコともあわないよ!」
一通りキノコを拾ってから、魔女はとうとう、花子とルーミアに歩み寄ってきた。その顔は不快そうに歪んでいて、それがまた、死ぬほど恐ろしい。
「お前ら、さっきから人を化け物みたいに言いやがって。私が魔法使いなのは、今に始まったことじゃないだろ」
「あわわわわ、もうダメ、こいしちゃん助けてぇ!」
最後の希望とすがってみたが、こいしは魔女のバスケットに収められていくキノコを名残惜しそうに見つめていて、こちらを見ようともしなかった。
とうとう死を覚悟したらしいルーミアが、半ば放心しながら、虚空を見上げて乾いた笑みを浮かべる。
「最後にもう一度、食べごろの人間を味わいたかった……」
「ルーミア、しっかり! 戻ってきてぇ!」
「おい花子。お前どうしたんだよ、なんかおかしいぞ」
魔女の手が、花子の肩に置かれた。細く長い指の先には、歪に歪んだ爪が伸びている。捕まったと思うと、花子の混乱は頂点に達して、とうとう感情の処理が不可能になった。
大声で泣き始めてしまい、さすがにこいしが駆け寄ってくる。しかし、一度泣きだしてしまうと、なかなか止めることができない。ルーミアはまだうつろな目で、遺言らしい何かを呟いている。
「よぉしよし、花子大丈夫だよぉ。この魔女さんは怖くないよぉ」
「怖くないっつか、知った顔だぜ。マボロシダケのせいか? ほら花子、あとルーミアも、私の顔を見ろよ」
恐ろしい魔女の顔が目の前にやってきて、花子はいっそう強く泣き喚いた。霧の化け物がゲラゲラと笑っていて、それがまた、花子の恐怖を煽る。
ついでに、ルーミアまでもが恐怖に負けて泣きだした。どちらを慰めたらいいものかと、こいしが慌てている。
森の真ん中で繰り広げられる阿鼻叫喚に、魔女がとうとうしびれを切らし、立ち上がった。右手に持った杖を妖怪少女三人に向け、
「あぁもう、面倒だな。こうなったら荒療治だ、歯ぁ食いしばれよッ!」
杖が輝き、怒涛の光線が放たれる。森の木をなぎ倒す威力のレーザーは、花子とルーミア、こいしを盛大にふっ飛ばした。
光の奔流にもみくちゃにされながら、覚えのある痛みに、花子はようやく恐怖の魔女が友人である可能性に思い至るのだった。